2026.5.21

渋谷慶一郎の「アンドロイド・オペラ」がウクライナで公演決定。戦時下の都市・リヴィウが示す文化が持つレジリエンス

音楽家・渋谷慶一郎が手がける「アンドロイド・オペラ」のウクライナ公演が決定した。本公演について、5月20日、東京・代官山のサロンウエストにて本公演に向けた制作記者発表会が開催された。

文=大橋ひな子(編集部)

渋谷慶一郎「アンドロイド・オペラ」
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 音楽家・渋谷慶一郎が手がける「アンドロイド・オペラ」のウクライナ公演が決定した。これまで日本、ドイツ、シャルジャ、ドバイ、フランスなど世界各地で上演され、直近では5月16日に大阪のフェスティバルホールでの公演を終えたばかりの本作が、今年10月、現在も戦時下にあるウクライナの都市リヴィウ、およびリヴィウ国立オペラに招聘され、3日間にわたる公演を行うことが発表された。

 ロシアによるウクライナへの全面侵攻から4年が経ち、世界中で新たな紛争が続発しウクライナ侵攻を伝える報道が人々の日常に埋没するなか、文化を停滞させることなく未来へ進めようとするウクライナ・リヴィウ市の強い姿勢に渋谷が感銘を受けたことから、本プロジェクトは実現へと動き出した。

リヴィウ市による文化戦略

 プロジェクトの背景には、リヴィウ市が展開してきた大規模な文化戦略がある。ウクライナ西部に位置するリヴィウは、ユダヤ人、ポーランド人、ウクライナ人など多様な民族が共存してきた歴史を持つ、人口約100万人の都市だ。

 同市は、欧州委員会が主催する「欧州文化首都(European Capital of Culture)2030」の候補都市として立候補し、戦時下という状況において申請に向けたプログラム、通称イエローブックの作成を開始した。本プログラムで掲げたコンセプトは、「Responsibility to Be(存在することの責任)」。戦時下であっても未来への想像力を失わず、人間としてそこに存在することの責任を文化の力で未来へとつなぐという意思が込められている。

 結果として2030年のタイトル獲得は逃したものの、リヴィウ市文化戦略室ディレクターのユリヤ・ホムチンは、同市がイエローブックに書き込まれた内容を現実のものとして推進していく方針であることを明かした。今回の渋谷のアンドロイド・オペラ招聘は、そのプログラムの極めて重要な一端を担っている。

リヴィウ市文化戦略室ディレクターのユリヤ・ホムチン

 この「欧州文化首都(European Capital of Culture)」の枠組みを通じ、欧州各都市と日本のアーティスト・文化機関をつなぐ架け橋となってきたのが、国際NGO団体「EU・ジャパンフェスト日本委員会」だ。同委員会は「世界が直面する社会的課題を、文化や芸術の力で『解きほぐす』」というコンセプトのもと、ヨーロッパと日本の文化共創を支援しており、過去には渋谷のパリ公演もサポートしている。

プロジェクトの引き受けを決意した背景

 「1年半ほど前に突然メールが届いた」と、渋谷はオファー当時を振り返る。送り主である、リヴィウ市文化戦略室アーティスティックディレクターのボフダン・シュミロヴィチは、渋谷の作品や制作活動のコンセプトを深く理解したうえで、リヴィウ側のコンセプトとの親和性を確信していた。さらに、渋谷の亡くなった妻がウクライナ系ユダヤ人の血を引いていたという巡り合わせもあったという。

音楽家の渋谷慶一郎

 渋谷がウクライナでの公演を決意した理由について、次のように語った。「アンドロイド・オペラは、自分自身の死の経験や悲しみ、痛みから回復するためにつくった作品でもある。アンドロイドが主役として成立する舞台においては、それを実現するために多くの協力者と連携する必要が出てくる。そのつながりによって作品をつくり上げるプロセスそのものが、自身の精神の回復につながった。文化芸術には人をケアする力がある」。また文化芸術に求められる役割については「戦争をはじめとした対立を直接止める力はないかもしれないが、その先にある未来を思い描きシミュレーションする機能を持っている」。

 また、戦時下にあっても劇場を新しくオープンさせ、連日列をつくるリヴィウ市民の「文化を絶対に止めない」という姿勢に、日本の現状を省みながら強い衝撃を受けたことも、背中を押す要因となったと語った。

「文化」が持つレジリエンスの力

 シュミロヴィチは、渋谷にオファーを出した理由を次のように説明した。リヴィウの文化プロジェクトの根底には、同地出身のユダヤ人SF小説家であるスタニスワフ・レム(1921〜2006)の存在がある。レムは1950〜60年代にアンドロイドなどを登場させながら「人間と非人間(機械/ロボット)のつながり」を思考した作家だ。レムの存在を起点にセクション内容を検討した際、アンドロイドを用いた作品を手がけている渋谷に白羽の矢が立った。また、大事な人の死という深い苦しみを文化芸術とともに乗り越えてきた渋谷のバックグラウンドそのものが、リヴィウ市が考える、文化芸術の力である「ケア」の体現者として適任であると判断された。

リヴィウ市文化戦略室アーティスティックディレクターのボフダン・シュミロヴィチ

 また、アンドロイドをはじめとしたテクノロジーに対して、シュミロヴィチは、先日視察した大阪公演のなかで展開されたアンドロイドとの対話のシーンを回想しながら、「ウクライナでは現在も毎月多くの命が失われており、それは皮肉にもロボットやドローンといった現代のテクノロジーによってもたらされている。テクノロジーは人を殺すために使うべきものではない。人を癒し、ケアするために使うべきであり、人間はテクノロジーと対話を重ねる必要がある」とコメントした。

左から、古木治郎(EU・ジャパンフェスト事務局次長)、ボフダン・シュミロヴィチ(リヴィウ市文化戦略室アーティスティックディレクター)、渋谷慶一郎(音楽家)、ユリヤ・ホムチン(リヴィウ市文化戦略室ディレクター)、有働由美子(アナウンサー)