2026.7.3

建築コレクティブ・GROUPはなぜ「都市と眠り」に着目するのか。模型を通じて読み解く「仮設的」な思考

東京・天王洲アイルのWHAT MUSEUMで開催中の​​グループ展「波板と珊瑚礁 - 建築を遠くに投げる八の実践」(4月21日〜9月13日)。領域横断的な活動で注目を集める建築コレクティブ・GROUPは、本展に「都市と眠り」という批評的なテーマを掲げて出展している。独自の着眼点を持つメンバーらに、テーマの背景や、異なるバックグラウンドを持ちながら流動的な協働を続けるコレクティブのあり方について話を聞いた。※本記事は7月4日24時まですべての方に全文お読みいただけます。

聞き手=檜山真有 構成=三澤麦(編集部) ポートレート撮影=稲葉真

マンションの1室にあるGROUPの小さなアトリエ
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 建築の設計・施工から展覧会のセノグラフィー、自らのリサーチや提案をインスタレーションとして発表する展覧会の開催、さらには建築にまつわるサブスクリプション型プラットフォームの運営まで──。プロジェクトの幅広さゆえに、その実体のつかめない建築コレクティブ・GROUP。在籍するメンバーはそれぞれ異なるバックグラウンドを持ち、仮設的かつ継続的に協働できる場の構築を目指して活動している。

 2021年、のちにネオ・ダダの拠点ともなった「新宿ホワイトハウス」(設計:磯崎新、1957)の改修プロジェクトをきっかけに結成。その後、25年の大阪・関西万博では、「夢洲に人が入ることができない庭をつくる」をコンセプトとしたトイレ「夢洲の庭」の設計でも注目を集めた。そのいっぽうで、24年に開催された個展「島をつくる | Planning Another Island」(マイナビアートスクエア、東京)では、建物の解体や廃棄といった側面に着目したアプローチをインスタレーション形式で展開している。

 設計・施工はもちろん、領域横断的な活動を展開するGROUPを読み解くうえで重要となるのは、建築や都市開発に対する独自の着眼点だ。本インタビューでは、現在参加しているグループ展「波板と珊瑚礁」で新たに提案する「都市と眠り」に焦点を当てながら、その独自の視座や、コレクティブとしてのあり方に迫る。

左から、柏﨑健汰、片桐悠自、井上岳、赤塚健、坪田怜子、齋藤直紀、中井由梨、曽根巽。手前は聞き手の檜山真有。GROUPのアトリエにて

「模型」の概念を拡張し、現実を記録する

──GROUPは現在、WHAT MUSEUMで開催中の展覧会「波板と珊瑚礁 - 建築を遠くに投げる八の実践」に参加されています。キュレーションはSUNAKIの砂山太一さんとWHAT MUSEUM 建築倉庫が担当されていますが、どのようなオーダーがあったのでしょうか。

曽根巽(以下、曽根) 「模型の可能性」というテーマのもと、模型がメディウムとして指定されていました。それを踏まえて、「模型」という言葉の従来の枠にとらわれず、比較的自由に創作させていただきました。

井上岳(以下、井上) 「実際の建築プロジェクトの紹介にはしないでください」というオーダーは、出展者全員に共通して伝えられていました。私たちは普段、建築事務所として建築設計を行っていますが、そうした普段の仕事の模型をそのまま展示することは避けてほしいという意味だと受け止めました。

──アンビルドのような完成されていない・予定のない建築プロジェクトとも異なるものを想定されていたのでしょうか。

中井由梨(以下、中井) 「実在するプロジェクトの建築物の縮尺模型」ではなく、建築家それぞれが概念的であったり、理想として掲げている「建築的な思考」を可視化するためのアプローチとして模型を捉え直してほしい、という意図だったかと思います。

──WHAT MUSEUMには「建築倉庫」があります。建築家や設計事務所から預かった建築模型の一部が一般公開されており、それらはプレゼンテーションのためであったり、自分たちの思考を深める役割をもっています。いっぽうで、今回の展覧会では上記に述べたような模型にとらわれないアプローチも多く見受けられました。GROUPとしては「模型」という存在をどのように捉えているのですか。また、今回の展示作品にはその考え方がどのように反映されているのでしょうか。

井上 模型には長い歴史があります。例えば、古代エジプトではスフィンクスを建設するための模型が出土しています。その歴史のなかでも、模型の使われ方は変化してきました。基本的にはクライアントへのプレゼンテーション用であったり、施工のための確認であったりします。これは現代でも続いている仕組みです。ほかには、役所などに行くと都市模型が置いてあるのを目にします。あれは、訪れた市民に対して「公共性」を示す装置として機能しています。つまり、「ここは市民に開かれた場所である」という意思表示になっているんです。

 今回我々が出品している模型は、設計者や行政がつくるトップダウン式の模型ではなく、「現実を記録するための装置」として提示しています。

曽根 模型は本来、実物をプレゼンテーションするための代理的な存在ですが、砂山さんが今回の展示でテーマとしたのは、「私たち建築家の思考そのものをプレゼンテーションするために、模型という考え方をひとつの形式とする」ということです。その解釈自体は、それぞれの建築家に委ねられています。

──GROUPが展示している模型は1分の1の「マクドナルドの座席」ですよね。模型を模型たらしめる要素とは何にあると考えていますか。例えば、1分の1の模型は彫刻だともいうことができそうです。「マクドナルドの座席」を実寸大で再現したことには、どのような意図があったのでしょう。

赤塚健(以下、赤塚) 今回GROUPは「都市と眠り」というテーマで出展しています。「マクドナルドの座席」をあの会場に再現したのは、そこで起きている日常的な行為を抽象化し、ひとつの客観的なオブジェクトとして取り扱いたいという意図があったからです。模型自体は、実物の座席を3Dスキャンし、3Dプリンターを用いて出力して制作しました。

「波板と珊瑚礁 - 建築を遠くに投げる八の実践」の展示風景より、GROUP 「都市と眠り」  撮影:木奥惠三 写真提供:WHAT MUSEUM
マクドナルドの座席を1分の1スケールで出力した模型《ルーム|35.6603977, 139.6983940, 260311》(2026) 撮影:マ.psd 写真提供:GROUP

井上 建築模型の「模型らしさ」は素材に依存している部分が大きいかもしれません。ただ、それも国によってかなり異なるんです。例えば、ヨーロッパ、アメリカ、そして日本の模型では、それぞれ使われる素材の標準が違っています。

曽根 作業性(ワーカビリティ)の高さが素材の選定にも影響していると思います。彫刻とは異なり、模型はどこまでいっても「手段」です。対象に似せてつくるために、加工しやすい素材であることが重視されてきました。今回、GROUPが模型を使用する目的は、「遠くにある特定の環境を1分の1で記録すること」にありました。そのため、ディティールを可能なかぎり再現するため、人の手による加工ではなく3Dプリンターという技術を選択しました。

再開発の都市において「眠り」をどう設計するのか

──今回の展示は3つの要素で構成されていますね。先ほどの1分の1模型に加え、映像作品《都市と眠り》とLEDの平面図《眠らない都市》がありました。映像作品は「渋谷と大都市」「渋谷と眠り」「No Sleep City」という3部構成でしたが、なぜ渋谷という街の「都市と眠り」をテーマに選んだのですか。また、渋谷というある地点をベースにしながら、ドイツ、釜ヶ崎(大阪)、パレスチナといった多様な場所が縦横無尽に参照されていました。スケール感のつなぎ方の、ある種の脈絡のなさが興味深いと感じました。

井上 映像というメディアだからこそ、地理的、歴史的に離れた場所同士をシークエンスとしてつなぎ合わせられる。そのダイナミックな仕組み自体が面白いと思い、取り組みました。この作品では、建築史家の海老澤模奈人さんに近代ドイツ建築家のルートヴィヒ・ヒルベルザイマー(1885〜1967)のことを、社会学者の丸山里美さんに女性ホームレスの実態を、都市研究者の窪田亜矢さんに宮下公園の変遷についてインタビューしています。

 リサーチの出発点となったのは、2020年に渋谷区で起きた「渋谷ホームレス殺人事件」です。そこから、都市のなかで「眠る場所」がどのように扱われているかというリサーチへ移行し、私たちの事務所がある渋谷、そして再開発が急速に進む渋谷駅周辺のあり方へと結びついていきました。LEDで照らされた眩しい街は東京にたくさんありますが、渋谷はその光と「再開発」がセットになっています。深夜になっても人が減らず、眠らないでいようと思えばずっと路上にいられる。しかしそのいっぽうで、再開発とともにかつてそこにあった多様なアクティビティが排除され、その裏で「不眠」というまったく新しい行為が誘発されています。

 渋谷区における再開発のイメージパースが時折発表されますが、そこに描かれている人たちはなぜか一様に歩いていて、アクティビティといっても路上コンサートやマーケットなどで、生々しい人間の欲望が見えてきません。しかし実際の渋谷にいる人々には、もっと「暗さのグラデーション」があるはずだと感じています。

──「暗さのグラデーション」というのは、具体的にどのようなことを指しているのでしょうか。

井上 渋谷の街中にあるのは、なにも人々の活発な活動だけではありません。カフェの1席や路上に座り込んで休憩する人や仮眠を取る人もいる。都市は、もっと立ち止まってもいいし、ただ眠っていてもいい、大抵のことは許される場所であるべきだと思うのです。現在の開発は、そういった人たちが存在しない前提で進められているように見えます。もっと多様な状況に置かれた人々を包摂することを想定したほうが、建築設計として都市に貢献できるのではないかと考えています。そのため、今回の展示ではインタビューに加えて、フォレンジック・アーキテクチャー(*1)を主宰する建築家エヤル・ヴァイツマン(1970〜)の唱える「垂直性の政治」、1970年代イタリアの建築家集団アーキズームの「No Stop City」、ベルギーの建築家ユニットDOGMAの「Stop City」を引用して、建築設計の可能性を考えています。

曽根 GROUPは、自分たちが置かれている身近な状況や環境を逆手にとり、プロジェクトを前に進めていくことが多い組織です。事務所がたまたま渋谷区にあったということも、今回のテーマ決定における大きな要因でした。

 先ほど井上が言ったように、渋谷は再開発と「不眠」の誘発がセットになっています。かつて路上にあったチーマー文化や路上飲酒のような、ある種のアクティビティが徹底的に排除されるいっぽうで、夜通し稼働し続ける「不眠」という新たな行動様式が要請されている。この2つの事象を同時に引き起こしているという点で、渋谷はきわめて興味深い対象でした。

映像インスタレーション《都市と眠り》(2026)。ディレクション・映像編集:涌井智仁 映像撮影:稲田禎洋 会場撮影:木奥惠三 写真提供:WHAT MUSEUM

──今回の作品と同様に、これまでのGROUPの活動や提案もどこか「仮設的」であると感じています。人間の生活における「眠り」という行為も、「仮設的な死の状態」と捉えることができるかもしれません。現代は、より効率的な眠りを求めてリカバリーウェアが流行するなど、睡眠がパフォーマンス維持のためにコントロールされる時代です。建築コレクティブであるGROUPにとって、この「眠り」というテーマに向き合うことには、どのような意味があるのでしょうか。

井上 再開発の本質は、個人の生活における「管理の対象」を拡大していくことだと考えています。眠りはきわめてプライベートな行為だと思われがちですが、もはやそうではありません。社会的なルールや勤務体系のなかで、すでに完全に管理の対象に組み込まれています。その管理社会の良し悪しについて、立ち止まって考えたいと思ったのです。

 渋谷に暮らす人たちがあのLEDに照らされた壁の内側で暮らしていることを考えると、いわゆる「ホームレス」と呼ばれる人々との境界線が極めて曖昧になってきていると感じます。そのとき、それは本当に「暮らしたくないディストピア」なのか、あるいは新しい都市の「アイデンティティ」となりうるのか。その状況に新たな価値づけを試みることで、現在の渋谷の再開発をさらに極端に推し進めたような都市像が描けるのではないかと考えました。従来の「古い建物が壊されることでコミュニティが失われる」といった開発反対のロジックに終始するのではなく、「開発という行為そのもの」を徹底的に思考し直す必要があります。今回展示している再開発案は一見するとマイナスに映るかもしれませんが、もしかしたらそこから新しい可能性を見出せるかもしれない。今回の提案は、まさにそうした議論を巻き起こすためのものなのです。

赤塚 現在、渋谷の再開発では「インクルーシブ」や「ジェンダー配慮」が声高に叫ばれています。もし本当にそれらを目指すのであれば、「眠り」という根源的な行為も、必然的に都市が引き受け、超えなくてはならないテーマのはずです。居眠りや路上での休息を許容する都市こそが、現在の管理型開発とは異なる、もうひとつの都市開発のあり方として目指せるのではないかと考えています。

──「眠り」は誰もが毎日行う身近な生理現象です。それを主題として扱いながら、さらに「社会的弱者の眠る場所」へとフォーカスを絞り込んでいく映像のプロセスが、鑑賞者に共感を生む構成になっていますよね。建築の仕事のプロセスは、クライアントへプレゼンテーションをしたり、説得や交渉などが多いと思います。それを説明するステートメントなどがあったとしても、「共感」を直接的に生み出す言語をあまり持たない印象もあります。そのためにあえて映像という表現手法を選択したのでしょうか。

井上 映像に関心をもったのには、まさにそうした意図があります。建築の展示における基本は、写真・図面・模型の3点セットです。私はこの3点セットがあれば、これまで建築の領域ではなかったものも建築として取り扱える、と考えています。今回も、模型としての「マクドナルドの座席」、図面としての「LEDパネル」、そして写真の代替物として「映像」を配置し、建築展示の形式をなぞるように設計しました。

 WHAT MUSEUMには建築系の学生も多く来場すると聞いていたので、映像作品自体は専門家へのインタビューを交えた番組のように構成し、リサーチの文脈がストレートに伝わるように心がけています。フォレンジック・アーキテクチャーの制作する作品の客観的な語りの形式を借りることで、ドイツ、釜ヶ崎、渋谷といった背景の異なる複雑な内容であっても、鑑賞者が混乱せず、明快に理解できるように整理を行いました。

奥にあるのは、LEDの平面図《眠らない都市》(2026) 撮影:マ.psd 写真提供:GROUP
映像インスタレーション《都市と眠り》(2026)。プロジェクターからはLEDが絶え間なく光る渋谷の映像が流れ、床置きのモニターには、その光に照らされながら眠る人の姿が映し出されている 撮影:マ.psd 写真提供:GROUP

──「No Sleep City」で語られるプロポーザルを拝見したとき、「活動」と「非活動」の二極しかなく、24時間稼働し続ける三交代制の工場や物流センターのようなものを想起しました。ディストピアを強く感じたのですが、あえてこのような極端な提案を投げかけた真意はどこにあるのでしょうか。

井上 去年、大阪・関西万博に出品していた作品を修理するため、夜中に会場へ向かうことがしばしばありました。数えるほどしか人がいないこの時間帯の万博会場は、LEDディスプレイの光に満たされていたのです。そこで思ったのは、アメリカの建築家ロバート・ヴェンチューリや、デニーズ・スコット=ブラウン、スティーブン・アイゼンナワーによる『ラスベガス』(The MIT Press、1972)で記録されていた看板・文字・光・イメージによる「ラスベガス」は技術的に更新されて、現代はLEDディスプレイで代替されているのではないか。いま、LEDディスプレイを建築として考えてみる必要があるのではないか、ということでした。

中井 先ほど井上も申し上げましたが、管理主義的な開発を極限まで先鋭化させた都市像を突きつけることで、「本当に私たちが望む都市とは何か」という本質的な議論を引き起こしたかったのです。建築が考えるべき都市計画とは、ルールで人間を縛るような政治的な管理ではなく、「環境そのものを設計すること」です。既存の都市開発のプラットフォームに乗りつつも、そこからまったく異なる議論や反論を活性化させるための、一種の思考実験としてこの「No Sleep City」を提案をしています。

*1──空間・建築分析、モデリング、映像技術などを用いて、人権侵害や国家犯罪などの現場を可視化・検証するロンドン大学ゴールドスミス校を拠点とする国際的なリサーチ集団。

匿名性と流動性を内包する、コレクティブの実践

──GROUPには現在8名のメンバーが在籍されています。複数人でクリエイティブな表現を行うことによる「作家としての匿名性」や、「個人の作家性とのバランス」、そして「コレクティブとしてのスケール感」をどのように捉えていますか。

曽根 大学などの通常の建築教育では、個人のコンセプトをもとに一本の強いストーリーラインを構築し、個の作家性を尖らせる訓練ばかりをさせられます。ある意味では、教員や建築家が受諾する物語(ナラティヴ)をつくることを強制されているのです。しかし、実際の建築や都市にまつわる物語は、決して一本の直線では表せません。GROUPでは、多様なメンバーが並列して存在するため、プロジェクトのなかでストーリーが複数に分岐したり、再び緩やかに束ねられたりします。こうした協働のかたちは、ひとりのカリスマの名を冠して共同する従来の「スターシステム」とは一線を画す、流動的な働き方の実験として、非常に魅力的なシステムだと感じています。

柏﨑健汰(以下、柏﨑) コレクティブは、曽根が言うような「スターシステム」とは異なる協働のあり方を示せるだけでなく、作家性と制作物の関係そのものを問い直す可能性を持っていると感じます。複数の人間が意思決定に関与することで、作家性はある種ブラックボックス化され、制作物は個人の作家性から一定の距離を獲得できると個人的には感じています。

左から坪田怜子、齋藤直紀、中井由梨、曽根巽

──プロジェクトを進めるうえで、メンバー全員が100パーセント納得して決定を下す、ということはあるのでしょうか。

中井 全員が完全に納得した状態で進むことは、むしろ稀かもしれません。自分が納得したアイデアを最後まで押し通すこともあれば、他者との対話のなかで最適な着地点を探していく場合もある。それはプロジェクトの性質によって異なります。

井上 ひとりの作家性に回収されるのではなく、複数の異なる視点が混ざり合うことで、建築はより豊かになりうる。そうであるならば、「個人の自律性が高すぎない」という建築が本来持っている特性を、コレクティブという共同体の形式を通じてポジティブに提示できているのではないかと思っています。

GROUPのメンバーは20〜30代で、それぞれ異なるバックグラウンドを持ちながらコレクティブとして活動を行っている

──最後に、これからGROUPとして、あるいは個人として、どのような作品や提案を手がけていきたいか、今後の展望について教えてください。

井上 私は物理的なスケールが大きいもの、延べ床面積や敷地面積が広大な「大きな建築」の設計に挑んでみたいです。大きい建築のつくり方としてバードウォッチングに関心があります。

 都内にある宅地として開発予定の埋め立て地にバードウォッチングのスポットができ、人々が鳥の観察を始めました。それをきっかけに鳥類の生態系を保護しようという運動が生まれ、開発計画が中止に。現在はバードウォッチングの聖地(サンクチュアリ)になっているという事例があるんです。何かを見ることによって空間がつくられる、そういった身体的な行為をもとに広大な空間をデザインすることに関心があります。GROUPのような小さな設計事務所が大きな建築をつくることは、現在の日本において非常にハードルが高い状況です。だからこそ、どのようなアプローチをとればそれが実現可能になるのか、その道筋を模索していきたいです。

柏﨑 GROUPは身近で小さなプロジェクトから、都市のような巨大なシステムへとアクセスを試みることがあります。個人としては、そういったより大きなものへ接続するためのナラティブも重視しつつ、もっと「マテリアル(素材)」や「マチエール(物質)」そのものに深く向き合ってみたいと考えています。建築の評価がコンセプトや物語性ばかりに偏重しがちないまだからこそ、物質的な重さを持った表現を徹底していきたいです。

片桐悠自 建築教育の現場は、いまだにモダニズム一辺倒で、時代錯誤な規範を再生産し続けている現状があります。そして、建築を取り巻くマクロなシステムはすでに強固に完成してしまっている。そうしたなかでは、コンセプトをもっとも美しく語れる「ナラティブに長けた人」だけが評価されがちです。だからこそ、私たちはもう一度、事物と人間や、事物と事物が織りなす関係性に立ち返る必要があるのではないでしょうか。とくにありふれた建築の仕上げのもつ肌理や、そこから描かれるマチエールのような、簡単にコンセプトに回収されない、物質そのものが持つ「欲望」のようなものを掴み取りたいのです。

 ある意味では、近代以降の建築は「機能」の名のもとに人々の欲望を平準化し、平準化されない欲望を抑圧し続けてきたといえるでしょう。そうしたものへの違和感を持ち続けながら、個々の欲望についての当事者性をもとに、リサーチや批評を交えた表現の場として、GROUPの将来があると嬉しいと思いますね。

坪田怜子 建築のスケールに対して資本が追いつかない現状があり、これまで「巨大な建築」は大きな設計事務所にしか扱えない領域でした。しかし、GROUPがこれまで積み重ねてきた実践の数々が、現在の資本主義社会のなかで新しい価値基準になりうるのではないかと考えています。

曽根 やはり、GROUP特有の「建築におけるストーリーラインを増やしていく」方法は、働き方の実践として非常に優れたシステムだと考えています。GROUPというプラットフォームを共有しながらも、個々人がそれぞれの興味関心を模索し、それをまた持ち寄るような関係性をこれからも持続させていきたいです。

齋藤直紀 私は、クライアントから依頼されて設計し、引き渡して終わるという従来の設計の枠組みを拡張させていきたいです。リサーチによってその場所の持つ歴史や文化、物流ネットワーク、あるいは都市の背景にまで設計の手がかりを広げることで、いま私たちが設計している建築の定義を変えていくような実践を続けたいです。

中井 私は地に足をつけていたいタイプなので、「巨大な建築をつくりたい」とは言いません。しかし、身近で確かな手触りのある物事から、より大きな物事を射的するような視点は持ち続けたいです。遠い場所で起きている事象を、いかに目の前の実感へと落とし込めるかを突き詰めたいと思います。

赤塚 私は建築会社に勤務しながら、並行してGROUPの活動に参加していました。実務で巨大な建築プロジェクトを手がけることもありましたが、だからこそ、GROUPがこれまで実践してきたアプローチをスケールアップさせたらいったいどうなるのだろう、という純粋な興味があります。