2026.7.23

ダムタイプ《S/N》とはなんだったのか。ブブ・ド・ラ・マドレーヌと山中透が語る古橋悌二が伝えたかったことと現代へのメッセージ

6月19日から21日の3日間、渋谷PARCOでアート、ファッション、音楽、映画を通じて様々な価値観や表現に触れる「ダイバーシティ」をテーマにした「プライド2026」が開催された。そのプログラムのひとつとして、アーティスト・グループのダムタイプが1994年に発表した舞台作品《S/N》の記録映像上映会が行われた。当時のダムタイプのメンバーであったブブ・ド・ラ・マドレーヌと山中透を迎えたアフタートークの様子をレポートする。

文:安原真広(編集部)

《S/N》(1994)の記録映像(2001)より、古橋悌二
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 6月19日から21日の3日間、渋谷PARCOを舞台に多様な性や生き方、文化的背景を含む「ダイバーシティ」をテーマにしたイベント「プライド2026」が開催された。アート、ファッション、音楽、映画を通じて様々な価値観や表現に触れる本企画のなかで、ひときわ強い存在感を放っていたのが、20日に行われたアーティスト・グループのダムタイプが1994年に発表した舞台作品《S/N》(Signal/Noise:音響などの用語である「S/N比」〈信号とノイズの比率を示す指標〉に由来)の記録映像上映会だ。

 上映後には、パフォーマーとして作品に参加したブブ・ド・ラ・マドレーヌと、音楽を担当した山中透を迎えたアフタートークが開催された。2人は《S/N》を振り返りつつ、作品に込められたエイズという主題、亡きメンバーへのオマージュ、そして30年前に制作された本作が持つ今日的な意味を語り合った。

左から山中透、ブブ・ド・ラ・マドレーヌ

古橋悌二のHIV感染と、作品に与えた決定的な転換

 トークの冒頭、ブブ・ド・ラ・マドレーヌは、上映直前に起きたトラブルについて明かした。スクリーンの下部が映らなくなるという予期せぬ事態に対し、京都にいるスタッフが急遽リモートでレンダリングとアップロードを実施し、数時間前に「画角合わせ」を完了させたという。「ダムタイプはデジタルに見えたアナログだと言われてきたけれど、まさかこのデジタル時代に、生々しい『画角合わせ』でお待ちいただくことになるとは」とブブが語ると、会場は温かい笑いに包まれた。しかし、この「ハプニング」すらも、ダムタイプというグループの本質を象徴しているように感じられた。ダムタイプは最新のテクノロジーを用いながらも、生きている身体と現場の状況が生む即興性のなかで生み出されてきたからだ。

《S/N》(1994)の記録映像(2001)より、エイズ発症をカミングアウトする古橋悌二

 象徴的なのが、《S/N》を語るうえで避けて通れない、1995年にエイズを発症し他界した中心メンバー・古橋悌二の存在である。ブブの説明によると、もともと《S/N》というテーマや舞台構成の構想は、古橋の発病前からスタートしていたという。しかし、創作の途上であった1992年10月、古橋がHIVに感染しており、エイズを発症したことがメンバーに明かされる。古橋は、仲間たちに宛ててHIV感染の事実をこれまで伝えることが出来なかった理由を述べ、「自分にはまだやりたいことがたくさんある。これからも一緒にやってくれますか」という切実な手紙を送った。

 古橋自身が書籍『メモランダム 古橋悌二』(編集:ダムタイプ、リトルモア、2000)などにも遺しているように、もし自分が発症した場合はどのように作品を演出するかというプランは、古橋自身がもっとも深く考えていた。自身の死後もツアーが継続できるよう、自分がいない「悌二なしバージョン」の演出案を亡くなる直前にメンバーに伝えていたという。

 1995年10月に古橋が亡くなった後も、グループは東京、京都、香港、ウェリントン(ニュージーランド)、セビリア(スペイン)、クレテイユ(フランス)でツアーを続行した。舞台上では、古橋が座るはずだった椅子は空のままスポットライトが当てられ、生前の彼を捉えたリアルタイム風のパフォーマンスと、舞台裏にいるブブ、そしてダンサーのピーター・ゴライトリーのライブパフォーマンスが掛け合わされるという不在の演出が敢行された。「悌二が生きているときも私たちは必死だった。彼が病院に入院していていないのか、それともこの世にいないのか。私たちが舞台に向き合う切実さにおいて、じつはそこに大きな違いはなかった」とブブは当時を振り返った。

《S/N》(1994)の記録映像(2001)より、メイクをした古橋悌二と電話をかけるブブ・ド・ラ・マドレーヌ

 古橋悌二がドラァグ・クイーン「ミス・グロリアス」として見せたリップシンクのパフォーマンスは、強烈な批評性を兼ね備えていた。ジェニー・リヴィングストン監督の映画『パリ、夜は眠らない』(1990)に描かれているようなニューヨークのクィア・カルチャーを体現し、女優、エリザベス・テイラーがHIV・エイズ啓発のスピーチをした際の声を完璧にリップシンクしてみせる古橋の姿は、エンターテインメントを超えた「抵抗」の表現そのものだったといえる。

 トークではこのようなダムタイプの表現が生まれた当時の文化的な背景についても語られた。山中と古橋はもともと10代の頃から一緒にバンド活動を行っており、音へのこだわりやリズムに対する鋭い感性が、のちのダムタイプの映像と音響の先行的な融合へとつながっていったという。

 また、1980年代後半、ニューヨークのクラブカルチャーに触れた古橋と山中は、そこでドラァグクイーンやハウス・ミュージックの強烈な洗礼を受ける。大阪の堂山町にあったゲイ・ディスコ「クリストファー」や、ミナミのゲイバーに通い詰めていた2人は、そのストリートの熱量を日本のアートシーンに持ち込むべく、ワンナイトクラブイベント「Diamonds Are Forever」を始動させた。

テクノロジーの進化と、解決しない「差別の構造」

 30年の時を経て、エイズ治療の医学は飛躍的に進歩した。かつては大量の薬を数時間おきに服用しなければならなかったが、現在は他者に感染しないウイルス量「U=U(検出限界値未満)」を維持することが可能となり、治療を続ければ性交渉をしても相手に感染しない時代になっている。

 しかし、ブブと山中が共通して感じているのは、医療がこれほど進歩したいっぽうで、社会における差別の構造や、人々の意識がまったく進歩していない、という事実だ。ブブは「むしろ逆行している、あるいは複雑化して悪質になっている部分もある」と指摘する。作品内で繰り返し登場する「沈黙の共謀(Conspiracy of Silence)」というフレーズが示すように、現代社会において「不都合なことを言わない、沈黙する」という空気は、むしろ強まっているのではないか。ふたりが指摘する本作の批評性は、現代の観客にも重く突き刺さる。

 ブブ、山中はともに現在もそれぞれ旺盛な活動を続けている。山中はまもなくソロ・アルバムのマスターアップを控えており、ブブは美術家・嶋田美子とのコラボレーションおよびそれぞれのソロ作品を、第61回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の企画展「In Minor Keys」(〜11月22日)に出展中である。山中とブブは「若手アーティストの支援だけでなく、60代を迎えた『シニア・アーティスト』の活動やアーカイブを継続的にサポートしていく社会的なシステムが、これからの日本には必要だ」と語り、トークを締めくくった。

 30年前、ダムタイプが《S/N》という作品に込めたシグナルとノイズは、いまなおかたちを変え、現代社会に必要な抵抗の響きを、私たちの耳に届け続けている。