櫛野展正連載「アウトサイドの隣人たち」:何かが始まる予感

ヤンキー文化や死刑囚による絵画など、美術の「正史」から外れた表現活動を取り上げる展覧会を扱ってきたアウトサイダー・キュレーター、櫛野展正。2016年4月にギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」を立ち上げ、「表現の根源に迫る」人間たちを紹介する活動を続けている。彼がアウトサイドな表現者たちに取材し、その内面に迫る連載。第77回は、番組の「おわり」を描き続ける小林歩さんに迫る。

文=櫛野展正

小林歩さん
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 静岡市の3分の2以上を占める葵区。戦国時代には今川氏や徳川氏が治める城下町として栄えたことから、街の随所に歴史的な史跡や文化施設を見ることができる。先日、そんな葵区にある緑に囲まれた閑静な住宅街の一角を訪れた。

 玄関を抜けると、廊下からはNHK Eテレの放送が漏れ聞こえてきた。扉を開けると、ひとりの青年がテレビに合わせてセリフを叫んだり、画面の動きに合わせて体を動かしたりしている。彼こそが、今回の主役である小林歩(こばやし・あゆむ)くんだ。

 机の上に広げられた落書き帳には、「おわり」という手描きの文字とNHK教育テレビの番組タイトル、さらには「制作・著作 NHK」というクレジット表記まで記されている。それらは「シャキーン!」や「ピタゴラスイッチ」など、どれも過去に放送されていたテレビ番組のロゴだ。歩くんは、10歳ごろから、こうした「おわり」のロゴなどを描き続けているという。そのきっかけについて、母である加奈さんは教えてくれた。

番組の「おわり」を描いた作品

 「NHK教育テレビが好きな息子のために、好みの番組を録画しては、よく観せていたんです。でも、どの番組もあっという間に終わってしまうでしょ。その度にリモコンを操作して再生ボタンを押すのも大変だったから、すべての番組をひとつに結合して流しっぱなしにしていました。そしたら、NHK教育テレビって、録画したときに、前の番組の『おわり』という画面まで一緒に収録しちゃうんですよね。あるとき、気づいたらこれを描いていたというわけです」

 最初はフォントだけを真似て描いていたという「おわり」の文字や番組ロゴだが、作画技術が向上した近年では、様々なキャラクターを描いてみたり鮮やかな着色を施したりと正確にトレースするようになった。加奈さんの話によれば、歩くんが描いているものは、どれも本当に観たい番組の前に1秒ほどだけ表示されている番組なのだという。思わず、笑ってしまった。自分が観たい番組が始まる前に流れる「おわり」の画面をわざわざ絵にするというのは、どういう思いなのだろう。僕は一気に歩くんの世界に引き込まれた。それにしても、近作までは画面を一時停止することもなく、すべて頭の中で記憶して描いていたというから、そのカメラアイのような驚異的な記憶力には驚かされてしまう。

「おわり」を描いた作品の数々

 歩くんは、2007年に静岡市でひとりっ子として生まれた。1歳半検診のときに、医師から「成長が少し気になるね」と言われ、2歳のときには知的検査で発達の遅れを指摘されたことで、静岡市にある母子療育訓練センターへ通い始めた。理学療法士として病院に勤めていた加奈さんは、「職場の言語聴覚士にも相談していたんです。声をかけても振り向いてくれないし、目線も合わなかったから覚悟はしていたんですよね。3歳のときに、知的障害を伴う自閉症と診断されたことで、あぁやっぱりなという感じで、大きなショックは受けませんでしたね」と教えてくれた。

 小さい頃は、多動でよく動き回り落ち着きのない子だったが、加配保育士がついてくれたことで、保育園ではのびのびと過ごすことができた。小学校は、手厚い療育を求めて、小中高一貫校である静岡大学教育学部附属特別支援学校へ入学した。家から電車通学していた際、電車の揺れに耐えるため、思わず女性のスカートを­掴んでしまうことがあったことから、将来的なリスクを回避するために、電車ではなくバスで通うことができる現在の場所に転居したというわけだ。

 そんな歩くんは、いつも決まったスケジュールで行動しているという。毎朝6時に起床しているが、目覚めていても6時過ぎるまで布団から出てこないし、就寝時間も決まっている。ある日、加奈さんが寝室へ様子を見に行った際には、まだ入眠していなかったものの、布団に入ったまま目を瞑り、受け答えには口パクで答えていたというから、なんという徹底ぶりなのだろう。だから、絶対に遅刻なんてしないのだが、急な予定の変更などに対応することはなかなか大変なのだという。こうした行為は、一般的に「こだわり」と言われている。

 歩くんが「おわり」を描くという創作行為も、そうしたこだわりの一部なのだろう。一番興味を引くのが、最近では「おさるのジョージ」など好きな番組の「おわり」も描くようになったようだが、どんなに好きな番組でも「アンパンマン」など「おわり」のロゴが表示されない番組は決して描くことはないということだ。「ただ、『ぜんまいざむらい』だけは襖が閉まって終了だから、その場面をよく描いています」と加奈さんは笑う。

「おわり」を描いた作品の数々
『ぜんまいざむらい』を見る小林歩さん

 障害のある人たちのなかでも、自閉症スペクトラムの人に、こうしたこだわり行動は多く見られる。でも、こだわりは決して特殊なことではない。僕たちだって、お風呂で体を洗う順番を決めていたり、いつも同じ道を通ったりと、いくつも大小様々なこだわりを持っているはずだ。そう、こだわりは決して障害のある人だけに存在するものではない。むしろ、同じルーティンで過ごすことは、誰しも心の安定に繋がっていることだろう。とくに障害のある人たちにとって、変化の激しい世界の中で、自分をつなぎ止めておく手段こそが、こうしたこだわり行為なのだ。人間という存在は、毎日気分がコロコロと変わり、顔では笑っていても心は怒っていることさえあるだろう。そんな不安定な存在に比べ、よっぽどのことがない限りテレビは同じ時刻に始まるし、録画しておけば毎回同じ場面が目の前で再生される。この原稿だって、下にスクロールし続けても永遠に終わらなければ、ほとんどの読者は読むのをやめてしまうだろう。同様に、テレビ番組の「おわり」は歩くんにとって、物事の区切りであり、安心材料でもあるのだ。何かがいつ始まっていつ終わるという見通しが持てることで、人は安心する。未来予測をすることが難しい自閉症スペクトラムの人にとっては、こうした安心材料を見つけることこそが、不安定な世の中をサヴァイブしていくための手段なのだろう。

 「おわり」があることということは、新しい何かが始まることでもある。これまで描いてきた作品は、初めて応募した全国公募展で入選し、多くの人の目に触れることになった。作品が高い評価を受けることは、彼にどんな変化をもたらすのだろうか。きっと、彼の日常のルーティンは変わないだろうし、今日も朝6時までは布団の中で目を瞑って待機しているんだろう。でも、そんな日常の中で、彼を見る周囲の目が少しでもポジティブに変わってくれることを僕は望んでいる。そうなったとき、歩くんは、その些細な変化に気づいてくれるだろうか。そんなことを妄想しながら、僕はこの原稿を書いている。

「おわり」を描いた作品の数々