2025.7.19

「野口哲哉 鎧を着て見る夢 –ARMOURED DREAMER–」(箱根彫刻の森美術館)開幕レポート。鎧のなかにある身体が問いかける人間の在り処

神奈川・箱根の彫刻の森美術館で「野口哲哉 鎧を着て見る夢 –ARMOURED DREAMER–」が開幕した。会期は2026年1月12日まで。会場の様子をレポートする。

文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)

展示風景より
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 神奈川・箱根の彫刻の森美術館で、現代の新しい創作表現を紹介するシリーズの第9回として「野口哲哉 鎧を着て見る夢 –ARMOURED DREAMER–」が開幕した。会期は2026年1月12日まで。会場の様子をレポートする。

展示風景より、《BIAS》(2019)

 野⼝哲哉は1980年香川県生まれ。武具や甲冑、それらを纏った人間をモチーフに絵画や彫刻作品を制作している。野口は、自身の作品のアイコンである鎧を「武将を飾った装束」ではなく「人間が肉体を守るために作った過去のプロダクト品」ととらえている。「殻をまとった人間は決して別次元や芝居事の住人ではなく、時代や環境に対応しただけの姿」と考える野口は、過去や現代、未来を生きる人間の姿を肯定的に捉え、作品制作を続けてきた。

野口哲哉

  本展は、野口の3年ぶりの大型個展となる。新作から初期からの代表作まで76点が公開される。会場は「彫刻の森美術館 本館ギャラリー」となっており、1969年の開館当初の姿をとどめるこの空間の特性を生かした展示となっている。

展示風景より

 1階展示室は屋外の庭園とそのままつながっているような大型のガラスが特徴の空間だ。会場の入口付近には野口の新作《floating man》(2025)が展示されており、鎧をまとった人物が優雅に泳ぐ姿が表現されている。ガラスの向こうに見える山の稜線や緑の芝を借景に、まるで広大な美術館の敷地を鎧が自由に泳ぎまわるような印象を与える本作は、展示空間に実際の大きさ以上の拡がりを与えている。

展示風景より、《floating man》(2025)

 外光が入ってくるこの展示室では、《ENARGY KNOT》(2025)や《Energy Notch》(2023)といった平面作品の、兜や鎧に使われている蛍光色が鮮やかに発色することも見逃せない。実用的な武具でありながら、同時に過剰なまでの装飾を与えられた鎧という存在に宿る、美意識の在処を問いかけてくるようだ。

展示風景より、《Energy Notch》(2023)

 パネルを組み合わせて設置された、会場内の小部屋も興味を引く試みだ。内部には外の窓ガラスに向かって長方形に窓があけられており、まるで雪見障子から庭を眺めるかのような体験ができる。窓の手前では野口の小作品たちが思い思いの時間を過ごしており、鑑賞しつつ作品とともに思索にふけるのも良いだろう。

展示風景より

 また、この展示室では野口の制作風景を記録したドキュメンタリー映像も見ることができる。レジン製の鎧に繊細な文様を施している作業の様子を、精細な映像で鑑賞することが可能だ。

 中2階に上がった展示室では、森をイメージしたという高さが異なる複数の柱状の什器に野口の小作品が乗せられており、またガラスの向こうには井上武吉の屋外作品《my sky hole 94-6 森のラビラント》(1994)を望むことができる。

展示風景より

 什器の上の作品の中でも、うつむいて悲嘆にくれる鎧の人物像《STRIPE》(2018)にとくに注目したい。これは、野口が読んだという戦国時代の武士の手記にあった「討ち取られ首を失った死骸の鎧の意匠をみて、それが友人だとわかり、そばで悲嘆にくれた」といったエピソードをもとに制作した作品だ。装飾的な鎧の意匠が人間を識別するためにも機能していたという驚きから制作されたという本作は、野口の鎧と人間のアイデンティティについての思索がうかがえる。

展示風景より、中央が《STRIPE》(2018)

 2階の展示室では、台状の什器のうえに大小様々な作品が並ぶ。一見すると鎧の精密さに目を奪われるが、それ以上に作品における「たたずまい」を重視しているという野口。大きさもポーズも異なる作品群はそれぞれの仕草や小物も個性的だが、同時に手足の重心の置き方や、骨格の違いなど、鎧の中にある生身の身体も強く意識させる。

展示風景より

 過去の画家たちの表現を作品に取り入れることも、野口の特徴のひとつといえる。夜の駅で降りた人々たちの顔を照らすスマートフォンの灯りからインスピレーションを得たという作品《-21 century light series-》(2024)は、17世紀オランダの絵画を代表するレンブラント・ファン・レインの作品を思わせる陰影が目を引く。光という絵画史において通底するテーマを、スマートフォンという現代の光を通して表現することで、歴史への想像力を喚起する。

展示風景より、《-21 century light series-》(2024)

 野口は油彩を学んだ画家だが、作品制作にはおもにアクリル絵具を用いており、画材ではなく技法をチューニングすることで、様々な画材を想起させるマチエールをつくり出している。本展示室ではギリシア陶器、金箔地の屏風絵、さらにはストリート・アートや手描きアニメーションのセル画風の作品などが展示されており、人間が絵を描いてきた歴史をなぞるかのようなバリエーション豊かな平面作品群を見ることができる。

展示風景より、《武人浮遊図屏風》(2008)
展示風景より、《Mask the big》(2021)

 鎧という題材は変えることなく、しかし着実に手数を増やし作品のバリエーションを増やしている野口の現在地を見ることができる展覧会だ。鎧の内部にある身体とは何か、絵画のなかにあるモチーフとは何か。誰もが目を止めるポップさを持った作品の裏側で多面的な問いを投げかける、野口らしい個展といえるだろう。