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2025.5.22

キュレーションと公平さの狭間で。檜山真有評「(こどもの)絵が70年残ることについて」

HAPSが東京国立近代美術館主任研究員・成相肇をゲストキュレーターに招聘して開催した展覧会「キュレーションを公平フェアに拡張する vol.3 (こどもの)絵が70年残ることについて」。障害者支援施設「落穂寮」と「みずのき」に残る絵をもとに、「障害」という属性に遡る「こども」という時間軸から、評価と属性についての判断に一石を投じることを試みた本展を、BUGのキュレーター・檜山真有がレビューする。

文=檜山真有

展示風景より 撮影=守屋友樹
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「蝋燭の炎の揺らめいてその頼りない光に照らされた世界のこれまた頼りなくちらちら揺らぐ感じ」

 キュレーションを批評していくには二つの道筋があり、どちらも欠かすことはできない、だが、それ以外は不可欠ではない。ひとつは言葉から展覧会を読み解くこと、もうひとつは展覧会が何によって構成されているか。つまり、キュレーションを批評していくことは展覧会の構成要素を詳らかにすることであり、キュレーションが何にアテンションとポリティクスを置いているかを明らかにする。

 本展は「キュレーションを公平(ルビ:フェア)に拡張する」というHAPS(東山アーティストプレイスメントサービス)が文化庁より受託する「障害者等による文化芸術活動推進事業」の一環として、2022年度から継続して開催している展覧会シリーズである。第1回に保坂健二朗(滋賀県美術館ディレクター)、第2回に藪前知子(東京都現代美術館学芸員)をゲストキュレーターとしてむかえ、本展はその第3回にあたり、ゲストキュレーターとして成相肇(東京国立近代美術館主任学芸員)を招聘している。成相は本展のタイトルを「(こどもの)絵が70年残ることについて」と名づけ、「障害者を含む、誰もが通過する「こども」に、いったん属性を置きなおし」(*1)、「仮に、「こども」の表現が高く注目された1950年代から60年代に時代を絞る」(*2)ことで、HAPSから発注されている「障害とアート」というテーマにて展覧会を構成している。

展示風景より 撮影=守屋友樹

 展示室はひと部屋で中央に長机がふたつ設置してあり、その上には資料が並んでおり、それを囲うように壁面に絵が並んでいる。向かって左と正面のものは額装され、向かって右はアクリルにて挟まれ保護されている。入り口手前には展示台があり、キャプションが2枚うやうやしく並べられている。

 展示されている絵は、すべて画用紙にクレヨンかオイルパステルで余白を埋め尽くすように様々な色彩を使い描かれている。タイトルは無題かつけられていないか不明か推定かモチーフに直結する単語となっていることから、作品として名づけられることを描いた本人もその周囲の関係者も重視しているわけではなさそうだし、実際に成相はこれらの絵が「集中力を高めるための訓練や教育の一環として描かれている」(*3)と述べている。椎の木会とみずのき美術館(当時はみずのき絵画教室)という異なる施設から、出品されているのにもかかわらず、どこか似通った印象を受けるのはそれが自らの思いや個性を表出させる表現物ではなく、別の目的を持ち、そのための手順が確立されている教育の産物だからだ。それゆえに、「こども」だともいえるし、「こども」をカッコで括らねばならないのだろう。

 なぜなら本展に出品されている絵は「こども」が描いたものばかりではない。14歳から49歳までの、もうこどもとは言い難い年齢の作者も本展には含まれる。しかし、特定の専門的な技能や知識ではなく、「社会」に順応するために早々から身につけておかねばならない技能を言葉に限らない手段において訓練・教育することは、「こども」に行う方法論と「一般的には考えられる」(*4)。ただ、本展で重要視されるのは、こどもやそれを指し示す対象が誰なのか、ということよりも、1950年代から60年代にかけて、アートがいかに彼ら・彼女らの創作物を表現として評価しようとしたか、それらにどのような名前を与えようとしたか、権威と倫理がない混ぜとなった議論一体の追跡、つまり、70年という時間のなかにあるアートという制度が固執してきたものなのではないだろうか。なぜ障害をめぐる制度ではなく、アートという制度なのかはタイトルを見れば明らかだ。

展示風景より 撮影=守屋友樹

*1、2──本展のハンドアウトより引用
*3──2025年2月9日に開催されたトークイベントでの成相の発言より
*4──カギカッコ内は社会通念上の言葉より選んでおり、筆者の思うところではない

 「(こどもの)絵が70年残ることについて」。何かが残ることは不思議なことでもないし、逆をいえば何も残らないことも不思議ではない。不思議なのは、残る/残さないことになんらかの意味を見出そうとする営為のことである。それは何かをある一定の期間、ひとつの空間に留めておき、タブラ・ラサにしてゆく展覧会のことでもあり、さらにいえば、何かを半永久的に残すミュージアムのことである。通常、ほとんどのものは70年も残らない。歴史は残ったものだけで編まれてゆきがちで、私たちは時代が残したものしか見ることができないので、時代がそのほとんどのものをじつはその場その場に手放してきていることを忘れがちである。

展示風景より 撮影=守屋友樹

 私たちがそのような展覧会やミュージアムの営為や制度に甘んじて、それらをアートだと認めているあいだに、溢れ出ては消えてゆく様々な人たちの夥しい「表現」の成果物たちを私たちは如何ともしがたいと思っている。なぜなら、会議に諮られて残される作品と、みずのき絵画教室時代からみずのき美術館が残し続けているような約1万点の作品、もっと言うなら、あなたの家にも眠っているかもしれない幼少期に描いた絵などは残される経緯がまったく異なるからだ。歴史に還元できない個人のプライベートな気持ちが込められた表現を他人が扱い、第三者に見せる合意も覚悟もお互いの間で承知されていない。それゆえに、「キュレーションを公平に拡張する」というプロジェクトにおいてこれまで招聘された保坂(*5)も藪前(*6)も自分たちの職場では公にしないであろうキュレーションをすることへのためらいを隠さないし、成相はそもそもこのためらいを前傾化させて、本展のテーマへ落とし込んだ。

  それは「障害とアート」というテーマの難しさだけではなく、主催者であるHAPSがあらかじめキュレーターのステートメントの上にプロジェクトのステートメントを掲げ、キュレーターを二重に拘束するからだ。テーマは「障害とアート」だけではない。「ミュージアムという作品の価値を決定するために様々な事柄を一旦固定化させる場所で働いている学芸員としてキュレーションを依頼されている彼ら・彼女ら」という枕詞を与えられながら、障害にもアートにもある一定の独自の定義づけを行い、自分の表現物ではなく、他人の表現物の上で自分の主張をなしてゆく。

*5──「でも、彼の作品を選べば選ぶほど、言葉を重ねれば重ねるほど、キュレーターとはなんて因果な商売なんだろう、と。元々それはわかっていたんですけれども、僕が絵を描くと全然下手なのに、数は見ているからとか、一応歴史がわかっているつもりだからとか、いろんな理由において作品をジャッジして、展覧会もさせていただいているわけなんですけれども、その傲慢さ、あるいは、実際のその基準のあやふやさが、改めて、彼を見ていると、あるいは彼の作品を評価しようとしていると、やっぱり……。」(p.34、展覧会図録「キュレーションを公平に拡張するvol.1 「私はなぜ古谷渉を選んだのか」」保坂の発言より抜粋、2023、一般社団法人HAPS)
*6──「アール・ブリュットについてのリサーチの初期において、私のなかにあった数々の戸惑いのなかで、最も大きなものは、作家の主体性にまつわるものであった。」(p.59、藪前知子「「君のための絵」を受け取るために」、展覧会図録「キュレーションを公平に拡張するvol.2 「君のための絵」」、2024、一般社団法人HAPS)

 キュレーションと公平さとは対極にある、ということを示しておきながら、なおもキュレーションも公平さも手放そうとしない。本展を覆うこのプロジェクトの意図はキュレーターによる展覧会制作によって暴かれるのではなく、キュレーターが展覧会制作によって悩み、ためらいを隠さないことによって暴かれる。つまり、特権的であることとマイノリティであることは紙一重でありながらも、どこまでも深い非対称性を持っていることを真正面から受け止めるゲストキュレーターの真摯であろうとする態度によって、プロジェクトは成り立っているのだ。

 しかし、この深い非対称性にこそ「アート」が「アート」と呼ばれてきた由縁がある。特権的でありながらマイノリティ、特権的だからこそマイノリティという旧来のアートを成り立たせる考え方を打ちこわしながらも、あらたなる「アート」の制度を再構成してゆくのがキュレーションの使命だということを展覧会ではなく、プロジェクトが伝えてくる。

 そのために考えるべきは生まれてしまって会期が終われば現実空間からは消えてしまう展覧会というものの価値をどのように分有し、そのための方法論を実践してゆくか、である。通常の展覧会であれば、その価値は良いものも悪いものもキュレーターと作家が大きく分有する。ただ、本展は出品作家とキュレーターが展覧会の価値を分有するのではなく、プロジェクトとキュレーションによって絶対的な姿は想像しうるが周縁はどこまでも果てしないぬかるみで区切りをつけることができない「障害」と「アート」という制度や関係に価値は還元されてゆく。価値は何にとって有用かといわれたら、どこまでも自分の欲望に賭けられる個人的な原動力とプレッシャーであるからだ。

  とはいえ、価値が出品作家を取り巻く制度や環境に還元され、かつ、キュレーターが真摯であろうとすることを前提として組み込まれたプロジェクト設計は、あまりに予定調和ではないか。あらかじめ諸々計算しておくことは確かに公平的だし、見積もりはキュレーションでも大事なことである。しかし、そればっかりだと生を実感するような熱狂もスリリングさもない。そんなのあまりにさびしい、さびしくない?