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2026.5.16

「―モンスーンに吹かれたように― 大移動と交流のアフリカ‐アジアの現代美術」(岐阜県美術館)会場レポート。境界を越えるために必要なものとは

岐阜県美術館で、日本を含むアジアと、アフリカという両地域をつなぐ交流の足跡を現代美術を通して考える企画展「―モンスーンに吹かれたように― 大移動と交流のアフリカ‐アジアの現代美術」が6月14日まで開催されている。会場をレポートする。

文・撮影=安原真広(編集部)

左から吉國元「来者たち」シリーズ(2018-)と、なみちえ「Kigroom」シリーズ
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 岐阜県岐阜市の岐阜県美術館で、日本を含むアジアと、アフリカの両地域をつなぐ交流の足跡を現代美術を通して考える企画展「―モンスーンに吹かれたように― 大移動と交流のアフリカ‐アジアの現代美術」が開催されている。会期は6月14日まで。担当は同館学芸員の西山恒彦。

アフリカとアジアをどのようにつなぎ合わせるのか

 なぜ本展ではアフリカとアジアに焦点を当てるのか。担当の西山は次のように語る。「ここ10年ほど、シャルジャ・ビエンナーレを始めとしたアジアとアフリカの結節点で開催されている展覧会に足を運んだ経験から、アフリカとアジアを一体として考える土壌の存在を感じていました。特定の地域のローカルな歴史や、それを背景とした現代美術の動向を取り上げるだけでなく、もっと大きくアフリカからアジアにかけての世界地図を描きたいと考えました」。西山が勤務する同館でこのアイデアを実現する契機として思い付いたのが、岐阜県ゆかりの武将である織田信長に仕えていたアフリカ出身の武士・弥助だったという。

《相撲遊楽図屏風》(江戸時代、5月6日まで展示)。中央で肌の黒い人物が相撲を取っている

 西山のその着想は、会場の冒頭で展示されている堺市博物館所蔵の《相撲遊楽図屏風》(江戸時代、5月6日まで展示)に表れている。武士たちが相撲をしている様子が描かれた六曲一隻の屏風だが、中央で取り組みを行う人物のうち、ひとりの肌は浅黒くまげなしで描かれており、黒人力士ではないかと推測されている。この描かれた人物は、弥助の姿と重ねられて語られることも多かった。

 弥助はアフリカ南東、現在のモザンビーク出身で、イエズス会によって連れてこられたとされている。重要なのは、弥助がどのような人物であったかということ以上に、桃山時代にはポルトガル人やスペイン人によって少なくない数のアフリカの人々が日本に連れて来られたと推測できる記録があり、当時の日本の人々の頭のなかに日本からアフリカまでをつなぐ地図が描かれ始めたということだ。なお、後期(5月8日〜)では《相撲遊楽図屏風》に代えて、黒人の従者を連れた「南蛮人」が描かれた堺市博物館所蔵の《南蛮屏風》(桃山時代〜江戸時代初め)が展示される。

ワンゲシ・ムトゥ《子宮腫瘍のさまざまなクラスの組織学》(2004-05)。髪や唇といった、アフリカ系の人物を表象する際の典型的なイメージが生殖器のイラストや商品イメージへと巧みに置き換えられている

 同じ文化コードを持つ者だけで成立していた領域の外側にある「世界」。これが発見されたことで、この「世界」を構成する人間を人種によって分類するという思想も色濃くなっていった。こうした分類に対しての批評的視座を感じさせるのが、ワンゲシ・ムトゥの初期作品《子宮腫瘍のさまざまなクラスの組織学》(2004-05)だ。19世紀に書かれたJ.A.ジャンソンによる性病等についての研究書『生殖器官の疾患』の挿絵にある女性の身体のイラストを、ヌード写真やファッション誌のピンナップなどとともにコラージュし、アフリカ系の女性たちの肖像をつくりあげた。ムトゥはこのコラージュによって、アフリカ系女性の身体的特徴を象徴的に表現するとともに、それらがつねに視線にさらされる対象であることも明らかにする。

ワンゲシ・ムトゥ《アメイジング・グレイス》(2005)。キユク語で歌われる「アメイジング・グレイス」とともに、ムトゥは海の中へと入っていく

 ムトゥの映像作品《アメイジング・グレイス》(2005)も印象的だ。白い服を着たムトゥ本人は、海の中へと歩んでいき、バックではムトゥの母語であるキクユ語で歌われた讃美歌「アメイジング・グレイス」が流れる。この楽曲の成立時期は諸説あるが、作詞は1772年にイギリス人のジョン・ニュートン(1725〜1807)が手がけたものだ。黒人奴隷貿易で財を成したニュートンは、牧師となりそのことを悔恨するなかでこの詩を書いたという。入水を思わせる映像のイメージ、海をわたり運ばれた黒人奴隷たちの運命、黒人の祈りと白人の欺瞞を折り込みながら、映像は見る者のイメージをふくらませていく。

越境しながら紡ぐ一人ひとりの歴史の重層

 マフディ・エシャーエイは、1989年にドイツ・ミュンスターでイラン移民の両親のもとに生まれたアーティストだ。デザインと写真を大学で学んだエシャーエイは、卒業時に「アフロ─イラン:知られざるマイノリティ」と名づけられたプロジェクトを開始。エシャーエイの両親の故郷であるイランのシーラーズは、イスラム教成立以前の歴史も長く、アフリカとの交易的な結びつきが強かったため、いまでもアフリカにルーツを持つ人々が暮らしている。

マフディ・エシャーエイ「アフロ─イラン:知られざるマイノリティ」(2014)より、ホルムズ海峡沿いの地域に住む人々が被写体となっている

 エシャーエイが本プロジェクトにおいて被写体にしたのは、2026年現在アメリカ/イスラエルとイランとの紛争により混迷を極めるホルムズ海峡に面したホルモズガーン州だ。サファヴィー朝ペルシャでは、ポルトガルとの奴隷貿易も盛んであったため、ここに住む人々のなかには奴隷の末裔にあたると推測される人もいる。会場では同地の歴史や文化についてのエシャーエイによる研究論文とともに、そこで生きる人々の姿を見ることができる。報道では簡易的な地図とともに戦禍の現場として伝えられるこの地で、収奪の歴史がその血に流れる人々が生きているという事実に鑑賞者は向き合うことになる。

石川真生「アカバナー」(1975-77)より、沖縄の黒人米軍兵士たちと生きる沖縄の女性たちが撮影されている

 石川真生は1953年琉球政府(現沖縄県)大宜味村に生まれた写真家だ。1972年、アメリカから沖縄が返還される頃から、沖縄に関わる人物たちを被写体に作品を撮影し続けている。本展で紹介されているのは、米兵相手のバーで働く沖縄の女性たちをとらえた「アカバナー」シリーズ(1975-77)と、沖縄の庶民の歴史を描く創作写真シリーズ「大琉球写真絵巻」(2014-)からの、ミックスルーツの家族を被写体とした1枚だ。戦後沖縄の複雑な歴史のなかで生まれた様々な文化のルーツを持つ人々の交流が生んだ人々の、力のこもった息遣いが写し取られている。

チェ・ウォンジュン《ノー・ペイン・ノー・ゲイン》(2022-23)。イグウェ・オシナチが日々の労働をする様子と、スーツを着てブランドのブティックが並ぶ通りを闊歩する様子がアフロ・ビートの楽曲に合わせて交互に映し出されていく

 1979年、韓国・ソウルで生まれたチェ・ウォンジュンは、韓国におけるアフリカ系コミュニティとのコラボレーションプロジェクト「キャピタル・ブラック」(2020-)を行なっているアーティスト。研究者としても活動しており、アフロ・アジア・コレクティブのメンバーで、スペース・アフロアジアの設立者でもある。チェはこのプロジェクトの一環として、米軍のキャンプタウンで生まれたアフリカ系移民とその第二世代子供たち、あるいはアフリカ出身の移民労働者たちの生きる姿や文化を写真や映像にしてきた。

 会場では、ナイジェリア出身の移民労働者でありミュージシャンであるイグウェ・オシナチとともに監督したミュージックビデオ《ノー・ペイン・ノー・ゲイン》(2022-23)が目を引く。アフリカから遠く離れた韓国での労働と生活を故郷のリズムとともに表現することで、韓国におけるアフリカ系移民たちが担っている役割や、70年代の韓国における民衆による労働運動を編み合わせるようにして表現。彼らの存在をその背景にある社会構造も含めて可視化している。

吉國元「来者たち」(2018-)。褐色の肌の人々とともに、鮮やかな色彩の植物の描写も印象的だ

 吉國元は1986年にジンバブエ・ハラレ生まれの画家だ。日本人の両親とともに10歳のときに帰国したものの、吉國は慣れ親しんだジンバブエから日本に「移住した」という感覚を抱き、故郷で没頭していた絵画に表現の道を見出すようになった。

 会場では、吉國がジンバブエで出会った人々、父と母、妹とその家族、日本で出会ったアフリカ人らを描いた肖像画と、自身の自画像を組み合わせた連作「来者たち」(2018-)の73点が展示されている。写し取られた人々の姿からは、日本という枠組みを超えて形成された「親しみ」が伝わってくる。鑑賞者一人ひとりが本作を前にするとき、人それぞれが持つ「親しみ」のルーツは本質的に多様であり、越境的であることに気づかされることになる。

なみちえ「Kigroom」シリーズのぬいぐるみ。右端が「なみちえの中身」と説明される《何ちえ》(2016)

 1997年、ガーナ人の父と日本人の母のあいだに生まれたなみちえは、日本で生きるなかで、自身の外見に投げかけられる視線をつねに意識させられてきた。他人に外見で判断され、差別的な言葉を投げかけられるといった環境のなかで、なみちえは中学生のころから着ぐるみを制作していたという。視線や会話を遮断しつつコミュニケーションを行えるという着ぐるみに着目し制作された「Kigroom」シリーズ。以降、なみちえは多くの着ぐるみを制作したが、なかでも虹色の着ぐるみは作家の名前を模した《何ちえ》(2016)と名づけられており、「なみちえの中身」という説明が添えられている。多様な色を持つ作家自身が、着ぐるみのなかから表面へとにじみ出てきているかのような印象を受ける。

 また、なみちえは大学時代から音楽活動を行ない、典型を押し付けられる自身の立場をメッセージとして発信してもきた。外国人として扱われ、からかわれる状況へのレジストを込めて「国人ラップ」(2020)を制作。以降、ソロのミュージシャンとして、またはユニットとしても多岐にわたる活動をしている。会場では、なみちえの音楽活動も紹介されており、着ぐるみとともに様々な側面を持つアーティスト・なみちえの姿を教えてくれる。

暴力の連鎖、その先に見出す未来

 「武器をアートに:国立民族学博物館コレクション」は、モザンビーク・キリスト教協議会(CCM)と、えひめグローバルネットワーク(現四国グローバルネットワーク)などのNGO団体によって行われた平和活動によって生まれた作品群だ。

「武器をアートに:国立民族学博物館コレクション」より、左からフィエル・ドス・サントス・ラファエル《フルート奏者》(2012)、クリストヴァオ・カニャヴァート(ケスター)《ギター奏者》(2012)。銃器の造形が人物のフォルムに巧みに生かされている

 モザンビークはポルトガルによる植民地支配から1975年に独立したが、その後1992年まで内戦状態が続き、終結後も多くの武器が民間に残され治安が悪化していた。こうした状況を受け、CCMは武装解除のための「銃を鍬に」プロジェクトを開始。武器を回収し農具などと交換していった。やがて回収した武器を爆破し、溶鉱炉で溶かし、アートの素材にする活動へと発展。会場で紹介されているのは、このプロジェクトのなかでクリストヴァオ・カニャヴァート(ケスター、1966〜)やフィエル・ドス・サントス・ラファエル(1972〜)が制作した、楽器を演奏する人の像だ。芸術によってアフリカの負の歴史を伝えるとともに、それを変える力への希望も両作からは感じられる。

 長谷川愛の《Alt-Bias Gun》(2018)は、作家が米ボストンのMITメディアラボを修了するまでのあいだ、研究室外で人種差別的体験をたびたび受けたことが制作の背景にある。こうした経験は、2016年に起きた無実の黒人男性を警察官が射殺された事件をはじめ、アフリカ系アメリカ人が晒されている過酷な状況と重ね合わせられた。

長谷川愛《Alt-Bias Gun》(2018)。置かれたパネルの人物たちに銃を向けると引き金が引けなくなる

 《Alt-Bias Gun》は誤射によって撃たれた人々の顔を機械学習によって読み込ませ、「誤射されやすい顔」を認識させた銃だ。その特徴をもった人たちが銃口の先にいるとき、銃は一定秒数ロックされ発砲を思いとどまらせる時間をつくり出す。会場では実際に顔写真の小さなパネルが用意されており、パネルに銃口を向けるとロックされる機構が体験可能。銃を手にしたときに喚起される潜在的な暴力性と、それをシステムとして止めようとするアーティストの想像力のせめぎ合いを肌で感じることができる。

生活のなかに見出すアジアとアフリカをつなぐ「モンスーン」

 ジュエル・アンドリアノメアリソアは1977年、マダガスカル生まれのアーティストだ。生活の延長であり、また個々の人生や体験が染み付いた被服という素材を使って作品を制作している。本展のための新作シリーズ「風の宮殿」は古い着物の布を縦に細かく切り裂き、キャンバスの上に貼り付けて重層的な空間を平面上につくりあげた。マダガスカルと日本との距離をつなぐために、衣服という人種や民族を超えた普遍的な素材が生かされている。

ジュエル・アンドリアノメアリソア「風の宮殿」シリーズ(2026)。布素材によるテクスチャは角度を変えることで様々な表情を見せる
エリアス・シメ《タイトロープ・モバイル》(2009-14、タグチアートコレクション/タグチ現代芸術基金)。接近すると複雑な模様が小さな電子部品によって構築されていることがわかる

 エリアス・シメは1968年エチオピア出身のアーティスト。出品されている《タイトロープ・モバイル》(2009-14)は、電子基盤や配線、キーボードなどを利用して制作されおり、近づいて見れば小さな部品の集合がダイナミックの文様を構成していることがわかる作品だ。

 これらの情報機械で使用される素材は、廃棄されるとアフリカのような途上国へと集まってくる。誰かの生活のなかで様々な行為や記憶を媒介したであろう部品が、先進国からアフリカへと流れていった。それらがふたたび集合したときに現れる像には、国境を超えたダイナミズムが宿っている。

ティンガティンガ派の作品。左からオマリ・アロイス・アモンデ《樹にとまるペリカン》(1992)、サルム・ムサ《羽を広げた孔雀》(制作年不詳)

 展示室の最後では、岐阜県美術館のコレクションより、ティンガティンガ派の作品が紹介されている。ティンガティンガ派の祖であるエドワード・サイディ・ティンガティンガ(1932〜72)は、タンザニア南部で生まれ、首都のダルエスサラームでメゾナイトと呼ばれる資材にエナメルで動植物を描いた土産物をつくり始めた。以後、このスタイルは様々なアーティストへと波及し、なかにはオリジナリティを出すものも表れていった。同館を始め、90年代以降多くの館でティンガティンガ派は紹介されており、日本におけるアフリカの表現の受容の歴史の一端を知ることができるコレクションといえるだろう。

ミュージアムショップに並ぶ「BONBO STARS」の作品

 また、ミュージアムショップでは、1984年生まれのアーティスト・長坂真護がプロデュースする「BONBO STARS」の作品が販売されている。電子部品を燃やすことで生計を立てている人々が住むガーナのスラム街・アグポグブロシーを拠点に、EV、リサイクル、農業等を展開して雇用を生み出す事業を展開する長坂は、アグポグプロシーでアーティストたちの育成にも励む。「BONBO STARS」と名づけられた彼らの作品の売り上げのうち10パーセントが、作家本人へ直接給料として還元される。

 アフリカと日本をつなぐ文化の線を「モンスーン」と言う言葉でとらえようとした本展。表題のその言葉をそのまま受け取れば、遠い国々と越境してつながるロマンチシズムやダイナミズムを感じられる。いっぽうで本展が提示しているのはそれだけではない。アフリカ系のみならず、多様なルーツをもつ人々が日本の社会を構成しているという事実が、各作品からにじみ出てくる。越境とは、何も日本とアフリカのあいだにある約1万キロメートルの距離を超えることだけではない。この国で生きる一人ひとりが、意識のなかの境界を越えるためのモンスーンを吹かせるための契機。それこそが本展ですくい上げるべき、大切なメッセージではないだろうか。