「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×山城知佳子×志賀理江子 漂着」(アーティゾン美術館)レポート。共有と追体験の空間が生む、記憶の想起と新たな認識
アーティゾン美術館のコレクションと現代アーティストの共演で新しい美術の可能性を探るシリーズ「ジャム・セッション」が始まった。今回は山城知佳子と志賀理江子。沖縄と東北という異なる地に根ざして制作を続けるふたりが紡ぐ空間は、わたしたちに何をもたらすのか。

6回目のジャム・セッション「漂着」
リニューアルした2020年から、アーティゾン美術館では、同館のコレクションと現代アーティストとの共演により、それぞれの作品の新しい読み取りや響きあいを引き出すプロジェクト「ジャム・セッション」を開催してきた。天井もスペースも拡大した空間で織りなされる共鳴は、まさにジャズの即興のような思いもかけぬひらめきや刺激をもたらして、美術の、創造の可能性を広げる。
同館のコンセプトでもある「創造の体感」を提供する企画も6回目となる今年は、ビデオアーティストの山城知佳子と写真家の志賀理江子が招聘された。

ネットの普及によりグローバル化が進む現在は、同時に地域や文化の断絶や閉鎖性をもたらして、かつては共有されていたものが失われつつある。世界で起こっている戦争や災害、急激な社会の変化も、情報の氾濫する世界で、何が事実かの曖昧さとともに急速に流れていき、私たちはそうした出来事を意識し続け、考えることが難しくなっている。とくに日本では、震災や戦争の記憶が薄れ、世代、地域、伝統などの分断が顕在化してきた。
生地の沖縄と東京を拠点に、写真・ビデオ・パフォーマンスを駆使して、その歴史・政治・文化を視覚的に探究することから、普遍的なテーマに潜む個の記憶を引き出す山城と、愛知から宮城に移住し、その地の人々との交流を通して、人間社会と自然とのかかわりとその歴史・記憶を写真というメディウムを通して作品にしてきた志賀。日本の南と北の異なる地で、それぞれに土地に根ざし、生活のなかでその記憶や歴史に身体的に向き合うことから生み出された骨太な作品は、それゆえの訴求力を持ち、「中心と周縁」、「土地と記憶」への再考をうながして、世界的にも注目されている。
本展担当学芸員の内海潤也は、コレクションと現代アートを組み合わせる展覧会がトレンドになりつつある現状に鑑み、これまでのジャム・セッションをあえて批判的に検証、どうしても所蔵作品を引き立てる傾向が強いことに硬直化を感じ、強烈な写真や映像、サウンドとその身体性で既存の物語やイメージに転換をもたらすふたりの作品で、改めてコレクションがまとう定着した印象を見る者の感覚とともに揺さぶることを企図したという。
展覧会タイトルは「漂着」。流れ着くものの偶然性と必然性、外部から“異物”が入ることとそれを受けた内部の反応は、何かしらの衝撃となり、変化をもたらす。それは山城と志賀の創作の軌跡とも重なって、移動、記憶、災害、そして再生、未来などを切り口に、コレクション作品と交差しながら見る者の五感に響く空間を創り出す。セレクトされたコレクション作品は全4点とこれまでに比べて少ないが、それゆえにふたりの作品によりコミットしたかたちで、新しい貌を見せている。

時空を超えた記憶が想起するもの:山城知佳子 《Recalling(s)》
6階に展開するのは、山城の《Recalling(s)》。1フロアまるまる使っての大きな新作発表は初めてという山城は、同館所蔵のアボリジナル・アートのジンジャー・ライリィ・マンドゥワラワラの《四人の射手》(1994)に共同体の生活を思い、その色彩や筆のタッチに強い印象を持ったという。それは巨大なパラシュートとともに見る者を迎え、戦前の沖縄の原風景と重なり、太平洋戦争の「記憶」へとつながっていく。
山城の父・達雄は作家であり、幼少期にパラオ共和国で過ごした経験を持つ。自身の小説に取り込み、娘に語り聞かせてきたその記憶のあり様や個としての歴史を山城はいくつかの作品にしてきた。本作では、老齢になりその記憶もおぼろげになった父とともに、彼が過ごした場所を探してアンガウル島を訪ねた旅の様子を基調に、5つの大スクリーンの映像と様々な布で構成される大規模なインスタレーションが展開されている。


それぞれのスクリーンには、パラオでたどたどしくも懐かしい記憶をたどる父の姿のほか、東京大空襲で家族の大半を失った経験を語る亀谷敏子、戦後沖縄の米軍基地でジャズ・シンガーとして歌っていた齋藤悌子、10代で「ハイサイおじさん」を作曲し、沖縄音楽を全国に広めた喜納昌吉に取材した内容が音とともに流れる。
日本の植民地時代のアンガウル島に向かう船の上で鳥を見つけた幼い達雄は、沖縄の言葉で「とぅいや、とぅいや」と指さしたところ、誰かに「それは『鳥』というのだ」と日本語で訂正されたという記憶を娘に幾度も話していたという。
語り部として活動する亀谷に何度も話を聞いた山城は、戦後80年を経て体験者がいなくなっていくなかで、言葉では伝わり切れない思いを拾い、本人と出会って感じた存在自体を伝えられたらと映像にした。
10代から基地で歌っていた現役の歌手・齋藤の映像からは、当時人気だった「ダニー・ボーイ」が響く。それは、沖縄からベトナムへ向かう兵士たちに、家族を思い出させる歌であり、もうひとつの戦争の記憶も重なっていく。
いまも甲子園で流れるなど、楽しげに受け取られる「ハイサイおじさん」には、喜納が実際に目にした、戦後沖縄の困窮が招いた痛ましい事件のトラウマが潜んでいる。


