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2024.10.1

「ハニワと土偶の近代」(東京国立近代美術館)開幕レポート。ハニワ・土偶のイメージとしての側面を探る

東京国立近代美術館で「ハニワと土偶の近代」展がスタートした。会期は12月22日まで。

文・撮影=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より、都路華香《埴輪》(1916頃)京都国立近代美術館
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 東京国立近代美術館で、「ハニワと土偶の近代」展がスタートした。会期は12月22日まで。担当は同館主任研究員の花井久穂(ハニワ担当)と成相肇(土偶担当)。

 本展では、ハニワや土偶の実物がずらりと並ぶわけではない。ハニワや土偶が各時代においてどのようにとらえられ、どんな作品のモチーフとなってきたのか。はたまた、ハニワや土偶のブームがいかにして起こったか、といったその裏側を掘り起こし読み解くものとなっている。

 導入では、東京国立近代美術館の地下には先史・古代の異物が眠っていることについて、地下収蔵庫新設に伴う発掘調査(1979〜80)での出土品とともに紹介。また、開館当初開催された展覧会「現代の眼:日本美術史から」展(1954)の資料も展示されており、様々なテーマについて現在の目でとらえるといった同館の変わらぬ企画方針についても触れられている。

展示風景より、「東京国立近代美術館遺跡出土品」(縄文・弥生時代)国立歴史民俗博物館
展示風景より、原弘「現代の眼:日本美術史から」(1954)国立工芸館

 さて、会場は全4章で構成されている。序章「好古と考古─愛好か、学問か?」では、古代のものが近代においてどのようにとらえられてきたかということにフォーカスする。

 洋画家・五姓田義松によって克明に描かれた埴輪のスケッチ、そして蓑虫山人(みのむしさんじん)による掛け軸には蒐集家による中国趣味の調度品に混じって土器や土偶が描かれており、まさに「好古」と「考古」のはざまを描いていると言える。

展示風景より、五姓田義松「埴輪スケッチ『丹青雑集』より」(1878)個人蔵(團伊能旧蔵コレクション)
展示風景より、蓑虫山人《陸奥全国古陶之図》(1882-87)弘前大学 北日本考古学研究センター

 1章「『日本』を掘りおこすー神話と戦争と」では、近代国家「日本」において、ハニワが「万世一系」を表す神話的な存在として語られてきたことを示す作品や資料が紹介されている。

 例えば、京都住まいであった画家・都路華香(つじ・かっこう)は、1916年の大正期に埴輪をつくる人々を描いた。これは、明治天皇の伏見桃山陵が造営され始めた際に、同時にハニワづくりが復活。その様子が描かれたものだ。都路にとって、この時事的な出来事は古代と現在が交差する興味深い主題だったのではないだろうか。

展示風景より、都路華香《埴輪》(1916頃)京都国立近代美術館

 神武天皇即位から1600年となる1940年には奉祝ムードが高まり、子供から大人まで幅広い製品にハニワのイメージが用いられるようになった。そのような流れを当時のモダニズムの画家たちも受け取っており、作品に大きな影響が表れている。戦中は抽象絵画への厳しい検閲があったことからも、ハニワのイメージは画家たちの隠れ蓑ともなったようだ。

展示風景より、「萬葉百首 繪歌留多」(1927)
展示風景より、左から難波田龍起《埴輪について》(1943)、矢橋六郎《発掘》(1937)
展示風景より、手前は蕗谷虹児《天兵神助》(1943)

 上野の帝国博物館(現在の東京国立博物館・京都国立博物館・奈良国立博物館)のハニワの部屋を描いた桑原喜八郎による作品。モダンな装いの女性たちと、詩人で彫刻家の高村光太郎が「大陸や南方で戦う兵士の表情」に似ていると称賛した武人ハニワが対照的に描かれているのが印象的だ。

展示風景より、桑原喜八郎《埴輪の部屋》(1942)戦没画学生慰霊美術館 無言館

 戦後の1950年代には、日本の「土」が掘り起こされた。焼け野原を復興するために再開発・発掘調査が行われ、各地で出土品が発見。GHQによる皇国史観からの脱却が促される最中であったこともあり、その出土品の数々から新たな日本の伝統やイメージが形成されていった。2章「『伝統』を掘りおこす─『縄文』か『弥生』か」では、考古学的視点から新たな日本の姿が探求されていったことが伺える資料が展示されているとともに、高度経済成長を経て都市開発が進んだ時代における「土の芸術」の在り方に焦点を当てている。

展示風景より、野島青茲《博物館》(1949)静岡県立美術館
展示風景より
展示風景より

 抽象画家・長谷川三郎の作品からは、ハニワとキュビスムの結びつきもみて取れる。また、アンリ・マティスを師と仰ぎ、イサム・ノグチとも親交があった猪熊弦一郎は、1951年に国立博物館で開催された「日本古代文化展」でハニワの造形美に感銘を受け、その影響とも取れるような作品を残している。

展示風景より、左から長谷川三郎《土偶》(1948)、《無題─石器時代土偶による》(1948)
展示風景より、猪熊弦一郎《猫と住む人》(1952)丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

 大展示室中央には、イサム・ノグチや岡本太郎らによるテラコッタや陶の作品群が並んでいる。古代遺物にも見受けられる「土からつくる」といった原初的な造形方法にアーティストたちが立ち返ろうとする様子とも受け取ることができるだろう。

展示風景より
展示風景より、手前は岡本太郎《犬の植木鉢》(1954)滋賀県立陶芸の森陶芸館

 鮮やかな色彩で壁面を覆うのは画家・芥川(間所)紗織による《古事記より》だ。13.5メートルにもおよぶこのろうけつ染めの大作は、1950年代に日本国内で盛んに紹介されていたというメキシコ美術の影響を受けており、古代と現代が融合するイメージで当時描かれたという。そのおおらかな表現は通常の歴史画にはみられないものだ。

展示風景より、芥川(間所)紗織《古事記より》(1957)世田谷美術館

 戦後はコンクリートやアスファルトによる都市開発が進み、「土」はもはや過去のものとなっていった。そんな土から出土してくる「ハニワ」や「土偶」は過去を懐かしむ気持ちからも、愛される対象となったのではないだろうか。

展示風景より、亀倉雄策による「1964年東京オリンピック1号ポスター(シンボル・マーク)」と猪熊弦一郎《驚く可き風景(B)》(1969)のイメージがリンクしていることが伺える

 3章「ほりだしにもどる─となりの遺物」では、1970〜80年代にかけてSFやオカルトといった大衆文化と結びついたハニワや土偶の姿が紹介されている。そういった作品やキャラクターとしては見られるものの、いつから我々はハニワや土偶が日本人のルーツであると思い込んでいたのかと問われるとあまり深く考えたことがなかったことにも気がつかされる。1章や2章を通じてその歴史を知ることとなったのに加え、ここではそういった認識をあらためて掘り返すような現代作家らの作品も紹介されている。

展示風景より、武者小路実篤《卓上の静物》(1962)たましん美術館
展示風景より、タイガー立石《富士のDNA》(1992)

 なお、東京国立博物館では特別展「はにわ」が10月16日〜12月8日の会期で開催される。こちらには実物の「はにわ」が展示されるため、「はにわ」と「ハニワ」、ふたつの側面をあわせて鑑賞することをおすすめしたい。

展示風景より