2025.10.30

アート・ジャカルタ2025レポート。東南アジア最大市場の現在地

世界最大の群島国家であり、東南アジア最大の経済規模を誇るインドネシア。同国はいま、新興アートマーケットとして国際的な注目を集めている。10月3日〜5日に首都ジャカルタで開催された第15回「アート・ジャカルタ」の実像をレポートする。

文=編集部

アート・ジャカルタ2025の会場風景 Photography courtesy of Art Jakarta
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 世界最大の群島国家であり、人口は世界第4位。東南アジア最大の経済規模を誇るインドネシアは、いま新興アートマーケットとしても注目を集めている。

 人口の平均年齢は約30歳と若く(日本は約49歳)、300以上の民族が共生する多文化社会。このダイナミズムと多様性は、文化・芸術分野にも色濃く反映されている。UBSとアート・バーゼルが2024年に発表した「The Art Basel and UBS Survey of Global Collecting」によると、2023年にインドネシアの富裕層が美術品・装飾芸術・アンティークに支出した中央値は2万9000米ドルであり、日本の2万米ドルを大きく上回っている。この数字は、同国のアートマーケットの拡大とコレクター層の成長を象徴していると言えるだろう。

 インドネシアの著名なコレクターとして知られるのが、2022年に逝去した華僑の実業家ブディ・テックである。彼は2014年に上海で「Yuz Museum」を設立し、インドネシア発のコレクターとして国際的な影響力を持った人物だった。また、実業家のハリアント・アディコエソエモは、2017年にインドネシア初の現代美術館「MACAN(Museum of Modern and Contemporary Art in Nusantara)」をジャカルタに開館。アンディ・ウォーホルキース・ヘリング、バーバラ・クルーガー、草間彌生奈良美智といった国内外のアーティストの作品を収蔵し、広く注目を集めている。

 こうしたアートマーケットの成長を背景に、今年10月3日〜5日、東南アジアでもっとも歴史あるアートフェアのひとつ、第15回「Art Jakarta(アート・ジャカルタ)」がジャカルタ北部のJIExpo Kemayoranで開催された。会場には、インドネシア国内外から75のギャラリーが集結。ジャカルタを拠点とするGajah GalleryやROHといったパワーハウスに加え、ベルリンのEsther Schipper、東京のKaikai Kiki Galleryが初出展を果たすなど、国際色豊かなラインナップとなった。

アート・ジャカルタ2025の会場風景 Photography courtesy of Art Jakarta

 ジャカルタのギャラリーシーンのなかでも注目を集めたのが、今年4月に設立されたAra Contemporaryだ。同ギャラリーはフェアで、東南アジア出身の20名以上のアーティストによる作品を展示。ディレクターのメーガン・アーリンは、インドネシアのコレクターについて「とても情熱的」と語る。「この国の収集シーンをひとことで表すなら、『誰にでも何かがある』ということ。多様で活気に満ちています」。

 台湾・台北を拠点とするYIRI ARTSも、今年6月に初の海外拠点としてジャカルタにギャラリーを開設した。オーナーの黄禹銘(オートン・ホァン)は当初、中国・上海への進出を検討していたが、経済環境の悪化を背景にジャカルタへの展開を決断したという。「インドネシアでギャラリーを運営するコストは、上海の約5分の1。でも作品の販売価格は同じです。経営的なプレッシャーが少なく、より理想的な活動ができる」と黄は話す。

YIRI ARTSのブースより Photography courtesy of Art Jakarta

 アート・ジャカルタへの参加は今年で4回目となるYIRI ARTS。黄によれば、販売状況は年々好調で、インドネシアのコレクター層の拡大スピードは非常に速いという。「コレクションを始めて1年ほどの層が多く、その段階のコレクターは新しい表現に対して非常にオープンです。さらに、ここでは“学ぶ姿勢”を持つコレクターが多く、自分のコレクションの文脈を構築し、それを他者と共有することにも積極的です」。

 同フェアは、国内市場の発展にとどまらず、国際的な連携にも積極的に取り組んでいる。今年のフェアでは、韓国文化体育観光部との協働によって「Korea Focus」セクションが実現。12の韓国ギャラリーによる厳選された作品が紹介され、来場者の注目を集めた。

「Korea Focus」セクション Photography courtesy of Art Jakarta

 また、日本からも大きな動きがあった。株式会社The Chain Museumが運営するアートコミュニケーションプラットフォーム「ArtSticker」は、今年のアート・ジャカルタのメインパートナーを務めた。9月末からArtSticker上でフェア参加ギャラリーの一部作品を販売するほか、会期中のVIPプログラムをサポート。さらに、日本から10人以上のコレクターをジャカルタへ送り込み、フェアの国際化を後押しした。

 ArtSticker以外にも、毎年秋に京都で開催される「Art Collaboration Kyoto(ACK)」が昨年からアート・ジャカルタと提携。双方のフェア会期中に、それぞれ約10名のコレクターを相互に派遣する取り組みを進めている(航空券はコレクター負担、宿泊はフェア側が提供)。今年はこの仕組みをさらに拡大し、ArtSticker、ACK、Art Fair Philippines、Art Taipei、Art 021、Larry’s Listなど、計8つの機関・フェア・個人とのコレクター交流プログラムを実施。合計80〜100名規模のコレクターがジャカルタを訪れたという。

 インドネシアのアートシーンの特徴として、国の文化政策や公的な支援が極めて限られている点が挙げられる。アート・ジャカルタに出展したオオタファインアーツのパートナー兼シニア・ディレクターの鶴田依子は次のように語る。「全然国のサポートとかがないから、インスティチューションもないんですよ。だから、個人のコレクターが自分のプライベートミュージアムをつくって、自分でサポートするというのが大きな特徴です」。

アート・ジャカルタ2025の会場風景 Photography courtesy of Art Jakarta

 この“民間主導”の構造を支えているのが、強固な「コミュニティ」の存在である。Ara Contemporaryのメーガン・アーリンはこう語る。「ここでは、コレクターもアーティストもギャラリーも、それぞれが最大限の努力をしてフェアを成功させようとしています。コレクターは自分のコレクションを国際的なゲストにも開放し、ギャラリーもベストな展示を行う。ジャカルタを国際的なアートマップに載せようという“集団的な力”を強く感じます」。

 インドネシアのアートシーンにおけるコミュニティの重要性は、同国を代表するアーティスト・コレクティブ「ルアンルパ」の存在にも象徴される。ルアンルパは、2022年に「ドクメンタ15」の芸術監督を務め、同年『ArtReview』の「Power 100」で1位に選出されたことで知られる。今年結成25周年を迎えた彼らは、アート・ジャカルタの会期に合わせて隣接会場で記念展を開催。これまで全国各地のアーティスト・コレクティブと協働してきた代表的なプロジェクトを振り返る内容となった。

 インドネシア国内には約1000の芸術系高等教育機関があり、ジャカルタ以外にもジョグジャカルタ、スラカルタ、バリ島などにアーティストコミュニティが広く分布している。オオタファインアーツの鶴田は次のように話す。「インドネシアのアーティストのあいだにはすごく強い“横のつながり”があります。若いアーティストが、さらに若い世代に教える、そういう文化が根付いているんです」。

アート・ジャカルタ2025の会場風景 Photography courtesy of Art Jakarta

 こうした活況のいっぽうで、新興市場ならではの社会的課題も存在する。国内の経済格差や不均衡な所得分配、政策をめぐる不安定さは、アートマーケットにも影を落とす。今年の夏から秋にかけて、政府の経済政策に反発する大規模な抗議デモがジャカルタで発生し、国内外の関係者のあいだに一時的な不安が広がった。

 それでもなお、アーリンは楽観的な見方を示す。「抗議活動のあと、不安の声は多くありました。でも同時に、ローカルのアートシーンを支えようという気持ちがより強まっているのを感じます。いまこそ、この場所を支える好機なのかもしれません」。

 彼女はさらにこう続ける。「インドネシアは地理的にも非常に大きな国で、人口も多く、ディスコースの幅も広い。だからこそ、この市場には持続的な成長の余地があります」。