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2026.9.18

身体はどのようにジェンダーを演じるのか。アイザック・チョン・ワイが大館「An Intimate Surrender」で問うもの

香港出身のアーティスト、アイザック・チョン・ワイが、大館コンテンポラリーで個展「An Intimate Surrender」を開催した。映画『さらば、わが愛/覇王別姫』を起点に身体とジェンダー、「演じること」を問い直した本展。その背景をひもとく、本展キュレーターのルイザ・ホーとの対談を届ける。※9月19日24時まで、すべての方に全文お読みいただけます。

聞き手=ルイザ・ホー 構成・翻訳=編集部

アイザック・チョン・ワイ《An Intimate Surrender》(2026)ライブ・パフォーマンス Photo by Tai Ngai
Lung. Courtesy of Tai Kwun
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 ベルリンを拠点に活動する香港出身のアーティスト、アイザック・チョン・ワイ(莊偉)が、香港の大館コンテンポラリー(Tai Kwun Contemporary)で初の大規模個展「An Intimate Surrender(親密的歸順)」(7月10日〜8月9日)を開催した。本展では、20点におよぶ新たな委嘱作品を発表。ライブ・パフォーマンス、ダンス、サウンド、サイトスペシフィックなインスタレーションを組み合わせながら、ジェンダー・パフォーマティヴィティの流動性や、文化的遺産をいかに現代へと翻訳しうるのかを問いかけた。

 本インタビューでは、展覧会を企画した大館コンテンポラリーのアソシエイト・キュレーター、ルイザ・ホー(何苑瑜)とチョン・ワイが対談。中国語圏を代表する映画のひとつである『さらば、わが愛/覇王別姫』(チェン・カイコー監督、1993)を起点に、視覚芸術とパフォーマンスを通じて、ジェンダーの流動性をめぐる社会的な問題にいかに応答したのか。新作の制作過程とともに、これまでの実践や思考を振り返る。

アイザック・チョン・ワイ(下) Photo by Tai Ngai
Lung. Courtesy of Tai Kwun

『さらば、わが愛/覇王別姫』から始まった展覧会

──まずはおめでとうございます。ついに香港で初となる大規模個展を実現することができました。会期はわずか1ヶ月でしたが、心を動かされるような好意的な反響を数多くいただき、チームにとっても大きな励みとなりました。

 今回の展覧会は大館コンテンポラリーの3階展示室を使い、空間を大きく3つに分けて構成しました。入り口ではスポットライトが観客を照らし、メイン展示室に入ると、新たに委嘱制作された大型インスタレーション「Touched」シリーズ(2026)が現れます。金属製のフレーム、エッチングを施したガラス、鏡面などから構成され、舞台や映画の撮影セットを思わせる空間です。第2展示室では、垂れ下がるシルクの幕によって舞台裏やリハーサル室を思わせる空間をつくり、中国伝統演劇の鳳冠(ほうかん、*1)を用いたコラージュ彫刻シリーズ「Staged」(2026)を展示しました。

 これらの空間全体を貫いているのが、「ジェンダー・パフォーマティヴィティ」という考え方です。まずは「An Intimate Surrender」という展覧会タイトルがどのように生まれたのか、そしてその出発点となったアイデアについて聞かせてください。

アイザック・チョン・ワイ(以下、チョン・ワイ) 大館からコミッションの依頼をいただき、私が育った街である香港で、ライブ・パフォーマンスを軸とした個展を構想できたことをとてもうれしく思っています。

 この機会をきっかけに考え始めたのは、もし香港でひとつのパフォーマンスを見るとしたら、自分はいったい何を見たいのか。そして、いま改めて呼び起こすべき文化的記憶とはなんなのか、ということでした。

アイザック・チョン・ワイ「An Intimate Surrender」展より Photo by Tai Ngai Lung. Courtesy of Tai Kwun Contemporary

 そこで自然と、自分自身の経験に立ち返ることになりました。自分がどのように育ち、どのような過程を経て、現在の自分になったのか。そのなかで、香港で育った私にとって非常に大きな存在だったのが、レスリー・チャン(張國榮、1956〜2003)です。香港では親しみを込めて「哥哥(ゴーゴー/兄)」と呼ばれ、まるで家族のように身近な存在でした。とりわけ彼の演技にはずっと惹かれてきましたし、そこから、長年にわたって私の心に残り続けていた一本の映画──『さらば、わが愛/覇王別姫』(1993)へと改めて立ち返ることになりました。

 この映画は、本質的には「演じること」をめぐる作品です。レスリー・チャンが演じる程蝶衣(チェン・ティエイー)は、演技と現実の境界を曖昧にしていきます。公開から30年以上が経ったいまも、映画が投げかける問いはなお切実なものとして響きます。演じることは、私たちを自由にしうるのか。それとも、社会から期待される役割のなかに私たちを閉じ込めてしまうのか。香港との関係も含め、この作品の物語や「哥哥」の演技を改めて考えるなかで、『さらば、わが愛/覇王別姫』を今回の展覧会の出発点にしようという思いがより明確になっていきました。

 展覧会タイトルにある「surrender(降伏、屈服)」は、私にとって受動的に何かを諦めることではありません。むしろ、能動的で、優しく、感情に満ちたかたちで身を委ねることを意味しています。それは、固定化された社会規範や期待、とりわけジェンダーロールをめぐる束縛を手放すことでもあります。

展覧会タイトルにある「surrender(降伏、屈服)」は、能動的で、優しく、感情に満ちたかたちで身を委ねることを意味している。「intimate(親密な)」という言葉にはある種の温かさがあり、身体や感情のあり方を直接的に想起させる Photo by Tai Ngai Lung. Courtesy of Tai Kwun Contemporary

 そして「intimate(親密な)」という言葉にはある種の温かさがあり、身体や感情のあり方を直接的に想起させます。現在の世界の状況を考えても、私たちは皆、何か寄る辺となるもの、あるいはほんのわずかでも親密さを感じられるものを探しているのではないでしょうか。

*1──中国伝統演劇において、皇后や妃、王女などの高貴な女性や、婚礼時の女性を表現する際に用いられる豪華な装飾を施した冠。

──本展では『さらば、わが愛/覇王別姫』をコンセプトの起点としながら、身体とジェンダー・パフォーマンスをめぐるひとつの「翻訳」を試みています。それは同時に、私たちがこの時代にいかに応答するのか、その姿勢を探る試みでもあったのかもしれません。

 『さらば、わが愛/覇王別姫』は、香港の作家リリアン・リー(李碧華)による同名小説を、チェン・カイコー(陳凱歌)が映画化した作品です。20世紀の中国を舞台に、ふたりの京劇俳優が激動の時代に翻弄されながらたどる運命を描いています。政治的・経済的な混乱のなかで登場人物たちの人生は大きく揺さぶられ、舞台上の虚構と苛烈な現実との境界も次第に曖昧になっていきます。

 歴史的な制度や社会的規範に翻弄されながら、主人公の程蝶衣は自らの身体をもってそれに抗い、消えゆこうとする伝統芸能を執拗なまでに、そして悲劇的な美しさを伴いながら受け継ごうとします。その姿は、いまなお切迫したひとつのステートメントとして見ることができるでしょう。

 近年のあなたの「Touched」シリーズでは、Blindspot Galleryで発表した《Touched: Rouge》(2025)や、台北ビエンナーレで発表した《Touched: A Better Tomorrow》(2025)など、レスリー・チャンが出演した『ルージュ』(原題:胭脂扣/スタンリー・クワン監督、1988)や『男たちの挽歌』(原題:英雄本色/ジョン・ウー監督、1986)といった映画を題材にしています。それらをひとつのリサーチ手法として、人と人との関係、アイデンティティ、制度が抱える矛盾、人間の脆弱性などを掘り下げてきました。

 そして今回、そのリサーチが『さらば、わが愛/覇王別姫』へと展開していった。レスリー・チャンはまさに象徴的なクィア・カルチャーのアイコンであり、あなたに大きな影響を与えた存在だと言えます。

チョン・ワイ 彼の存在はすでに映画の物語そのものを超え、ジェンダー表現や脆弱性、さらには「可視性の政治」といった問題にまでつながっています。私が関心をもっているのは、彼が演じた役柄だけではありません。そのパフォーマンスが、異なる世代や文化的文脈を越えながら、いかに共鳴し続けているのかということです。

 『さらば、わが愛/覇王別姫』は、演劇と人生、虚構と現実が入り混じる関係を描いています。レスリー・チャン演じる程蝶衣は、生涯にわたって虞姫の死を繰り返し演じ続けます。異なる歴史的局面、異なる人生の段階で、その死が何度も反復されるのです。

『さらば、わが愛/覇王別姫』の主人公・程蝶衣は幼少期に、「我本是男兒郎,又不是女嬌娥(私はもともと男であって、女ではない)」という台詞を強制的に矯正され、成長すると今度は、演技と人生の境界そのものが失われていくような状態へと入っていく Photo by Tai Ngai Lung. Courtesy of Tai Kwun Contemporary

 程蝶衣は幼少期に、「我本是男兒郎,又不是女嬌娥(私はもともと男であって、女ではない)」という台詞を強制的に矯正され、成長すると今度は、演技と人生の境界そのものが失われていくような状態へと入っていく。私には、舞台上で演じているときの程蝶衣だけが、本当の自由を見出しているように思えるのです。

──文学や映画の古典をライブ・パフォーマンスへと改めて翻訳することは、決して簡単ではありません。展覧会を準備するなかで、私たちは物語の解釈や身体の政治性と脆弱性、そしてパフォーマンスという表現について何度も意見を交わしました。

 コラボレーションの初期から、私たちのあいだにはひとつの明確な共通認識がありました。それは、文化的伝統をただ「再演」する展覧会にはしない、ということです。むしろ物語の核心を抽出し、身体、ジェンダー、アイデンティティの流動性をめぐる表現として提示する。この考えが、その後の素材や空間、音響、照明、振付、さらにはパフォーマーの選定に至るまで、様々な判断を方向づけていきました。

チョン・ワイ そうですね。観客は展示室に入る前から、一列に並んだスポットライトによって自分自身を照らされます。まるで舞台へと上がっていくように、観客自身もまたパフォーマーのひとりになるのです。

 私たちは当初から、観客とパフォーマーのあいだに障壁を設けないことにしました。展示室には明確な舞台の境界がありません。パフォーマーは観客のすぐ目の前にいて、観客は自由に近づくことができます。すべての人を同じ高さ、同じ空間に置くことで、観客にも自分自身をひとりのパフォーマーとして意識してもらい、日常生活のなかで自分がどのような役割を「演じて」いるのかを考えてほしかった。

 それは先ほど話したような、『さらば、わが愛/覇王別姫』における現実と演技のあいだを行き来する状態とも呼応しています。

観客は、パフォーマーに近づくことができ、自分自身をひとりのパフォーマーとして意識することもできる Photo by Tai Ngai Lung. Courtesy of Tai Kwun Contemporary

京劇の身振りを、ジェンダーの身体へと翻訳する

──「An Intimate Surrender」展では、とりわけ映画に登場する京劇の「身段(しぐさや型)」を振付に取り入れていることが印象的です。今回の振付をどのように構想していったのか、教えてください。

チョン・ワイ 私は京劇を専門的に学んだ経験はありませんが、その視覚言語には非常に鮮明で、一目でそれとわかる特徴があります。中国語圏の文化に由来する様々な形式は、視覚的な記号や美的イメージを通じて流通し、ディアスポラや異文化間の状況のなかで、その意味を絶えず変化させてきました。

 今回の振付では、京劇の身段や映画の場面から動きのヴォキャブラリーを抽出し、パフォーマーたちが一連の動作を繰り返し演じる構成にしました。

 とくに興味を持ったのが、「蘭花指」と呼ばれる手のかたちです。この身振りは女性性と強く結びつけられることで、ジェンダーに対する私たちの認識を直接的にかたちづくっています。今回のライブ・パフォーマンスでは、この「蘭花指」をひとつのダンス・ヴォキャブラリーへと変換しました。それは身体を分け隔てるものではなく、身体と身体を結びつける接点になります。手は別の身体へと伸びていき、ときには相手を導き、ときには相手に導かれるのです。

今回のライブ・パフォーマンスでは、女性性と強く結びつけられる「蘭花指」と呼ばれる身振りがひとつのダンス・ヴォキャブラリーへと変換された Photo by Tai Ngai Lung. Courtesy of Tai Kwun Contemporary

──今回参加した10名のパフォーマーは本当に素晴らしかったですね。アジアの様々な地域にルーツを持ち、ダンスのバックグラウンドもそれぞれ異なります。そうした多様性が、パフォーマンスをつくり上げていく過程で、予想もしなかったような化学反応を生み出していたように思います。

チョン・ワイ そうですね。とくにリハーサルでは、パフォーマーたちと一緒に様々な可能性を試すことができました。彼らから具体的なフィードバックをたくさんもらい、お互いのアイデアをぶつけ合いながら、より実験的な振付へと発展させていきました。

 動きを考えるとき、私はよく「どんな動きが自分を触発するのか」「自分自身の経験と結びついている動きとは何か」と考えます。例えば「蘭花指」について言えば、香港で育った子供の頃、男の子がこの手のかたちをすると、ほかの子供たちから「娘娘腔(ニャンニャンチャン)」とからかわれることがありました。男性らしさに欠け、女性的すぎるという意味を含んだ蔑称です。

 いま振り返ると、なぜ社会はこれほど単純な手のしぐさを嘲笑の対象にしてしまうのだろう、と疑問に思います。なぜ男の子はこうした身振りをしてはいけないのか。いっぽう、ドイツで同じ手のかたちをしても、それが何を意味するのか知っている人はほとんどいません。そこから、ジェンダー表現が文化によってどれほど異なる意味を持つのかを考えるようになりました。

 京劇の文化的文脈において、「蘭花指」はむしろひとつの芸術であり、美を表現する身振りです。だからこそ今回のパフォーマンスでは、この身振りを現代美術の文脈から改めて解釈しました。かつて嘲笑の対象だった記号が、いまでは振付を構成する中心的な動作のひとつになっています。

本展では、複数のパフォーマーの身体と、ガラスに残された身体の痕跡とを細やかに対応させている Photo by Tai Ngai Lung. Courtesy of Tai Kwun Contemporary

 「An Intimate Surrender」展では、複数のパフォーマーの身体と、ガラスに残された身体の痕跡とを細やかに対応させています。互いの差異が存在することを認めながらも、身体同士が重なり合う瞬間を探り、ひとりの主人公のイメージを複製し、拡張していくような構成です。

 私たちは意図的に、パフォーマーに固定された役柄やジェンダー・アイデンティティを与えませんでした。その代わり、彼らは導く/導かれる、支える/支えられるといった絶えず変化する関係のあいだを行き来します。アイデンティティはあらかじめ決められているのではなく、パフォーマンスを通じてつねに交渉され、形成されていくのです。

 また、この作品において「反復」は、レジリエンスを培うためのひとつの実践でもあります。頭を垂れ、互いの高さをそろえる「降伏」の姿勢や、落下と回転が繰り返されながら、そのたびに中断される動きは、映画のなかで反復される死や、揺るぎない献身のイメージとも呼応しています。

 『さらば、わが愛/覇王別姫』と京劇の論理をひとつの集合的な身体へと展開することで、「アジアの男性性」を、ひとつの美学であると同時に、パフォーマティヴに構築されるものとして捉え直すための議論を開きたいと考えました。

ガラス、鏡、音──観客を巻き込む舞台装置

──あなたが第60回ヴェネチア・ビエンナーレ(2024)で発表した大型映像インスタレーション《Falling Reversely》(2021/2024)では、「倒れる/落下する」という身体の姿勢を反転させることで、反アジア人種差別に応答するとともに、システムや制度に組み込まれた暴力に対して、人々が集合的に抵抗する可能性を探っていました。この実践の延長線上に、「An Intimate Surrender」展の振付も位置づけられるように思います。

 今回のパフォーマンスでは、「回転」と「落下」が繰り返し現れます。それらは映画の物語と呼応すると同時に、京劇における旋回の身段や伝統的な身体技法も参照しています。また、パフォーマー同士が腕を伸ばしてつながったり、頭を寄せ合ったりする反復的な身振りによって、『さらば、わが愛/覇王別姫』を象徴するイメージも繊細に再構成されています。

パフォーマー同士が腕を伸ばしてつながったり、頭を寄せ合ったりする反復的な身振りによって、『さらば、わが愛/覇王別姫』を象徴するイメージも繊細に再構成されている Photo by Tai Ngai Lung. Courtesy of Tai Kwun Contemporary

 「An Intimate Surrender」展のパフォーマーたちは、『さらば、わが愛/覇王別姫』の登場人物と同様に、自らの身体をメディウムとして、社会的に共有されてきたジェンダーへの期待を演じ、それに応答します。展示空間のなかで動作を何度も反復し、抽象的なジェンダーをめぐる言説を肉体を通して翻訳し、交渉していく。それはレスリー・チャンや程蝶衣の運命を引き受けると同時に、歴史のなかで蓄積されてきた規律や規範の痕跡を映し出すものでもあります。

 今回のコラボレーションでジェンダーについて話していたとき、現在の議論の多くが西洋の現代理論を基盤としていることにも気づきました。私たちも様々なクィア研究者の議論を参照しましたが、それ以上に、この展覧会をアジアの視点から考えたいという思いがありました。そこで、中国古代思想に見られる「陰陽の相互依存と動的な均衡」という世界観を、あなたの振付にも取り入れようと試みました。

 視覚芸術を出発点とするあなたの振付には、伝統的なダンスの形式を解体し、再構成するという特徴があります。コンテンポラリーダンスの抽象的な身体のラインと、中国戯曲に見られるしなやかな身段を組み合わせる。パフォーマーの身体は、ときに抑制され、ときに激しく爆発し、緊張と柔らかさ、緩慢さと加速、反復と変奏といった対照的な要素が交錯します。そこでは男性性と女性性という二項対立が反転し、「陽のなかに陰があり、陰のなかに陽がある」という動的な均衡が立ち現れています。

 パフォーマーによる反復的な動きは空間のインスタレーションとも呼応し、次第に儀式的な感覚を帯びていきます。先ほどあなたが「反復はレジリエンスを培うための実践」と話したように、それは程蝶衣と虞姫が体現する「降伏(surrender)」や和解にも深く呼応しながら、あなた独自の身体言語を生み出しているように思います。

 今回のライブ・パフォーマンスは、展示室に設置された大型インスタレーション「Touched」と「Staged」シリーズとも密接に関係しています。金属製のフレーム、エッチングを施したガラス、鏡面などで構成された作品は、絶えず稼働している映画の撮影セットのようでもあり、観客の身体や鏡に映る姿までもそのなかに取り込んでいきます。このインスタレーションでは、どのような考えから素材を選んだのでしょうか。また、それによって観客とパフォーマーの関係をどのようにかたちづくろうとしたのでしょうか。

「Touched」シリーズの展示風景 Photo by Tai Ngai Lung. Courtesy of Tai Kwun Contemporary

チョン・ワイ メイン展示室に設置した大型インスタレーション「Touched」シリーズは、金属製のフレーム、エッチングを施したガラス、鏡面、色ガラスのパネルなどから構成されています。このシリーズは、映画のイメージがどのように私たちの身体のなかに刻み込まれていくのか、という問いから生まれました。エッチングされたガラスに浮かぶ霧のような身体の痕跡は、たんなる視覚的記憶ではありません。それらは、私たちが自分自身や歴史、欲望を理解するための、身体化された経験をかたちづくるものでもあります。

 作品はいわば、絶えず稼働し続ける映画の撮影セットのようなものです。そこでは、身体が存在し、別の身体と出会うことで、イメージが何度も呼び起こされます。私はこの作品を考えるうえで、身体がどのように作品に関与するのかを重視しました。例えば、観客の鏡像がパフォーマーとともにひとつの場面のなかに収まることもあります。

 そして観客は展示を見終えて会場を出るとき、再びスポットライトの光のなかを通ります。この反復される身体的な経験が、展覧会をめぐる体験の始まりと終わりの両方をかたちづくり、観察する側と演じる側の境界を曖昧にしていきます。観客はもはや振付を外側から眺める存在ではなく、その展開そのものの一部となるのです。

「Staged」シリーズの展示風景 Photo by Tai Ngai Lung. Courtesy of Tai Kwun Contemporary

 もうひとつの「Staged」シリーズは、青い展示室に設置しました。そこでは舞台裏を思わせる雰囲気をつくっています。半透明のカーテン、垂れ下がるシルクの幕、鏡面、そして中国伝統演劇で用いられる鳳冠を解体して制作した作品によって、親密で薄暗い空間を構成しました。

 観客がその空間を歩くと、鳳冠と鏡に映った自身の姿が重なります。それによって、アイデンティティとは絶えずリハーサルされ、構築され、解体され、そして再構成されていくプロセスなのだということを示唆しています。

 素材という点では、私はとくにガラスの脆さに惹かれています。私にとって、この世界にはどこか矛盾したところがあります。強さの背後には、偽りや嘘が潜んでいることがある。いっぽう、人は脆弱な状態にあるときにこそ、もっとも真実に近い姿を見せるのかもしれない。だとすれば、そもそも「真実」とはなんなのか。作品を通して、脆弱さを抱えながらも、いかに持続し、抵抗し続けることができるのかを表現したいと考えています。

 鏡には、即時性とパフォーマティヴな性質があります。像を重ね、反射させること、そして素材そのものが持つ特性によって、展覧会にさらに多層的な表現や解釈の可能性を与えることができるのです。

──最後に、今回の展覧会におけるサウンド・デザインについても触れたいと思います。会場の音は会期を通して変化し続け、ライブ・パフォーマンスの際には、さらに異なるレイヤーが加わっていました。

チョン・ワイ 今回のサウンド・デザインでは、これまでも長く一緒に仕事をしてきたサウンド・デザイナーの正村暢崇とコラボレーションしました。

 まず私から展覧会のコンセプトと振付について説明し、そこからどのような素材を音として取り入れるのか、そしてどのような聴覚体験をつくりたいのかを一緒に話し合いました。

 主に使用したのは、展覧会の素材や身体と関係する音です。例えば、ガラスを叩いたときに生じる音や、リハーサル中にパフォーマーが回転する際に身体から生じる音を収録しました。また、1950年代の京劇『覇王別姫』の録音からも一部をサンプリングしています。そうした様々な音の要素を改めて整理し、リズムを持ったひとつのサウンドスケープとして構成していきました。

──大館での展覧会はすでに幕を閉じましたが、「An Intimate Surrender」展は近い将来、今度は出版物というかたちで再び立ち現れることになると思います。私もいまからとても楽しみにしています。