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2024.9.21

「眷属」(龍谷ミュージアム)開幕レポート。多彩な信仰を支える名脇役たちがここに

仏菩薩など信仰の対象となる主尊に付き従う尊格「眷属」を取り上げる展覧会が、京都の龍谷ミュージアムで開幕した。会期は11月24日まで。

文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)

展示風景より、中央が国宝《十二神将立像》のうちの安底羅大将立像(1207、建永2年)奈良・興福寺
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 京都の龍谷ミュージアムで、秋季特別展「眷属」が開幕した。会期は11月24日まで。

 本展は、「眷属(けんぞく)」をテーマとした展覧会だ。眷属とは仏菩薩など信仰の対象となる主尊に付き従う尊格のことで、主尊のまわりを囲むようにあらわされ、仏法を守護したり、主尊を信仰する者に利益を与えたりする役割を担っている。

展示風景より

 本展は龍谷ミュージアムで昨年度開催された特集展示「眷属─ほとけにしたがう仲間たち─」を特別展としてより充実した内容にしたもの。会場には、国宝 十二神将立像のうちの奈良・興福寺にある《安底羅大将立像》をはじめ、国宝2件、重要文化財10件を含む約80件の貴重な文化財が集結。武将や貴人、子供など、眷属たちの多種多様で魅力的な造形に迫る展覧会となっている。

展示風景より、右が《薬師十二神将像》(鎌倉時代、12〜14世紀)愛知・密蔵院

 会場は4章構成。第1章「眷属ってなんだ?」では、そもそも「眷属」とはどういった意味をもち、どのように表されてきたのかを紹介する。

 前漢の司馬遷によって編築された史書『史記』には、一族郎党という意味で「婘属(眷属)」という言葉が現れる。この言葉は仏教伝来とともにインドから中国へ伝来したとされるが、それではインドにおいて眷属とはどのようなものだったのだろうか。

展示風景より、右が『史記 巻第九十五』(1598、明時代)開版、龍谷大学図書館

 仏教誕生の地であるインドでは、釈迦の一族、弟子、教えを受け継ぐ菩薩神々などを眷属として扱っていた。スワート、マトゥラー、ガンダーラなどで見つかった仏伝浮彫では、インドの伝統的な神々が仏教に取り込まれ、釈迦の眷属として表されていることをいまに伝える。

展示風景より、左から仏伝浮彫「梵天勧請」(1〜2世紀、スワート)、仏伝浮彫「四天王奉鉢」(2〜3世紀、マトゥラー)

 多くの像が日本でもつくられることとなる阿修羅、梵天・帝釈天、竜王、阿難、大迦葉などがこれにあたる。釈迦の最期、そのまわりに眷属たちが集まる様を描いた京都・誓願寺の《仏涅槃図》(1364、貞治3年)を会場で見れば、眷属の原点がよくわかるだろう。

展示風景より、《仏涅槃図》(1364、貞治3年)京都・誓願寺

 第2章「護法の神々」では、仏法を護り、人々に利益をもたらす眷属を紹介。奈良・興福寺に伝わる国宝《十二神将立像》のうちの安底羅大将立像もそのひとつだ。十二神将立像は12体すべてが凛々しい顔つきをしており、薬師如来をあらゆる十二のあらゆる方向から守る、言うなればガードマンのような存在だ。

展示風景より、中央が国宝《十二神将立像》のうちの安底羅大将立像(1207、建永2年)奈良・興福寺

 千手観音の命で『千手経』の誦持者を守護する眷属として知られるのが二十八部衆。展示されている京都・永観堂禅林寺に伝わる《千手観音二十八部衆像》は、左右編で岩山のなかに二十八部衆に風神・雷神を加えた30尊を描く。このように日本美術のモチーフとして広く知られる風神・雷神も、千手観音の眷属として描かれることがあった。

展示風景より、《千手観音二十八部衆像》(14世紀、南北朝時代)永観堂禅林寺

 本章ではほかにも薬師如来の護法神である十二神将や、『法華経』を読誦、受持する者の守護者である十羅刹女など、様々な護法の眷属たちを紹介している。

展示風景より、《十羅刹女》(平安時代後期)京都・実光院

 第3章「ほとけに仕える子ども」では、子供の姿をした眷属たちを紹介する。子供の姿をした眷属のなかでもとくに著名なのが、不動明王に仕える8人の眷属、八大童子だ。大阪・七宝瀧寺に伝わる《不動明王八大童子像》(14〜16世紀、室町時代)は、まさに不動明王と八大童子を描いたものだ。

展示風景より、左が《不動明王八大童子像》(14〜16世紀、室町時代)大阪・七宝瀧寺

 また、八大童子のなかでも制咤迦(せいたか)童子と矜羯羅(こんがら)童子はとくに著名。《制咤迦童子坐像》《矜羯羅童子坐像》(14〜16世紀、室町時代)は、その愛嬌ある姿に目を奪われるだろう。

展示風景より、左から《制咤迦童子坐像》《矜羯羅童子坐像》(14〜16世紀、室町時代)大阪・四天王寺

 和歌山・金剛峯寺の《八大童子像》。国宝指定されている6躯の付属となっている2躯、阿耨達(あのくた)童子坐像と指徳(しとく)童子立像(13〜14世紀、鎌倉後期~南北朝頃)が並ぶ姿も相関だ。竜王に乗り涼し気な表情の阿耨達童子と、精悍な顔つきで煩悩を打ち砕くための三叉を持つ指徳童子の姿は、それぞれの性格や個性をも想造させる。

展示風景より、《八大童子像》のうちの阿耨達童子坐像と指徳童子立像(13〜14世紀、鎌倉後期~南北朝頃)和歌山・金剛峯寺

 最後となる第4章「果てしなき眷属の世界」では、名前を持たない眷属や、日本独自の眷属など、時代が下るとともにさらに拡がっていった眷属の世界を紹介。

 本章では奈良・興善寺にある定英作《文殊五尊像》のうち、眷属の于闐王、善財童子、仏陀波利、大聖老人立像の4体(1463、寛永4年)を展示。獅子にのる文殊菩薩に付き従う御者、童子、僧、老人というこれらの眷属は、日本における信仰のなかで構築されていった。とくに腕を突き出した于闐王の姿はどこか愛嬌がある。

展示風景より、定英作《文殊五尊像》より于闐王、善財童子、仏陀波利、大聖老人立像(1463、寛永4年)奈良・興善寺

 日本固有の神々にも、眷属が存在する。牛頭天王と稲荷神を祀る岡山・木山神社の奥宮本殿より近年見出された一対の白狐像《神狐像》(室町時代、14〜16世紀)は、左方は珠、右方は鍵をくわえている。いまも多くの神社で祀られているが、狐は稲荷神の使いとされ、稲荷社の前には獅子や狛犬ではなくこの狐の像が置かれた。

白狐像《神狐像》(室町時代)

 眷属の成立から仏教説話のなかでの扱い、そして日本独自の発展までを貴重な資料とともに包括的に追うことができる展覧会だ。仏教文化が育んできた魅力的な眷属たちを、ぜひ会場で見ていただきたい。