2026.2.6

「恵比寿映像祭2026」(東京都写真美術館)開幕レポート。多声的な表現が交差する映像祭の現在

映像文化とアートの現在を横断的に紹介する国際フェスティバル「恵比寿映像祭2026」が、東京都写真美術館を中心に開催中。総合テーマ「あなたの音に|日花聲音|Polyphonic Voices Bathed in Sunlight」のもと、映像、写真、サウンド、パフォーマンスが重なり合う今年の映像祭をレポートする。

文・撮影=王崇橋(ウェブ版「美術手帖」編集部)

オフサイト展示より、エキソニモ《Kiss, or Dual Monitors 2026》(2026)
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 映像文化とアートの現在を横断的に紹介する国際フェスティバル「恵比寿映像祭2026」が開幕した。会期は2月23日まで。

 「映像」という言葉を狭く定義せず、映像をめぐる多様な表現に目を向けながら、鑑賞のあり方を問い直してきた同映像祭。今回は映像・写真の役割への問いかけを継続しつつ、サウンドや演劇といった要素も取り込み、社会の変化をより身近な感覚から捉えようとしている。

 総合テーマは「あなたの音に|日花聲音|Polyphonic Voices Bathed in Sunlight」。メインキュレーターの邱于瑄(チィウ・ユーシュェン)が、台湾語を起点に構成した。口承で広がり、複数の表記法が混在し、日本語とも共通点を持つ台湾語は、似ているからこそ起こりうる誤解や読み違い、そこから生まれるズレを考えるための手がかりとなっている。

参加作家(一部)

 メイン会場となる東京都写真美術館の地下1階では、総合テーマを「音」「声」「聞こえにくさ」に引き寄せながら、植民地史や移動の記憶、他者を理解しきれないこと、身体を通して立ち上がる祈りといった問題を並行して立ち上がらせている。

 張恩滿(チャン・エンマン)の《カタツムリ楽園三部作—出航か終章か》(2021)は、植民地航海や動植物の移動(遷徙)を参照しながら、外来種として台湾に持ち込まれたアフリカ産のカタツムリの歴史を掘り起こす作品である。

手前は張恩滿《カタツムリ楽園三部作—出航か終章か》(2021)の展示風景

 1930年代、日本の植民地政府の官僚がシンガポールから台湾へ輸入したことで、本来は別の土地にいた生き物が、異なる環境のなかで生きることになった。作家はその経緯を、台湾原住民族のルーツを手がかりに、パイワン族の古謡や詠唱を通して語り直す。カタツムリがどこに定着し、居場所を変えていくのかを追う物語は、環境の変化に合わせて姿を変えながら生き残る存在のあり方を浮かび上がらせる。

 鶴巻育子の「ALT」シリーズ(2024)は、「見えない/見えづらい世界を覗いてみたい」という好奇心から始まったプロジェクトだ。鶴巻は約4年にわたり視覚障害のある人々へのインタビューを続けるなかで、視覚障害がひとつの言葉で括れないこと、そして見え方や感じ方が人によって大きく異なることを丁寧に掬い上げてきた。

鶴巻育子「ALT」シリーズ(2024)の展示風景

 コミュニケーションにはつねにズレが発生し、相手を「わかったつもり」になってしまう危うさがあることを示す本作。他者には自分の理解が届かない領域がある、という前提に立ち返り、「見ること」のプロセスを問い直していく。

 トモコ・ソヴァージュの《Barrissando》(2020)は、フランス語で「象が鳴く」を意味する「barrir」に由来する造語「Barrissando(バリッサンド)」をタイトルに掲げる。湿った鏡を擦り、その微細な音をマイクで増幅することで、象の鳴き声のような響きを生み出す作品だ。

 キュンチョメは、聞こえない声や音を想像する2つの映像によって、身体と環境の関係を問い直す。《金魚と海を渡る》(2022)では、人工的な品種改良によって「美しく」整えられてきた金魚の姿を、社会のなかで女性が置かれてきた立場と重ね合わせる。金魚も人間も海では暮らせない。それでも「一緒なら渡れるかもしれない」という発想のもと、作者は金魚を小さな袋に入れ、ともに海を渡る。

キュンチョメの作品展示風景。左は《海の中に祈りを溶かす》(2022–23)、右は《金魚と海を渡る》(2022)

 いっぽう《海の中に祈りを溶かす》(2022–23)は、海中で祈りの言葉を発する行為を軸に据える。水中では祈りの声を届けることはできないが、吐き出された空気は泡となって目に見えるかたちで現れ、「聞こえないまま」海へ溶けていく。

 音楽家・冥丁は、「失日本」を主題に活動を続けてきた。本展では、わらべ歌や民謡、フィールドレコーディング、日本特有の楽器の響き、ピアノの音色などを重ね合わせ、「日本に漂う空気感」を音として立ち上げようとする。

冥丁の作品展示風景

 2階展示室では、植民地史やジェンダー、儀式、移動といったテーマが、「声」や「リズム」といった非言語的な要素を手がかりに展開されている。

 侯怡亭(ホウ・イーティン)は、戦後台湾社会に残った日本文化の影響を起点に、女性の労働や身体、社会的役割がどのようにかたちづくられてきたのかを読み解く。《レイディたち》(2015)は、1950〜60年代に流行した、日本曲を台湾語でカバーした3曲の歌詞を、布に刺繍したインスタレーション作品である。日本語の原曲が台湾語へと置き換えられることで、当時の労働環境や社会階層、時代の空気が浮かび上がる。本作はあえて完成形をとらず、言語の背後にある植民地史の複雑さを示している。

侯怡亭の作品展示風景。壁面は「歷史刺繡人 Lı̍k-sú Tsiam-tsí lâng―帝国婦」シリーズ(2019)、右のインスタレーションは《レイディたち》(2015)

 あわせて展示される「歷史刺繡人 Lı̍k-sú Tsiam-tsí lâng―帝国婦」シリーズ(2019)では、日本の植民地時代に台湾で設立された家政女子学校の記録写真に刺繍を施す。生け花や刺繍、園芸といった教育を通してかたちづくられた女性像を、刺繍という身体的で反復的な行為によってなぞり直し、当時女性に求められた労働や役割を問い返している。

 アンジェリカ・メシティの《The Rites of When(時にまつわる儀式)》(2024)は、季節の移ろいや集団行為を軸に、社会と人間の関係を捉え直す映像作品だ。もともと7チャンネルで構成された本作は、夏と冬という大きな時間の流れを背景に、人々が集まり、身体を通して環境と関わる様子を描き出す。不安定な社会状況や気候変動が進む現在において、儀式や集団行為をたんなる慣習としてではなく、変化に向き合うための行為として再考している。

アンジェリカ・メシティ《The Rites of When(時にまつわる儀式)》(2024)の展示風景

 チョン・ソジョンの《シンコペ》(2023)は、国境や母語に縛られずに移動を続けるアジアの女性たちを追った映像作品である。長距離列車を比喩に、急速に形成されてきた社会構造や、生態学的な移動のスピードを重ね合わせ、過去・現在・未来を横断する時間感覚を描き出す。

チョン・ソジョン《シンコペ》(2023)の展示風景

 タイトルの「シンコペ」は、音楽用語のシンコペーション(拍の位置をずらすことでリズムに変化を与える技法)に由来する。作品では、ARによって生成されたデジタル植物が都市の風景に重ねられ、現実と仮想、時間と空間が交差する関係性が示される。

 FAMEMEによる《ドリアン王が帰ってきた!》(2024)は、移民華僑の家庭に生まれ育った自身の経験をもとに、家族、儀式、アイデンティティをめぐる問いを描いたドキュメンタリーである。監督ユ・チェンタとの共同制作により、風水に代表される中華圏の価値観や、ドリアン家業を継ぐ者としての葛藤が映し出される。

FAMEME《ドリアン王が帰ってきた!》(2024)の展示風景

 パンデミックによる喪失を経て、再び家業と向き合うFAMEMEの姿は、移動と帰還を繰り返す個人の時間を浮かび上がらせる。同時に、家族観やジェンダー、労働といった問題が、個人の物語にとどまらず、より大きな社会構造のなかで捉え直されている。

FAMEME《ドリアン王が帰ってきた!》(2024)の展示風景

 3階展示室では、第2回コミッション・プロジェクト特別賞を受賞した小森はるかの新作と、総合テーマと連動する東京都コレクションが紹介される。

 小森は、災禍の後を生きる人々や、記憶を受け継ぐ人々と出会い、その日常を長期的に記録してきた。今回の新作では、新潟県阿賀野市に暮らす中村美奈子の日々、静岡県川根本町・地名で続いてきた茶畑の営み、そして岩手県陸前高田市の風景など、いずれも大きな出来事の影で静かに失われつつあるものや、かたちを変えながら受け継がれていく時間を映し出している。

第2回コミッション・プロジェクト特別賞を受賞した小森はるかの新作展示

 同フロアでは、東京都写真美術館をはじめとする都立ミュージアムが管理する東京都コレクションも展示される。「現代と歴史」を切り口に、異なる時代や媒体の作品を並置することで、小さな違和感やズレが生まれ、多様な見方が浮かび上がる構成となっている。

東京都コレクションの展示風景

 エキソニモの《Joiner – Collage Camera》(2010)は、iPhone 3GS用アプリとして制作された作品だ。今回の展示ではマイグレーションが行われ、再び動作するかたちで紹介されている。

エキソニモ《Joiner – Collage Camera》(2010)の展示風景

 今年の恵比寿映像祭も、美術館の内部にとどまらず、恵比寿の街へと広がる。恵比寿ガーデンプレイス・センター広場では、エキソニモによる《Kiss, or Dual Monitors 2026》(2026)が発表される。2つの巨大なLEDウォールに映し出された顔は重なり合い、キスをしているかのように見える。かつて宙に吊られていたモニターは地上へと移され、情報が私たちの日常を支える存在となった現在の状況を象徴する。本作には来場者が自身の顔で参加できる仕掛けも用意されている。

オフサイト展示より、エキソニモ《Kiss, or Dual Monitors 2026》(2026)

 恵比寿駅と東京都写真美術館を結ぶスカイウォークには、FAMEMEの「ドリアンが香水になったら?」という発想から生まれたプロジェクト《Duri-grance by FAMEME》(2026)が行われている。スカイウォークにはドリアン香水の広告バナーが掲出され、、美術館1階や外壁と連動したインスタレーションが展開される。強烈な香りに対する先入観や、公共空間で何が受け入れられ、何が排除されるのかという感覚を問い返しながら、都市そのものを展示空間として捉え直している。

 また展示にとどまらず、今年の映像祭では多彩な上映プログラムも展開されている。総合テーマに沿い、劇映画から実験映画まで幅広い作品が集められた、モーガン・クウェインタンスやチョン・ソジョンによる日本初公開作品のほか、CCJによるデジタル修復を経た小杉武久とタージ・マハル旅行団の特集上映など、本邦初公開映像も多数紹介される。

 そのほか、東京都写真美術館1階ホールやスタジオを会場に、パフォーマンス、ワークショップ、アーティスト・トークを含むライブ・イベントも実施。シンポジウムでは、映像・写真・音をめぐる多文化的視点や言語の問題、コミッション・プロジェクトや映像アーカイブについて国内外の登壇者が議論を交わす。

 さらに、恵比寿近隣の文化施設と連携した地域プログラムも展開され、展示やイベントを巡るシールラリーなどを通じて、街全体を舞台としたフェスティバルの広がりを体感できる。多声的な表現が響き合う場として、恵比寿映像祭2026は、映像を起点にした思考と体験の回路を、今年も街にひらいている。