2026.4.25

ロン・ミュエクをもっと知るための5つのキーワード

オーストラリア出身の現代美術家、ロン・ミュエク(1958〜)の大規模個展がカルティエ現代美術財団との共催により森美術館で開催される。会期は2026年4月29日〜9月23日。リアリティを追求した巨大な人体彫刻で知られるミュエクをもっと知るためのキーワードを、美術批評家・勝俣涼に紹介してもらいました。※4月26日24時まで、すべての方に全文お読みいただけます。

文=勝俣涼(美術批評家)

ロン・ミュエク《枝を持つ女》(2009)ミクストメディア 170 × 183 × 120 cm 所蔵:カルティエ現代美術財団 「ロン・ミュエク」(韓国国立現代美術館ソウル館、2025)展示風景より 撮影:ナム・キヨン 写真提供:カルティエ現代美術財団、韓国国立現代美術館
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KEYWORD 1:リアリズム
人間を生き写しにする欲望

 ミュエクの彫刻が与えるインパクトといえばまず、その迫真的なリアリズムが挙げられるだろう。皮膚の皺や血色、毛穴、体毛、筋肉の緊張や弛緩、脂肪のたるみにいたるまで、人間の具体的な肉体が細部まで精巧に表現されている。その工程は、型の内部から樹脂で着色を施したのち、グラスファイバーを積層させて脱型し、ディティールの着彩や表面処理を加えて仕上げるというものである。原型となる粘土塑像の表面は、きわめて滑らかに整えられている。こうした技術的特徴は、ミュエクが美術作家としてデビューする以前に映画・広告業界で従事していた、パペット制作の経験と無関係ではないはずだ(*1)。

浮き上がる血管やヒゲの剃り跡までが精巧に表現されている。ロン・ミュエク《マスクⅡ》(2002)ミクストメディア 77×118×85cm 個人蔵 「ロン・ミュエク」(韓国国立現代美術館ソウル館、2025)展示風景より 撮影:ナム・キヨン 写真提供:カルティエ現代美術財団、韓国国立現代美術館

 そのいっぽうで、人間の形象に生き生きとした生命感を与えるという課題は、彫刻というジャンルと深く関わってきたビジョンでもある。自作の彫像に恋焦がれた彫刻家・ピュグマリオンの願いが叶えられ、彫像が生きた女性へ変容したという変身物語は、その典型だ。オーギュスト・ロダン以来の生命主義的な造形思想にも、そうした課題への応答が見てとれるだろう。戦後には、生身のモデルから直接型取りすることで、人間を文字通り「生き写し」にした試みもあり、ジョージ・シーガルやドゥエイン・ハンソンらの作品をその例に数えることができる。その技法や造形、テーマ、表現効果などは各々に異なるが、ミュエクにもまた、こうした系譜との結びつきを見出せるはずだ。

*1──彫刻家の舟越桂はミュエクの粘土塑像が、いわゆる「造形屋」に特有の制作手法に依拠していることを指摘している。(「リアリティをめぐって──舟越桂インタビュー」聞き手:村田大輔、『ロン・ミュエック』、フォイル、2008、71頁)

KEYWORD 2:スケール
等身大であって等身大ではない

 ミュエクの精緻につくられた彫刻の特異性はまず、そのスケールに見ることができる。ミュエクの作品のモチーフのほとんどが人間の身体だが、その大きさは等身大よりも大きいか小さい。人物像はしばしば、モニュメンタルともいえるほどの大きさで実現される。それらはしかし、英雄性や威容を誇る名士や偉人を主題とするものではない。その多くはむしろ、どこか生活感を帯び、具体的な肉体をもって生きる個人の姿だ。ある種の気取らない人間臭さには、背伸びをしない「等身大」の印象を感じ取れるかもしれない。それがスケール上の過大や過小と組み合わされることで、「等身大であって等身大ではない」とでもいうべき撞着語法的なインパクトをもたらす。

ロン・ミュエク《ボーイ》(1999) アロス・オーフス美術館(コペンハーゲン、デンマーク) 2024年撮影 Photo:Mads Smidstrup
ロン・ミュエク《買い物中の女》(2013)ミクストメディア 113×46×30cm タデウス・ロパック(ロンドン・パリ・ザルツブルク・ミラノ・ソウル) 「ロン・ミュエク」展(韓国国立現代美術館ソウル館、2025)展示風景より 撮影:ナム・キヨン 写真提供:カルティエ現代美術財団、韓国国立現代美術館

 スケールの異なる存在と遭遇し、鑑賞者自身の身体が大きく、または小さくなったように感じられることへの驚きは、ジョナサン・スウィフト『ガリヴァー旅行記』やルイス・キャロル『不思議の国のアリス』といった物語の場面を思い起こさせもするだろう。またそのいっぽうで、スケールの操作が人物の心理的な内実と同期するような例も見られる。《ゴースト》(1998/2004)や《ボーイ》(1999)の大きさには、成長し、変わりゆく自身の身体に対して青春期の少年少女が抱く、戸惑うような心情が滲んでいるようでもある。他方で、《買い物中の女》(2013)の縮小的なスケールは、幼子と買い物袋を抱えて消耗した母親の心身を映し出しているかのようだ。

KEYWORD 3:虚と実
リアリティと脆さ

 ミュエクの彫刻は、生々しいまでの迫真性、またときに空間をいっぱいに占める大きさのために、ありありとした存在感を放っている。だがそのリアリティは、その存在の脆さと裏腹でもある。それらの生々しさには、生を享け、傷つき、老いや死へと向かう肉体の有限性が刻み込まれているかのようだ。頭蓋骨の彫刻100点が集積する《マス》(2016-17)は、「メメント・モリ(死を忘れるな)」をテーマとする美術表現の系譜に連なっている。例えば骸骨の形象は、ペストが流行した中世の西洋世界で盛んに描かれた、「死の舞踏」を題材とする絵画にも登場し、あらゆる階層の人々が死に誘われるさまを表している。《マス》においては、大量死を示唆する文字通りの集合的な量塊(マッス)が展示空間を占める半面で、剥き出しの頭蓋骨はいくつもの空洞や窪み(ヴォイド)を抱えている。その二面性は、死者の圧倒的な実在感と虚無を交錯させるような作用をもたらすかもしれない。

ロン・ミュエク《マス》(2016-2017)、所蔵=ビクトリア国立美術館(メルボルン)、2018年フェルトン遺贈  「ロン・ミュエク」(韓国国立現代美術館ソウル館、2025)展示風景より 撮影:ナム・キヨン 写真提供:カルティエ現代美術財団、韓国国立現代美術館

 眠るミュエク自身の顔を拡大した《マスクⅡ》(2002)はまた別の方向で、虚と実のあいだを揺れ動いている。いっぽうでは、息遣いをも感じさせる生彩な顔立ちによって、その現実感が強調される。その造形はコンスタンティン・ブランクーシの《眠れるミューズ》(1910-11頃)が、同様の「眠る頭部」をつるつるとした卵形で表現し、幾何学的に抽象化したのとは対照的だ。だが他方で、等身大とは一致しない「仮面(マスク)」はそれが肉体の実物ではなく、あくまでも虚像であることを突きつけてくるだろう。

KEYWORD 4:視線
覗き見る彫刻

 ミュエクがつくる人物像の多くは、誕生や死、具体的な生活世界における人間存在といった実存的テーマと関わっている。彼らや彼女らの個別具体的な身体は、同じように世界に生み落とされ、固有の身体を生きる私たち自身と呼応するようでもある。だがその個別性は反面で、彫刻たちが私たちとは異なる世界に属しているような印象を導きもする。スケールの拡大や縮小はそうした分離感をもたらすひとつの手法だが、人物の「視線」の表現もまた、同様の作用を果たすことがある。彫像の視線はそのとき、鑑賞者の視線と交わらないのだ。ベッドに横たわる女性がぼんやりと宙を見つめる《イン・ベッド》(2005)はその一例である。また、睡眠のために瞼を閉ざす《マスクⅡ》もまた、鑑賞者の眼差しと交流することなく、その内なる眼を夢の世界へと向けているのかもしれない。自分を見つめる者の存在に気づいていないかのような彫像を尻目に、鑑賞者はその眼光に気を取られず、毛穴に至るまで作り込まれた全身の細部を観察することができる。だが彫刻を見る者は同時に、相手の目を盗んでその身体を見ていることへの後ろめたさを自覚することにもなるはずだ。

ロン・ミュエク《イン・ベッド》(2005)ミクストメディア 162×650×395cm 所蔵:カルティエ現代美術財団 「ロン・ミュエク」(韓国国立現代美術館ソウル館、2025)展示風景より 撮影:ナム・キヨン 写真提供:カルティエ現代美術財団、韓国国立現代美術館

 鑑賞者との関係に加え、たとえば《買い物中の女》(2013)における母親と子供のように、造形された二者のあいだでもしばしば視線はすれ違う。どこか別の宛先を探るような視線の向こうには、何があるのだろうか。それとも、視線はただあてもなく彷徨っているのだろうか。彫刻の視線は私たちの想像力に働きかけ、人物たちを取り巻く状況への手がかりを与えてくれるかもしれない。

KEYWORD 5:聖なるもの
西洋美術のコンテクスト

 ミュエクはしばしば、西洋美術のコンテクストを参照した神話的、宗教的なイメージを取り入れている。18世紀の寓意画が参照された《エンジェル》(1997)はその一例だ。《青春》(2009-10)では、若い男性がシャツをたくし上げ、脇腹の傷を見つめると同時に、鑑賞者に向けて晒し出している。そこには、復活したイエスが弟子たちに十字架の傷痕を示して見せた、「キリストの復活」の一場面が重なって見えるかもしれない(*2)。だがこれらの彫刻は、厳格に様式化されることで身振りの意味を伝える図像であるというよりも、生身の人間がふとした瞬間に滲ませるような、意味を見定めがたい表情を浮かべている。

ロン・ミュエク《エンジェル》(1997)ミクストメディア 110×87×81cm 個人蔵 写真提供:アンソニー・ドフェイ(ロンドン)

 聖なるものがもつような「触れがたさ」や、手の届かない「遠さ」を感じさせるミュエクの造形は必ずしも、図像学的な典拠を伴うものばかりではない。《シーツの中の男》(1997)のように、脆く傷つきやすい肉体に布状のものをまとい、外界から保護され引き退く人物たちも、自らの領域を固守するようなある種の不可侵性を示している。初期の代表作のひとつである《死んだ父》(1996-97)は、ミュエクが父親の亡骸を縮小スケールで表現した彫刻だが、その小ささにもまた、彼方に遠ざかっていくような死者との距離感を感じ取れるかもしれない。

*2──Luke Syson, “Polychrome and Its Discontents: A History,” Like Life: Sculpture, Color, and the Body, Metropolitan Museum of Art, 2018, p. 38.

*本稿の執筆にあたって、「ロン・ミュエク」展の主要展示作品については下記も参照した。「ロン・ミュエク」(森美術館)、https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/ronmueck/index.html、2026年4月20日最終閲覧。