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2025.12.27

「密やかな美 小村雪岱のすべて」(あべのハルカス美術館)開幕レポート。小村雪岱の創作の全貌を人間関係から迫る

大阪・あべのハルカス美術館で、近代日本を代表する美術家・小村雪岱(1887〜1940)を回顧する巡回展「密やかな美 小村雪岱のすべて」が始まった。

文・撮影=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

小村雪岱が装丁を手がけた泉鏡花『日本橋』
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 大阪・あべのハルカス美術館で、近代日本を代表する美術家・小村雪岱(1887〜1940)を回顧する展覧会「密やかな美 小村雪岱のすべて」が始まった。担当学芸員は横山志野。

 本展は、美術家としての活動にとどまらず、装幀、挿絵、舞台美術、映画美術考証など多岐にわたる雪岱の仕事を網羅しつつ、雪岱の画業を「人」とのつながりから再考するものとなる。

 小村雪岱は、泉鏡花をはじめとする文学者や出版関係者、演劇人との協働を通じて独自の美意識を形成した作家として知られる。戦後は長らく忘れられた存在だったが、2009年に埼玉県立近代美術館で「小村雪岱とその時代-粋でモダンで繊細で-」が開催され、注目を集める。21年には、その独特のスタイルを明治から現代にいたる作家の作品とともに探る展覧会「小村雪岱スタイル―江戸の粋から東京モダンへ」が三井記念美術館で開催されたことは記憶に新しい。その端正で抑制の効いた画面構成、静謐さのなかに感情を湛えた表現は、高い評価を受けている。

プロローグの展示風景より、左から《青柳》、《落葉》(ともに1924頃)

 本展は、雪岱の作風がどのような人的ネットワークや時代背景のもとで育まれたのかを、600点もの作品・資料によって検証する充実の内容だ。会場はプロローグ・エピローグのほか8章で構成。日本画の代表作をはじめ、書籍装幀や挿絵原画、舞台関連資料などが余す所なく展示され、あたらめて雪岱の活動領域の広さを視覚的に示している。

 1章では、東京美術学校時代の作品や、画工として地道に絵画制作を続けた時期の仕事を紹介。小村雪岱は明治43年から大正元年頃まで美術雑誌『國華』で模写に従事しており、その地道な仕事が、後の画業へとつながっていった。

左は雪岱作と考えられる、『國華』第23編277号に掲載された「筆者不詳地天像之一部」校合摺(1911頃)

 雪岱を語るうえで欠かせない存在である泉鏡花。大正3(1914)年9月、雪岱が初めて本の装幀を手がけたのが、鏡花の『日本橋』だった。日本橋の河岸と、そこを舞う無数の蝶々という構図は鏡花を満足させ、以降、雪岱は鏡花本の大半を手がけることとなる。2章では、雪岱が装幀した鏡花本の数々が並ぶ。

小村雪岱が装丁を手がけた泉鏡花『日本橋』
雪岱が装丁を手がけた鏡花本

 鏡花本を手がけたことで人気に火がついた雪岱。3章では、武者小路実篤や奥田幹彦、水上瀧太郎ら、鏡花以外の装幀本が紹介。また装幀での活躍をきっかけに資生堂の福原信三に認められ、資生堂意匠部所属となった雪岱がデザインした小冊子『化粧』なども見どころだ。

 関東大震災発生の翌年に新興大和絵の大家・松岡映丘から、東京美術学校の古名画模写事業に誘われ、資生堂を退社した雪岱。震災を契機に重要性を増した模写制作を通し、数多くの古美術の優品を目にする機会を得たという。3章では、その一例も見ることができる。

雪岱が手がけた『化粧』は資生堂入社1年目から2年目にかけての仕事と考えられるという
左から、小村雪岱《雛》(1926頃、清水三年美術館)《模写 北野天神縁起絵巻(承久本)》(1924、埼玉県立近代美術館)

 時代が大正から昭和へと移り変わるなか、雪岱は変わらず装幀の仕事を続けていたが、4章で注目したいのは舞台装置の仕事だ。「安士の春」「桐一葉」「大菩薩峠」「一本刀土入」などの代表作が生まれるのがこの時期。会場には1/50スケールの舞台装置の原画が並ぶ。役者を引き立てるための装置図と現実の空間を行き来する体験は、その後の仕事にもつながっていく。

舞台装置の原画の数々

 続く5章の要となるのは、泉鏡花を囲む「九九九会(きゅうきゅうきゅうかい)」の存在だ。会費の九円九十九銭に由来するこの会には、作家の水上瀧太郎や日本画家・鏑木清方など多様な芸術家が参加。ここでは、そのメンバーの仕事が並ぶ。

九九九会芳名帳

 6章では、新聞や雑誌の挿絵など大衆文芸によって広がりを見せた雪岱の挿絵の世界が広がる。ここで外せないのが作家・邦枝完二の存在だ。「江戸役者」や「おせん」などでタッグを組み、名コンビとなった邦枝と雪岱。雪岱はこの時期、大胆な余白やコントラストが特徴的な「雪岱調」を確立していく。

「おせん」挿絵下図などが並ぶ6章
左上段は邦枝完二『纏女房』の挿絵

 挿絵画家として不動の地位を確立した雪岱。7章では、円熟期の挿絵だけでなく、肉筆も展示される。いうまでもなく、挿絵や装幀は人との協働から生まれるものだ。いっぽう肉筆は自分らしさを全面に押し出せるものだが、雪岱は定型的な表情や姿態によって女性を描いた。いっぽうで、《春告鳥》(1932)などに見られる、微かな情感は雪岱らしさと言えるだろう。また、鑑賞者が想像する楽しみのために設けられた「余白」も、雪岱の肉筆画の特徴だという。

手前が《春告鳥》(1932)

 雪岱を画業へと導いた恩人・泉鏡花は昭和14(1939)年に没する。雪岱はその没後の顕彰に力を注いだが、翌年には後を追うように自身もこの世を去った。ここでは最後の装丁本や、絶筆となった林房雄の長編小説『西郷隆盛』の挿絵原画を展示。晩年でも安定した画力は、誰もが認めるところだろう。

林房雄『西郷隆盛』の挿絵原画

 魅力ある作品を生み出すために、様々な人々との協働を続けながら、自らのスタイルも確立した小村雪岱。その仕事は没後85年を迎えたいまも、変わらぬ魅了を放ち続けている。

 なお本展は千葉市美術館(2026年4月11日〜6月7日)、埼玉県立近代美術館(7月11日〜9月23日)へ巡回する。

 大正から昭和初期にかけての都市文化や美意識を背景に成立した雪岱の仕事は、現代においても再検討に値する。本展は、その全体像を改めて提示することで、近代日本美術史における小村雪岱の位置づけを再考する機会を提供している。