• HOME
  • MAGAZINE
  • NEWS
  • REPORT
  • 「大ゴッホ展 夜のカフェテラス」(神戸市立博物館)開幕レポ…
2025.9.20

「大ゴッホ展 夜のカフェテラス」(神戸市立博物館)開幕レポート。20年ぶりに日本公開される名画とゴッホの軌跡をたどる

阪神・淡路大震災から30年を迎える今年、神戸市立博物館で「大ゴッホ展 夜のカフェテラス」が開幕した。オランダのクレラー=ミュラー美術館の所蔵品から、ファン・ゴッホの名作57点と同時代の画家による17点が出品されている。会期は2026年2月1日まで。

文・撮影=王崇橋(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より、フィンセント・ファン・ゴッホ《夜のカフェテラス(フォルム広場)》(1888年9月16日頃) キャンバスに油彩 80.7×65.3cm クレラー=ミュラー美術館 © Collection Kröller-Müller Museum, Otterlo, the Netherlands
前へ
次へ

 阪神・淡路大震災から30年の節目にあわせ、神戸市立博物館で「大ゴッホ展 夜のカフェテラス」が開幕した。

 本展は、オランダのクレラー=ミュラー美術館が所蔵するファン・ゴッホの珠玉のコレクション57点と、同時代の画家たちの作品17点を紹介するもの。担当学芸員は神戸市立博物館の塚原晃である。

 クレラー=ミュラー美術館は、ファン・ゴッホの油彩画約90点、素描約180点を所蔵する世界有数のゴッホ・コレクションを誇り、その規模はアムステルダムのファン・ゴッホ美術館に次ぐ世界第2位を誇る。

 本展では、ゴッホの数ある作品のなかでもとりわけ知られる名画《夜のカフェテラス(フォルム広場)》(1888)が20年ぶりに日本で公開されている。また同作はこの20年間、オランダ国外に貸し出されることは一度もなく、極めて貴重な機会となっている。

 会場は5章構成。第1章「バルビゾン派、ハーグ派」では、ゴッホが画家を志す初期に大きな影響を受けたバルビゾン派とハーグ派の画家たちを紹介する。画商の社員として若くしてパリやロンドンに勤務し、海外の芸術に触れていたゴッホは、1880年以降、本格的に画家を目指すようになると、農村生活を主題としたバルビゾン派の巨匠ジャン=フランソワ・ミレーを最高の画家として敬愛した。加えて、ハーグで活躍したヨーゼフ・イスラエルスらの作品にも強い刺激を受けている。

 会場には、ミレー《グリュシー村のはずれ》(1854)や《パンを焼く女》(1854)、イスラエルス《ユダヤ人の写本筆記者》(1902)といった作品が並ぶ。ミレーが描く農民の逞しくも誠実な姿や、イスラエルスによる重厚な明暗表現を理解することで、ゴッホ自身の表現の軸が形成されていったことがうかがえる。

第1章の展示風景より、右はジャン=フランソワ・ミレー《パンを焼く女》(1854)
第1章の展示風景より、左はヨーゼフ・イスラエルス《ユダヤ人の写本筆記者》(1902)

 1881年、28歳のゴッホは親戚で画家のアントン・マウフェの指導を受け、本格的に油彩や水彩を学び始めた。社会問題への関心も深く、街の景観や労働者を描いた素描を重ねることで、画家としての技術を自ら培っていった。1884年には両親の暮らす南部ニューネンに移り住み、農民たちと生活をともにしながら、その素朴で実直な姿をとらえた作品に挑んでいる。

第2章の展示風景より、左はフィンセント・ファン・ゴッホ《テーブルにつく男》(1885)

 第2章「オランダ時代」で紹介される《麦わら帽子のある静物》(1881)は、黒いリボンのついた黄色い麦わら帽子やパイプ、陶器、布切れなど、多様な質感を描き分けた習作であり、画家としての基礎を積み上げていった跡がうかがえる。また、《ニューネンの古い塔》(1884)は、重い空の下に立つ塔を描いた作品で、ヤーコプ・ファン・ライスダールやジョン・コンスタブルら過去の風景画家の伝統を意識した構図が見て取れる。さらに、《白い帽子をかぶった女の頭部》《パイプをくわえた男の頭部》など「頭部」シリーズ8点は、後の代表作《ジャガイモを食べる人々》へとつながる重要な試みとして位置づけられる。

第2章の展示風景より、右はフィンセント・ファン・ゴッホ《麦わら帽子のある静物》(1881)
第2章の展示風景より、右はフィンセント・ファン・ゴッホ《ニューネンの古い塔》(1884)
第2章の展示風景より、右はフィンセント・ファン・ゴッホ《白い帽子をかぶった女の頭部》(1884-85)

 ニューネンでの生活は経済的に厳しく、周囲との摩擦も少なくなかったが、それらを糧にしながら、ゴッホは画家としての表現力を独自に切り拓いていった。

第2章の展示風景より、左はフィンセント・ファン・ゴッホ《秋の風景》(1885)

 ファン・ゴッホが絵画に関心を深め始めた頃、パリではすでに1874年の第1回印象派展を皮切りに、新しい表現が台頭しつつあった。1886年、弟テオを頼ってパリを訪れたゴッホは、それまで想像すらできなかった革新的な絵画表現と出会うことになる。クロード・モネカミーユ・ピサロの作品を目にしたことで、その新しい表現に強い衝撃を受けたのである。

 第3章「パリの画家とファン・ゴッホ」では、モネ《モネのアトリエ舟》(1874)、ルノワール《カフェにて》(1877頃)、マネ《男の肖像》(1860)など、19世紀後半のパリを彩った画家たちの作品が一堂に会する。モネがセーヌ川に浮かべたアトリエ舟から眺めた光景や、ルノワールが描いたカフェの若い女性たちの親密な場面は、明るい色彩と筆致によって都市の空気感を鮮やかに伝えている。

第3章の展示風景より、左はクロード・モネ《モネのアトリエ舟》(1874)
第3章の展示風景より、右からピエール=オーギュスト・ルノワール《カフェにて》(1877頃)、エドゥアール・マネ《男の肖像》(1860)

 1885年に父を亡くしたゴッホは、ベルギーのアントウェルペンを経て、1886年2月に弟テオの住むパリへと向かった。ここで彼は約2年間にわたり、風景画や静物画、自画像などを通じて新たな表現を模索することになる。

 第4章「パリ時代」で展示される《モンマルトルの丘》(1886)は、移住間もない時期の作品である。まだ都市化が進む前のモンマルトルの素朴な風景を背景に、赤を基調とした鮮やかな色彩が画面に現れ始めており、パリでの新しい刺激がゴッホの表現を大きく変えつつあったことを物語る。

第4章の展示風景より、左はフィンセント・ファン・ゴッホ《モンマルトルの丘》(1886)
展示風景より、右はフィンセント・ファン・ゴッホ《夕暮時の刈り込まれた柳》(1888)

 また、《自画像》(1887)は、パリ滞在中に25点以上描かれた自画像のひとつである。資金難のためモデルを雇うことができず、自身を鏡に映して描いたが、そこには実験的で大胆な表現が見られる。淡い紫のジャケットに緑がかったグレーの縁取り、ライトブルーのネクタイ、背景の青緑色の斑点など、色彩の組み合わせが画面全体を活気づけている。落ち着いた表情に見えるが、瞳の奥には不安や憂鬱が漂い、画家自身の内面をも映し出しているようだ。

第4章の展示風景より、フィンセント・ファン・ゴッホ《自画像》(1887) 厚紙に油彩 32.4×24cm クレラー=ミュラー美術館
© Collection Kröller-Müller Museum, Otterlo, the Netherlands

 都会での生活に疲弊し、心身の限界を感じていたゴッホは、1888年2月、南仏プロヴァンス地方のアルルへと移住する。春の訪れとともに彼は澄み切った大気と鮮やかな色彩に魅了され、この地を浮世絵版画を通じて憧れ続けた「日本」と重ね合わせた。アルルの自然を、鮮烈な色彩の対比をもって描き出すことに情熱を傾けたのである。

 第5章「アルル時代」では、この時代を代表する《夜のカフェテラス(フォルム広場)》が展示される。深い青の夜空と黄色い灯りに照らされたカフェの対比は、従来の西洋絵画が黒や灰色で描いてきた夜のイメージを一新した。ゴッホは実際にアルルの街頭に立ち、目の前の光景をカンヴァスに写し取ったとされる。構図には、江戸の浮世絵師・歌川広重が描いた月夜の景観からの影響も指摘されている。

展示風景より、フィンセント・ファン・ゴッホ《夜のカフェテラス(フォルム広場)》(1888年9月16日頃) キャンバスに油彩 80.7×65.3cm クレラー=ミュラー美術館 © Collection Kröller-Müller Museum, Otterlo, the Netherlands

 「《夜のカフェテラス》は、夜景に対する特別な思いと大胆な挑戦が込められた作品です。短い生涯のなかでももっとも幸福だった時期を象徴しているといえるでしょう」と塚原学芸員は強調する。

第5章の展示風景より、左はフィンセント・ファン・ゴッホ《バラとシャクヤク》(1886)
第5章の展示風景より、左はフィンセント・ファン・ゴッホ《石膏像のある静物》(1887後半)

 なお、神戸市立博物館では、本展に続きアルル時代から晩年までを紹介する第2期を、2027年2月から5月頃に開催予定である。注目作として、オランダの至宝と称される《アルルの跳ね橋》が出品される見込みだ。さらに本展は福島県立美術館(第1期 2026年2月21日~5月10日/第2期 2027年6月19日~9月26日)、上野の森美術館(第1期 2026年5月29日~8月12日/第2期 2027年10月~2028年1月頃)へと巡回する予定であり、全国のファン・ゴッホ愛好者にとってまたとない鑑賞の機会となるだろう。