2024.7.30

コレクターミュージアムの意義とは何か?
UESHIMA MUSEUM館長・植島幹九郎×彫刻家・名和晃平

今年6月、渋谷教育学園敷地内(東京)にオープンしたUESHIMA MUSEUM。館長の植島幹九郎は、2年ほどの間に680点あまりの作品を収集してきた注目のコレクターだ。圧巻のコレクションを体験できるこのミュージアムのなかでも存在感を放つのが名和晃平の作品。今回は植島が名和を対談相手に迎え、その作品やコレクターがミュージアムをつくる意義について語り合った。

文=中島良平 撮影(*除く)=稲葉真 編集=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

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名和晃平との出会い

──UESHIMA MUSEUMのエントランスで最初に来場者を出迎える作品が名和晃平さんの《PixCell–Deer#40》です。植島さんはなぜ名和さんの作品を購入されたのでしょうか?

植島幹九郎(以下、植島) 私はアート作品自体、2016年にニューヨークのマリアン・グッドマン・ギャラリーでゲルハルト・リヒターの作品を見て興味を持ち、それから少しずつ購入するようになりました。当時、日本有数のコレクターであり、精神科医である高橋龍太郎氏のコレクションに関連する本を買ったり、2017年に熊本市現代美術館で開催された「高橋コレクションの宇宙」展を見に行ったりするなかで、名和さんの作品に大きな衝撃を受けたんです。インパクトがあり、高橋コレクションのなかでもとくに憧れの作品という位置付けでした。そして2022年の2月に本格的にコレクションを始めることになり、いま当館の1階に展示している《PixCell–Deer#40》(2015)を購入する機会に恵まれたという経緯です。

展示風景より、手前が名和晃平《PixCell–Deer#40》(2015) *

──植島さんは中学生の頃からずっとアインシュタインと物理が大好きだったそうですが、理系分野への興味が名和さんのコンセプトとシンクロするような感覚があったのでしょうか。

植島 そうですね。高橋コレクションのなかでも、私が直感的に名和さんの作品に惹かれた理由が、実際にお会いして、名和さんの物理への興味が作品に反映されているというお話を聞いてからわかりました。人間の視覚や光などをテーマにした名和さんの作品が、私自身の興味につながったようです。

名和晃平(以下、名和) 僕も子供の頃から科学の分野、とくに物理や天文学がすごく好きでした。それで、アインシュタインやコペルニクス、ガリレオなど科学系の本をよく読んでいたので、アートとサイエンスの分野への興味には隔たりがありませんでしたね。

地下1階の展示風景 *

──名和さんの作品から感じられる、物理や工学などへの視点は幼い頃に育まれたものだったのですね。

名和 僕が大学で彫刻を学んでいた頃は、モダニズムのなかですでにひと通りの造形表現が試し尽くされて、もう造形で行える表現はない、「造形は終わった」という風潮がありました。そこで、たんに造形を生み出して見せるのではなく、すでに形があるものを別の状態に変換するアプローチや、造形が生まれてくる過程もしくは素材そのものの扱いに独自性を持ったことができないかを考えました。それが例えば「PixCell」シリーズなのですが、あれは剥製をはじめとした既存のモチーフを用いて、その表面をレンズで覆うことでオプティカルなエフェクトをかけ、映像性を帯びたオブジェクトへと変換するというコンセプトで制作しています。作品を構想していた1990年代は、ちょうどインターネットが普及し始めた時期でもあったので、情報化の波が押し寄せる社会の中で、イメージをどのように作品に取り入れるか、高度情報化時代の記念碑的な作品が残せないかということも考えていました。

オラファー・エリアソンの《Eye see you》(2006)を見る名和と植島
2階の展示風景より、アンドレアス・グルスキー《Bangkok Ⅸ》(2011)

──ミュージアム1階、入口正面突き当りの壁に《PixCell–Deer#40》が展示され、2階の展示室の奥の方では《PixCell-Sharpe’s grysbok》(2023)も見ることができます。

植島 2022年に1階の作品を購入し、そのあとにスタジオにお邪魔する機会をいただきました。そこで、レンズを通して変化する光彩を放つ作品に魅了され、昨年夏のアートフェア「Tokyo Gendai」で購入しました。今回のコレクション展では、最初に1階で半身の鹿の作品を見て、ほかの作家の作品も楽しんでいただき、2階にたどり着いたら、今度は全身のグリスボック(アフリカ南東に生息する小型のカモシカの一種)で光彩の変化も表現された作品をご覧いただけるということで、異なる名和さんの表現の展開を味わえるようにこのような順序で展示しました。

展示風景より、名和晃平《PixCell-Sharpe’s grysbok》(2023)

名和 2階の展示室には、ルイーズ・ブルジョワさんの作品も展示されていましたが、私が2005年にアジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)の支援でニューヨークに滞在した際に、ルイーズ・ブルジョワさんのお宅に伺って、自分のポートフォリオを見てもらう機会がありました。条件はひとつだけ、「チョコレートをお土産にもっていくこと」でした(笑)。彼女は93歳にも関わらずとても眼光の鋭い方で、パラパラとポートフォリオをめくりながら、鹿の「PixCell」の写真で手を止めました。「この作品は絶対に続けなさい」とひと言おっしゃって。そのときの経験は、自分が鹿の制作を続けるひとつのきっかけにもなりました。

植島 すごいエピソードですね! 私のコレクションのテーマは「同時代性」で、存命の作家を中心にコレクションしていて、こうしてアーティストの方とコミュニケーションを取れることは大きな楽しみのひとつだと思っています。いまのような名和さんのエピソードが伺えるのは貴重ですし、作家の方の考えを知ることで、さらに作品への興味が深まることがよくあります。

名和 私も尊敬するアーティストが大勢いますが、UESHIMA MUSEUMの展示を拝見して、そうした方々の作品が身近にあるのは素晴らしいことだと感じました。やはり作品からエネルギーをもらえますし、アーティストの多様なヴィジョンを共有して提示する場をつくるという、コレクターとしての重要な役割を担われていると思います。

《PixCell-Sharpe’s grysbok》(2023)の前で

「Keep collecting」

──植島さんは蒐集した作品を展示する“ギャラリー”をつくる選択肢もあったと思うのですが、研究や教育といった要素との関わりが求められる“ミュージアム”を開館されました。その意図を聞かせていただけますか。

植島 コレクションを本格的に開始し、アーティストやギャラリストの方々にお会いすると、アートが購入されても展示されずに倉庫に行ってしまう、そのまま売られてしまうこともある、という話を聞くことが何度かありました。アートはやはり、皆さんに見ていただいて、どう感じてもらえるかというところに価値や意義があると思います。なので、植島コレクションを立ち上げた頃から、購入作品を撮影し、日本語・英語・中国語の3ヶ国のキャプションをつけてホームページとインスタグラムで公開してきました。また、自分のオフィスや運営を支援するクリニックなどにも作品を展示していますし、昨年はオークションハウス「フィリップス」の東京スペースや、京都のアートフェア「Art Collaboration Kyoto」でもコレクション展を行いました。

 そんなときに、私の母校でもある渋谷教育学園の学園長から、同園が運営するブリティッシュスクールが麻布台ヒルズに引っ越すという話を伺った際に、私のなかで話がつながり、学校法人の敷地内という教育の場にミュージアムが立つことは、非常に意義深いことなのではないかと考えました。現代アートがこの場で一般公開され、積極的に社会と関わっていく。教育や文化という切り口から、アートの価値を社会に還元していける。そう考え、美術館というかたちで開館することを決めました。渋谷教育学園の渋谷と、私が卒業した渋谷教育学園幕張の生徒たちが来館するプログラムを先生方が考えてくださっているので、学生たちの感想を通してこちらにも気づきが生まれるでしょうし、新しい視点が得られることはとても貴重だと思っています。

UESHIMA MUSEUM外観 *

名和 作品発表の場が増えることはアーティストにとってもありがたいことですし、教育的な効果は、若い世代のキュレーターやコレクター、そしてアーティストに対しても必ず生まれるはずですね。拡張し続けるコレクションとともに展示の構成が変化していくことは、いまという時代と、社会の情勢がリアルタイムで反映される場となるでしょうし、こんなに短期間でミュージアム化へ踏み切るのは、世界的にも例のないコレクターの蒐集姿勢だと思います。倉庫に眠らせておかず、また、自宅に展示するだけでもなく、コレクションをミュージアムで一般に公開することは、街を訪れた人たちとアートを共有するということですよね。現代アートにはインタラクティブな作品も多いので、子供たちにとっては美術の教科書としての役割も担って、中世の名画を知ることとは異なる新しい知覚体験が生まれます。本や雑誌、ネットなどで画像を見るだけではなく、目の前にある本物の作品を見て、直接体験できる場があるのは素晴らしいことです。

植島 空間や作品がなく、キュレーションする機会を得られない若手キュレーターも多くいらっしゃると聞いているので、そうした方々にも場を提供していきたいです。コレクションから一緒にテーマを考え、フロアごとにキュレーションしていただくなど、そうした機会は教育的な意味でも重要だと思っています。

植島幹九郎

──名和さんは、アーティストにとして、コレクターはどのような存在であってほしいと思いますか。

名和 植島さんのコレクションがどんどん変化を続けているように、アーティストとして私自身も制作を続けている過程にいます。つねに動き、変化を続けている。コレクターの方々には、そのことを理解していただき、ともに歩んでいく仲間として共感し、サポートしていただけるととても心強いです。私は大勢のスタッフに支えられて制作していますが、発想の根源は個の意識のなかにありますし、いつの時代もアーティストのクリエイションというのは孤独に陥りがちです。そういうときに、同時代を生きて同じ空気を吸い、同じものを見ているコレクターの方に見守っていただけると、勇気をもって新しい表現にもチャレンジができる。モチベーションの支えになっていただくことが、とても嬉しいですし、ありがたいです。

名和晃平

──いわゆる公立美術館に作品が収められていくのとも、コマーシャルギャラリーで作品が展示・購入されていくのとも違うかたちで、アートが展示される場をコレクターの方がつくられているのは、世界的に見ても珍しいことだと感じられます。

名和 日本ではバブル期あたりから、いわゆる「ハコモノ行政」と呼ばれるように、地方にたくさん美術館を建て、印象派やモダニズムの作品を膨大な資金を使って購入し、所蔵する文化がありました。そのようなかたちは作品の最終的な終着点であり、墓場であると揶揄されていました。しかしこのUESHIMA MUSEUMは、つねにアクティブで、アクチュアルであり続ける形で、従来の美術館のフォーマットとは大きく異なりますよね。2年という短期間で本格的な蒐集をして開館に辿り着いたということには本当に驚きましたが、植島さんが今の世界を巡り、植島さんの感性に引き寄せられた作品がこうしてコレクションになっているわけですから、これから先どのようなダイナミックな展開をされるのか、とても楽しみにしています。

植島 先日、原美術館の創設者で理事長の原俊夫さんとお会いする機会があったのですが、会った瞬間に「Keep collecting」と言われました。「コレクションを止めることなく、アップデートし続けなさい」「進化が止まったらコレクションを没収します」と(笑)。時代が変わっていくので、その変化に合わせてアーティストの感性や表現の変化を追い続けるようにという意味だったと思っています。そうした温かい言葉を関係者の方々に掛けていただいていますし、自分自身もそうしてアップデートを続けることが楽しみなので、色々なかたちで社会との関わりを考えていきたいと思います。