音楽家/文筆家の寺尾紗穂が感じた、リナ・バネルジー「"You made me leave home...」展(エスパス ルイ・ヴィトン東京)に宿る「移動」の記憶

表参道のエスパス ルイ・ヴィトン東京で開催中のリナ・バネルジー「"You made me leave home...」展について、音楽家・文筆家の寺尾紗穂が語る。モダニズムの二元論や植民地主義への批判を交えながら、作品に宿る「移動」の記憶について紐解いてゆく。

取材・文=野村由芽(me and you) 撮影=稲葉真

展示会場のエスパス ルイ・ヴィトン東京にて、リナ・バネルジー作品と寺尾紗穂。右が《Black Noodles》(2023)、奥が《Inan unnatural storm a world fertile...》(2008)
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 インドのコルカタで生まれ、現在はニューヨークを拠点に活動するリナ・バネルジー。南アジア系のディアスポラのアーティストとして、ポストコロニアル・フェミニズムのアプローチを取り入れ、植民地主義的なまなざしに抵抗する一連のオブジェクトや絵画を手がけている。

 リナ・バネルジー「"You made me leave home...」展が、エスパス ルイ・ヴィトンの設立20周年、そしてフォンダシオン ルイ・ヴィトンのコレクションを展示するプログラム「Hors-les-murs(壁をこえて)」の10周年という2つの節目を記念し、エスパス ルイ・ヴィトン東京で開催中だ。同展を訪れた音楽家であり文筆家の寺尾紗穂は、学生時代に小説家・中島敦の影響で移民に関心をもって以来、南洋に渡った日本人や、戦後移民の足取りを辿り、声の聞き取りを続けてきた。移民としてのアイデンティティをもつ人々をまなざしてきた彼女の目に、バネルジーの作品はどう映ったのだろうか。

新しい故郷を獲得する

 「私が調べていた南洋の移民の人々というのは、満州や朝鮮や台湾がそうであったように入植者でもあったので、たんに生きる場所を変えるという意味の現在の移民とは違っていました。南洋の場合、海を渡ってしばらくは統治側の人間として階層の上位にいられた。天国のような場だと感じて暮らしていたけれど、戦争が起きて、大変な思いもして……彼らの話はやはり一色では語れないことなんです。そしてベクトルの向きは違いますが、社会のマイノリティの移民として生きるリナさんの作品もまた『簡単に語れない』点は同じかもしれません。表現としてはわりとポップだけれど、移民として生きるうえでの日々の疎外感や違和感のような感覚が底層にあるのではないかと思います。けれどそこから先は、彼女の明るさで様々なものを乗り越えてきた。あるいは乗り越えるなかで生み出してきた表現が、この形なんだろうなと感じます」と寺尾は見る。

 今回、フォンダシオン ルイ・ヴィトンとして初公開され、本展の記念碑的な作品となる《In an unnatural storm a world fertile, (…)》(2008)は、フランスの作家ジュール・ヴェルヌの小説『八十日間世界一周』から着想を得ている。世界をめぐる冒険の旅がもたらす驚異と危うさを表現した本作は、バネルジーの創作の根幹を象徴する作品だ。

エスパス ルイ・ヴィトン東京での展示風景(2026) Photo by Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

 綿布、貝殻、木製祭壇、シャンデリア、ダチョウの卵、瓢箪(ひょうたん)……。作品を構築する一つひとつの日常的な素材のディテールを興味深そうに眺める寺尾は、「こういう瓢箪は日本ではあまり見ないですね。瓢箪はインド原産という説もあるみたいですが、日本の民話でも、山姥が不思議な瓢箪の中で、飢えた子たちにおいしいものをたらふく食べさせる話がありますね。何か豊穣な、子宮のイメージもあるでしょうか」と、ほのかに目を輝かせながら語る。主にグローバルサウス産の素材を組み合わせて仕上げられるバネルジーの作品は、人間の移動に伴い、時に不当に取引された「物の移動」の歴史を突きつけられるという意味で、鑑賞者に居心地の悪さを感じさせる。

 同時に、地球規模で移動した物の行き着く先の姿を、彼女は決して悲観的なものとしてのみ提示しない。海を渡って次の土地に運ばれた物質が、新しい居場所あるいは故郷(Home)を獲得していく可能性を探ろうとする。その姿勢は、一つひとつ手作業で組み立てられた作品の造形の至るところに見て取れる。そういったバネルジーの主体的な意志が宿っているからこそ、一連の作品はたやすい理解やカテゴライズを全身で超えていくような躍動感とエネルギーに満ちている。

 「髪は生きているかぎり伸び続けるものですが、彼女の作品を見ると、切られて本体を離れた後の髪にも、不思議と生命力を感じますね」と寺尾が語ったのは、本展のコンセプトを方向づける大作《Black Noodles》(2023)だ。本作は、世界的な需要のほとんどをインドの女性が支えているという国際的な人毛取引と、その政治的背景を扱っている。不可視化された労働や搾取の構造を批評的に捉えながらも、海藻が絡まったクラゲのようなフォルムや、とぐろを巻く黒々とした繊維などが水生生物の蠢きを思わせる。国境をまたぎ、異なる土地へと移動しようとするパワーを意図してつくられたという。

この世界のあるがまま

リナ・バネルジー《Shareena, she chose, lost all her noodles(...)》(2023) Courtesy of the artist and Perrotin *1

 2026年の新作絵画シリーズでバネルジーは、1900年以前のインド美術への深い造詣をもとに、南アジアの素材やモチーフ、図像を融合させ、ヒンドゥー教の女神を想起させる女性像を色彩豊かに描き出している。画材は水彩画がメインだが、時にはコーヒーで描くこともある。そして本展のメインビジュアルに使用された2023年の作品《Shareena, she chose, lost all her noodles(…)》に描かれた女性の名前は「Shareena(シャリーナ)」。絵画にはすべて異なる名前をもつ女性が描かれ、どの作品にも長く詩的なタイトルが付いている。

リナ・バネルジー《The real deal, authenticity(…)》(2025) Courtesy of the artist and Perrotin *2

 「読んでみると、彼女なりの物語を詰め込んでいるのだろうなという気がします。私は同化への抵抗の意思を感じさせる《The real deal, authenticity(…)》(2026)に目が留まりました。女性の頭部あたりが赤っぽい雲のようなものに覆われているのだけど、彼女からも何か美しい色の層のような新しいものが流れ出ていて、厚い雲に覆われない主体性を感じさせる。リナさんのオブジェクトの作品に、目の造形が乳房のようにも見えるなと思うものがあったのですが、彼女の生み出す女性像からは、性をためらわずに直接的に表現するような感覚が受け取れます。インドの神話にはたくさん女神がいるようですね。南洋の島々などもまた多くが母系社会で、女性性が強いというのが太古の社会の主要な在り方のひとつだと思うので、そういったものとの重なりも感じます」。

「リナさんの作品は、いろいろなものが溶け合い、別の土地に根付いていくことを表していて、ある意味で多様性の象徴のようですよね」

 バネルジーの故郷であるインドは、200年以上の長きにわたりイギリスの植民地支配を受けてきた。バネルジーが紡ぐ物語は、歴史のなかで人や物が移動する過程に存在した、搾取と繁栄、暴力と美しさ、喪失と生成といった複雑な多面性を、この世界のあるがままとして提示している。支配の歴史や、独立した後も残る様々な影響について、寺尾はどのように見ているのだろうか。

エスパス ルイ・ヴィトン東京での展示風景(2026) Courtesy of the artist and Perrotin. Photo by Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

 「文化はそもそも変わり続けていくもので、固定されたものではないと思います。この展示を見て思い出したのは、パラオに日本文化が色濃く残っているということです。日本が植民地支配をしていたことが理由ですが、調味料とか、司法の用語とか、桃太郎の歌とか、文化が端々に残っている。もちろん、日本が言葉や文化を奪った側面は重要です。でもそのうえで、私たちは何が正しいか一面的に結論づけたり判断したりしがちであることも覚えておかなくてはならないと思います。そこで暮らしている人がいま馴染んでいるものや選んできたもの、その場所で生きている人にしか本当には知りえないことがある。だからアカデミズムの導く答えと、そこで生きる人の声と、どちらか一方からしか言及しないというのは、バランスが悪いことなのだろうなとつねづね思います。そして作家もまた多様であり、重たいものを重たいものとして出すことが向いている人もいれば、リナさんのように、彼女がもつポップさや力強さで表現していく役割が合っている人もいる。なによりディアスポラの当事者のひとりとして、リナさんが自身の個性でもって発信すること自体にすごく意味があると感じる展示でした」。

*1──リナ・バネルジー《Shareena, she chose, lost all her noodles explorer of better beauty in other people poodles. Caught hair in parts like runaway wigs and easter egg washed head with in and ribbons redfooled nature and her suiter to read her as different》(2023) Courtesy of the artist and Perrotin
*2──リナ・バネルジー《The real deal, authenticity does not kneel but folds in playful resilience, unyielding to assimilation always misbehaving and while winds of appropriation threaten she remains first, make me into individual not peripheral》(2023) Courtesy of the artist and Perrotin