• HOME
  • MAGAZINE
  • NEWS
  • REPORT
  • 「横尾忠則 連画の河」(世田谷美術館)開幕レポート。「絵を…
2025.4.26

「横尾忠則 連画の河」(世田谷美術館)開幕レポート。「絵を描くことにはとっくの昔に飽きている」

東京・世田谷の世田谷美術館で、横尾忠則による新作個展「横尾忠則 連画の河」が開幕した。会期は6月22日まで。

展示風景より
前へ
次へ

 様々な手法と様式を用いて、多岐にわたるテーマの絵画を生み出し続けるアーティスト・横尾忠則。その個展「横尾忠則 連画の河」が世田谷美術館でスタートした。会期は6月22日まで。担当学芸員は塚田美紀(世田谷美術館 学芸員)。

 横尾は1936年兵庫県生まれ。72年にニューヨーク近代美術館で個展開催。その後もパリ、ヴェネツィア、サンパウロの世界3大ビエンナーレに招待出品。アムステルダムのステデリック美術館、パリのカルティエ財団現代美術館、東京都現代美術館、東京国立博物館など、世界各国の美術館で多数の個展が開催される。直近の2023年には東京国立博物館での大規模な新作個展「横尾忠則 寒山百得」(2023年9月12日~12月3日)が、そして現在はグッチ銀座 ギャラリーにて「横尾忠則 未完の自画像 - 私への旅」が開催されているなど、88歳となったいまもなお精力的に活動を続けている。

 本展でメインとなるのは、2023年4月からつい先日の25年2月までに描かれた新作64点と、横尾忠則現代美術館が所蔵する《記憶の鎮魂歌》(1994)の計65点だ。新作のお披露目の場としても注目される本展について、担当学芸員の塚田は次のように開催経緯を語った。

 「東博での『寒山百得』展以降、まだやっていないことに挑戦したいという横尾先生のご意志のもと企画はスタートした。その挑戦とは、“自由人であること”に囚われてしまった『寒山百得』からの脱却であり、テーマにとらわれずに描くということ。この試みに、世田谷美術館はついていかせていただく気持ちで2年間並走した」。

 テーマを設けずに描くとはどういうことか。その発端となったのは、1970年に横尾が故郷の西脇で同級生たちとともに収まる篠山紀信が撮影した1枚の記念写真だという。この写真は、その22年後に出版された写真集『横尾忠則 記憶の遠近術』(講談社、1992)に収録されており、この写真にインスピレーションを得て、横尾は1994年に《記憶の鎮魂歌》を制作。本展はこの作品からスタートしている。

展示風景より、《記憶の鎮魂歌》(1994) 横尾忠則現代美術館蔵
展示風景より、篠山紀信写真『横尾忠則 記憶の遠近術』(1992)

 《記憶の鎮魂歌》に続く150号の新作64点には、先ほどのイメージを端緒として、まったく異なるグループの記念写真の絵画が並ぶ。いままでの横尾絵画と比較しても、軽やかな筆致で描かれているのも特徴的だ。

 絵のなかに描かれた人々は次第に形を変え、イカダに乗り、川を下るようなイメージへとゆるやかに変化していく。この連画にシナリオはなく、いままでのイメージと横尾がその日に触れた情報が絵に反映されることで生み出されているようだ。会場構成も、この流れを損なわないようあえて章立てを設けていないという。

展示風景より
展示風景より、手前は《連画の河を渡る1》(2023)

 川下りのイメージを通り過ぎると、突如絵のなかに「メキシカン」なイメージが表れる絵画や、ポール・ゴーギャンによる《タヒチの女》を想起させるようなものも見受けられる。そのいっぽうで、横尾によって《コンヒューズの絵画》と題され、やや迷走していたことがわかるような絵も混ざっているのも、一貫したテーマを設けず、生活と地続きに描かれた絵画ならではと言えるのかもしれない。

展示風景より
展示風景より、手前は《連画の河、タヒチに》(2024)

 その後も、画面の半分に突如「壺」のイメージが大々的に描かれるような絵画も現れる。この一瞬を切り取ってしまえば、なぜこのテーマなのかを理解するのは難しいかもしれないが、「展覧会」という時間の流れを体感できる場所・機会だからこそ、横尾がたどった連想の軌跡を鑑賞者も追いかけながら楽しむことができるだろう。

展示風景より、手前は《大壺登場》(2024)
展示風景より
展示風景より、《ボッスの壺》(2024)。壺から伸びる日本の足は横尾の「Y」や「Y字路」を想起させる

 記者発表会には横尾本人も登場した。およそ2年間にもわたる制作期間を経たうえで、自身の近況について次のように語った。

 「腱鞘炎がひどいので、自分の絵はどんどん下手になるばかりだが、下手になると『下手でもいいんだ』と思って自由に描くことができる。最近は絵を描くことと病気になることが一体化してきており、毎日ヨタヨタしながら描いている。今後どれだけ描くのか、もしくは描かないのかは分からないが、ひとつ言えるのは、絵を描くことにはとっくの昔に飽きているということだ」。

記者発表会の様子。左から横尾忠則、塚田美紀

 ちなみに、つい先日出版された横尾による日記『昨日、今日、明日、明後日、明々後日、弥の明後日』(実業之日本社、2025)とあわせて見ることで、この2年間横尾がどのような心持ちで過ごし、制作を行ってきたかがわかるという。テーマを持たずに描き始め、行き詰まり、やがて緩やかに流れていく。その川を流れる水のような一連の流れが、本展やこの書籍では見ることができる。

展示風景より、左から「横尾忠則のアトリエ 2025年」、《Self-Portrait》(2025)