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2026.8.20

フェルメールを予習しよう。「図学」で読み解くフェルメール鑑賞ガイド

17世紀オランダ絵画を代表する画家ヨハネス・フェルメールの傑作を中心に、マウリッツハイス美術館所蔵の名品を紹介する「フェルメール《真珠の耳飾りの少女》展 17世紀オランダ絵画の名品、奇跡の再来日」が大阪中之島美術館で開催される。会期は8月21日〜9月27日。展覧会に先立ち、フェルメールを図学の観点から読み解き、深くその作品世界を知ることができる予習方法を、図学研究者の佐藤紀子に教えてもらった。 ※8月21日24時まですべての方に全文お読みいただけます

談=佐藤紀子 聞き手・構成=大橋ひな子(編集部)

ヨハネス・フェルメール《牛乳を注ぐ女》(1660)キャンバスに油彩 45.5×41cm アムステルダム国立美術館 
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 時代を超えて多くの人々を惹きつける、ヨハネス・フェルメール(1632〜75)の作品群。このたび大阪中之島美術館で開催される「フェルメール《真珠の耳飾りの少女》展 17世紀オランダ絵画の名品、奇跡の再来日」(8月21日〜9月27日)でも、事前チケットが早々に完売するなど非常に高い関心を集めている。展覧会へ足を運ぶのが難しい方や、鑑賞前にしっかり理解を深めておきたいと考えている読者も多いはずだ。

 そこで本稿では、これまで多く語られてきたフェルメールの「光の描写」や「モチーフの選択」とは異なる視点から、図学を研究している佐藤紀子にお話をうかがった。フェルメールが画面の中に仕掛けた空間の裏側を読み解く予習ガイドをお届けする。

「図学」とは? 絵画を「図法」で読み解く面白さ

 本来、人間は目の前の3次元世界をそのまま他人と共有することはできない。それを共有するために、平面の上に「約束事」として3次元世界を置き換え、洗練させてきた営みの総体が「図学」である。つまり図学とは、人間が「ものの見方」そのものを構築してきた歴史にほかならない。

 この図学は、3次元の立体的な空間を2次元の平面上に表現するための技術と法則を扱う学問であり、その裾野は広い。現代の3DCGレンダリングや建築設計のCAD(キャド)に使われる各種の投影図法のほか、絵画で用いられる「透視図法(遠近法)」もこの図学に含まれる。

 そんな図学の視点をもって絵画を鑑賞することには、大きく2つの面白さがある。1つ目は、作品の画面の構造を客観的に読み解き、画家が仕掛けた「空間のからくり」を解明できる点だ。どこに視線の中心が置かれ、どのように奥行きが演出されているのかを分析することで、新しい鑑賞アプローチが可能になる。

 2つ目は、制作における画家の葛藤と試行錯誤のドラマが見えてくる点だ。フェルメールも最初から完璧な図法で描いていたわけではない。試行錯誤を重ねながら自分なりの作図技法を確立していったストーリーが、時代ごとの作品の構図を追いかけることで、画面から浮かび上がってくる。

 わたしたちが日常的にスマートフォンで写真を撮るとき、様々な位置からレンズを向けるように、フェルメールもまた「仮想の視点(仮想の眼)」を設定して絵を描いていた。昔のアナログカメラであれば、ファインダーをのぞく自身の視野とトリミングされた画角が直結していたが、自分の目線とは別の角度から撮影することが一般的な現代のわたしたちと同様に、フェルメールも透視図法を用いながら架空の視点を設定していたのである。

画家が意図的に設定した視点である「仮想の視点(仮想の眼)」(赤丸)

 この「仮想の眼」とは、画家自身がキャンバスを前にして描いているあいだ実際に立ち続けていた位置ではなく、「ここから見たら良い構図になる」と画家が意図的に設定した視点のことである。わたしたちがカメラの視点を選ぶように、フェルメールもまた「仮想の眼」を配置し、描き出す空間を自在に切り取っていたのだ。

図学で解き明かす──4つの画面設計のポイント

 ここからは、フェルメールが具体的に画面の中にどのような図学的な工夫を組み込んだのか、その空間設計を解読する4つのポイントを見ていきたい。

 そもそも透視図法とは、あらかじめ設定した視点から対象を眺めたときの見え方を幾何学的に計算し、平面の上に奥行きのある立体空間をシミュレートする手法のことだ。なお、フェルメール作品で透視図法を扱う際には「描く側が正面を真っ直ぐ見ている」という大前提がある。この基本的な法則を踏まえたうえで、画家が画面の中にどのように空間を構築したのか、4つのステップで紐解いていく。

《兵士と笑う女》の分析図。画面の中心から少しずれた位置にVcが設定されている

 はじめに注目したいのが、画家の視線の中心である「ビジュアルセンター(Vc)」 の存在だ。ちなみにVcは1点透視図法における消失点でもある。透視図法では「仮想の視点」が設定されると、そこから見た場面の中心に必ずVcが定まる。画面(作品)の中で、奥行きに向かって垂直な関係にあり、互いに平行なライン(窓枠の桟や、テーブルのへりなど)をまっすぐ延長していくと、必ず1つの点で交わる。これがVc(消失点)だ。《兵士と笑う女》(1657頃)などの作品でVcを探してみると、それが画面の真ん中ではなく、あえて左右どちらかに少しずらして設定されていることがわかる。なぜあえて中心からずらしているのか、その明確な理由はまだ解明されていない。しかしそこには、フェルメールならではの密かなこだわりが隠されていることがうかがえる。

 次に注目したいのが、作品ごとに変化する「床のタイルの描かれ方」である。フェルメールといえば床のチェック柄のタイルが印象的だが、中期の作品群を見ると、タイルを描くのを避けたり、上から一色で塗り潰して消していたりする作品が存在する。

 例えば、《真珠の首飾りの女》(1663-65)のX線写真を分析すると、実際にはタイルが見えない画面の下層に、かつてタイルを描いた痕跡が残っている。しかし、そのタイルの境界線を図学的に分析してみると、遠近感が歪んでいるのだ。これは、モデルやモチーフをカメラ・オブスクラ(暗箱)で投影しようとした際、当時のレンズ性能の限界から直線が歪んでしまい、それをそのままトレースしたために上手く描けなかった可能性が考えられている。

 この時代ごとの変化については、フェルメールがカメラ・オブスクラの性能限界に直面し、投影器具に頼る手法から、自力で図学を組み上げて空間を正確に構築する手法へと移行していったのではないか──というストーリーも浮かび上がってくる。作品を年代順に追いながらタイルの描かれ方を観察していくと、そこに隠された画家の試行錯誤のプロセスを感じ取ることができる。

ビジュアルフィールド(視野円)の図。頂角(E)60度の視野に収まる範囲のこと 
ヨハネス・フェルメール《牛乳を注ぐ女》(1660)キャンバスに油彩 45.5×41cm アムステルダム国立美術館 ビジュアルフィールド(視野円)の中にモチーフが収まっている
《牛乳を注ぐ女》の分析図。近景に描かれているテーブルを8角形の折りたたみ式と仮定し「ビジュアルフィールド」を算出したもの

 3つ目に注目したいのが、「ビジュアルフィールド(視野円)」と画面空間の収まりだ。人間の視野において、色彩や立体感をはっきりと認識できるのは中心から左右に約35度ずつ、合計70度の範囲とされている。それを超えてしまうと、色が薄く見えたりかたちがぼやけたりしてしまう。

 図学ではこの視覚特性を踏まえ、視野角60度の「ビジュアルフィールド(視野円)」を設定することで、描かれた場面が人間の目にとって自然な範囲に収まっているかを測ることができる。フェルメールの作品でVc(視野の中心)を軸にこの視野円を描いてみると、ほとんどの作品で描かれた人物やモチーフが見事にその円の内に収まることがわかる。フェルメールの絵画が自然で心地よい視覚体験をもたらす背景には、人間の視覚特性に配慮した図学的な空間の設計が働いているのだ。

 4つ目に注目したいのが、画面の中の人物がこちらをまっすぐ見つめ返す「見返し」の構造だ。透視図法においてこの視線は、画面外の「仮想の視点」と画面内の「Vc(消失点)」を結ぶ一本の直線を、真逆に向かって走る視線として説明できる。

 通常、風俗画とは「見られていることを知らない人々」を密かに覗き見るジャンルであり、透視図法は鑑賞者にその特権的な視点を保証する。しかしフェルメールは、人物の視線を鑑賞者に向けることでその特権を一瞬で剥奪してみせる。見る側だったはずの私たちが逆に「見返され」、視線が交差する──。このとき覚えるどこか居心地の悪い「気まずさ」こそ、フェルメールが空間の中に仕掛けた演出だと考えられる。

 こうした視線の設計は、1656年の《取り持ち女》に早くも見ることができる。左端でグラスを掲げて笑う男がこちらを見返すこの作品では、歴史画から風俗画への転換のなかで同時に、視線が画面を超えて開かれるのだ。

ヨハネス・フェルメール《真珠の耳飾りの少女》(1665頃)キャンバスに油彩 44.5×39cm マウリッツハイス美術館 ©Mauritshuis, The Hague まっすぐ鑑賞者を「見返す」少女の視線

 なお、「見返し」がもっとも純粋なかたちで表現されているのが《真珠の耳飾りの少女》(1665頃)だ。真っ黒な背景のため空間を示す手掛かりや消失点が存在しないこの作品では、純粋な視線だけがまっすぐ鑑賞者へと届く。いっぽうで幾何学的に構成された風俗画における「見返し」は、作図で決められた「空席(仮想の視点)」に向かって視線が走るため、後から絵の前に立った鑑賞者がその席に座らされ、予期せぬ視線を受け取ってしまう。

 この「見返し」は作品の主題によって明確に使い分けられている。《牛乳を注ぐ女》など労働に没入する絵では見返しが存在しないのに対し、《ヴァージナルの前に立つ女》《ワイングラスを持つ娘》のように「求愛」や「誘惑」をテーマとする作品に集中しているのだ。フェルメールは「見返し」を「誘い」の記号として意図的に使っていた可能性があるといえる。

単眼で覗く「フェルメールの見た景色」

 これらの図学的な仕組みを踏まえたうえで、展覧会会場や自宅で手軽に試せる「画家の視点」を追体験する鑑賞法を紹介したい。

「仮想の視点」からキャンバスまでの「視距離」(赤線)

 ここで鍵を握るのが、「仮想の視点」からキャンバスまでの距離を示す「視距離」という概念だ。フェルメールのタイルの描き方を分析していくと、この視距離を導き出すことができる。例えば《ヴァージナルの前に立つ女》(1670〜72)の場合、画面の横幅(45.2センチ)の約2倍に相当する視距離(90.4センチ)が設定されている。いっぽう、より大きな《絵画芸術》(1666〜68)では、作品サイズに合わせて視距離も179.8センチと、かなり長めに設定されているのだ。このように作品ごとに最適な視距離を見つけることで、フェルメールが設定した理想の視点が鮮明に浮かび上がってくる。

 この比例関係さえ押さえておけば、手元の小さな図版であっても「画家の視点」を容易に再現できる。例えば《ヴァージナルの前に立つ女》を図録やGoogle Arts & Cultureなどのウェブ上の画像で鑑賞する場合、その図版の横幅の約2倍にあたる距離から目を向ける。これだけで、フェルメールが置いた「仮想の視点」からの眺めを追体験できるのだ。画家がかつて見ていた空間の広がりが立ち現れ、「画家の眼」と自分の視線が重なり合うような、特別な鑑賞体験を味わえる。

 そしてこの「画家の視点」から視距離を保って鑑賞を行う際は、ぜひ「片目(単眼)」で覗き込んでみてほしい。透視図法は理論上「ひとつの点」を前提に作図されるため、フェルメールの空間構造もまた、単眼のレンズで捉えたように設計されている。人間は両眼で見ることによる視差から立体感や距離感を掴んでいるが、片目で見つめることで、フェルメールが画面の中に仕掛けた視覚体験を、より忠実に体験できる。

フェルメールにまつわる「謎」

 こうして画家の視点を追体験してみると、フェルメールが構築した空間の精密さに気づかされる。そしてこの精巧さこそが、いまなお議論が続くフェルメールの大きな謎へとつながっていく。

ヨハネス・フェルメール《恋文》(1669~70頃)キャンバスに油彩 44×38.5cm アムステルダム国立美術館 サイズの小さい作品にもかかわらず、タイルが多く描かれ奥行きのある画面をつくり出している

 フェルメールが描いた床のタイルには3つのパターン(種類)があり、実在するそれらの実寸はすべて解明されている。そのタイルの実寸を基準にして画中の家具や部屋の寸法を計算していくと、当時の実際の家具のサイズとほぼ一致するのだ。

 フェルメールがどうやってこれほど精密な絵を描いたのかについては、美術史において長年論争が続いており、いまなお明確な決着はついていない。なかでも建築学者のフィリップ・ステッドマン(1942〜)らは、フェルメールがカメラ・オブスクラで投影した像をそのまま画面にトレースした説を唱えている。画面内の寸法が現実と寸分と一致しているという事実は、その主張を支える根拠となっている。しかしそのいっぽうで、画面の中には透視図法の技法書に基づく作図上の“マイルール”も色濃く残されていることがわかっている。

 緻密な遠近法(透視図法)を用いているからこそ、いまなお様々な議論が尽きないフェルメール。多くの謎を残した画家だが、その作品と向き合う際に「図学」という視点を取り入れてみることで、これまで気づかなかった新しい発見に出会えるかもしれない。1枚の絵のなかに隠された緻密な空間の魅力を体感してみてほしい。