2025.6.28

「佐藤雅彦展 新しい ×(作り方+分かり方)」(横浜美術館)開幕レポート。「作り方を作る」を続けた40年とその現在地を見る

3年以上におよぶ大規模改修工事を経て、全面開館を迎えた横浜美術館。そのリニューアルオープン記念展として佐藤雅彦の展覧会「佐藤雅彦展 新しい ×(作り方+分かり方)」がスタートした。会期は11月3日まで。

文・撮影=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部)

「佐藤雅彦展 新しい ×(作り方+分かり方)」(横浜美術館)展示風景より
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 横浜美術館のリニューアルオープンを記念する展覧会として、佐藤雅彦(1954〜)の展覧会「佐藤雅彦展 新しい ×(作り方+分かり方)」がスタートした。担当学芸員は松永真太郎(横浜美術館 学芸グループ長、主席学芸員)。

 「佐藤雅彦ほど、作品の知名度に比べて名前が知られていない表現者はいないのではないか?」そう松永は語る。佐藤といえば、サントリー「モルツ」、湖池屋「スコーン」「ポリンキー」「ドンタコス」、NEC「バザールでござーる」などのヒットCMを生み出したほか、慶應義塾大学 佐藤雅彦研究室の活動として、NHK教育テレビの幼児教育番組『ピタゴラスイッチ』を監修した人物である。誰もが一度は目にしたことがありそうな有名作品を数多く世に送り出してきた佐藤だが、「誰がつくったのか」と聞かれて、その名をすぐに答えられる人はそう多くないだろう。

 本展は、そんな佐藤の40年にもわたる取り組みやキャリアの広がり方を紹介し、すべての根底に流れる思考を展覧会というかたちで紐解いていこうというところから企画がスタートした。その後、やりとりを重ねるうちに、次第に展覧会が佐藤によるメディアコミュニケーションのひとつとしてディレクションされていったのだという。

 何事においても「どうすれば、伝わるのか」を考え続けてきた佐藤。それはもちろん、世界初・巡回なしの大回顧展となった本展も例外ではなく、そのこだわりようから、設営は記者会見当日の朝9時頃まで続けられたという。心なしか、蔵屋館長のにこやかな表情に比べ、佐藤と松永の顔には高揚と疲労の色が浮かんでいるように見えた。

記者会見の様子。左から、蔵屋美香(横浜美術館 館長)、佐藤雅彦、松永真太郎(横浜美術館 学芸グループ長、主席学芸員)

「作り方を作る」とは?

CMは「音からつくる」

 展覧会は大きく2つのセクションで分けることができ、前半では主に電通のプランナーとして広告を制作していた時期のプロジェクトが紹介されている。

展示風景より
展示風景より、佐藤の自宅の机の前に貼られている40年以上前のメモ。インクが褪色して見えなくなっているが、うっすらと「別のルールで物を作ろうと考えている。」とある

 第0章と称した空間には、グラフィックデザインの手法を用いて制作活動をスタートさせた佐藤によるポスターやDM、雑誌エディトリアルなどが並ぶ。美術には無関心であったという佐藤が、なぜ「つくる」ことに目覚めたのか。ここでは、そのきっかけが自身の蒐集していた料金表や座席表などの「印字情報」にあったことが語られているとともに、それに対し「なぜ惹かれたのか?」という自問自答を繰り返しながら、自身のアウトプットにつなげられたことがわかるだろう。この表現の仕方を「基本ルール」と定めた佐藤は、ものづくりにおける「方法論」の重要性に気づいていくこととなる。

展示風景より

 その後の第1章「ルールの確立」では、佐藤が定めた「方法論」と、それをもとに制作されてきた数々のプロジェクトを紹介している。例えば、電通のCMプランナー時代、佐藤は「音からつくる」という方法論を定め、数多くのCMを手がけた。シアター1では選抜された約70本ものCMを上映するとともに、隣接するシアター2では、その「方法論」について解説。どのようにしてそれらがつくられてきたのかを自身の言葉で紐解いている。

展示風景より

「ルール」から「トーン」へ

 自ら「方法論」を定め、それをもとにCMをつくり続けてきた佐藤は、90年代のとある段階から、視聴者を惹きつけるための世界観と、企業の目指すべきブランドイメージをともに実現するための「トーン」が重要であることに気づき、新たな表現へと移行し始める。

 続く第2章では、湖池屋の「のり塩」「スコーン」NEC「バザールでござーる」JR東日本のCM・ポスター広告などの事例を取り上げながら、新たな「トーン」という方法論がどのように反映されているかを一つひとつ解説。アウトプットからは多種多様な表現が見受けられるものの、そこには共通の考え方が通底していることにも気づくことができる。

展示風景より

 特段ものづくりについて関心があったわけではなかった佐藤が、なぜこのようなヒット作を生み出してきたのか。それには「作り方を作りたかった」と語る佐藤が自ら生み出した方法論が大きく関係していると言える。「どのコンテンツもいきなりものをつくらず、まずどのようにつくるかを考える。方法論を決めてからものをつくると、自分の想像を遥かに超えたものが生まれる。いわば方法論は、(ものづくりの)鉱脈とも言えるだろう」(佐藤)。

 また、佐藤は「ポリンキー」や「バザールでござーる」、NHK教育テレビの『だんご3兄弟』などの生みの親でもある。印象的な音や独特な言い回しとともに、数多くのキャラクターを手がけてきたのにもかかわらず、当の本人はキャラクターは苦手なのだという。「伝えるために必要であった」結果、生み出されたキャラクターたちは、実際CMやテレビ番組を通じて視聴者に伝わり、いまなお我々の記憶のなかに刻み込まれている。

展示風景より
展示風景より

 第3章ではその「トーン」という方法論がもたらした結果として、電通を退社した後に佐藤が手掛けたゲーム作品『I.Q.』も紹介されている。また、その横にあるDシアターは必見だ。ここでは『だんご3兄弟』の制作秘話と、その大ブームに巻き込まれた佐藤の苦悩が、映像と本人の言葉で語られている。

展示風景より
©︎1997,1998 Sony Interactive Entertainment Inc.
展示風景より
©︎1997,1998 Sony Interactive Entertainment Inc.

表現者であり「教育者」。佐藤雅彦研究室を舞台に

 「本当は教育がやりたかった」と語る佐藤は、電通を退社後、1999年に慶應義塾大学 環境情報学部(SFC)に招聘され、さっそく研究室を立ち上げた。第4章では、佐藤が研究室のメンバーらとともに実践してきた活動をプロジェクトごとに紹介している。

展示風景より

 研究内容を見るに、非常にプリミティブなものであるように受け取れる。電通のCMプランナーであった佐藤が同大学に着任し、初めての研究会で黒板に書いたのは「compute=計算する」という言葉であったという。認知科学や計算機科学といった佐藤が当初より関心を寄せていたテーマを、教育機関への着任と同時に展開させながら、佐藤がつねに問い続けている「どうすれば、伝わるのか」といったことへのアプローチを、様々な視点から研究生らとともに実践してきたことがわかるだろう。

展示風景より
展示風景より
展示風景より

あの『ピタゴラスイッチ』の装置も

 佐藤の取り組みとして語らずにはいられないのは、NHK教育テレビの大人気番組『ピタゴラスイッチ』だ。本展では特別展示として、あの「ピタゴラ装置」の現物が展示。この装置も、先ほど紹介した佐藤雅彦研究室による活動の一端でもある。

 加えて、会場には佐藤によるインスタレーション作品や、アートディレクターの中村至男らとともに制作されたポスター作品などが紹介されているほか、「買った後に本棚に入れっぱなしにならないよう」工夫された図録から本展グッズ、カフェメニューに至るまで、佐藤によってディレクションされたコンテンツが多数用意されている。展覧会とあわせて充分な時間をとって体験することをおすすめしたい。

展示風景より
展示風景より

 担当学芸員の松永が「佐藤雅彦ほど、作品の知名度に比べて名前が知られていない表現者はいないのではないか?」と問うたことに対し、「つくったものが表に出るほうがいい」と返す佐藤。その言葉は、クリエイティブにおける華やかな表面部分よりも、「どうしたらおもしろさを伝えられるのか」「どのような方法があればおもしろいものをつくり続けられるのか」と言った「仕組み」に対する佐藤自身の強い関心がうかがえるものであった。

 ちなみに、佐藤は現在、自身が代表理事を務める教育文化財団とともに、出身である静岡・沼津にて「富士山と海を見ながら考えるミュージアム」の設立を構想。市にこの計画を提案し、2029年の完成を目指しているという。「作り方を作る」「どうすれば、伝わるのか」を様々なメディアを通じて実践してきた佐藤。佐藤をかたちづくってきたこの思想が、未来の来場者に息づくきっかけとなるような施設であることを期待したい。

展示風景より