• HOME
  • MAGAZINE
  • NEWS
  • REPORT
  • 「多田美波—光、凛と ゆれる」(東京都現代美術館)開幕レポ…
2026.8.29

「多田美波—光、凛と ゆれる」(東京都現代美術館)開幕レポート。素材と対話し「光」を追い続けた造形表現の70年の軌跡

東京・清澄白河の東京都現代美術館で、戦後日本において抽象彫刻家・造形作家として活躍した多田美波(1924〜2014)の大規模個展「多田美波—光、凛と ゆれる」が開幕した。会期は12月6日まで。会場の様子をレポートする。

文・撮影=大橋ひな子(編集部)

「多田美波—光、凛と ゆれる」の展示風景
前へ
次へ

 東京・清澄白河の東京都現代美術館で、多田美波(1924〜2014)の大規模個展「多田美波—光、凛と ゆれる」が開幕した。会期は12月6日まで。担当は、同館学芸員の小高日香理、田村万里子。

 多田は1924年、日本統治下の台湾・高雄に生まれ朝鮮で育つ。高校在学中に朝鮮美術展覧会へ出品し入賞。1944年、女子美術専門学校(現・女子美術大学)西洋画科を卒業し、56年の第41回二科展、57年の第9回読売アンデパンダン展に油彩画を出品。57年には炭労会館のためにレリーフ《炭鉱》を制作。62年、多田美波研究所を設立した。

 多田は、高度経済成長期を背景に普及した工業素材や加工技術を、芸術表現に積極的に取り入れたことでも知られる。制作の手跡を感じさせない無機質な表面に、光の反射や透過、屈折、揺らぎといった有機的な要素を取り込み、周囲の環境や鑑賞者の動きと呼応して表情を変える作品を手がけてきた。

 生涯でおよそ200点の彫刻作品と、500点に及ぶ建築関連作品を手がけた多田は、 美術館という枠にとどまらず、公園、駅、市庁舎、ホテル、劇場など、都市の様々な場所に作品を残し、人々の生活空間の一部をかたちづくってきた。空に向かって伸びていくようなステンレスの彫刻や、自然の景観に馴染むガラスやアクリルの彫刻、色とりどりの光を内包する「光壁」など、その表現は多岐にわたる。

 本展は、美術・建築・デザインの領域を往還しながら活動した多田美波の仕事を総覧する、没後初となる大規模回顧展だ。外光が差し込むアトリウムを含む約1500平米の地下展示室と、隣接する屋外展示エリアを使用し、多田の約70年にわたる創作の軌跡を空間全体で展覧する機会となっている。

油彩画作品から立体作品までの変遷

 会場は章立てされておらず、キャリア初期から晩年までを時系列でたどる構成だ。初期の絵画、各時代の彫刻、本人が「光造形」と呼んだシャンデリアなど約70点に加え、建築造形のパーツ、写真、スケッチといったアーカイブ資料も並ぶ。また、作品を紐解く複数のキーワードがテキストとして掲示され、鑑賞をサポートする試みがなされている。

左から、《変電所》(1958)キャンバスに油彩 80.1×99.7cm 東京国立近代美術館、《変電所L》(1957)板に油彩 183.5×91.5cm、《(題不詳)》(制作年不詳)キャンバスに油彩 90.3×99.5cm

 展示は、1950年代に描かれた初期の油彩画からはじまる。近年の調査で発見された貴重な作品群は、本展の見どころのひとつだ。当時、多田は現代社会を象徴する画題として「変電所」を繰り返し描いた。《変電所》(1958)は太めの黒線と白色で構成されており、一見シンプルに見えるが、じつは多様な白を塗り重ねている。この頃からすでに「光」を内包する表現を追求していたことがうかがえる。

《炭鉱》(1957)の実物大写真 ターポリンにプリント

 多田のキャリアの転機となったのが、初のコミッションワークである《炭鉱》(1957)だ。日本炭鉱労働組合のビル(炭労会館)の入口に設置された本作は、建築の計画段階で行われたコンペで採用されたもので、建築と一体化した空間表現を展開していく原点となった。現在は夕張市石炭博物館に所蔵されており、会場では実寸大の写真でその迫力を伝えている。

《周波数373055MC》(1963)アルミニウム 200×300×50cm

 1960年頃から、多田は平面から立体作品へと軸足を移す。幼少期から培った油彩の技法が一種の「手癖」となり、自由な表現を制限していると感じたためだ。独学で挑んだブロンズ作品《発祥》(1960)で二科展特選を受賞すると、続いてアルミニウムに着目。ハンマーで叩く、バーナーで炙るなどの独自の手法を用いて素材の新たな表情を引き出し、「手癖」の排除を試みた。

 さらに多田は、当時新素材だったアクリル樹脂の可能性を探る研究に着手する。照明器具などの身近なプロダクトを通して実験を重ねており、会場にも当時発表した照明器具が展示されている。

《Phase-Space 6943》(1969)アクリル、アルミニウム蒸着メッキ、鉄、モーター 神奈川県立近代美術館
《オートシンクローネ》(1973/2026)アクリル(一部) サイズ可変

 アクリルを用いた代表作のひとつが《Phase-Space 6943》(1969)だ。一見すると金属のように見えるが、成形したアクリルにアルミニウム蒸着メッキを施している。鏡のような表面に鑑賞者や周囲の風景を映し出す本作は、「環境を芸術に入れるだけでなく、芸術を環境化する」と語った多田の姿勢を象徴している。また、床に置かれた《オートシンクローネ》(1973/2026)は、シャボン玉を思わせる透明なアクリル造形が100個並ぶ作品で、本展のために多田美波研究所が当時の型を用いて忠実に再現したという。

 多田が38歳のとき、久我山の自宅敷地内にアトリエを兼ねて設立した「多田美波研究所」は、現在、多田を長年支えてきた岩本八千代(所長)、渡部克己(副所長)、本間充明の3名によって運営が継続されている。造形作品の設計・制作をはじめ、作品の修復やアーカイブ管理を担う同研究所は、本展においても過去作の再現や再構成で大きな役割を果たしている。

建築プロジェクトの数々

 続いて、多田が携わった主要な建築プロジェクトが紹介されている。皇居・新宮殿の「光造形」(1968)、リーガロイヤルホテル大阪の光造形《瑞雲》(1973)、帝国ホテル東京の光壁《黎明》(1970)など、代表作の詳細が写真やスケッチ、素材見本とともに展示されている。

光壁《黎明》(1970)のガラスブロック
展示風景。自立型の立体作品群

 1970年代以降は、自立型の立体作品を多く手がけるようになる。展示空間では作品の周囲を歩きながら、角度によって大きく変わる表情を鑑賞できる。あわせて展示されている多田美波研究所の記録写真からは、メンバーと顔を突き合わせ、研究を繰り返していた熱気ある現場の様子が伝わってくる。また、自身の作品スケールが拡大するにつれ、職人や技術者との協業が増加。多田が自ら工場へ何度も足を運び、現場と対話を重ねながら制作を進めていた背景も明かされている。

アトリウム空間での展示風景
《翔》(1986)ステンレス 100×150×200cm/100×180×230cm/100×200×280cm/120×200×280cm/200×300×250cm

 本展のもうひとつの見どころとして、天井高19メートルのアトリウム空間に展開された大型作品群の展示が挙げられる。なかでも頭上に吊られた《翔》(1986)は圧倒的な存在感を放つ。南足柄市庁舎に設置されていた本作は、2枚のステンレスを溶接した多田初の「吊り彫刻」だが、後に地震に対する防災上の理由から撤去されていた。本展での再現は非常に貴重な機会となる。

《究》(1999)ステンレス 39×50×38cm

 また、唯一のステンレス鋳物作品《究》(1999)は、多田が脳梗塞による半身麻痺を克服しようとするなかで生み出された作品だ。一時は作家活動を断念することも頭をよぎったという多田だが、創作への意欲は衰えず、動く右手だけで巨大な粘土を造形し、型をつくったという。多田美波研究所所長の岩本八千代が「多田の魂そのもののかたち」と語る通り、力強い生命力が宿る作品だ。

光造形《瑞雲》(1973/2026)クリスタルガラス、ボールチェーン リーガロイヤルホテル大阪ヴィニェットコレクション設置作品の再制作

 さらに、現存しない作品や建築と不可分な作品の「再制作・再構成」も見逃せない。洗面台のボールチェーンを用いたシャンデリア《チェーンデリア》(1963)は、皇居・新宮殿の光造形を手がけるきっかけとなった記念碑的作品で、多田美波研究所の全面協力のもと原寸大で復元された。また、リーガロイヤルホテル大阪の《瑞雲》(1973)の一部も、当時のクリスタルガラスパーツ約3000個を用いて再現されている。

《瑞光》(2013)キャンバスに油彩 陶板レリーフ《瑞光》(オリーブベイホテル、長崎)のための原画

 展覧会の最後を締めくくるのは、多田が手がけた最後の作品だ。かつて「手癖」を嫌って離れた油彩画に、多田は晩年再び向き合った。描いた油彩画を陶板へ転写し、ラスター釉で仕上げたレリーフ《瑞光》(2013)が遺作となった。本展は、その原案となった油彩画で幕を閉じる。

 周囲を巻き込みながら、あくなき探究心で「光」と素材に挑み続けた多田美波。その軌跡をたどる本展は、彼女が放った光の輝きが時代を超えていまなお鮮やかであることを実感させてくれるはずだ。