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2026.7.11

なぜ「見えないもの」に惹かれるのか。トニー・アウスラーが語る、創作の源泉とAI時代の想像力

TOKYO NODEで、日本初となるトニー・アウスラーの大規模個展「トニー・アウスラー:技術と霊知のはざま~魔術、メディア、アート~(Tony Oursler: Tech/Gnosis-Magic, Media, Art)」が開催されている。映像をスクリーンから解き放ち、音や彫刻、言葉を組み合わせた没入型インスタレーションによって、現代の映像表現を切り開いてきたアウスラー。その創作は、コンセプチュアル・アートやシュルレアリスム、実験映画、ノーウェイブ・ミュージック、日本文化、さらにはUFOや心霊現象、AIまで、様々な領域と響き合いながら展開されてきた。本インタビューでは、幼少期の原風景からデヴィッド・ボウイとの協働、信念とアーカイブ、そしてAI時代における創造性まで、自身の言葉で振り返ってもらった。※7月12日24時まで、すべての方に全文お読みいただけます。

聞き手・構成:王崇橋(編集部)

トニー・アウスラー、《スペキュラー》(2021)の前にて 撮影:Yuya Furukawa 写真提供:TOKYO NODE
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少年時代からニューヨークまで──創作の原風景

──今回の展覧会では、初期の絵画から最新作までが紹介されています。あらためてご自身の歩みを振り返ると、想像力や創作の原点になったものはなんだったのでしょうか。

トニー・アウスラー 子供の頃のことで、まず思い浮かぶのはシュルレアリスムです。美術史全般に興味がありましたが、とくに若い頃はシュルレアリスムに強く惹かれました。青年期には、その少し倒錯的で反抗的な感覚が魅力的に映るんです。でも年齢を重ねると、また違った側面が見えてきます。

 今回の展覧会には《ジータ》(2025)という10点組の小さな絵画作品を展示していますが、これは祖母の姉妹に捧げた作品です。彼女は小学校教師であると同時に画家でもあり、週末には一般の人たちに絵を教えていました。

祖母の姉に捧げられた《ジータ》(2025) 撮影:編集部

 子供の頃、身近な家族にアーティストがいたことは私にとって大きな意味がありました。彼女の姉妹は教師、兄弟は建設作業員でしたから、芸術家であることもそれらと変わらない、ごく自然な職業のひとつとして身近に感じられたからです。そんなある日、突然、親戚が彼女のイーゼルを私のもとに届けてくれ、私は創作意欲をかき立てられました。彼女は幼い頃の私に絵を教えてくれました。そして今回展示した作品は、いわば彼女との『交霊』のようなかたちで制作されたものなのです。

 芸術だけでなく、映画からも多くの刺激を受けました。ジョルジュ・メリエスの『月世界旅行』(1902)のような初期映画や、ジャン・コクトー、ケネス・アンガー、ウィリアム・ウェグマン、そしてカリフォルニア芸術大学(CalArts)で師事したジョン・バルデッサリ。いっぽうで、スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』(1968)、『時計じかけのオレンジ』(1971)のようなポップカルチャーも大好きでした。

 性教育映画。ロバート・ブリアとジョーダン・ベルソン。デイヴィッド・リンチにも強い影響を受けています。そのデビュー作『イレイザーヘッド』(1977)は公開当時に映画館で観ました。いま振り返ると、あれほど実験的な作品が劇場公開されていたこと自体が驚きですね。

──あなたは、テレビからインターネット、そしてスマートフォンへとメディア環境が大きく変化していく時代を経験してきました。そうした環境の変化は制作につながっていますか。

アウスラー もちろんです。私たちは、ある意味でスクリーン時代、そしてデジタル時代の始まりを経験した世代なんです。

 映画館では、人々は同じ空間で同じ映像を共有していました。でもテレビの時代になると、映像は家庭へ入り込み、その延長線上にインターネットが現れます。当初は双方向性によって人々を結びつけるユートピア的な可能性が語られていましたが、その楽観は長くは続きませんでした。私たちはすぐに、その暗い側面も目の当たりにすることになります。

 いまでは、スクリーンはスマートフォンとなって、人類を月に到達させたコンピュータの1000倍ものパワーを秘めて、私たちのポケットのなかに収まっています。いまや私たちはAIを手に入れました。メディアを扱う作家としては、私は「情報はアート」だと捉えています。あらゆる情報へアクセスできる現在の環境は刺激的です。でも社会全体にとっては、この旅路はとても複雑で問題の多い状況でもある。それでも私は、テクノロジーそのものに対しては基本的に楽観的でいたいと思っています。

──CalArtsで学び、1980年代にはニューヨークの実験的なアートや音楽のシーンへと身を置きました。そうした環境は、現在の表現をどのようにかたちづくっていったのでしょうか。

アウスラー ロサンゼルスには、本当に刺激的なアーティストがたくさんいました。「The Kipper Kids」というイギリスのパフォーマンス・デュオには強い衝撃を受けましたし、クリス・バーデンの初期作品も忘れられません。彼は作品のために自分の腕を人に銃で撃たせたり、フォルクスワーゲンに磔にされたりするような過激なパフォーマンスで知られていました。

 そしてなにより大きかったのは、私はアート界で流通するビデオテープをつくり始めました。マイク・ケリーとの「The Poetics」は重要で、私たちはパフォーマンスや振付、音楽など、ジャンルの境界を意識することなく、とにかく興味の赴くままに実験を重ねていました。

 その後、1980年代のニューヨークへ移り住み、PS1アーティスト・スペースやザ・キッチンといった場所で、初のパブリックなメディア・インスタレーションを始めたとき、街のエネルギーはさらに強烈でした。治安は悪く、とても荒々しい場所でしたが、そのぶん創造性に満ちていました。ちょうど「No Wave(ノー・ウェイブ)」が生まれた時代で、ロサンゼルスではThe GermsやBlack Flag、ニューヨークではSuicideやTeenage Jesus and the Jerks、DNAなどを夢中になって聴いていました。さらにグレン・ブランカやリース・チャタムが実験的なギター音楽を展開し、その流れからソニック・ユースも生まれていきます。

 当時は、その環境の真っただ中で生きていただけでした。でも振り返ると、本当に特別な時代でした。なかでもグレン・ブランカとの出会いは、その後デヴィッド・ボウイとの共同プロジェクト《空(くう)》(2000)へとつながっていく、大きな転機だったと思います。

デヴィッド・ボウイ、グレン・ブランカとの共同プロジェクト《空(くう)》(2000) 撮影:木奥惠三 写真提供:TOKYO NODEインタビュー

デヴィッド・ボウイやマイク・ケリーら──創造は他者との対話から生まれる

──デヴィッド・ボウイやマイク・ケリー、そしてトニー・コンラッド、キム・ゴードン、トレイシー・ライポルド、コンスタンス・ディヤングなど。創作において「他者」と出会うことは、あなたにとってどのような意味を持ってきたのでしょうか。

アウスラー デヴィッドとの出会いは、とても偶然でした。最初のきっかけは、1996年にイタリアで開かれた展覧会です。私は別の予定があって現地へ行けなかったので、代わりにアシスタントを送りました。その展覧会にはデヴィッドも参加していて、「私は彼の大ファンだ。あなたがいまアート作品を制作していることを、心から嬉しく思います」と伝えるようにお願いしたんです。

 すると数ヶ月後、本当に彼から電話がかかってきました。当時は留守番電話の時代で、「Hello, this is David Bowie」というメッセージが残っていて(笑)。私は信じられなくて、親戚や友人みんなにその録音を聞かせて回りました。

 その後、彼はニューヨークのスタジオまで訪ねてきてくれました。当時のスタジオは本当にひどい場所でしたよ(笑)。倉庫を改装しただけの店舗スペースで、蒸気管がむき出しになり、雨漏りもする。上の階のアパートからは水漏れがし、地下には麻薬中毒者が住んでいました。ある日帰ったら、バケツのなかで大きなネズミが死んでいたことまでありました。でもデヴィッドは、その空間をすごく気に入ったんです。彼は床に座りながら、スタジオに置いてあった映像装置やプロジェクターを夢中になって触っていました。私は以前から彼の大ファンで、歌詞をほとんどすべて暗唱できるほどでした。そのため最初は、まるでまったく別次元の人物に会っているような感覚でした。

 じつは彼が来た目的は、私の作品を自分のライブで使いたいという相談でした。眼球の映像や人形作品、頭部へのプロジェクションなどを、自身の50歳のバースデーコンサートで取り入れたいと言ってくれたんです。自分の作品が、あのデヴィッド・ボウイのステージの一部になる。それは本当に夢のような出来事でした。

 でも、もっと面白かったのは、その後の交友関係です。私は彼の大ファンでした。歌詞もほとんど全部覚えていたくらいです。だから最初は、「別の次元から来た人」に会ったような感覚でした。スターという存在は、多くの人にとって現実の人物ではなく、一種のフィクションなんです。でも実際に会ってみると、そのイメージを少しずつ手放して、ひとりの人間として付き合うようになっていきました。

 一緒に美術館へも行きました。ただ、それはそれで大変でしたね(笑)。MoMAでもホイットニー・ビエンナーレでも、人々が彼のまわりに集まってきて、空間そのものの空気が変わるようでした。それは最高に刺激的(電撃的)でした!

 今回初公開する《空(くう)》は、そんな交流のなかから生まれた作品です。1999年から私がプロデュースするかたちでデヴィッド、そしてグレン・ブランカの3人で構想しましたが、完成したかたちで公開される機会はありませんでした。音と映像をミックスする作業は奇妙で、不思議であり素晴らしい体験でもありました。デヴィッドとグレンの創造的なエネルギーに何時間も集中することは最高でした。この作品は、彼らの実験へのひたむきな姿勢を証明するものです。悲しいことに2人とも他界してしまいましたが、私は部屋のなかに彼らの存在を感じました。きっと来場者もそう感じるはずです。

──デヴィッド・ボウイだけでなく、マイク・ケリーとも長年にわたり創作をともにしてきました。そうした協働から学んだことはなんでしょうか。

アウスラー デヴィッドからは、「変化し続けること」の素晴らしさを学びました。私が彼に強く惹かれた理由のひとつは、「言葉」の扱い方でした。私は若い頃から、ウィリアム・バロウズやブライオン・ガイシンの「カットアップ」に影響を受けていましたが、デヴィッドも同じように、その手法を取り入れ、歌詞を生成するためのコンピューターまでつくっていたんです。

 もうひとつ魅力だったのは、アイデンティティに対する考え方です。社会は「あなたはこういう人間だ」と、ひとつの人格に固定しようとします。でもデヴィッドは違いました。新しい人格を次々と生み出し、変化し続けることそのものを創作にしていた。

 いまでは当たり前に思えるかもしれませんが、当時それを実践することは決して簡単ではありませんでした。性的アイデンティティも含め、多くの人が抑圧されていた時代です。だから彼は、私だけでなく、多くのアーティストにとって文化的なヒーローだったんです。あ、彼の素晴らしい音楽も忘れてはいけませんね!

 いっぽう、マイク・ケリーは同世代の作家として、もっと身近な存在でした。1976年に出会って以来、亡くなるまで親しい友人であり続け、何度も一緒に仕事をしました。マイクは本当に天才でした。驚くほど知的で、面白い人物であり、文化を読み解く視点がとても独創的だった。

 私たちよりほんの少し前の「ピクチャー・ジェネレーション」(*1)が映画や広告といったマスメディアを見つめていたとすれば、私たちの世代は、音楽やテレビ、ショッピングモール、ドラッグ・カルチャー、さらにはUFOやニューエイジ、カルト宗教といったサブカルチャーに目を向けました。

 アンディ・ウォーホルがスーパーマーケットを見つめ、ピクチャー・ジェネレーションが映画を見つめたように、私たちは社会システムと「周縁」にある文化を見つめていたんです。そこには、多くの人が見ようとしなかった、その時代の現実が映っていると思っていました。マイクと私は、ジム・ショウやエリカ・ベックマンといった人々とこの考えを共有していました。

*1──1970年代半ばから80年代にかけてニューヨークで台頭した現代アーティストの総称。

日本、超常現象、アーカイブ──「見えないもの」を追い続ける理由

──あなたの作品には、日本文化やUFO、心霊現象、疑似科学、カルトなど、一見すると周縁的にも見えるテーマが数多く登場します。こうしたものに長年惹かれ続けてきた理由はなんでしょうか。

アウスラー 私が興味を持っているのは、結局のところ「Belief System(信念の体系)」なんです。人はなぜ何かを信じるのか。

 アメリカでは「幽霊を見たことがある」と答える人が約半数います。進化論を信じない人も決して少なくありませんし、UFOの存在を信じる人もたくさんいます。私たちは合理的な世界に生きていると思いがちですが、実際にはそうではありません。データを見れば、人間は驚くほど多くの「見えないもの」を信じていることがわかります。

 だから私にとって、カトリックも、フロイトも、UFOも、コンセプチュアル・アートも本質的には同じなんです。どれも、人間が世界を理解しようとする方法なんですよ。近年では、その「信じること」がメディアを通してどのように広がり、共有されるのかにも関心があります。例えば《穴から吊り上げられて》(2025)では、19世紀の「カーディフの巨人事件」を扱いました。巨大な石像を「本物の古代の巨人の化石」だと人々が信じ、大勢が見物に訪れた出来事です。

19世紀の「カーディフの巨人事件」を扱った《穴から吊り上げられて》(2025) 撮影:編集部

 私には、あれは現代のSNSそのものに見えるんです。フェイクニュースや陰謀論がどのように生まれ、人々の信念をかたちづくっていくのか。その構造は、当時もいまも変わっていません。私は、自分のアート作品が異なる時間の層に存在していると想像しています。

──そうした関心は、40年以上にわたって収集してきた膨大なアーカイブにもつながっています。あなたにとって「集めること」は創作のなかでどのような意味を持っているのでしょうか。

アウスラー 最初は単純に資料を集めていただけでした。1980年代から、カルトやニューエイジ運動、UFO、心霊写真、疑似科学などについて調べ始めて、気になるものを見つけるたびに保存していたんです。その後は映像メディアそのものの歴史にも興味が広がりました。

UFOアーカイブより、ジョージ・アダムスキーによるUFO写真 Courtesy of Tony Oursler Studio

 絵画や彫刻には美術館と歴史が存在しますし、当時のメディア文化には十分な歴史が残されていなかった。そこで「テレビを発明したのは誰だったのか」「ソニーのポータパックに使われているブラウン管はどこから生まれたのか」と、どんどん調べ始めたんです。電子テレビの主要な発明者のひとりであるフィロ・T・ファーンズワースの家系にまつわるコレクションも、今回の展示でご覧いただけます。

 当初、私の収集活動はスライドやコピーでしたが、そのうち初版本や写真を集めるようになり、気づけば巨大なアーカイブになっていました。私自身は長いあいだ、そのコレクションをほとんど公開していませんでした。でも友人でありキュレーターのトム・エクルスが「これは本にすべきだ」と勧めてくれたんです。フランスのLUMA財団の支援もあり、そうして生まれたのが《計り知れないもの》(2015-16)でした。

──本展では、そのアーカイブと映像作品《計り知れないもの》がひとつの展示として紹介されます。

アウスラー 《計り知れないもの》は、信じがたい話ですが、私自身の家族史から始まる本当にあった出来事です。祖父チャールズ・フルトン・アウスラーは奇術師であり作家でした。そしてシャーロック・ホームズの作者アーサー・コナン・ドイルや脱出王ハリー・フーディーニと交流がありました。

本展で展示されたアーカイブの一部 撮影:編集部

 第一次世界大戦後、彼らは降霊術師マージェリー・クランドンの能力をめぐって議論を交わしていたんです。コナン・ドイルは妖精や心霊現象を信じていました。いっぽう、フーディーニと私の祖父は、霊媒師のトリックを暴こうとしていました。

 もし私が「マージェリーが全裸で交霊会を開き、身体から『エクトプラズムの手』を出してベルを鳴らし、それを『Scientific American』誌が科学的に検証していた」と話したら、多くの人はつくり話だと思うでしょう。でも、これは全部、本当に起きたことなんです。だから私は、この作品で事実とフィクションを混ぜようとは思っていません。歴史そのものが、すでに十分に奇妙なんです(笑)。

 本展では映画だけでなく、当時の写真や資料、さらに登場人物同士の関係をまとめた巨大なフローチャートも展示しています。映画を見て、資料を見て、その複雑な関係を行き来しながら、「人はなぜ信じるのか」という問いを体験してもらえたらと思っています(このことが、ハリウッドには決して理解できないのです)。

《計り知れないもの》のアーカイブより、降霊術を行うマージャリー・クランドン Courtesy of Tony Oursler Studio

──1987年に初来日して以来、日本文化もまた、あなたの創作に大きな影響を与えてきました。

アウスラー 日本に初めて来たときは、本当に衝撃的でした。版画や能、歌舞伎などは以前から勉強していましたが、実際に舞台を見ていちばん驚いたのは黒衣(くろご)の存在です。

 黒衣は舞台の上にいる。でも観客は、その存在を「見ないこと」にしている。その約束事が、私にはとても魅力的でした。観客自身が想像力を働かせ、舞台を完成させている。その共同作業が、私の作品づくりにも大きな影響を与えています。私は以前から、それが電子スクリーンの機能や、メディア全般のあり方と結びついていると考えていたのです。

 展覧会の初期作品を見ると、画面の外から突然手が入ってきたり、人が映像を動かしたりしていますが、それも歌舞伎から学んだ「見えているのに見えない」という感覚につながっています。

 そして、もうひとつ忘れてはいけないのがソニーです。私が最初に使ったビデオカメラは、ソニーのポータパック(*2)でした。いま見れば決して「ポータブル」ではありませんが(笑)、あのカメラは映像表現を根本から変えました。私だけではなく、多くのビデオ・アーティストにとって、本当に革命的な存在だったんです。

*2──1967年にソニーが発売した世界初のポータブル式VTRシステム。

AI時代に人間が創造できるものは何か

──近年はAIをはじめとする新しいテクノロジーが急速に発展しています。そうした変化は、あなた自身の制作にも影響を与えていますか。

アウスラー もちろんです。私はこれまで、テレビCMのアニメーションからストップモーション、3DCGまで、考えられるほとんどすべての映像技法を試してきました。だからAIが登場したときも、ごく自然に「これはどんな映像がつくれるんだろう」と興味を持ちました。

 実際、この展覧会でもAIを使っています。《mAcHiNe E.L.F.》(2023)では、俳優の映像をAIに入力して結晶へと変換し、それを実際のパフォーマンス映像と組み合わせています。人間とAIが共同でイメージを生み出すような作品ですね。AIが生み出す「ハルシネーション(幻覚)」も、とても面白いと思っています。しかもAIは生き物のように変化し続けています。2年前に生成できたイメージが、いまではもう生成できないこともある。それは非常に興味深い現象です。

俳優の映像をAIに入力して結晶へと変換し、それを実際のパフォーマンス映像と組み合わせた《mAcHiNe E.L.F.》(2023) 撮影:木奥惠三 写真提供:TOKYO NODE

 どんな新しいメディアも、最初はフロンティアなんです。最初の映画も、ただ列車の先頭にカメラを載せて走らせるだけでした。それでも人々は驚いた。ビデオカメラが登場したときも同じです。AIも、いまはまだその段階にいるのだと思います。ただし、企業だけがAIを支配するようになれば、未来は決して良いものにはならないでしょう。だからこそ、アーティストはその内部へ入り込み、自分たちなりの使い方を見つける必要があります。

──40年以上制作を続けてきたいま、なおあなたを惹きつけているテーマとはなんでしょうか。

アウスラー AIはもちろん興味深い存在です。でも私が本当に関心を持っているのは、人間の創造性そのものなんです。本展の《星》(2026)も、その延長線上にあります。あの作品では、日本の心理学者・福来友吉(1869〜1952)による千里眼研究(*3)や、「リモート・ビューイング(遠隔透視)」のリサーチを参照しました。この作品の多くは、共同キュレーターであるアリス・ニェン=プー・コーとともに練り上げていきました。

日本の心理学者・福来友吉による千里眼研究などを参照した《星》(2026) 撮影:編集部

 AIによって「どんなイメージがつくれるか」を考えることももちろん重要ですし、誰がそのパラメーターを制御するのかということも重要です。でも、もっと面白い問いがある。それは、人間の脳そのものが、まだ未知のフロンティアなのではないかということです。

 私たちは外の世界ばかり見ています。でも本当に未知なのは、人間の意識や知覚、創造性のほうかもしれない。例えば《星》の近くに登場するシュレーディンガーの猫も、量子物理学をそのまま説明するためではありません。私は「観測者効果」という考え方が好きなんです。何かを見るという行為そのものが、その対象を変えてしまう。絵画でも、「見るたびに作品が変わる」と言う人がいます。でも変わっているのは作品ではなく、見る側なんですよ。その意味では、作品はいつも観客との共同制作なんです。

 私は昔から、鑑賞者がその場で意味を生み出せるような作品をつくってきました。この考え方も、ある意味では歌舞伎から学んだことにつながっています。

──最後に、AIの時代においても、人間の創造性は特別なものだと思いますか。

アウスラー ええ、そう思います。AIは私たちの仕事を模倣することはできます。でも、人間を模倣することはできません。私たちは、そもそも「意識」が何なのかさえ理解できていない。だから、本当の意味で意識を持つ機械をつくることも、まだ不可能だと思っています。機械をつくったのは私たちだ、ということを忘れてはいけません。

 人間の素晴らしさは、まったく異なる2つや3つのソースを結びつけ、それまで存在しなかったものを生み出せることです。創造性とは、部分の総和を超えた何かを生み出す力なんです。

 最近の作品では、そうした創造する力そのものを鑑賞者や参加者とともに祝福したいという気持ちが、以前より強くなっています。本展のタイトル「Tech/Gnosis(技術と霊知のはざま)」も、ある意味ではそのことを表しています。

 私にとって創造性とは、一種の信仰なんです。宗教という意味ではありません。芸術を信じること。そして、人間には世界を変える何かを生み出す力があると信じること。それはアーティストだけではありません。どんな分野にいる人でも、自分なりの創造性を発揮することができる。私は、その可能性をこれからも信じ続けたいと思っています。

*3──1910〜11年頃に東京帝国大学(現・東京大学)の助教授であった心理学者・福来友吉が中心となり、透視や念写といった超常現象(超能力)の科学的実証を試みた一連の研究。