傷が決して塞がることのないように──ミレ・リーが刻む「痛み」の地形

不定期連載シリーズ「Rethinking Asia from Elsewhere / 他所から想像するアジア」では、グローバルな美術の舞台で活躍するアジア・ディアスポラの若手アーティストたちの実践に焦点を当てる。毎回、国内外で活動するキュレーターや批評家、ライターを招き、それぞれの視点から彼/彼女たちの活動を紹介していく。初回となる本記事では、キュレーターで本シリーズを提案したマーティン・ゲルマンが、世界中の注目を集めるアーティスト、ミレ・リーの表現について論じる。

文=マーティン・ゲルマン 翻訳=宮澤佳奈

ミレ・リー Courtesy of the artist
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 ミレ・リー(1988年生まれ)は、腐食するチューブ、滴り落ちる粘液、呼吸するように動く機械装置を通して、彫刻というジャンルの枠組みを再定義してきた。韓国・ソウルに生まれ、現在はアムステルダムを拠点に活動する彼女は、身体、性、暴力、親密さといったテーマを、粘着質な素材と反復する運動によって物質化する。2024年から25年にかけてロンドンのテート・モダンのタービン・ホールで大規模なインスタレーション《Open Wound》を発表し、今年の秋には国際現代美術展「岡山芸術交流2025」にも参加しているリーの作品は、なぜ人々の感情を揺さぶるのか。その背景にある文化的記憶や表現の系譜を、キュレーターのマーティン・ゲルマンが紐解く。(編集部)

生きているようで、生きていないものたち

 ミレ・リーが今年の岡山芸術交流へ出展する新作を考察するにあたり、私は即座に、2022年に訪れたZOLLAMT MMKでの彼女の個展を思い起こさずにはいられなかった。

 私の身体はその展示を、突然に訪れた痛みとして──より正確に言えば、麻酔なしの根管治療を受けているかのような一瞬の衝撃として──覚えていた。それは、地獄のような轟音とともに回転するコンクリートミキサーが与える、共感覚的ともいえる激しい乾燥と粉塵の感触が伴うものだった。この展示を「Look, I’m a Fountain of Filth Raving Mad with Love(ご覧なさい、わたしは愛に狂った穢れの泉)」と題した作家にとって、ミキサーの開口部が文字通り肛門を象徴していたことを、私はのちに知ることとなる。私自身はその開口部に口腔を見出していたのだが、口腔は同展の別所でブドウを彷彿とさせる鋳造彫刻として登場しており、通常「食糧である(feeding)」ブドウたちは、ここでは「消費する(consuming)」機能を与えられていた。

「Look, I’m a Fountain of Filth Raving Mad with Love」の展示風景より Photo by Frank Sperling. Courtesy of the artist, MMK and Antenna Space