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2024.8.23

Who’s Bad 清水穣評 長谷川繁+城戸保「ペイン天狗とホト愚裸夫」展

愛知・名古屋のSee Saw gallery + hibitで開催された長谷川繁+城戸保「ペイン天狗とホト愚裸夫」展を美術評論家・清水穣がレビュー。形式が固定されがちな2人展をユニークで面白くするためには、「互いに素」であるアーティストらのあいだになんらかの関係性を成立させる必要があると清水は語る。清水曰くその好例である本展は、一体どのようなものなのだろうか。

文=清水穣

「ペイン天狗とホト愚裸夫」展の展示風景より
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Who’s Bad

 作家2人を組み合わせる展覧会、いわゆる2人展は、特定の共通項によって両者をつなぐ、あるいは対比させる展覧会にならざるをえない。もっとも一般的な共通項は「同時代」であり、それを背景とした2人が切磋琢磨したり、反発し合ったり、あるいは兵庫県立美術館で開催された「スーラージュと森田子龍」展(2024)のように、すれ違っただけであったりする。企画者のコンセプト(たとえば澤田華と谷平博による「showcase #12 “現実の行方 - Whereabouts of photographic reality -” curated by minoru shimizu」展(eNarts 、京都、2024))が共通項を演じる2人展もあるが、いずれにせよそこでは、何かしらの公約数が2人の作家を割るのである。もっとも、現役作家による2人展は、当然ながら「同時代」で、赤の他人同士であることもまずないから、要は、企画者にとって両者が単独個展をさせるほどの存在ではないので、いわば公約数1で割った2つの「個展」を連ねただけであることも珍しくない。つまり、独創的で面白い2人展とは、「互いに素」の2人のあいだに、「1」とは異なるなんらかの関係性を成立させる展覧会ということになるだろう。

 絵画と写真、もとい「ペイン天狗とホト愚裸夫」という、なんとも夜露死苦なタイトルを冠した、長谷川繁と城戸保による2人展は、その好例となっていた(タイトルは、やはりというべきか、長谷川繁によるとか)(*1)。

 「ホト(=女陰)を前にした愚かな裸夫」(!)城戸保については、すでに本欄で何度か、直近では前回にも論じた。作家は、対称性やハイライトの配分といった被写体同士の関係によって、受光面、投影面、鏡面、水面そして画面を構成する色面同士の関係によって、さらにフレーミング、トリミング、アオリの利用などによって、画面の矩形の中に様々な、そして必ずしも統一されないレイヤー群を出現させ、一見、身近な無人風景のなかに小さな矛盾や謎をいくつも発生させる。それらに気がつくほどに風景は謎めいていき、「見る」という行為はぐらついて覚束なくなり、豊かになる。

「ペイン天狗とホト愚裸夫」展の展示風景より

 ペイン=pane(板=画板、ガラス板、レイヤー)/ pain(苦痛)天狗、すなわち、絵画(pane)に痛み(pain)を覚える天狗としてのペインターとは「自分ほど、絵に苦痛を覚え、また苦痛を与えられる人間はいない」と思い込んで天狗になっている画家のことであろう。長谷川繁は、さらにそのことを自覚している、と。

 その名前を私が脳裏に刻んだのは、1998年のVOCA展であった。VOCA展といえば、すでに当時からそのあられもない保守性と工芸性の跋扈ゆえに、「大賞」だけは決して取ってはならぬ展覧会として知られて(?)いたのだが、そのなかで、巨大な生姜を投げ出すように描いた画家の「bad(バッド)」なスタイルは際立っていたからである。

 デュシャンのレディメイド以降、現代美術において技術の巧拙は問題ではない。とはいえ、ダダが芸術を全肯定することで批判した(「すべては芸術である!」とき、芸術という概念に意味がなくなる)ように、巧拙が問題ではない以上、巧かろうが拙かろうが立派な芸術であって、現代のアートたりえない、と。要するに「バッド」とは、絶対に「芸術」になりえないものとしての何か(アート)を指す言葉なのである。この、否定的にしか規定できない「何か」を求める態度は、モダニズムという運動を駆動するエンジンのようなもので、不毛ないたちごっこ──「バッド」なアートが生み出された途端に、それは「芸術」として消費される──であるとして、とうに滅びて然るべきであるが、我々の生きている社会が相変わらず資本主義的な、つまり差異を消費することで生き延びる社会であるかぎり、どうやら滅びる気配はない。

展示風景より、左は城戸保《松の間》(2020)、右は長谷川繁の作品(2001)
展示風景より、左は長谷川繁の作品(2001)、右は城戸保《大島よしや》(2023)

 1998年頃といえば、日本中の若手作家が、ゲルハルト・リヒターの写真絵画に影響されていた頃である。それに続いて、「タッチ」に還元された絵画(リュック・タイマンス)や、非歴史的に古典技法を用いるシュールな絵画(ミヒャエル・ボレマンス)の流行があった。彼らもまた芸術ならざるアートを追求しているわけだが、その洗練された、あるいはミニマリスティックな作風は「巧すぎる」として、あえて「拙さ」を追求する作家(ヴァナキュラーなアメリカ伝統絵画をアプロプリエイトしたジョン・カリンなど)や、知的障害者によるアール・ブリュットに関心が集まったりもした。当然、その逆方向もありうるだろう。例えば、超絶技巧の写実絵画に特化した千葉県にあるホキ美術館。開き直った「網膜的」絵画の極限の姿は、一目で目が腐る勢いであるが、成金趣味の家具のごとき、工芸の極みの悪趣味に墜ちる作品がほとんどで、「バッド」にまで突き抜けないのが残念である。「バッド」な「アート」は、巧拙の隘路、過去の「アート」の様々な引用やアプロプリエーションの隙間を縫って進むしかない。それがかなりpainfulな(痛みを伴う)営みとなることは言うまでもないだろう。

 長谷川繁については、2023年に小回顧展「1989-」(横浜市民ギャラリーあざみ野)があり、その全貌の一部が知られることとなった。ブラマンクに一喝された佐伯祐三のように、デュッセルドルフ芸術アカデミーでヤン・ディベッツから一喝された若者は、最初、具象への移行期のフィリップ・ガストン(*2)などを参照していたが、やがて巨大な単一モティーフ(ジェフ・クーンズにも見られる)、美術史のステレオタイプ(初期のシグマール・ポルケ)やキッチュなモチーフを、意味の生じる手前の希薄な関係において組み合わせ、それを絶妙にスカスカした絵具遣いで描くことで独自の「バッド」な絵画を追求している。

展示風景より、左は城戸保《木と家》(2023)、右は長谷川繁の作品(2006)
展示風景より、左は長谷川繁の作品(2010)、右は城戸保《スナック笑子》(2022)

 さて、こうして2人の作風のあいだには、平面(pane)であるという以外になんの共通点も見出せない。展示は、長谷川が城戸の作品に対して自分の旧作を一つひとつ合わせることで構成されたという。その合わせ方は、色相、モチーフやパターンの類似といった表層的なもので、とくにこの作品でなければならないという必然性がない点で、辞書で隣接する単語や同音異義語を思わせる。「互いに素」でありながら、表層的な必然性において隣接することから生まれてくる無意味な関係が、「真剣にいい加減なことをする」というアートの芯のようなものを本展に付与している。ジャック・デリダは二項対立的な関係(Aの純粋な自己同一性のために非AとしてのBが要請される)が、じつは本質的でも必然的でもないとして、それをシュプレマンの論理(Aに任意のBが付加されることで対関係が生まれ、その対関係においてA(=0度のB)とB(=0度のA)が連続してしまう事態)へと解体してみせたが、本展は、2人の作家というよりも絵画と写真のあいだで、その論理を遂行したと言えるだろう。

展示風景より、左は城戸保《四角い缶》(2022)、右は長谷川繁の作品(2000)

*1──じつは、2人には伝記的な共通点がいくつか存在する。愛知県立芸術大学絵画科油画専攻の出身であること(年の離れた先輩・後輩関係)、創作活動を休止したり、作品を発表しない沈黙の時代を経ていること、そしてこれは個人的な事情だが、私が城戸作品を初めて知った河合塾のArt Space NAFでの展覧会(2003)に、長谷川繁も選ばれていたこと(2002)、つまり同じキュレーター(山本さつき)に評価されていたこと。実際、2人は「放課後の原っぱ 櫃田伸也とその教え子たち」(愛知県美術館、2010年)で知り合ったそうである。
*2──Philip Guston, Resilience: Philip Guston in 1971(Hauser & Wirth、2019)を参照。タッチを積み重ねる抽象画を捨てた後、そしていわく言いがたい漫画的なバッド・ペインティング(その多くは自画像)へ到達する前の、非難の嵐のただなかにいたガストンということである。関係性を拒む単一モチーフや、希薄な関係性のうちにとどまるモチーフの組み合わせなど。

『美術手帖』2024年7月号、「REVIEW」より)