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2026.9.11

地中海の小島から考える、アートセンターと地域の関係。ハウザー&ワース メノルカを訪ねて

スペイン・メノルカ島沖のイジャ・デル・レイに、2021年に開館したハウザー&ワース メノルカ。歴史的な旧海軍病院を活用したこのアートセンターでは、展覧会だけでなく、教育、文化財保護、環境への取り組み、地域との協働が重ねられてきた。開館から5年。世界的なメガギャラリーは、この地中海の島とどのような関係を築こうとしているのか。現地を訪ねた。※9月12日24時まですべての方に全文お読みいただけます。

文=王崇橋(編集部)

ハウザー&ワース メノルカ Courtesy of Hauser & Wirth. Photo by Be Creative, Menorca
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 スペイン・メノルカ島の中心都市マオー(Mahón)の港から船に乗り、約15分。世界有数の天然港とされる入り江を進むと、小さな島が見えてくる。イジャ・デル・レイ(Illa del Rei/カタルーニャ語で「王の島」の意)という約4万平米のこの島に、「ハウザー&ワース メノルカ」はある。

イジャ・デル・レイ Courtesy of Hauser & Wirth. Photo by Be Creative, Menorca

 2021年に開館した同施設は、ハウザー&ワースが展開するアートセンターのひとつだ。8つの展示室と屋外彫刻のほか、ランドスケープ・デザイナーのピート・アウドルフによる庭園、ラーニング・スペース、地元の食文化を取り入れたレストラン「Cantina」などが点在し、アート、教育、歴史的建築、自然、食がひとつの環境を形成している。開館以来、33万人以上が訪れ、500を超えるイベントや団体訪問が行われてきた。

ハウザー&ワース メノルカのエントランス Courtesy of Hauser & Wirth. Photo by Daniel Schäfer

 では、世界各地に拠点を持つ巨大ギャラリーは、なぜここで展覧会を開催するだけでなく、教育や文化財保護、地域との協働にまで活動を広げているのか。開館から5年を迎えたいま、ハウザー&ワース メノルカとメノルカとの関係を現地で探った。

ハウザー&ワース メノルカ館内の様子 Courtesy of Hauser & Wirth. Photo by Daniel Schäfer

歴史の積層のなかで現代美術を見る

 イジャ・デル・レイ島の名は、1287年にメノルカ征服のために上陸したアラゴン王アルフォンソ3世に由来する。18世紀初頭、メノルカがイギリス統治下に置かれると、1711年には英国海軍による病院が設立された。現在も島の中心には、礼拝堂を囲むようにU字形に建てられた旧病院が残る。さらにその近くには、1888年に発見された6世紀の初期キリスト教時代のバシリカ遺構も存在する。

イジャ・デル・レイにU字形に建てられた旧病院 Courtesy of Hauser & Wirth. Photo by Be Creative, Menorca

 病院としての役割を終えたのち、建物は長く放置されていたが、2000年代に入ると、イジャ・デル・レイ島病院財団(Fundació Hospital de l’Illa del Rei)がその保存と修復を開始。ハウザー&ワースは同財団およびマオー市と協働し、建築家ルイス・ラプラスのもと、歴史的建築の特徴を残しながらアートセンターへと改修した。この取り組みは、2022年にヨーロッパ文化遺産賞の「Conservation and Adaptive Reuse」部門を受賞している。

イジャ・デル・レイのポート Courtesy of Hauser & Wirth. Photo by Daniel Schäfer

 ハウザー&ワース メノルカのシニア・ディレクター、マール・レスカルボ・ポンスは、この場所についてこう説明する。「イジャ・デル・レイの豊かな歴史と建築こそが、(ギャラリー創設者の)イワンとマヌエラ・ワース、そしてルイス・ラプラスに、この島の文化遺産にギャラリーがどのように貢献できるのかを考えさせるきっかけとなりました。開館以来、アーティストたちはそれぞれ異なる方法でこの場所に応答してきました。歴史や周囲の環境に、より直接的に向き合った作家もいます」。

ランドスケープ・デザイナーのピート・アウドルフによるハウザー&ワース メノルカの庭園 Courtesy of Hauser & Wirth. Photo by Daniel Schäfer

 現在の島を特徴づけるのは、こうした歴史だけではない。メノルカはユネスコの生物圏保存地域に指定されており、ハウザー&ワースも雨水の再利用や水の淡水化処理、鳥類のモニタリング、アクリル塗料に代わるチョーク系塗料の使用などを進めてきた。2026年には屋根に太陽光発電設備を導入し、使用電力の40パーセントを島の太陽光でまかなうことを目指している。

展示室から眺める風景 Courtesy of Hauser & Wirth. Photo by Daniel Schäfer

「方向を失う」ことから、地中海を考える

 こうした場所の特性は、現在開催されている展覧会「Directionless」(〜10月25日)にも入り込んでいる。

 アーティストのラシッド・ジョンソンが企画し、フィレレイ・バエズ、チャールズ・ゲインズ、クリスティーナ・イグレシアスの3名が作家選定に参加した本展は、10ヶ国以上から28名のアーティストが集う、同センター史上最大規模の展覧会だ。作品は展示室だけでなく、庭園や建物のファサード、島内の小径へと広がっている。

「Directionless」の展示風景 Photo by Nicolas Brasseur. Courtesy of the artists and Hauser & Wirth

 タイトルが示すのは、「方向を失うこと」だ。政治や社会の既存の座標軸が揺らぐ現在を、解決すべき混乱としてではなく、新たな関係や意味を想像するための「宙吊り」や「漂流」の状態としてとらえる。異なる世代、地域、表現を横断する作品群は、ひとつの明確な回答へと収束することなく、未知の状況をいかに進むことができるのかを問いかける。

政治や社会の既存の座標軸が揺らぐ現在を、新たな関係や意味を想像するための「宙吊り」や「漂流」の状態としてとらえる「Directionless」展 Photo by Nicolas Brasseur. Courtesy of the artists and Hauser & Wirth

 なかでも、屋外展示の構成を担ったイグレシアスは、イジャ・デル・レイという場所を地中海の歴史と結びつけている。彼女が選んだアリ・シェリ、モナ・ハトゥム、ラヤーン・タベットらの作品は、庭園や建築、水辺と関係を結びながら配置された。

クリスティーナ・イグレシアス《Littoral (Lunar Meteorite) IV》(2025) Hauser & Wirth Menorca, 2026 © Cristina Iglesias, VEGAP, Madrid. Photo by Daniel Schäfer

 イグレシアスは、古代文明と移民の歴史を抱える今日の地中海もまた、「宙吊りと不確実性の空間」だと指摘する。そして西地中海に位置するメノルカから、海を人々を隔てる境界ではなく、文化を結びつける「液体のフォーラム」としてとらえ直すことを提案している。

 展示室から屋外へ出るたびに海が視界に入り、作品から作品へと歩く身体そのものが島の地形を経験する。ここでは作品を見ることと、イジャ・デル・レイという場所を歩くことを完全に切り離すことは難しい。

モナ・ハトゥム《Inside Out (concrete)》(2019) Hauser & Wirth Menorca, 2026 © Mona Houtoum. Courtesy the artist and White Cube. Photo: Daniel Schäfer

夏のデスティネーションから、島の日常へ

 いっぽう、ハウザー&ワース メノルカを特徴づけるもうひとつの要素が、「ラーニング」プログラムだ。

 同センターでは2021年の開館展、マーク・ブラッドフォード展を機に「エデュケーション・ラボ」を開始。地元の美術学校「メノルカ芸術学校(Escola d’Art de Menorca)」の学生たちがブラッドフォードとともに、サイトスペシフィックなインスタレーションを制作した。今年はバレアレス諸島大学とバルセロナ大学との協働により、「Directionless」展のテーマに応答するプログラムを展開している。

エデュケーション・ラボの様子 Hauser & Wirth Menorca, 2026. Photo by Nicolas Brasseur

 「パブリックプログラムとラーニング活動は、このアートセンターの中心にあります」とポンスは話す。同センターで始まったエデュケーション・ラボは、その後、ハウザー&ワースのほかの拠点にも展開されてきた。「それは、来場者がギャラリーとどのように関わるのかという方法そのものをかたちづくってきました。アートへのアクセスを広げ、意味のある参加を促すことは、私たちのあらゆる活動の中心にあります」。

 これは、観光地として名高いメノルカにおいて、とりわけ重要な意味を持つ。夏には世界各地から多くの観光客が島を訪れ、ハウザー&ワース メノルカも国際的なアート・デスティネーションとして賑わう。だが、その活動は観光シーズンだけで完結するものではないという。

年間を通して地元の学校や公共図書館と活動を行うエデュケーション・ラボ Hauser & Wirth Menorca, 2026. Photo by Nicolas Brasseur

 ポンスによれば、同センターの常勤チームは全員がメノルカで生活している。年間を通して地元の学校や公共図書館と活動を行うほか、メノルカ研究所(Institut Menorquí d’Estudis)やメノルカ・オペラ財団(Fundació Menorquina de l’Òpera)など、ハウザー&ワースが島に進出する以前から存在してきた文化団体とも協働を続けている。

 つまり、夏に世界各地から人を呼び込む場所であるだけでなく、島に暮らす人々の日常的な文化環境の一部になること。このふたつをいかに両立させるのかが、ハウザー&ワース メノルカの現在地を考えるうえで重要なポイントなのだろう。

メノルカ研究所やメノルカ・オペラ財団などの文化団体とも協働を続けている Hauser & Wirth Menorca, 2026. Photo by Nicolas Brasseur

アートセンターから、島の文化生態系へ

 そ開館から5年を経て、地域との関係はイジャ・デル・レイの外側にも広がりつつある。

 今年は、アーティストのラシッド・ジョンソンとシリー・ホヴセピアンによって、マオー市内に新たなアーティスト/ライター・イン・レジデンス「The Residency at Casa Gràcia」が設立された。ハウザー&ワースが運営するプログラムではないものの、滞在者はハウザー&ワース メノルカのチームによるサポートを受ける。2027年からは年間5名を受け入れ、アーティストは最長3ヶ月、ライターは最長6ヶ月にわたり、成果発表を義務づけられることなく島で制作や思索に取り組む。

The Residency at Casa Gràciaの様子 Courtesy Rashid Johnson and Sheree Hovsepian. Photo by Daniel Schäfer

 ジョンソンはメノルカについて、「思考と創造性を広げてくれる、ゆっくりとした時間、明晰さ、開放性」がある場所だと語る。アーティストが島に長期滞在し、その土地から影響を受けながら地域とも関係を結んでいくこと。それは、ハウザー&ワース メノルカがこの5年間に築こうとしてきた関係とも重なる。

 ハウザー&ワースはまた、メノルカには以前から、その美しさや静けさ、独特の風土に惹かれたアーティストや作家、映画監督、音楽家が集まってきたと強調する。例えばエドゥアルド・チリーダも、この島から大きな創作上の刺激を受けたひとりだという。

アーティストは最長3ヶ月、ライターは最長6ヶ月にわたり、成果発表を義務づけられることなく島で滞在制作ができる Courtesy Rashid Johnson and Sheree Hovsepian. Photo by Daniel Schäfer

 そのうえで、自らの役割を「すでに存在する文化的なエコシステムを支え、そこに貢献すること」だと位置づける。異なる視点に対して開かれ、地域とのパートナーシップを育てること。それによって交流や協働、新たなアイデアが生まれる環境をつくることを目指しているという。

 グローバルに展開するメガギャラリーと、人口規模も環境も限られた地中海の島。その関係には、観光や地域社会への影響を含め、今後も検証されるべき側面があるだろう。

マオー港 Photo by Davide Bonaldo

 しかし、イジャ・デル・レイを歩いて見えてくるのは、少なくともハウザー&ワースによるここでの活動が、展覧会という枠だけには収まらなくなっていることだ。歴史的建築の保存、自然環境、教育、食、そして島に暮らす人々との関係までを含め、「場所とともにアートセンターをつくる」とは何を意味するのか。ハウザー&ワース メノルカの5年間は、その問いに答えるためのひとつのヒントとなっている。