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2026.10.12

戦後日本の女性美術家たちは何を「解放」したのか? ルクセンブルクのムダムでの「Kaihō」展をレポート

ルクセンブルクの現代美術館ムダムで、戦後日本の女性美術家39人の活動をたどる「Kaihō」展が開催されている。草間彌生やオノ・ヨーコから、これまで十分に評価されてこなかった作家まで、その多様な実践を紹介する展覧会をレポートする。

文・撮影=王崇橋(編集部)

第4章「Self-Discovery(自己の発見)」の展示風景より
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 ルクセンブルクの現代美術館、ムダム(Mudam Luxembourg)で、戦後日本の女性美術家に焦点を当てた展覧会「Kaihō: Japanese Women Artists after 1945」が開催されている。会期は2027年2月14日まで。

 本展は、戦後から20世紀末にかけての日本の女性美術家の活動を、39人の作家による120点以上の作品を通じてたどるもの。草間彌生、オノ・ヨーコ、田中敦子ら国際的に知られる作家から、これまで十分に評価されてこなかった作家まで、複数の世代にわたる実践を紹介する。絵画、彫刻、陶芸、写真、映像、パフォーマンス、インスタレーションなど、その表現は多岐にわたる。

展示風景より。絵画、彫刻、陶芸、写真、映像、パフォーマンス、インスタレーションなど、多岐にわたる作品が紹介されている

 キュレーションを手がけたのは、現在グッゲンハイム美術館ビルバオの芸術プログラム・コンテンツ部門ディレクターを務めるフロランス・オスタンド。ムダム在籍時から約3年にわたり調査を進めてきたオスタンドは、近年ヨーロッパで草間やオノの個展が相次ぐなかで、ほかにも重要な日本の女性美術家が数多く存在することに着目したという。

 オスタンドは次のように語る。「彼女たちの存在そのものが、日本の近現代美術の歴史がグローバルなものであることを示しています」。本展が目指すのは、個々の作家の再評価にとどまらず、戦後日本の女性美術家たちを、同時代の社会や歴史、そして国境を越えた芸術的な交流のなかに位置づけ直すことだ。

戦争の記憶と、女性たちの「解放」

 展示は美術館の2フロアにわたり、5つの章で構成される。その導入部で来場者を迎えるのは、芥川(間所)紗織が1955年に制作した「女」シリーズの2点だ。布に染色によって描かれた人物像は、鮮やかな色彩と大胆な造形によって、強い感情を表出している。一方は恍惚とした喜びに満ち、もう一方は怒りをあらわにして叫んでいるようにも見える。戦後の日本社会で女性たちに新たな可能性が開かれたいっぽう、依然として様々な制約が存在していたことを象徴するかのようだ。

左から芥川紗織《女(I)》《女(B)》(いずれも1955)

 最初の章「Witnessing History(歴史を目撃する)」では、戦争や植民地主義、国家の記憶に向き合った作家たちの作品が紹介される。その中心に置かれているのが、丸木俊と丸木位里による1950年の《原爆の図》の一作だ。埼玉県の原爆の図丸木美術館から特別に借用されたこの作品には、原爆の炎に包まれ、苦痛に身をよじる人々の姿がほぼ等身大で描かれている。丸木俊が人物の表情や身体の造形を主に担い、丸木位里が墨の筆致や赤い炎を加えたという。墨の黒と白を基調とした画面に赤い炎が浮かび上がり、被爆者たちの身体が見る者に迫ってくる。

第1章「Witnessing History(歴史を目撃する)」の展示風景より、左は丸木俊と丸木位里による《原爆の図 第2部 火》(1950)

 同じ章で重要な位置を占めるのが、富山妙子の絵画と石川真生の写真だ。富山は炭鉱労働者の闘争に関わった経験を持ち、その後、韓国の民主化運動や日本の植民地支配の歴史などに目を向けてきた。会場で紹介される1986年の作品《ガルンガンの祭りの夜》には、海底に横たわる犠牲者たちとともに、日本の軍人や帝国主義を象徴するモチーフが描かれている。

 作品名にある「ガルンガン」は、インドネシア・バリ島の祭礼に由来する。富山はこの祭礼を通じて、死者が再びこの世に戻ってくることを想像したという。日本の帝国主義を、かつて支配された地域の人々の記憶や死者の視点から問い直す作品だ。

展示風景より、中央は富山妙子《Illusions of Cherry Blossoms II》(1997)

 隣の壁には、石川真生が1970年代に沖縄で撮影した写真群が並ぶ。石川は1975年から約2年間、沖縄の米軍基地周辺にあるバーで働きながら、そこに集う黒人米兵や沖縄の女性たちの日常を撮影した。写真に写るのは、政治的な対立や社会問題を象徴する人物像だけではない。友人同士の親密な時間や笑顔、緊張、そして日常のささやかな場面が捉えられている。

展示風景より、左の壁面は石川真生の写真作品群

 石川は撮影対象のコミュニティの一員となることで、外部から一方的に観察する視線とは異なる関係性を築いていた。沖縄における日本の植民地主義の歴史、米軍基地の存在、そしてアメリカ社会の人種差別という複数の問題が、写真に写る人々の具体的な生活を通じて浮かび上がる。

抽象表現から、参加と行為の芸術へ

 続く第2章「New Abstraction(新たな抽象)」では、1950〜60年代の高度経済成長や工業化を背景に、新たな造形表現を模索した作家たちに焦点を当てる。

 会場には、田中敦子が1960年代に制作した大型絵画が展示されている。鮮やかな色彩の円が重なり合い、線によって結ばれた画面は、電気回路やエネルギーの流れを想起させる。

壁面:左から田中敦子《Untitled》(1964)、《Work》(1963)。床のインスタレーションは同氏《Work (Bell)》(1955/2000)

 田中は具体美術協会の主要メンバーのひとりとして知られるが、ここでは同じ時代に新しい素材や技術を用いたほかの女性作家たちと並置される。山崎つる子や多田美波による金属や動きを取り入れた彫刻、大竹富江や吉川静子の抽象作品などが、絵画という枠を超えて展開された実験的な表現を伝えている。

大竹富江と吉川静子の抽象作品

 さらに第3章「Do It Yourself(自分でやってみる)」では、作品を鑑賞するという行為そのものが問い直される。

 オノ・ヨーコ、塩見允枝子、斉藤陽子らの作品は、鑑賞者の参加や指示の実行、他者との関係によって成立するものだ。作品は必ずしも完成された物体として存在するのではなく、誰かが行為を起こすことで、そのつど異なるかたちをとる。こうした実践は、1960年代の国際的な実験芸術の動向とも深く結びついている。日本の女性美術家たちが、海外で生まれた芸術運動に参加しただけでなく、その形成や発展にも積極的に関わっていたことがうかがえる。

 オスタンドは、日本への調査旅行やアーカイブ調査を通じて、草間と桂ゆきが同じ展覧会に参加していたことや、1960年代のニューヨークが多くの日本の女性美術家にとって重要な活動拠点だったことなどを知ったという。

 「当初は孤立しているように見えた作家たちが、実際には互いにつながっていたのです」。オスタンドは、こうした関係性を「星座」のようなものとして捉えている。既存の美術史では個別に語られてきた作家たちを、同時代の交流や相互の影響を通じて結び直すことも、本展の重要な試みだ。

身体、ジェンダー、そして社会への介入

 第4章「Self-Discovery(自己の発見)」では、身体やジェンダー、アイデンティティをめぐる実践が紹介される。

 そのなかでも目を引くのが、岸本清子の作品だ。岸本は1980年代以降、既存の社会秩序や権力構造に対する批判を、絵画、パフォーマンス、街頭活動など多様な方法で表現してきた。自らを「地獄からの使者」と称し、社会的な成功や上昇志向に異を唱えるいっぽう、社会の底辺にいる人々の連帯や自由を重視した。作品に繰り返し登場する逆三角形のモチーフは、そうした「下降」の思想を象徴するものだという。

右の壁面の作品は、岸本清子《Erotical Girls - Pansy》(1983/右)、《Erotical Girls - Dogtooth Violet》(1983/左)

 いっぽう、イトー・ターリは、身体を用いたパフォーマンスを通じて、女性や性的マイノリティの存在を可視化してきた。1996年の《Self-Portrait》は、レズビアンであることを公に表明した作品として紹介される。性的マイノリティへの差別が根強かった当時の日本社会において、自らの身体とアイデンティティを表現することは、政治的な意味を持つ行為でもあった。

第4章「Self-Discovery(自己の発見)」の展示風景より

自然、テクノロジー、そして労働をめぐる実践

 展覧会の最後を飾る第5章「Environmental Consciousness(環境への意識)」に入ると、展示空間の印象も変わる。それまでの比較的閉じられた展示室とは対照的に、天井が高く、自然光が差し込む開放的な空間が広がる。ここでは、自然と人間、テクノロジー、そして環境との関係を探る作品が紹介される。

 中谷芙二子の初期の映像作品《風にのって一本の線を引こう》(1973)には、クモが巣をつくる様子が記録されている。巣が完成するまでの時間と映像の上映時間が重なるこの作品では、クモの巣を自然が生み出す精巧なテクノロジーとして捉えている。その近くには、宮本和子による床面のインスタレーションが展示されている。約2000の足跡を用い、1週間ほどかけて構成されたという作品は、線が交差する幾何学的な構造を持ち、中谷の映像に現れるクモの巣とも呼応する。

右は中谷芙二子《風にのって一本の線を引こう》(1973)。左は宮本和子のインスタレーション

 同じ空間には、陶芸作品も集められている。ハワイで育ち、アメリカで活動したトシコ・タカエズによる「Moon」シリーズは、内部が空洞になった球体状の陶芸作品だ。表面には小さな穴が設けられ、内側と外側がひとつの世界としてつながっている。会場では、そのうち2点がハンモックに載せられ、展示されている。また、アフリカでの滞在経験を持つ小川待子の陶芸作品は、地中から掘り出された考古学的な遺物のような姿を見せる。自然の素材である土を用いながら、長い時間の堆積を思わせる作品だ。

 さらに、三上晴子の初期作品にも注目だ。三上は1980年代後半から90年代初頭にかけて、東京のバブル経済や急速な技術革新によって生み出された廃棄物に着目した。捨てられた配線やコンピュータの画面、金属などを収集し、彫刻やインスタレーション、パフォーマンスを制作していた。オスタンドによれば、今回の展覧会の調査を始めた当初、こうした初期作品はほとんど現存していないと考えられていた。しかし、調査チームが個人コレクションやアーカイブを調べた結果、作品や関連資料が発見され、展示が実現したという。

展示風景より、手前の彫刻は三上晴子の作品

 展覧会の終盤には、久保田成子の《ナイアガラの滝I》(1985–87)や、草間彌生のミラールーム《水上の蛍》(2000)が登場する。草間の作品に現れる無数の点や無限に広がる空間は、植物の成長や死、生命の反復といったテーマにもつながっている。展覧会の最後にその作品を置くことで、来場者は、これまでたどってきた様々な作家たちの実践を、自然や環境という共通の視点から再び見つめ直すことになる。

左は久保田成子《ナイアガラの滝I》(1985–87)

「日本の女性美術家」という枠組みを超えて

 本展のための調査は約3年にわたり、日本国内外のアーカイブや作品所蔵先を対象に進められた。展覧会にあわせて刊行された図録には、萩原弘子、北原恵、小勝禮子、中嶋泉、由本みどりらを含む約40人の執筆者が参加している。

 オスタンドは、今回の展覧会について、戦後日本の女性美術家に関する研究を完成させるものではなく、今後の研究の出発点となることを期待している。「まだ十分に研究されていない作家たちが数多くいます。日本の研究者やキュレーターたちにも、彼女たちの活動についてさらに調査を進めてほしいのです」。

 本展はムダムでの開催後、2027年3月20日から9月5日までミュンヘンのレンバッハハウス、同年10月8日から2028年3月5日までグッゲンハイム美術館ビルバオへ巡回する。

 戦後日本の女性美術家たちの作品を通じて見えてくるのは、これまでの美術史では十分に語られてこなかった、多様で複雑な実践の歴史だ。その再評価は、日本美術の歴史を見直すだけでなく、20世紀の国際的な美術史そのものを問い直すことにもつながるだろう。