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2026.7.13

ニューヨークは、もうアーティストの街ではない? 高騰する都市で、アーティストはいかに生き延びるのか

「ニューヨークは若手アーティストにとって、もはや創作に適した街ではない」──今年、『オクトーバー』誌に掲載されたジョシュ・クラインの論考は、美術界で大きな議論を呼んだ。不動産価格や生活コストの高騰は、実際にアーティストたちへどのような影響を及ぼしているのか。NYFA(ニューヨーク芸術財団)の移民アーティスト支援プログラムに参加する作家2人とメンターへの取材から、ニューヨークのアートエコシステムの現在地を探る。※7月14日24時まで、すべての方に全文お読みいただけます。

文=國上直子

ニューヨーク・ブルックリン、ウィリアムズバーグの風景 © Unsplash, Enzo Ticà
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ニューヨークは、もはやアーティストの街ではないのか

 2026年2月、アメリカの現代美術批評誌『オクトーバー』(195号、MIT Press)に掲載された、ある論考が美術界で大きな議論を呼んだ(*1)。ニューヨーク在住アーティスト、ジョシュ・クラインによる「ニューヨークの不動産とアメリカ美術の破滅」と題されたこの論考は、ニューヨークの不動産市場の高騰が、アメリカの現代美術を衰退させていると厳しく批判した。

 彼の論点は大まかに4つに分かれる。1つ目は経済的コストの問題。家賃、生活費、そして学費や学生ローンが、アーティストを圧迫し、それらを賄うために仕事をしていると、制作時間が犠牲になる。スタジオ代も高騰し、大型作品や実験的な作品の制作が難しくなってきている。またコストを回収するために、「売れる絵画」への偏重が起こっているという。2つ目は、アーティストの自立性の喪失。ニューヨークが第二次世界大戦後の世界的なアートセンターへと躍進した背景には、安価な家賃で大きなスペースが手に入ったことがあった。そこで数々の実験的試みが行われた結果、新しい芸術運動を誘引した。しかし現在は、アーティストが自ら運営するスペースを維持することは困難になった。結果、展示の場は、商業ギャラリーや美術館に限られてしまい、完全に自由な表現の機会は消失の危機にある。3つ目は階級と世代に起因する排除。経済的支援のない中産階級や労働者階級出身者は、美術界に参入しにくいという構造的な問題がある。また家賃が安かった頃にスペースを確保したベビーブーマー世代のアーティストの既得権益が守られており、次世代の活躍する機会が剥奪されている。そして彼が最後に提起したのは、ニューヨークからの脱出だ。ニューヨークはもはや若手アーティストに相応しい場所ではなく、地方都市へ分散し、アーティストが主体性を取り戻すために新しいコミュニティを築くべきと訴えた。

 クラインの論考は、多くのアーティストが漠然と抱いていた危機感を言語化したものだった。そのため、美術界で大きな反響を呼んだといえるだろう。実際のところ、ニューヨークでの活躍を志すアーティストたちはどのように感じているのだろうか。

*1──Kline, Josh. "New York Real Estate and the Ruin of American Art." October 195 (October 2026): 91–109. https://doi.org/10.1162/OCTO.a.539

アーティストを支えるエコシステム

 ニューヨークでアートに携わっていれば必ず名前を耳にする団体に、ニューヨーク芸術財団(New York Foundation for the Arts、通称NYFA)がある。1971年に設立されたNYFAは、アーティストや文化事業に従事する人々への支援や情報提供を行う非営利団体だ。創立以降、総額8400万ドル(2026年7月の為替レートでは約136億円)の助成金をアーティストに支給し活動を支援してきた。メンターシップをはじめとした数々のプログラムも実施しており、昨年は7000人以上がプログラムに参加した。NYFAのサイトには、アート関連の求人や賃貸スタジオの募集なども掲載されており、情報ハブとしても認知度が高い。

ニューヨーク芸術財団のホームページ(https://www.nyfa.org/)

 NYFAでは、アメリカ国内唯一となる移民アーティスト向けのメンターシッププログラム「Immigrant Artist Mentoring Program」を開催している。2007年にスタートしたこのプログラムでは、これまで76ヶ国から500人を超えるアーティストを受け入れてきた。プログラムの参加者(メンティー)には、アメリカ国外で生まれ、アメリカに来てアーティストを目指すようになってから10年未満であるという条件がある。いわば、クラインの論考の当事者たちだ。今回、本年度のプログラムに参加したメンティー2人とメンターに話を聞くことができた。3人は、クラインの提示した問題をどのように受け止めているのだろうか。

「ここにはチームスピリットがある」

 フランス出身のセリーヌ・マイ・ゼーハーゼは、パリで出会ったアメリカ人と結婚し、ニューヨークにやってきた。もともと高級ファッションブランドで販売の仕事をしていたが、性格に合っていないと感じていた。そんななか、子供の頃から好きだった絵を再開したことで、アーティストの道を意識しはじめた。ただ、ひとりで絵を描いていても何も始まらないと痛感し、アート・ステューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨーク(*2)で講座をとるようになり、そこで初めて、ニューヨークのアート界の仕組みやポートフォリオのつくり方を学んだ。

セリーヌ・マイ・ゼーハーゼと彼女の作品《New Dawn》(2025) Courtesy of the artist

 やがて同校のオープンコールに応募した作品が、ウォール・ストリート・ジャーナル誌に掲載され、「宝くじに当たったような衝撃」を受けると同時に、アーティストとして進んでいくのだと確信した。その頃、彼女の作品が見たいと連絡をくれたキュレーターがいたが、スタジオがなく自宅で制作していることを恥ずかしく思い、訪問を断ってしまったという。

 「スタジオを借りる場合、自宅と同じぐらいの家賃がかかってしまうため、現実的に難しいのです。NYFAのメンターを通して、確立したアーティストでも自宅をスタジオとして使っている人たちがいることを知りました。いまは、家で制作していることをスティグマだとは思わなくなりました」と話す。彼女はニューヨークに来ていなければ、アーティストを志すことはなかったと断言する。

 パリで暮らしていたとき、そこでのアート界は非常に閉鎖的な世界に見えた。いっぽうでニューヨークのアート界は誰にでも開かれているという。「毎週どこかでオープニングがあり、レジェンド・アーティストの話を間近で聞くこともできます」。彼女が強調するのは、ニューヨークのアーティストたちの「チームスピリット」だ。アーティストたちは、狭い世界のなかで、ともにチャンスを掴もうと、展示機会の情報共有や、知り合いの紹介などを積極的に行う。こうしたコラボレーションの精神、それを支えるエコシステムが幾重にも存在する。「こうした寛大なサポート体制は、驚くべきもので、ほかの場所では得ることのできない唯一無二のものだと感じます」。彼女はニューヨークを離れるつもりはないという。

*2──ニューヨーク市マンハッタンにある、1875年創立の美術学校・美術家組織。大学のような学位授与を目的とせず、「アーティストによるアーティストのための教育」を掲げることが特徴だ。

ルールを知り、自ら機会をつくる

 日本人作家の安田佐智種は東京藝術大学の修士課程を修了後、2000年代初めから、海外派遣プログラムを通じ、何度もアメリカでのレジデンシーを経験していた。そして2006年にアメリカ人の夫と結婚したことを機にニューヨークへ移住。その後は、日米を行き来しながら活動をしていたが、アメリカでも修士号が必要と感じ、クイーンズ・カレッジでソーシャル・プラクティスを2年半学んだ。学校が提供するスタジオや設備を徹底的に活用し、卒業後も同校経由で助成金に応募し、それをスタジオ代に充てている。

スタジオにて制作中の安田。作品は《Mothers' Daily Schedule》 Courtesy of the artist

 彼女は、外から来た人間として、ニューヨークのアート界のエコシステムの把握は必須だという。「現地のアーティストは、どこのレジデンシーや助成金のステータスが高いかというノウハウを当たり前にもっています。私はほかの人のCVを見比べて、後追いで覚えるしかありません。彼らと同じゲームに参加するには、ルールを知ることが最低限必要です」。ニューヨークでアーティストとしての価値を高めていく過程を、彼女は「モノポリー」に見立てている。

 ニューヨークでは、情報を教え合うことで関係性を築き、お互いを高め合う慣例がある。それは活動を継続するにあたり、人間関係がどれほど大切かを表す。そのなかで自分の作品を知ってもらうことは第一条件だ。「自らの作品を言語化することを強く求められ、とくに社会的問題に対する批判的な視線を要求されます。日本では主観的な感覚や美学が重視されますが、アメリカでは作品に含まれる社会的問題を語ってよいのだと気づきました」。日本とは違う、作品の解釈の受け皿が存在する。それが制作における刺激ともなる。彼女は最近新しい試みを始めている。

 それは建築家の夫がデザインした家のオープンハウスを行う際、自身や知り合いの作家の作品をステージングの一環で展示し、家の購入者が希望すれば、作品も販売するというものだ。通常、富裕層のアートコレクションは、アートアドバイザーが仲介することが多いが、安田の方式では、アドバイザーもギャラリーも介することなく、アーティストと購入者が直接やり取りできる。さらにつくり手がギャラリーの方針に迎合する必要もない。仕組みを熟知したうえで、既存の作品販売経路を逸脱する戦略を考える創造性は、ニューヨークで生き延びるための大事なスキルとなる。

変わる生存戦略

 ローズマリー・フィオーレは、2011年から先述の「Immigrant Artist Mentoring Program」でメンターを務めており、メンティーたちの課題を俯瞰している。スタジオ代や生活費の高騰、キャリア構築、時間管理やコミュニケーションに関するもの、アメリカ文化への適応が共通課題だと彼女は言う。「パンデミック以降は、ニューヨークで活動するアーティストの環境はより厳しくなりました。生活コストのさらなる上昇により、専業アーティストとしての生存が難しくなっています」。

ローズマリー・フィオーレ《Blue Skies: Forklift Smoke Painting》(2021)真鍮製スモークペインティングツール、カラースモーク花火、フォークリフト、調合アスファルト Courtesy of Kohler Company

 先のクラインの言うように、スタジオの問題は大きい。かつてブルックリンのウィリアムズバーグやブッシュウィックといった人気エリアでスタジオをもつことは、作業スペースの確保以上に、「確立された活気あるアートコミュニティへの参加権」や「露出」に対価を払う側面があった。ただ、環境は変わってきている。「2006年頃にウィリアムズバーグにスタジオをもっていましたが、当時は1平方フィート(約0.0929平米)あたり1ドルが相場でした。いまは同じ場所でその何倍もかかります。最近では、高額なスタジオを借りるのではなく、クイーンズやブロンクス、スタテンアイランドなど、もっと小さいアーティストコミュニティでスタジオを探したり、自宅の一角や助成金付きのスタジオ、公共の場で制作したりするスタイルに移行するメンティーが増えています。そしてスペースの制約に甘んじるのではなく、スケッチブックやノートPCでの作業、小規模な作品へと制作内容を調整してでも、『創造の流れ』を止めないことが大切です」。

 さらに、制作だけに特化するのではなく、キュレーターや教育者といった役割を兼任する「マルチキャリア」の傾向が顕著だという。「コミュニティと深くつながることで、自身の作品制作にも良い影響を与える『包括的な』キャリア形成が意識されるようになってきています」。クラインが提示したような問題を背景に、近年、助成金やレジデンシーのニーズが高まり、競争が激化している。選考を突破するのは非常に困難だという。こうした状況のなかで、NYFAのメンターたちが勧めているのが制度への依存からの脱却だ。「いま、既存の機関に頼るのではなく、自ら機会を生み出す『起業家的アプローチ』へのシフトが起きています」と彼女は言う。これはつくり手たちにとってこれからの重要な生存戦略のひとつになっていくだろう。

 クラインの指摘した点は、確かに現実的な問題として、アーティストたちに大きな影響を与えている。しかしインタビューを通して、厳しい状況のなかでもみな、ネットワークや創造性を駆使し、活動する方法を切り拓き続けている姿が浮かんできた。既存の権力構造からの脱却が、これからの鍵となるように見えるが、それは反権威主義というよりも、実需から生まれている。彼女たちの話からは、ニューヨークをアートセンターたらしめるエコシステムは逆風のなかでも健在で、苦境に呼応しながら、いまも進化を続けているように感じられた。