2025.9.19

「才能を解き放て」。伝説的ノートブック、モレスキンと同財団が目指す創造と表現の未来とは?

伝説的ノートブック・モレスキンと、その非営利部門であるモレスキン財団が主催する巡回展「Detour」。1600冊を超えるノートブックアートのなかから選りすぐりの作品を紹介し、これまでロンドンやパリなどで開催されてきた本展が、ついに東京に上陸した。開催にあたり来日したモレスキン財団共同創設者・CEOのアダマ・サンネ氏と、モレスキンCEOのクリストフ・アーシャンボウ氏に、両者が掲げる理念や展覧会の背景について話を聞いた。

聞き手・文=富田秋子 撮影=稲葉真

左からクリストフ・アーシャンボウ、アダマ・サンネ。21_21 DESIGN SIGHTギャラリー3の会場にて
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 芸術家や思想家に愛されてきた伝説的ノートブックの相続人であり継承者のモレスキンと、ミラノを拠点に世界の貧困地域で教育普及活動を行う非営利団体・モレスキン財団が主催する「Detour」は、財団が所蔵する1600冊を超えるノートブックアートのなかから厳選された作品を展示する世界巡回展。これまでロンドン、上海、パリ、ニューヨーク、ミラノで開催されてきたが、日本では2025年大阪・関西万博、イタリア館での展示を経て、現在は東京展「Detour クリエイティビティは世界を変えられるか」が21_21 DESIGN SIGHTギャラリー3で9月23日まで開催中だ。開催に合わせて来日したアダマ・サンネ氏(モレスキン財団共同創設者・CEO)とクリストフ・アーシャンボウ氏(モレスキンCEO)に、モレスキンやモレスキン財団の掲げる理念や活動内容、そして「Detour」の内容なコンセプト等いついて話を聞いた。

「クリエイティビティによる社会変革」というミッション

──本展ではアーティストや建築家、映画監督、デザイナー、ミュージシャン等、様々な分野の方々が、モレスキンのノートを使って制作した作品が紹介されています。文房具としてのノートブックは、ともするとアナログであるために古くて使いづらいツールとしてみなされそうですが、19世紀末に誕生した伝説的黒いノートブックは、1990年代にモレスキンとして復活して以降、社会がデジタル技術中心になっていくのと反比例するように世界的に支持されていったと伺いました。この興味深い現象を、どのように分析されていますか?

クリストフ・アーシャンボウ(以下、アーシャンボウ) デジタル化が進むにつれてノートブックは廃れていくという考え方が優勢であったとは思います。しかし、私たちの仕事先や顧客にアンケートをとってみると、その答えは反対で、これからも使い続けたいという回答が多かったのです。ノートブックを製造する会社として、この結果はむしろ大きな好機を示すものだったと思います。

クリストフ・アーシャンボウ

 デジタルやITの技術は確かに便利ですが、情報量が多く刺激が強すぎるために、自分の思考に集中することが難しくなるという側面もあります。しかし、ノートを使うことで、自分を取り戻すことができる。手を使って書くことでスローダウンし、思考を深めるとともに、自分自身への理解、内省をうながす媒体でもあるんです。

 ただ、私たちはデジタル技術と敵対はせずに、共存する道を選びました。紙に書いたアイデアやメモをリアルタイムでデジタル化することができる製品、“モレスキンスマート”の開発はその一例ですが、アナログとデジタルの両方を使っていただくことで、皆さんの人生をより豊かにできのではないかと考えているんです」 

──モレスキン財団が設立された経緯についてお教えください。

アーシャンボウ モレスキン財団は2006年に設立されたNPO団体です。創業者のひとりであるマリア・セブレゴンディが以前から運営していたNPOの活動と、モレスキンが持つ社会的使命の意識を結びつけて、何かできるのではないかと考えたことが発足のきっかけとなりました。モレスキンは「Unleash Your Genius(才能を解き放て)」という理念を掲げており、あらゆる個人は自身のなかにクリエイティビティを持っているというメッセージを発信し続けてきました。ファン・ゴッホピカソ、ヘミングウェイといった芸術家たちが愛用した伝統的で小さな黒いノートブックを復活させた90年代は、クリエイティブな人々が増えていった時代でもあり、多くの人々が旅行に携帯したり、アートの創作活動に活用していったのです。その意味で私は、モレスキンは高品質なノートのブランドという枠には収まらない、いわばカルチャーのひとつでもあると考えているんです。

 モレスキン財団でも文化的なクリエティビティを重視しており、社会的問題の解決に役立つという信念のもとで活動してきました。

アダマ・サンネ

──文化貢献からさらに推し進めて、「クリエイティビティによる社会変革(Creativity for Social Change)」をモレスキン財団のミッションとして掲げるに至った経緯についてお教えください。

アダマ・サンネ(以下、サンネ) 財団を設立した当時、モレスキンから受け継いだクリエティビティを重視するというレガシーとともに、社会問題への取り組みも重要であると考えるようになったきっかけのひとつが、国連からの呼びかけでした。国連は社会課題の解決のために創造性や文化の力を活用したいと考えていたために、モレスキン財団に具体的なノウハウや実践について相談があったのです。我々の財団はこの要請に応え、国連のガイドラインやグローバルアジェンダと歩調を合わせつつも、独自にプログラムを実施することにしたのです。とはいえ、私たちも初めから具体的な方法について明確な答えを持っていたわけではありません。クリエイティビティに対する熱意があったからこそ、経験や知見を積んでくることができたとも言えるわけですが、こうした経緯を経て「クリエイティビティによる社会変革」を理念として掲げるようになったのです」。

──モレスキン財団は、とくに教育に重きをおいたプロジェクトを積極的に実施されていますが、その内容についてお教えください。

サンネ モレスキン財団は教育や文化的経験の機会が限られたコミュニティや若者たちに向けて、様々な教育のプロジェクトを展開してきました。例えば、2012年に南アフリカで開始した「At Work」は、若者たちを対象にしたワークショップのプログラムです。参加者はアイデンティティや多様性、文化、コミュニティといった課題について議論し、モレスキンのノートブックに書き込んだり、手を加えたりすることで、最終的に自分だけのノート、つまり創作物をつくり出すのです。この唯一無二となったノートは地域の合同展示会に展示されましたが、なかには世界を巡回してきた「Detour」展の会場で紹介されたものもあります。ノートブックはシンプルなものではありますが、重要な教材のひとつであり、まさにクリエイティビティを解き放つうえで重要な役割を果たすことができるのです。

「ノートブックはシンプルなものではありますが、重要な教材のひとつであり、まさにクリエイティビティを解き放つうえで重要な役割を果たすことができるのです」(アダマ・サンネ)

 また、その延長線上で実施されているのが、「Creative Pioneers fund」という助成金制度です。「創造性を社会変革の原動力とする」組織や人々を資金面で支援し、コラボレーションによる教育プロジェクトやワークショップを展開するというもので、世界各国で取り組んでいます。

展示に込められた「才能を解き放て」というメッセージ

──今回の東京での展示に先立って、大阪・関西万博のイタリア館で「Detour」の大阪展が開催されました(8月23日に終了)。その手応えや感想についてお聞かせください。

アーシャンボウ 一言で表すなら「Great」、素晴らしい展示でした。現在のモレスキンがイタリアでデザインされているということで、国を代表して大阪・関西万博に参加できたことは、大変光栄なことだと思っています。この大阪展では、イタリアと日本をはじめとする世界各国のアーティスト68名による作品や、モレスキンと大阪芸術大学による共同プロジェクト「Unleash Your Genius」アートコンペティションの受賞作品が出品されましたが、開催期間中におよそ30万人もの方々が来場されたと聞いています。私がその場に身を置いて感じたことは、来場者のみなさんがじっくり鑑賞し、キャプションもしっかり読んで、各作品の背景やストーリー、作家の考えなどを理解してくださっていたということでした。

会場では、来場者がモレスキンのノートブックを使い、「クリエイティビティで世界をどう変えられるか?」「いまこそ才能を解き放とう」といった話題について書いたものを飾る体験テーブルも用意されている

──大阪・関西万博でイタリア館は一番人気のパビリオンとして大きな話題になりました。 

サンネ イタリア館にはモダンの時代を扱ったパートと、レオナルド・ダ・ヴィンチやカラヴァッジョなどの作品を展示したルネッサンスなどの歴史を担うパートがあり、その中間に配置されたモレスキンの展示は、いわば2つの時代をつなぐような位置付けでした。この展示には人間性のタイムレスな部分が表されていたと思います。というのも、モレスキンノートや「Detour」展の出品作品に込められた思いや夢は、たとえ16世紀の昔であったとしても同じように素晴らしいものだったに違いないですし、未来であっても同様だと思うからです。モレスキンノートが過去と未来の架け橋になる、そんな可能性を示すことができたのではないかと思います。

──世界を巡回してきた「Detour」展ですが、日本においては大阪と東京の2ヶ所で開催となったのみならず、東京展では独自の構成で展示されていますね?

アーシャンボウ 日本はモレスキンにとって重要なマーケットであることが理由のひとつではありますが、デザイナーの故・三宅一生氏が創設した三宅デザイン事務所とモレスキンとのコラボレーションが実施されることになり、やはり三宅氏が共同創設者である21_21 DESIGN SIGHTでぜひ展示したいと、東京展の開催が決まりました(※両社の共同創作によるデザインツールNOTE-A-NOTEは、この東京展で初披露された)。

モレスキンと松本陽介(三宅デザイン事務所)とのコラボレーション作品《視点3|NOTE-A-NOTE 展開》(2025、部分)

──東京展はどのようにして展示が企画されたのでしょうか?

サンネ 「Detour」展の核となっているのは、コラボレーションです。これまで世界の都市を巡回してきましたが、モレスキン財団の掲げるミッションに共感してくださる様々な業種の方々に、モレスキンのノートを使って制作していただき、それらの作品は展示されたのち、財団に寄付していただきます。そのうえで重要となるのが、それぞれの国や都市の文化や抱えている社会的課題などで、制作者の選定やキュレーションが一層重要となるのは言うまでもありません。今回、日本を代表するキュレーターの長谷川祐子氏と、東京の亀有を拠点とする芸術文化センター「SKWAT KAMEARI ART CENTRE(SKAC)」に依頼できたことは、大変幸運でした。企画を進めるうえで、彼らと日本の社会的環境や問題について議論しながら、協力していただく制作者や展示内容を考えることができました。

──東京展の見どころや鑑賞のポイントいついて教えてください。

サンネ ノートブックはとてもパーソナルなツールで、いろいろな思いや夢、すべてがこもった、いわば自分の一部ともいえる存在です。ですから、Detour展で展示されている作品は、個々のアーティストや制作者の思考、クリエイティビティが表れていると言えます。そして今回の展示でぜひ注目していただきたいのは、すべての作品には異なるストーリー、異なる背景があるということと、そのいっぽうで、それらがみな共通してクリエイティビティの重要性を示しているということです。

 「Detour」は「迂回」や「回避」を示す単語ですが、「普段とは違う別の道を歩む」という意味も持っています。別の道を行けばその分余計に長くなるかもしれませんが、そこで得る経験や時間に重要性があるというコンセプトが、この展覧会名に込められているのです。「Detour」展の個性的なノートブックアートの鑑賞体験が、みなさんのなかにあるクリエティビティに目を向けるきっかけになれたら、これほど嬉しいことはありません。

「Detour Tokyo」展の展示風景より

キュレーター・長谷川祐子に聞く

──モレスキン財団の「クリエイティビティによる社会変革」という理念は、キュレーションや展示にどのように活かされているのでしょうか?

長谷川祐子(以下、長谷川) モレスキンのノートブックそのものが、それを使う人々の知性や創造性を前提にしていると思います。これは使い捨てにはできない、いつまでも本のように自分の手元においておきたいコンテンツを保存し、結晶化する力があります。

 様々なジャンルのクリエイター、アーテイスト、建築家、デザイナー、ライターなども含む人々のこのノートブックへの思いが、展示作品として展開されています。複数のキュレーターが各地でコラボすることによって、展覧会の巡回先のクリエイターの作品が増えていくのもよいシステムだと思います。デコレーション、ストーリー、マケットのように立体として見せる、様々な要素が組み合わされたキュレーションで、ケースも洗練されたデザインで本未満ノートブックのカジュアルさと存在感を展示するには適しています。手袋をつけて、ケースの穴から手をさしいれて一部のノートブックを捲れるようになっている見せ方は、ほかの資料展示にも参考になると思いました。自由につくられたノートブックは、誰もが手にすることのできる一冊のノートブックからこのような多彩なアイデアがでてくることを人々がみることによって、創造的な社会の一員として一歩を踏み出すことを押し出してくれると思います。

手袋をつけて一部のノートブックを捲ることもできる

──「Detour」展(東京)の見どころについてお教えください。

長谷川 私はアーテイスト2人、デザイナー、俳優、詩人といった5人のクリエイターを選びました。いずれもモレスキンのノートブックを敬愛している人であったことはとても印象的でした。伊東豊雄さん、隈研吾さん、西沢立衛さん、妹島和世さんなど日本を代表する建築家たちの個性的なノートから、名和晃平さんや中村哲也さんの強いマテリアルの存在感など、日本ならではの展示になったと思います。俳優の板垣李光人さんの鋭い内省空間をあらわしたノートから、モレスキンのノートブックに抱かれた詩人・吉増剛造さんによる2重のノートなど、キュレーションもデコレーションでテクニックを見せるものから、イラストや文字によってストーリーをつくるもの、建築空間を展開した空間をなかに含むもの、三宅デザイン事務所のミニマルでオリジナルな展示。展示物の特性にあわせてケースのレイアウトをイタリアのキュレーター、ロッセラ・ザネッラさんと一緒に行いました。

 従来のコレクションの大胆で造形性の高いものと、フレッシュな同時代感性をあわせた「Detour」展を、東京、日本の観客の皆様に見ていただきたいと思います。

展示風景より、中村哲也《Drawn to the sky》(2025)