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2025.6.10

「はじめての古美術鑑賞 ―写経と墨蹟―」(根津美術館)レポート。国宝・重文の名品で学ぶ日本の書の楽しみ方

初心者に向けて古美術へのアプローチを手ほどきしてくれる根津美術館のシリーズ企画「はじめての古美術鑑賞」が始まった。今年は「写経と墨蹟」。渋いテーマながら、展示品の全件が国宝と重要文化財という贅沢なラインナップで、楽しみ方のポイントを示してくれる。※写真は美術館の許可を得て撮影しています

文・撮影=坂本裕子

「墨蹟」展示風景より、因陀羅・画、楚石梵琦・賛 《布袋蒋摩訶図》(国宝、元時代・14世紀、根津美術館蔵)
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 根津美術館では、若い世代の仏像や刀剣などへの関心の高まりを背景に、2016年から古美術鑑賞の入門編となる企画「はじめての古美術鑑賞」をシリーズ展開してきた。難しくてハードルが高いと思われがちな古美術の専門用語を作品とともにわかりやすく解説し、その楽しみ方や魅力を伝える企画は、同館の名品・優品に支えられ、このうえなく充実した鑑賞入門の体験を提供している。6回目となる本展では「写経」と「墨蹟」がテーマ。一見、地味でさらに難しそうに感じるかもしれないが、紹介される作品はすべてが国宝または重要文化財という豪華な空間だ。この機に「はじめの一歩」はいかがだろうか。

展示風景より

写経:込められた祈りの想いと美意識

 仏教が伝来した6世紀以来、経文を写す作業は今日まで連綿と続けられている。写経の記録や現存が確認できる最古の遺品は7世紀もので、8世紀には官営の写経所で、それを専門とした写経生たちにより一切経(すべての仏典)が書き写されたそうだ。仏教国として体制を整えていくなか、写経生たちは選抜されたエリートといえる。仏教の悟りへと達するべく深い帰依と敬意とともに、国家の威信を背負い、一字一字に想いを込めて書き写したことだろう。それを表すかのように、奈良時代には謹厳で端正な書体の精緻な写経が多く残されている。

「写経」展示風景より

 まずは長屋王が文武天皇の追善のために発願した、書写年次が明らかな日本最古の『大般若経』をはじまりに奈良時代の写経を確認する。1行17文字が基本の写経は、手書きの風合いを保ちながら活字のように整然としていて、だからこそ強い気持ちが伝わってくる。

「写経」展示風景より、《大般若経 巻第二十三(和銅経)》(重要文化財、奈良時代・和銅5年[712]、根津美術館蔵)。「和銅経」といわれる由来の末尾の年紀も確認しよう

 《華厳経》は、奈良時代の現存唯一の紺紙銀字経。銀字はいまも輝きを失っていないものの焼け跡も痛々しい本品は「二月堂焼経」とも呼ばれる。60巻にもおよぶ『華厳経』の書写は、火災に遭いながらも巻首から巻末まで本紙が遺る貴重な巻子のうちの一作。

「写経」展示風景より、《華厳経 巻第四十六(二月堂焼経)》(重要文化財、部分、奈良時代・8世紀、根津美術館蔵)。いまも残る銀字の輝きにうっとり

 国宝の《根本百一偈磨 巻第六》は、教団の運営や宗教行事に関する作法を集めた全10巻のうちの1巻。巻第六が白鶴美術館に、残り8巻は正倉院聖語蔵(しょうごぞう)にあるそうだ。表紙や巻物の軸も当時のままという貴重な一作。

展示風景より、《根本百一偈磨 巻第六》(国宝、部分、奈良時代・8世紀、根津美術館蔵)

 平安時代には貴族社会の台頭と浄土信仰の隆盛を受けて、宮廷や貴族が故人の追善供養や極楽往生を求めて写経がつくられた。それらは彼らの美意識を反映し、金銀などの華麗な装飾が施された料紙に和様の柔らかい書風で、優雅なものとなっている。

 細かい金が蒔かれた色の異なる染紙を交互に継いだ料紙に、雅びな書風で書かれるのは『無量義経』と『観普賢経』の2巻で、平安後期の写経の名品。

「写経」展示風景より、《無量義経・観音賢経》(国宝、部分、平安時代・11世紀、根津美術館蔵)

 それぞれに込められる想いと各時代の美意識の反映を比べてみたい。

墨蹟:書体に見る個性と活用の変遷

 鎌倉時代には武家の台頭と相まって禅宗が隆盛し、禅僧も海を越えた交流が盛んになる。修行僧たちは高僧のもとへ参禅し、参禅修行の証や悟りに達したことを認める印可状として書を揮毫してもらい、大切に伝えてきた。寺院では高僧の説法を記したものや手紙まで墨蹟として尊重されるようになる。師からの証明書にとどまらず、修行を励ます言葉や訃報に接した惜別の情なども含まれる墨蹟は、それぞれの高僧たちの自由で大胆な筆跡にも、その人柄が偲ばれるだろう。

「墨蹟」展示風景より
「墨蹟」展示風景より、《龍巌徳真墨蹟 偈頌》(重要文化財、元時代・至順2年[1331]、根津美術館蔵)。「偈」とは悟りの境地を詠んだ詩を指す。中国の僧・龍巌の遺墨は本作を含めて2件のみという貴重な1点

 中国の僧・月江正印の墨蹟は、77歳と82歳のときのものが比較できる。重ねた年月が書にどんな変化をもたらしているのかを追えるのは興味深い。

「墨蹟」展示風景より、右から 《月江上印墨蹟 送別偈》(元時代・至正3年[1343])、《月江上印墨蹟 道号偈》(元時代・至正8年[1348])(ともに重要文化財、根津美術館蔵)。同じ僧の筆の変化を見比べよう

 やがて禅僧たちから普及した茶の湯ではその理念を尊び、こうした墨蹟が床の間を飾る第一の掛物として位置づけられていく。

 無学祖元の遺墨のなかでも優品とされるものは、かつて偈の前半と識語の1行目で切断されていた跡があり、床の間に合わせたことをうかがわせる。

「墨蹟」展示風景より、《無学祖元墨蹟 附衣偈断簡》(重要文化財、鎌倉時代・弘安3年[1280]、根津美術館蔵) 

 釈迦の前世である蒋摩訶(しょうまか)が、布袋は弥勒菩薩の化身であると確信した様子を描いた画には、日本でも高僧とされた楚石梵琦の賛が揮毫されている。こうした高僧による画賛も墨蹟同様に珍重された。

「墨蹟」展示風景より、因陀羅・画、楚石梵琦・賛 《布袋蒋摩訶図》(国宝、元時代・14世紀、根津美術館蔵)

 画とともに書を重んじ、味わってきた日本美術のあり方をいま一度振り返りたい。

 また、2階の展示室5では「特別仕様の美術品収納箱」と題し、美術品の収納のための収納箱が紹介される。きらびやかな漆芸を凝らしたこだわりの装飾が所有愛を感じさせる美しい収納箱は普段あまり展示されることがなく、まとめて見られる貴重な機会だ。「写経」コーナーで見られる《絵過去現在因果経》を収める箱も展示されているので併せて確認しよう。

展示室5「特別仕様の美術品収納箱」展示風景より、《絵過去現在因果経 収納箱》(江戸時代・17世紀、根津美術館蔵)
「写経」展示風景より、慶忍、聖衆丸・画、良盛・筆 《絵過去現在因果経 第四巻》(重要文化財、鎌倉時代・建長6年[1254]、根津美術館蔵)

学びのあとに:楽しく素朴な「大津絵」でほっこり

 本展と同時開催されるのが「大津絵 つくられ方・たのしみ方」。

 京都と大津を結ぶ街道の土産物として親しまれた大津絵は、おそらくはある手本をもとに、大津の庶民が見よう見まねで描き継いだ民衆絵画だ。江戸初期には仏画が主だったが、やがて美人や若衆、さらには鬼や神仏をユーモラスに描くようになる。稚拙な風合いと風刺のきいた画題がなんとも言えない魅力を持つ。鉄道が敷設された明治時代に終焉を迎えるも、柳宗悦らがとなえた民藝運動などにより再評価され、当時の文化人に盛んに収集された。

 同館の所蔵する大津絵がまとめて披露される初の展示は、大津絵を売る店先が描かれた屛風を端緒に、江戸から明治、大正、昭和とその享受のされ方の変遷を追う。

「大津絵―つくられ方、たのしみ方」展示風景より
「大津絵―つくられ方、たのしみ方」展示風景より、《伊勢参宮道中図屛風》(部分、江戸時代・17~18世紀、根津美術館蔵)。大津絵を売っている店の様子が描かれている

 主要な画題が集められた貼交屛風は、大津絵のなかでもよく描けている優品揃いといえる。

 落とした太鼓を必死で釣り上げようとする雷神、どこかへろっとした藤娘や矢の根五郎などの歌舞伎絵、「鬼の耳に念仏」を逆手に取った殊勝な鬼の姿など、思わず吹き出してしまう脱力感だ。しかし、きちんと表装され、初代・根津嘉一郎が茶会の寄付で作品を用いたエピソードなどは、高僧の墨蹟の扱いとも呼応するかもしれない。

「大津絵―つくられ方、たのしみ方」展示風景より、《大津絵貼交屛風》(江戸時代・18世紀、根津美術館蔵)
「大津絵―つくられ方、たのしみ方」展示風景より、《鬼の念仏》(江戸時代・18世紀、根津美術館蔵)

 ちなみに、先に開催された「国宝・燕子花図と藤花図、夏秋渓流図」と本展、そして次に予定されている「唐絵」展の3つの展覧会を見ると、根津美術館が所蔵する7点の国宝のうち6点を制覇できるとのこと。さて、残り1点はなにか? これは次回「唐絵」展を見てからのお楽しみに。