2025.6.4

忠犬ハチ公像をつくった彫刻家・安藤照の没後80年を記念した展覧会が開催

東京・渋谷にある渋谷区松濤美術館で、忠犬ハチ公像をつくったことで知られる彫刻家・安藤照の「黙然たる反骨 安藤照 ―没後・戦後80年 忠犬ハチ公像をつくった彫刻家―」展が開催される。会期は6月21日~8月17日。

安藤照 兎 制作年不詳 鹿児島市立美術館蔵
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 渋谷駅前の忠犬ハチ公像をつくったことで知られる彫刻家・安藤照の没後80年を記念した展覧会「黙然たる反骨 安藤照 ―没後・戦後80年 忠犬ハチ公像をつくった彫刻家―」が、東京・渋谷にある渋谷区松濤美術館で開催される。会期は6月21日~8月17日。

 安藤照は1892年鹿児島県鹿児島市生まれ。1917年に東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学し、在学中の 1921年に帝国美術院展覧会(帝展)で彫刻家としてデビュー。翌年に帝展特選、そして1926年には帝国美術院賞を受賞するなど、早くからその実力を認められていた。翌年には帝展彫刻部の審査員に任命され、1929年には中堅彫刻家の作品研究の場として「塊人社」を結成。その後、1934年には《忠犬ハチ公像》、1937年には《西郷隆盛像》を制作した。

安藤照 女性仰臥像 1927(昭和2)年 鹿児島市立美術館蔵

 本展では、安藤の没後80年を記念して、これまで《忠犬ハチ公像》の影に隠れ、語られる機会の少なかった安藤の生涯について紐解く展示となる。戦火をのがれた現存作品約30点やその関連する作家の作品を、全5章を通じてたどる構成となる。

 第1章「梁山泊の中で —安藤照、彫刻家になる」では、安藤の初期作品にくわえ、彼のライバルであった同世代の彫刻家の作品が展示される。鹿児島から上京し、早稲田大学商科へ進学したが、芸術家を志し同校を退学した安藤。その後東京美術学校彫刻科塑造部予備科に入学し、のちの人生に大きな影響を与えた人々と出会う。

安藤照 女の首 1923(大正12)年 鹿児島市立美術館蔵

 第2章「安藤照と動物彫刻」では、動物好きの安藤と、後年に結成した彫刻団体「塊人社」のメンバーの動物彫刻が展示される。当時流行したアール・デコなどの造形とは一線を画す、無骨で質量を感じさせる彫刻作品を見ることができる。

安藤照 ポイント第二 1931(昭和6)年 鹿児島市立美術館蔵

 第3賞「鹿児島のために、渋谷のために」では、安藤の故郷である鹿児島ゆかりの作品や、渋谷を代表するモニュメント《忠犬ハチ公像》が展示される。渋谷という都市を拠点にしながらも、生まれ故郷で自身を支えてくれた人々のために制作を続けた安藤の姿勢も感じ取ることができるだろう。

安藤照 忠犬ハチ公 制作年不詳 鹿児島市立美術館蔵

 第4章「『塊人社』結成 —アラウンド・安藤照」は、1929年に結成された「塊人社」に焦点が当てられている。安藤は第8回帝国美術院展覧会の審査員に任命され一目置かれていたが、翌年の第9回同展の審査員選出をめぐって、師の朝倉文夫が自身を含む門下生全員の同展不出品を申し出たことで、安藤も審査員を辞するという大騒動に発展。その後「朝倉塾」を脱退し、周辺の仲間とともに立ち上げたのが「塊人社」である。「概して写実を基礎として、穏健なる手法を用ゐる、温厚なる作家の一団である」と評された。

安藤照 胸像 1935(昭和10)年 白根記念渋谷区郷土博物館・文学館蔵

 第5章「迫りくる戦禍 —安藤照の死」では、安藤の晩年となる1931年の満州事変から1941年の太平洋戦争開戦、そして 1945年の安藤の死までを追う内容となる。戦争のなかでも変わらぬ姿勢で作品に向き合い続けた安藤の作家人生をたどる最終章となる。

安藤照 裸婦座像 1942(昭和17)年 鹿児島市立美術館蔵

 なお本展の開催を記念して、愛知県美術館館長の平瀬礼太を迎えた講演会や、鋳造を体験できる夏休み子供美術教室なども実施される。