2025.9.3

「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989-2010」(国立新美術館)開幕レポート

国立新美術館で、1989~2010年のあいだに生まれた日本の美術表現を多視点的に俯瞰することを試みる展覧会「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989-2010」がスタート。会期は12月8日まで。

文・撮影=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部)

「イントロダクション」展示風景より、椿昇《エステティック・ポリューション》(1990)
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 東京・六本木の国立新美術館で、1989~2010年のあいだに生まれた日本の美術表現を多視点的に俯瞰することを試みる展覧会「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989-2010」がスタートした。同展は、国立新美術館と、アジア地域におけるパートナー美術館である香港のM+との協働キュレーションにより開催されるものであり、キュラトリアル・ディレクターをドリアン・チョン(M+アーティスティック・ディレクター、チーフ・キュレーター)が、キュレーターをイザベラ・タム(M+ビジュアル・アート部門キュレーター)、尹志慧(国立新美術館主任研究員)が務める。

 1989年の日本では、昭和天皇の崩御によって平成がスタート。また海外では、冷戦体制が終わり、さらにはベルリンの壁が崩壊するなどといった節目の年であり、人やものが行き来するグローバル化の始まりとも言えるような新時代が到来した。同展では、東日本大震災が発生した2011年より前までをひと時代ととらえ、日本国内のアーティストや、同時代の日本に影響を受けた海外アーティストらを取り上げることで、この変化に富んだ時代を見つめ直すことを試みるものとなっている。

 参加アーティストは、会田誠マシュー・バーニー蔡國強クリスト、フランソワ・キュルレ、ダムタイプ、福田美蘭、ドミニク・ゴンザレス=フォルステル、デイヴィッド・ハモンズ、ピエール・ユイグ、石内都、ジョーン・ジョナス、笠原恵実子、川俣正、風間サチコ、小泉明郎イ・ブル、シャロン・ロックハート、宮島達男、森万里子、森村泰昌村上隆長島有里枝中原浩大中村政人奈良美智西山美なコ大竹伸朗大岩オスカール小沢剛フィリップ・パレーノ、ナウィン・ラワンチャイクン、志賀理江子島袋道浩、下道基行、曽根裕、サイモン・スターリング、ヒト・シュタイエル、トーマス・シュトゥルート、束芋高嶺格、フィオナ・タン、照屋勇賢、リクリット・ティラヴァニャ、椿昇、フランツ・ヴェスト、西京人、山城知佳子、やなぎみわ柳幸典ヤノベケンジ米田知子 など。

展示風景より

 会場は全3章構成となる。まず章立てに入る前の「プロローグ」では、戦後を経て経済成長を遂げた日本における、国際的アーティストとの交流の歴史をアーカイヴ写真などを用いて概要を紹介している。ここで見られるのは、ナムジュン・パイクヨーゼフ・ボイスによる実験的な取り組みや、「ドクメンタ」や「ヴェネチア・ビエンナーレ」といったアーティストたちの往来やその制度だ。

「プロローグ」展示風景より

 「イントロダクション」では、日本社会が大きな変化を迎える1989年を転換点として登場した、森村泰昌による《肖像(双子)》(1989)や椿昇の《エステティック・ポリューション》(1990)をはじめとする、従来の画材とは異なる日用品などを用いた作品を紹介。日本の戦後美術を踏襲した新しい表現や批評性を持つ表現として取り上げている。

「イントロダクション」展示風景より、森村泰昌《肖像(双子)》(1989)
「イントロダクション」展示風景より、椿昇《エステティック・ポリューション》(1990)
「イントロダクション」展示風景より、左から大竹伸朗《網膜(ワイヤー・ホライズン、タンジェ)》(1990–93)、中原浩大《レゴ》(1990-91)

 本展では章立てに「レンズ」という言葉を用いて、各テーマごとの作品に切り込んでいる。レンズ1「過去という亡霊」は、戦後生まれのアーティストたちが、戦争や核のトラウマ、植民地支配の記憶といった課題に対してどのように向き合い、作品へと昇華してきたのかを探るものとなっている。

レンズ1「過去という亡霊」展示風景より、奈良美智による作品群。ベトナム戦争で米軍が使用した「枯葉剤」にちなんだような膨れ上がった頭部の子供や、ナイフを手に持った子供などが描かれている
レンズ1「過去という亡霊」展示風景より、ヤノベケンジ「アトムスーツ・プロジェクト」(1997)の作品群

 例えば、ヤノベケンジの「アトムスーツ・プロジェクト」(1997)は、1986年の原発事故によってゴーストタウン化したチェルノブイリ(旧チョルノービリ)に自作の防護服を纏って足を運び、写真撮影を行うといったものだ。映画やゲームで見られるようなSFチックな終末世界が、「リアル」であることを示している。これは、1995年に起こった阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件にも通ずる経験と言えるだろう。

レンズ1「過去という亡霊」展示風景より、手前は照屋勇賢《結い、You-I》(2002)、奥は下道基行「torii」シリーズ(2006-12)
レンズ1「過去という亡霊」展示風景より、会田誠《美しい旗(戦争画RETURNS)》(1995)

 自分を見直そうとしたとき、必要となるのは他者の存在だ。レンズ2「自己と他者と」では、そのようなまなざしの交換のなかで、「ジェンダー」や「ナショナリティ」について問いかけるような実践を行ってきたアーティストらによる取り組みを紹介している。

レンズ2「自己と他者と」展示風景より、西山美なコ《ザ・ピんくはうす》(1991/2006)
レンズ2「自己と他者と」展示風景より、イ・ブル《受難への遺憾―私はピクニックしている子犬だと思う?》(1990)に登場する着ぐるみ

 長島有里枝や笠原美智子、イ・ブルなどといった女性アーティストらによる作品からは、実践を通じた既存社会に対する戦いの軌跡が読み取れるほか、フランス人アーティストのピエール・ユイグとフィリップ・パレーノが日本の専門会社で購入した、オープンソースの女性キャラクター「アンリー」を用いたプロジェクト「No Ghost Just a Shell」では、これを用いた18人のアーティストによる様々作品が展開され、物理的な壁を超えた対話の在り方が提示された。

レンズ2「自己と他者と」展示風景より、ドミニク・ゴンザレス=フォルステル《安全地帯のアンリー》(2000)
レンズ2「自己と他者と」展示風景より

 また、アーティスト・イン・レジデンスなどで日本に滞在した海外アーティストらによる作品も展示。「能」や「捕鯨」といった日本の文化にどのような影響を受け、自らの制作に反映していったかについても注目してほしい。

レンズ2「自己と他者と」展示風景より、ジョーン・ジョナス《2匹の月のうさぎ》(2010)
レンズ2「自己と他者と」展示風景より、マシュー・バーニー《拘束のドローイング 9:ミラー・ポジション》(2005)

 グローバル化が進むなかで、アーティストたちはいかに他者と対話を行い、強制していくことができるのかという課題に取り組んできた。レンズ3「コミュニティの持つ未来」では、アートマーケットとは一線を引いた、市井の人たちとの関わりあいから生まれたアートプロジェクトを取り上げている。

3章「コミュニティの持つ未来」展示風景より、小沢剛《なすび新聞》
3章「コミュニティの持つ未来」展示風景より、小沢剛「ベジタブル・ウェポン」シリーズ
3章「コミュニティの持つ未来」展示風景より

 小沢剛、陳劭雄(チェン・シャオション)、ギムホンソックの3人によるアーティスト・コレクティヴ、西京人による《第3章 ようこそ西京に──》(2008)は、架空の東アジア都市「西京」を様々な創作を通じて探究。2008年当時に開催されていた北京オリンピックに応答するかたちで、独自のオリンピックが企画された。身近な日用品などでつくられるユニークな競技やそのアイテムは、国家の権威に成り下がった「世界平和の祭典」を風刺しているようでもある。クスリと笑える要素のなかに絶妙なスパイスが隠されている点が魅力的であると感じられた。

3章「コミュニティの持つ未来」展示風景より、西京人《第3章 ようこそ西京に──》(2008)
3章「コミュニティの持つ未来」展示風景より、西京人《第3章 ようこそ西京に──》(2008)
3章「コミュニティの持つ未来」展示風景より、西京人《第3章 ようこそ西京に──》(2008)

 日本における著名な現代アーティストたちの個人の活動やその功績について語られる場面は多いものの、彼ら/彼女らを取り巻いていた社会状況を様々な文脈から俯瞰することができる機会はそう多くない。本展の3つのレンズからこの時代を覗き見ることで、この大きな転換点とも言える時代における「日本の現代美術の多面性」にあらためて気づくことができるだろう。