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2025.8.30

名絵師のもとに名版元あり? 「蔦屋重三郎と版元列伝」(太田記念美術館)開幕レポート

太田記念美術館で、蔦屋重三郎をはじめとする12の版元に光を当てる展覧会「蔦屋重三郎と版元列伝」がスタートした。会期は11月3日まで。

文・撮影=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より
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名絵師のもとに名版元あり?

 東京・原宿の太田記念美術館で、蔦屋重三郎(蔦重)をはじめとする12の版元に光を当てる展覧会「蔦屋重三郎と版元列伝」がスタートした。会期は11月3日まで。担当学芸員は、赤木美智(太田記念美術館 学芸員)。

 江戸の版元・蔦屋重三郎を主人公に取り上げたNHK 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の放送に際し、今年は様々な文化施設で江戸の出版をテーマとした展覧会が開催されてきた。

 本展では、蔦重の功績はもちろん、浮世絵の草創期から明治時代に至るまでの約230年にわたって、業界を牽引し、文化の担い手として活躍してきた12の版元にも注目。出版作品に加え、それぞれの企画力やその戦略にも焦点を当てることで、浮世絵がどのように発展を遂げていったかをたどる内容となっている。

 今回取り上げられる版元は、蔦屋重三郎(前後期)、鱗形屋(前期、一部後期)、鶴屋喜右衛門(後期)、奥村屋(後期)、西村屋与八(前期)、和泉屋市兵衛(前後期)、須原屋一統(後期)、西村源六(前期)、永楽屋東四郎(前期)、竹内孫八(後期)、松木平吉(前後期)、秋山武右衛門(前後期)。会期によって紹介される版元は一部異なるが、前期展示の様子をレポートしたい。

蔦重がプロデュースした江戸の巨匠たち

 蔦屋重三郎といえば、喜多川歌麿や東洲斎写楽をプロデュースしたことでも知られる、吉原出身の版元だ。同館1階では、蔦重がプロデュースした代表作がおよそ年代順で紹介されており、一流絵師たちの作品を通じて、蔦重の手腕を垣間見ることができる。

 ここで紹介されているのは、色彩豊かな錦絵のほか、江戸文化を語るうえで外せない狂歌・黄表紙といった初期の版本だ。「スポンサーがついていたのではないか?」と思わせるほど豪華な仕上がりで、高い企画力を誇る蔦重ならではの仕事と言える。

展示風景より
展示風景より、勝川春章・北尾重政画『青楼美人合姿鏡』(安永5年、1776) 版元=山崎屋金兵衛、蔦屋重三郎
展示風景より、蔦唐丸(蔦屋重三郎)撰/唐衣橘洲序/北尾重政画『絵本吾妻抉』(天明5年、1785) 版元=蔦屋重三郎

 また、大河ドラマでは蔦重役を俳優の横浜流星が演じているわけだが、言うなれば彼は初代蔦重ということになる。じつは「蔦屋重三郎」は5代目まで続いており、明治初期まで版元として活動していた記録も残されている。同フロアでは、二代蔦屋重三郎、三代蔦屋重三郎といった後継の仕事も紹介されている。

展示風景より

敏腕版元は蔦重だけじゃない!

 大河ドラマでは脇役として登場するが、蔦重を取り巻く人物たちも名版元ばかりだ。同館2階には、浮世絵界を牽引してきた版元たちやその活動をともにした絵師たちによる浮世絵作品が展示されている。

 例えば、ドラマの初期でも登場する「鱗形屋」は、初期の浮世絵版画界をリードしてきた、いわば老舗の名版元だ。明暦期(1655〜58)から江戸を拠点に活動を始めており、版本と一枚絵の両輪で出版を手がけてきた。刷りにおける色数の少なさも、浮世絵草創期の作品であることをうかがわせる。

展示風景より、手前は鳥居清忠《大川端座敷遊興の図》(延帝初期頃) 版元=鱗形屋孫兵衛
展示風景より、恋川春町作画『金々先生栄花夢』(安永4年、1775) 版元=鱗形屋孫兵衛

 鱗形屋の勢いが下火となった寛永期(1748〜51)に頭角を表してきたのが、「西村屋与八」だ。蔦重のライバルとしても登場する西村屋与八は、浮世絵師の鳥居清満とタッグを組み、大型絵「浮絵」の数々を手がけた。大型の紅摺絵《浮絵両国涼之図》の発表時には、画面左に「浮絵の紅摺絵の元祖である」といった旨が記されており、新興版元でありながらも意欲的な姿勢が垣間見える。

展示風景より、鳥居清満《浮絵両国涼之図》(宝暦3-明和初期、1753-65頃) 版元=西村屋与八

 また、葛飾北斎によるかの有名な「冨嶽三十六景」シリーズは、三代目西村屋によるものだ。西村屋は風景画を主軸に置いてきた版元でもあり、代々受け継がれてきたその手腕が、ヒット作を生み出すための土壌となっていたことも知ることができるだろう。まさに「名絵師のもとに名版元あり」。浮世絵師と版元がいかに重要なパートナー関係にあったかを考えさせられる一作だ。

 ほかにも同時期において重要なジャンルであった、美人画や役者絵をも西村屋は手がけており、同フロアの壁2面を使い切るほど、その仕事が多岐にわたっていたこともうかがえる。

展示風景より、手前は葛飾北斎《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》(文政13-天保2年、1830-31頃) 版元=西村屋与八
展示風景より、磯田湖龍斎《雛形若菜の初模様 若那や内しら露》(安永後期) 版元=西村屋与八
展示風景より、手前は歌川豊国《中村座場内図》(寛政10年10月、1798) 版元=西村屋与八。中央の舞台上の絵柄は毎回変えながら販売された

 同じく2階では、江戸の芝で活躍した「和泉屋市兵衛」と、名古屋の出版界を牽引した「永楽屋東四郎」を紹介している。

 元禄期(1688〜1704)から出版活動を始めたとされる和泉屋市兵衛は、天明期(1781〜89)に一枚絵への参入を果たし、鳥文斎栄之や勝川春潮、渓斎英泉、歌川国貞らとともに美人画を手がけた。また、歌川豊国の出世作でもあるシリーズ作品「役者舞台之姿絵」を出版したのもこの版元だ。ほかにも、歌川国長や広重らと組んで風景画を発表するなど、手広く活動していたようだ。

展示風景より

 北斎による代表作のひとつ『北斎漫画』が出版されたのは、意外にも名古屋を拠点とする版元・永楽屋東四郎だ。寛永3年(1791)より蔦屋重三郎とも提携し、江戸・名古屋間の販路を確保。二代目永楽屋によって『北斎漫画』初編が出版された。2編以降、その権利は江戸の角丸屋に移るものの、11編以降は再び出版を担当。最後の15編は明治11年(1878)に刊行されている。

 永楽屋はその後も出版業を続けており、太平洋戦争で店舗が焼失したのち、昭和26年(1951)に約170年の活動を終了させた。

展示風景より
展示風景より、葛飾北斎『北斎漫画』初-15編(文化11-明治11年、1814-1878) 版元=永楽屋東四郎、角丸屋甚助ほか

明治時代を生き抜いた版元たちの軌跡

 地下1階の展示スペースでは、浮世絵衰退期に出版を続けていた2つの版元を紹介している。

展示風景より

 幕末にかけて巨大版元が次々と没落していく最中に現れたのが松木平吉(大黒屋)だ。明治期に入ると、四代目は小林清親とタッグを組み、「東京名所図」や「光線画」と呼ばれる風景画シリーズを展開。洋画を思わせるような新たな木版画の表現などを次々と発表していった。

 浮世絵界の不振は変わらずであったが、明治27年(1894)の日清戦争にあわせて制作された時代の流れをとらえるような作品が注目を浴び、一時的に業界が息を吹き返すような時期もあったのだという。

展示風景より、小林清親《柿に目白》(明治13年10月、1880) 版元=松木平吉
展示風景より、小林清親《旅順ノ大海戦二我水雷露艦二命中スル之図》(明治37年2月、1904) 版元=松木平吉

 もうひとつの「秋山武右衛門」は、なんと明治以降に創業された版元だ。それまでは日本橋で呉服問屋を営んでいたようだが、54歳で転身。月岡芳年と親密にかかわり、多くの仕事をともに行った。芳年の代表シリーズ「月百姿」も秋山屋から出版されたもので、芳年が亡くなった後も、その弟子や孫弟子と協働し、月岡一門による作品の数々を世に送り出した。

展示風景より
展示風景より、月岡芳年《月百姿 南屏山昇月 曹操》(明治18年10月、1885) 版元=秋山武右衛門
展示風景より、手前は池田蕉園《やへかすみ》(明治39年、1906) 版元=秋山武右衛門

 いままでの浮世絵の展覧会は、浮世絵師の視点からその作品を紹介する機会が多かった。しかし、どの絵師がどの版元と組んでいたのか、また、その版元の特徴や戦略はどのようなものであったかを知ることで、有名な浮世絵作品がいったいどのようにして生み出されてきたのかといった、裏側の様子を知ることができる。同じ絵師でも、版元が異なるだけで作風が変わるなどといった、そういった変化も本展では見逃さないでほしい。

 なお、現在、太田記念美術館、大東急記念文庫、印刷博物館、国文学研究資料館、たばこと塩の博物館による企画「五館連携 蔦重手引草」を実施中。文学史、浮世絵史、近世史、印刷史といったそれぞれの分野で高い専門性を持った5館がそれぞれの切り口から蔦屋重三郎を紹介。よりディープにその世界を知ることができる機会を創出している。本展に立ち寄った後には、他館の新たな視点から蔦重をとらえ直すことにもチャレンジしてみてはいかがだろうか。