EXHIBITIONS
勅使河原蒼風
タカ・イシイギャラリー 六本木で、勅使河原蒼風の個展が開催される。
いけばな草月流の創設者である勅使河原は、戦後の前衛いけばな運動を主導したことに加え、国内外の同時代の現代美術とも接続し、造形作家としてそれを牽引した。本展では、これまでほとんど紹介されることのなかった、陶製の皿に顔料で書をしたためた作品約40点を発表。
「私はね、書のほうでもそうでしたが、こうしなくちゃいけないよという教え方ばっかりやっている人にはどうも尊敬の念が湧かないんですね。ここまで教えたんだから何か考えてごらんと言われたらしめたものだと思うのだけど」(勅使河原蒼風『蒼風造形』主婦の友社、1978、P.238)。
床の間にいける伝統的な立華のスケールを逸脱し、インスタレーションと呼べるほどの大規模ないけばなや、六曲半双屏風の大書で知られる勅使河原にとって、本展で展示されるセラミック作品は小さなメディウムであるという。作品の表面には「月光」「白雲」「幻」「空」など、墨書作品においても勅使河原が好んで用いる言葉が描かれており、いずれも少字で構成。言葉の意味を簡潔にとどめ、独特の書体によってその視覚的な象徴性が強調されている。
勅使河原は10代前半の頃、伯父で書家の玉木愛石から王義之調の書を学んだが、型に縛られた父のいけばなに疑問をいだき、自ら草月流を創流したように、書においても独学で自身の書体を確立。1950年代の抽象表現主義絵画と共振する荒々しい筆跡の大書に比べ、本展で展示される作品群の書風は、多様な色彩が加わり、起筆やハネに柔らかさや穏やかな印象を与えている。親しい親族の名を記した作品が存在することからも、これらの作品は勅使河原にとってきわめて私的なメディウムであったと考えられている。
近年、再評価の機運が高まる勅使河原蒼風は、2024年に開催された横浜トリエンナーレ「野草:いま、ここで生きてる」に参加。2026年には海外の大規模国際展への出展も予定されている。
いけばな草月流の創設者である勅使河原は、戦後の前衛いけばな運動を主導したことに加え、国内外の同時代の現代美術とも接続し、造形作家としてそれを牽引した。本展では、これまでほとんど紹介されることのなかった、陶製の皿に顔料で書をしたためた作品約40点を発表。
「私はね、書のほうでもそうでしたが、こうしなくちゃいけないよという教え方ばっかりやっている人にはどうも尊敬の念が湧かないんですね。ここまで教えたんだから何か考えてごらんと言われたらしめたものだと思うのだけど」(勅使河原蒼風『蒼風造形』主婦の友社、1978、P.238)。
床の間にいける伝統的な立華のスケールを逸脱し、インスタレーションと呼べるほどの大規模ないけばなや、六曲半双屏風の大書で知られる勅使河原にとって、本展で展示されるセラミック作品は小さなメディウムであるという。作品の表面には「月光」「白雲」「幻」「空」など、墨書作品においても勅使河原が好んで用いる言葉が描かれており、いずれも少字で構成。言葉の意味を簡潔にとどめ、独特の書体によってその視覚的な象徴性が強調されている。
勅使河原は10代前半の頃、伯父で書家の玉木愛石から王義之調の書を学んだが、型に縛られた父のいけばなに疑問をいだき、自ら草月流を創流したように、書においても独学で自身の書体を確立。1950年代の抽象表現主義絵画と共振する荒々しい筆跡の大書に比べ、本展で展示される作品群の書風は、多様な色彩が加わり、起筆やハネに柔らかさや穏やかな印象を与えている。親しい親族の名を記した作品が存在することからも、これらの作品は勅使河原にとってきわめて私的なメディウムであったと考えられている。
近年、再評価の機運が高まる勅使河原蒼風は、2024年に開催された横浜トリエンナーレ「野草:いま、ここで生きてる」に参加。2026年には海外の大規模国際展への出展も予定されている。