2026.1.11

「とんでもなくチャーミングだった」──『Tokyo Melody Ryuichi Sakamoto』監督が語る、坂本龍一と1980年代の東京

1985年に制作されながら、長らく“幻のドキュメンタリー”として語られてきた『Tokyo Melody Ryuichi Sakamoto』。坂本龍一の姿と音楽、そして1980年代の東京の風景を、きわめて独自の感性で編み上げた本作が、約40年の時を経て4Kレストア版として公開される。本作を手がけた監督のエリザベス・レナードにオンラインで話を聞いた。

聞き手・文=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

『Tokyo Melody Ryuichi Sakamoto』より
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『戦メリ』で惹かれた坂本龍一

──坂本龍一さんを被写体にしようと思ったきっかけは?

エリザベス・レナード(以下、レナード) 私は以前、ラベック姉妹というフランスのピアニスト姉妹を追ったドキュメンタリーを制作しましたし、写真家としてニューヨークなどの都市を撮影し、ギャラリーで展示もしてきました。また、ミュージシャンのアルバムカバーを手がけるなど、音楽との関わりも深かった。

 大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』(1983)を観たとき、初めて坂本龍一の音楽と存在に触れて、本当に素晴らしいと思ったんです。彼は映画の被写体として非常に魅力的だと感じました。一緒に映画を観ていたフランスのテレビプロデューサーも同じ意見で、そこから企画が始まりました。

エリザベス・レナード

──初めて坂本さんに会ったときの印象は覚えていますか?

レナード よく覚えています。坂本さんがデヴィッド・シルヴィアンとベルリンでレコーディングしていると聞き、会いに行きました。私は写真家なので、写真を撮った瞬間の記憶がとても強く残るんです。

 ベルリンの壁の近くにあるスタジオの外で彼を撮影しました。その場には同時付き人だったピーター・バラカンさんもいて、坂本さんはとても感じのいい人でした。英語はあまり話さなかったけれど、通訳を通してこちらの話は理解していたと思います。私が自作の写真のポストカードを渡すと、とても気に入ってくれて「東京に来てください」と言ってくれました。

『Tokyo Melody Ryuichi Sakamoto』より

──撮影期間は限られていたそうですが、制作中に印象に残っている出来事は?

 東京では、坂本さんを撮影した日が4日間、彼がいない状態で東京の街を撮影した日が3日間ありました。撮影とは直接関係のない話ですが、当時は16ミリの撮影機材をすべて税関で申告しなければならず、日本とフランスの間で機材の持ち込みに関する問題がありました。東京に着いたのに機材が届かず、大騒ぎになったのですが、原因はたった一本の「針」でした(笑)。カメラマンが機材を開けるために使う針を申告し忘れていて、それが原因ですべてが止まってしまっていた。いまでは笑い話ですが、当時は本当に大変でしたよ。

なぜ「Tokyo」だったのか

──この映画では、坂本龍一の姿だけでなく、当時の東京の風景が強く印象に残ります。都市のカットにはどのような意図があったのでしょうか?

レナード 私は写真家として、ひとりで都市を歩き回り撮影することに慣れています。ニューヨークをはじめ、これまで様々な都市を撮影してきました。

 映画のなかには、建設現場の反射が十字架のように見えるカットがあります。これは、私が以前撮影した写真を思い起こさせるものでした。また、児童公園に初期のコンピュータのような遊具があったり、宇宙船のカプセルのようなものがあったりするのも、とても象徴的でした。

 公園で踊るダンサーたちの姿も印象的です。私が育った1960年代のバークレーにも公園で踊る人たちがいましたが、日本の80年代のダンサーたち(注:竹の子族などのこと)は皆、同じような踊り方をしていた。いっぽう、アメリカでは一人ひとりがまったく違う踊りをしていた。その違いが面白かったですね。

『Tokyo Melody Ryuichi Sakamoto』より

──映像と音楽の結びつきが非常に強い編集スタイルも特徴的です。編集についての考えを教えてください。

レナード 編集はフランスで行い、日本人編集者の鈴木マキコさんに手伝ってもらいました。構成は、いわゆるリニアなものではなく、非リニアなものです。ある映画祭で「この映画にはいくつものエンディングがあるね」と言われました。坂本さん自身が映画のなかで非リニアな時間や音楽について語っていますが、この映画自体も同じようなステートメントになっていると思います。

 もともとはフランスの実験的テレビ局のために制作されたので、ドキュメンタリーの定型に従う必要がなかったというのもあります。私はUCLAの映画学校を途中で辞めていますが、それもハリウッド的なフォーマットに従うことに違和感があったからです。この作品では自由に編集することができました。

──4K レストア版として、約40年を経て公開されることについて、どのように感じていますか?

レナード とても嬉しく思っています。レストアされたことで、この映画がまったく新しいもののように見える。修復作業は非常に大変で、私自身も深く関わりました。

 新しい発見があったかと言われると、じつはそうではありません。この映画に関する資料や翻訳原稿などを、私はずっと保管してきました。今回のレストアをきっかけに、それらをあらためて見直した、という感覚に近いですね。

──坂本龍一さんは2023年に亡くなりました。彼の死を、どのように受け止めていますか?

レナード 彼は71歳で亡くなってしまったので、本当に大きな喪失だと思います。最後の最後まで創作を続けていた人でした。ご家族や周囲の人たちが、彼の豊かな創作の軌跡を伝え続けていることは素晴らしいことだと思います。若い世代の音楽家にも大きな影響を与え続けていますし、彼の遺産は生き続けていると感じます。

 ニューヨークのジャパン・ソサエティでこの映画が上映されたとき、かつて坂本さんのパートナーだった矢野顕子さんが来て、完成以来初めて作品を観て、とても感動していました。

──最後に、監督にとって坂本龍一とは、どんな存在でしたか?

レナード とんでもなくチャーミングな人でしたよ(笑)。作品からもそれが伝わってくるはずです。