2025.4.10

中国に誕生した超巨大美術館。「Ennova Art Museum」で見る南條史生ディレクションの芸術祭

中国・北京近郊の廊坊(ランファン)にあるイノヴァ美術館(Ennova Art Museum)。同館で初となるビエンナーレ、「Ennova Art Biennale vol.01」が5月7日まで開催されている。本芸術祭をレポートする。

文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)

展示風景より、ファブリツィオ・プレッシ《Aqua》(2024)
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 中国の北京と天津のあいだに位置する廊坊(ランファン)のイノヴァ美術館(Ennova Art Museum)で、初となるビエンナーレ、「Ennova Art Biennale vol.01」が5月7日まで開催されている。2024年10月より中国入国のためのビザが緩和されてより訪れやすくなった中国でいま注目したい、日本人作家やキュレーターも活躍する本芸術祭を紹介する。

イノヴァ美術館の外観

なぜ、日本人キュレーターなのか

 イノヴァ美術館(館長:張子康)は企業家・王玉錠によって2019年に設立され、総合文化芸術コミュニティ「シルクロード国際芸術交流センター」の中にある非営利の美術館だ。建築総面積27万平方メートル超、展示室は3万平米というこの強大な建築は日本人建築家・千鳥義典が「流れる雲」をインスピレーションに設計。展示室総面積は1万2000平米を誇り、展示室のみならず劇場やコンサートホールなどの多機能スペースを有する。

展示風景より、ルーク・ジェラム《Gaia》(2018)

 本ビエンナーレのディレクターには南條史生(キュレーター・美術評論家)が就任。また、キュレーターはShen Qilan(中国)、Andrea Del Guercio(イタリア)、沓名美和の3名で、さらにアーティスト選考委員に畠中実が名を連ねた。

左からキュレーターの沓名美和、南條史生と館長の張子康

 なぜ、北京の芸術祭を日本人キュレーターが手がけるのか。沓名は北京のアートの現状を踏まえつつ、今回の試みについて次のように語った。「北京ではいま、年間150件ほどの美術館がオープンしていて、飽和状態です。マーケットを重視することもあり、アートフェアのような展覧会も多い。果たして継続するのか、展覧会のクオリティはどのようなものなのか、といったことが問われています。だから、今後、アカデミックな知見を重視し、美術館としての価値をしっかりと担保しようとなったときに、国際的な実績を持つ南條さんに入ってもらうことになりました。美術館がもっとも求めていたのは、市場主義ではないアーティストをキュレーションしてほしいということ。南條さん以下、私たちが確固たるアーティストの選定を行うことで、他館とはまったく異なる色を出せたのではないかと思っています」。

展示風景より、リウ・ウェイ《Dimantion》(2021)

 本展のテーマはテーマは「多元未来 – 人生的新展望」とされており、第1章「Sound Consciousness(音声の拡張)」、第2章「Boundary Imagination (創造力の越境)」、第3章「Sustainability and Environment (環境の未来)」、第4章「Multiple realities (後人新世)」となっている。各章の概要を見ていきたい。

エントランス

 各章の紹介の前に、本展のアイコンとなっているエントランスの作品を紹介したい。メインエントランスとなっている館の西口には、アルゼンチンの世界的なアーティスト、レアンドロ・エルリッヒの巨大な気球が展示されている。地球と人類の持続可能性を、現代美術の創造性に追う本展を象徴する存在で、内部にも入ることができる。

レアンドロ・エルリッヒ《HOT AIR BALOON》(2024)

 反対側の東口エントランスには、モニターを漢字の「水」の形に構成した、イタリアのファブリツィオ・プレッシによる巨大な作品がある。山水からインスピレーションしたというビデオ・インスタレーションで、中国の歴史や伝統を、現代と接続する役割を果たす。流れるようなシルエットを持つ建物の内装とも共鳴し、水流の循環を体現しているようだ。

展示風景より、ファブリツィオ・プレッシ《Aqua》(2024)

第1章「Sound Consciousness」

 第1章「Sound Consciousness(音声の拡張)」は、芸術表現の素材としての「音」に焦点を当てた章となる。20世紀半ば以降、芸術表現の素材として音を使うことは一般的になり、とくにパフォーマンス・アートでは、重要な要素とされてきた。本章では「音」を手がかりにアーティストたちの作品を見ることができる。

展示風景より、ムタズ・ナスル《The Tabla》(2003)

 とくに、この章では日本人作家の活躍が目立つ。古い電化製品を楽器としてパフォーマンスを行う和田永は、代表作のひとつである、ブラウン管テレビを打楽器のように手で叩き、ノイズによるリズム・パフォーマンスを展開。すでに使われなくなって久しい機械を使って和田がつくりだしたまったく新しい音は、音を発生させるものは何でも楽器になり得るという、拡張の現場が提示されているといえるだろう。

和田永《TV Drums》(2010〜)

 「それは変化し続ける」「それはあらゆるものと関係を結ぶ」「それは永遠に続く」という3つのコンセプトのもとに、発光ダイオード(LED)を使用した作品などを制作してきた宮島達男。本展では《Counter Voice Network》と名づけられた、音についての作品をひとつの展示室を全面的に使用して展開した。壁面に設置されているのは、やかん、スーツケース、扇風機、三輪車といった身の回りの品々だが、それらには小さなスピーカーがつながっている。スピーカーからは様々な言語によってカウントダウンをする音声が聞こえており、展示室内ではそれら音声が響き合い、また散りばめられた日用品のイメージとともに、様々な記憶が喚起される。

展示風景より、宮島達男《Counter Voice Network》(2024)

 第18回文化庁メディア芸術祭アート部門優秀賞を受賞するなど、すでに国内では高く評価されてきた坂本龍一と真鍋大度による《Sensing Streams》も、本館の広大な展示室で展開されるとことなった印象を受ける。通常の生活では知覚することのできない「電磁波」をセンシングし、可視化・可聴化する本作。ダイヤルを回し、周波数を変えることで、身の回りで飛び交う電磁波が、立体的な音響と高精細な巨大なディスプレイによって明瞭なかたちをもって立ち上がる体験は、テクノロジーによって計画的な都市づくりが進む中国で見るとき、より多層的な意味が発生していた。

展示風景より、坂本龍一+真鍋大度《Sensing Streams》(2024) ※1月14日までの展示

第2章「Boundary Imagination (創造力の越境)」

 第2章「Boundary Imagination (創造力の越境)」は、人間の創造的思考に焦点を当てた章だ。この章では「越境」をキーワードに、境界線上で創造される作品が紹介されている。

展示風景より、アントワーヌ・ロジェール《CARNIVALS》(2018)

 アメリカのエイミー・カールは、バイオテクノロジーと3Dプリンターによって細胞のドレスを生成した。生物と非生物のあいだにある本作は、両者の折衷にあるからこその美しさを醸し出すとともに、身体のアイデンティティが自己と他者のあいだによってつくられていることを示唆する。

展示風景より、エイミー・カール 《Internal Collection》(2016-17)

 多岐にわたる活動で知られ、社会的な既成概念を覆すようなインスタレーションを制作する徐震(シュー・ジェン)は、同館中央にある吹き抜け空間に、まるでヘビのようにうねるギリシア様式の石柱を横たわらせた。西洋美術における権威的造形に東洋的な柔軟さを組み合わせ、文化が越境し融合するダイナミズムが表現されている。

展示風景より、シュー・ジェン《HELLO》(2024)

 ハンガリーのセマーン・ペトラは、アニメーションやビデオゲームの風景を用いて映像作品を制作する。アーティスト自身を模した手描きアニメーションのキャラクター「Yourself」が、00年代のコンピューター上の画面を思わせるローポリゴンの3DCGや、自身が東京で撮影した画像などを越境して行き来する。複数のモニターを組み合わせて表現された、デジタル上の空間を行き来する本作は、現代の多くの人が持ち合わせている思考のあり方を映し出す。

展示風景より、セマーン・ペトラ《Border as interface》(2024)

第3章「Future of Environment(環境の未来)」

 第3章「Future of Environment(環境の未来)」では、創造性と現代の地球規模の課題との密接な関係を深く掘り下げ、特に人類の持続可能性、環境・生態系問題、そしてバイオテクノロジーやロボット工学といった分野に焦点を当てる。

展示風景より、ザドク・ベン=ダヴィド《Blackfield》(2006-20)

 2023年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で展示された作品が世界的に話題を集めた、トルコ系アーティストのレフィーク・アナドール。本芸術祭には、約1億枚のサンゴ画像の基盤データセットデータを利用して、AI生成によって変化し続ける作品を展示している。有機的に変化し続ける色鮮やかな本作は、サンゴの生態の豊かさによって生み出されたものであり、アナドールは本作によってサンゴ保護の重要さを訴える。

展示風景より、レフィーク・アナドール《Artificial Realities: Coral)》(2023》

 リサイクル素材を使用してテキスタイルをつくりあげる林嵐(ジャファ・ラム)は、香港を拠点に活動するアーティストだ。香港とベルギーで集めた労働者の古着を組み合わせ、天井に展開。衣料という今後の人類にとって不可欠な存在と、そこに横たわる労働という普遍的な問題を、明瞭なイメージとして提示した。

展示風景より、ジャファ・ラムの作品

 トレヴァー・ヤンは第60回ヴェネチア・ビエンナーレの香港代表であり、Yutaka Kikutake Gallery 京橋で毛利悠子との二人展を行うなど、いま注目の作家といえるだろう。オブジェや植物を取り入れながら、人間の行動に様々な観点から問いを投げかけるヤン。本展では風水的に金を呼び込むとされるパキラを天井からぶら下げ、ハーネスで堅苦しく固定した作品を展示しており、自自然物への信仰が人的な力によって制限されているようにも見える。

展示風景より、トレヴァー・ヤン《Mr.Cuddles Under the Eave》(2021)

第4章「Multiple realities (後人新世)」

 最後となる第4章「Multiple realities (後人新世)」は、アートが描く未来についての多様な現実、世界観を紹介。とくに科学技術との関連が深い作品が展示されている。

展示風景より、ジャン・ウー+メン・シェンユー《One and Three Objects,and An Attempt at Exhausting the Object》(2021)

 映像と音響による巨大なインスタレーションで知られる池田亮司の《test pattern [nº15]》は、圧巻のスケールを持つ本館だからこそ実現できた迫力がある作品だ。暗闇につつまれた展示空間のはるか奥から、モノトーンのパターンがノイズととともに波のように明滅して押し寄せる本作は、例えば雄大な山岳や壮大な瀑布といった自然のダイナミズムを思い起こさせる。人類の電子技術によって、人類がいなくとも存在するであろう世界を現出させた作品といえる。

展示風景より、池田亮司《test pattern [nº15]》(2024)

 イタリアのアーティスト・デュオ、ペッカ&テイジャ・イソラッティアは、ロボットによる場末のバーを会場に出現させた。バーに座っている3体のロボットは、その口調からまるで人間のように酔っ払っていることがわかる。2体は互いに悪口を言い合っているが、3体目は突然、詩を朗読。アルコールによって対話がかき乱された人間同士の会話をロボットがトレースしていることが滑稽であるが、同時に非人間的存在が人間を見るときもこのような滑稽さを感じているのかもしれないという想像がかき立てられる。

展示風景より、ペッカ&テイジャ・イソラッティア《Robohemians》(2022)

 ドイツを拠点とするキャロリン・リーブル+ニコラス・シュミットプフェーラーは、意志を持ったロボットが、周囲の環境との間で葛藤を繰り広げるインスタレーションを展開。ロボットはスピーカーからの音声とモーターによる動作でコミュニケーションをとっており、ロボットと環境の緊張関係により構築されるこのぎこちない空間は、人間社会の写し鏡ととらえることもできるだろう。

展示風景より、キャロリン・リーブル+ニコラス・シュミットプフェーラー《Vincent and Emily》(2018)

常設作品にも注目

 本ビエンナーレとともに、同館の常設作品も見ることができるが、いずれもそのスケールは目を見張るものがある。とくに、北京を拠点とするソン・ドンの 《A Quarter》(2021-24)はこの館に来たならばぜひ見るべき作品といえるだろう。巨大な空間が鏡で覆われており、そこに船が浮かんで無限の奥行きをつくり出している。

展示風景より、ソン・ドン《A Quarter》(2021-24)

 空間のなかにはアーティストが収集したランプがいくつも灯され、海上の燈火のように鏡の空間にいくつも浮かんでいる。来場者は船に乗ったり、鏡の海を歩いたりすることもでき、この空間のなかに没入することができる。作家はここを現実と仮想の融合空間、そして思考のためのプラットフォームと位置づけている。

展示風景より、ソン・ドン《A Quarter》(2021-24)

 圧倒的なスケールを持つイノヴァ美術館で、国際的なキュレーションのもとに展開される「Ennova Art Biennale vol.01」。美術館の設立が相次ぐなかでと同時に、日本人のキュレーターやアーティストが、中国の美術館において様々な制約のうえで成果を上げた一例としても重要だ。大きく変わり始めた中国の現代美術シーンのいまが現れている芸術祭といえるだろう。