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2025.3.25

「時代を映す錦絵ー浮世絵師が描いた幕末・明治ー」(国立歴史民俗博物館)開幕レポート。表現規制をかい潜り庶民が求めた絵の魅力

千葉・佐倉市の国立歴史民俗博物館で、江戸末期から明治初期までの錦絵を紹介し、その歴史資料的な側面に光を当てる企画展示「時代を映す錦絵ー浮世絵師が描いた幕末・明治ー」が開幕した。会期は5月6日まで。会場の展示をレポートする。

文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)

展示風景より、中央が歌川国貞《東都日本橋之勝景》(1863)国立歴史民俗博物館蔵
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 千葉・佐倉市の国立歴史民俗博物館で、企画展示「時代を映す錦絵ー浮世絵師が描いた幕末・明治ー」が開幕した。会期は5月6日まで。会場の展示をレポートする。展示プロジェクトの代表は、同館教授の大久保純一。

会場エントランス

 本展は、江戸時代後期に成立した多色摺浮世絵版画である錦絵を取り上げるもの。錦絵は、役者、美人、名所といった画題で高度な表現を成し遂げ、現在では日本美術を代表するものとして世界的に認知されている。いっぽうで錦絵は、江戸市中に無数に存在する絵双紙屋を通して販売されるという流通形態を持っており、世の出来事や流行を伝えるメディアとしての役割も果たしていた。

展示風景より、左が三代歌川広重《名画の鍾馗》(1868)国立歴史民俗博物館蔵

 本展では江戸時代末期から明治初期にかけての、戊辰戦争などの戦争や動乱、大地震、疫病の流行、多くの人々を集めた寺社の開帳や見世物、あるいは人々を熱狂させた流行現象など、激動する時代の諸相を描いた錦絵を展示。その歴史資料的側面に光を当てる。

展示風景より、左が四代歌川国政《一ト口ばなし》(1873)国立歴史民俗博物館蔵

 展覧会は9章構成。第1章「風刺画の基盤」は本展の導入となる。江戸時代の時事を扱う錦絵は出版規制の対象だったので、あからさまな表現を避け、様々な工夫をもとに風刺をした。本章ではこうした錦絵の基本をイントロダクションとして提示する。

 歌川芳艶画《矢矧橋夜半落雁》(1861)は、牛若丸が岡崎の矢作橋で伊勢三郎義盛に出会う場面を描いたとしているが、実際には豊臣秀吉の少年時代が画題となっている。織田信長や豊臣秀吉のエピソードは画題として人気があったものの、実在の武家を題材にすることは幕府から規制されていたため、このように過去の類似の出来事に仮託して表現することが錦絵では頻繁に行われた。

展示風景より、右が歌川芳艶画《矢矧橋夜半落雁》(1861)

 ほかにも、歌舞伎役者の似顔絵を禁じられれば、子供たちの遊びとして演目を描いたり、玩具や料理を実在の人物の暗喩として描くこともあり、こうしたとんち合戦のような趣向が錦絵の魅力といえるだろう。

展示風景より、歌川国芳画《子供踊尽 菊寿草摺》(1843)個人蔵

 第2章「風刺画の登場」は、幕末に評判を呼んだ風刺画や時事を扱った錦絵の代表作を展示し、風刺画というジャンルの誕生を追う。例えば、1843年に売り出された歌川国芳画《源頼光公館土蜘作妖怪図》は、風刺画の歴史において重要な作品だ。

歌川国芳画《源頼光公館土蜘作妖怪図》(1943)国立歴史民俗博物館蔵

 本作は『前太平記』で親しまれた、平安時代の武将・源頼光と宿直の四天王のもとに現れた土蜘蛛が、様々な妖怪を現出させ困らせるというエピソードを描いたものだ。しかしながら本作の妖怪は、天保の改革による厳しい規制によって廃業を余儀なくされた職業を想起させるように描かれており、また四天王のひとりの着物の柄も改革を担った水野忠邦を想起させる。そのため本作は、妖怪が改革の犠牲になった人々の恨みの化身であり、頼光が将軍・徳川家慶、四天王が水野ら幕閣という解釈を人々からされるようになった。摘発を恐れた版元が本作を廃版としたが、それでも複数の偽版や模索版が生まれるほどの人気となる。これにより、風刺画というジャンルが錦絵に確固たる地位を築いた。

 本章ではほかにも、徳川将軍家の鹿狩りを源頼朝の巻狩りとして描いた歌川貞秀画《富士の裾野巻狩之図》(1848)や、ヤブ医者の療治が幕府や大奥を諷したものだとされた歌川国芳画《きたいなめい医難病療治》(1850)などを見ることができる。

展示風景より、歌川貞秀画《富士の裾野巻狩之図》(1848)国立歴史民俗博物館蔵
歌川国芳画《きたいなめい医難病療治》(1850)国立歴史民俗博物館蔵

 第3章「鯰絵」は、1855年の安政の大地震直後から大量に流通した、地震の元凶とされていた地中の大鯰(おおなまず)を題材にした錦絵を取り上げる。安政の大地震の錦絵は、被害の様子を直接的に題材にした《安政二稔十月二日夜亥刻大地震焼失市中揆動図》のようなものもあるが、この時代において地震を引き起こすものとされた地下深くに住む「大鯰」を描いたものが数多い。

展示風景より、《安政二稔十月二日夜亥刻大地震焼失市中揆動図》国立歴史民俗博物館蔵

 《江戸鯰と信州鯰》(1855)は、江戸の安政の大地震を起こした鯰と、その8年前に信州を震源とする善光寺地震を起こした鯰がともに描かれている。信州鯰のまわりには善光寺の僧侶や参拝者が見える。そして、江戸鯰のまわりには、鯰を打つ地震で被害を被った遊女や噺家、蔵の鍵を持った金持ちと、それらをなだめる震災後の復興景気で潤った土木関係の職人や屋台売りなどが描かれている。鯰は地震の象徴であり、地震を通じて変化した世相を風刺するために描かれていた。

展示風景より、右が《江戸鯰と信州鯰》(1855)国立歴史民俗博物館蔵

 第4章「流行り病と錦絵」では、江戸時代末期に何度か大流行を見せたコレラと麻疹を扱った錦絵を展示している。現在は医療や公衆衛生の進歩により、必ずしも危険な病ではなくなったコレラと麻疹だが、江戸時代においては多くの人の命を奪う、原因のわからない恐ろしい病だった。錦絵のなかには、こうした病を避ける病除けや、病気への対処法を伝えるものとしての側面もあった。

 安政年間の1858年より大流行して多くの犠牲者を出したコレラは、数日で命を落とすことで大いに恐れられた。このコレラから逃れるために、病除けの錦絵が多くつくられている。例えば、牛のような身体と人のような顔を持つ神獣の白沢(はくたく)を描いた図面は病除けとして重用されたという。

展示風景より、右が梅素亭玄魚画《白沢之図》(1858)国立歴史民俗博物館蔵

 また歌川芳虎画《麻疹養生弁》(1862)は、麻疹にかかった子とそれを介抱する母、それを見守る玄宗皇帝の夢に出てきて病を払ったとされる神・鍾馗が描かれている。さらに本作には食していいものや、行ってはいけないものなどが記されており、病除けとともに病の際の心得を周知する役割も果たしていたことがわかる。

展示風景より、左が歌川芳虎《麻疹養生弁》(1862)国立歴史民俗博物館蔵

 第5章「激動の幕末」では、ペリー来航ののち江戸幕府倒壊まで、幕末のニュースを描いた錦絵を紹介する。攘夷の決行を迫る孝明天皇の求めに応じて将軍・徳川家茂が東海道を上った将軍上洛や、イギリス人が殺傷され賠償を求めた外国艦が横浜に差し向けられた生麦事件、「ええじゃないか」と唱えながらの練り歩きの流行、そして旧幕府軍と新政府軍の最終決戦となった戊辰戦争など、時々の事件が錦絵に描かれてきた。錦絵は、それら事件を直接的に描くのではなく、様々な隠喩を用いながらこれを表現している。

 例えば「故事擬え(こじなぞらえ)」などはその典型だ。二代歌川国輝画《太平記石山合戦》(1869)は、織田信長と本願寺との戦い「石山合戦」を描いたものとしているが、清水堂や戦う勢力の服装、桜の木などから、これが戊辰戦争中の上野山であることがわかる。

展示風景より、二代歌川国輝画《太平記石山合戦》(1869)

 第6章「開帳と流行り神」は、開帳をはじめとする神仏の流行をテーマにした錦絵が並ぶ。

 歌川国芳 《おたけ大日如来略えんぎ》(1849)は、「お竹大日如来」を描いたものだ。江戸時代前期、江戸の富商の家で働いていた竹女は、大日如来の化身だとされ人々の信仰を集めた。これがお竹大日如来だ。1849年には、江戸でこのお竹大日如来の開帳があり、多くの錦絵がつくられた。名前にちなんだ竹の柄の着物や、仏像の光背のように円になった手ぬぐいなど、庶民の着物や小物で如来の姿を表現したことがわかる。

展示風景より、右が歌川国芳画 《おたけ大日如来略えんぎ》(1849)

 第7章「横浜絵」では、開港後急速に発展し江戸の庶民の注目を集めた横浜を描いた「横浜絵」を取り上げている。

 歌川芳幾画の《五ヶ国於岩亀楼酒盛の図》(1860)は、横浜に設けられた遊郭・港崎遊廓のなかでも屈指の豪華さを誇った「岩亀楼」に集った外国人の遊客を画題としたものだ。ロシア、オランダ、イギリス、アメリカ、清、フランスの各国人の姿を描くとともに、岩亀楼の豪華な内装をいまに伝えている。

展示風景より、左が歌川芳幾画《五ヶ国於岩亀楼酒盛の図》(1860)国立歴史民俗博物館蔵

 第8章「動物狂騒曲」は、幕末に海外から持ち込まれ人々の注目の的となったヒョウと、明治初めに流行したウサギ、ふたつの動物を画題とした錦絵にスポットを当てる。ここでは、見世物となっているヒョウを描いた河鍋暁斎画《今昔未見 生物猛虎之真図》(1860)や、俗謡に合わせて滑稽に踊る「かっぽれ」をするウサギを描いた東柴画《かつぽれかへうた》などを見ることができる。

展示風景より、河鍋暁斎画《今昔未見 生物猛虎之真図》(1860)国立歴史民俗博物館蔵
展示風景より、東柴画《かつぽれかへうた》(1873)国立歴史民俗博物館蔵

 最後となる第9章「開化絵とその周辺」は、明治維新により急速に変貌していく東京の町や風俗を画題とした「開化絵」を紹介。文明開化後、西洋の文化を取り入れて急速に姿を変える東京の建物や風俗、博覧会などを描いた錦絵が紹介されている。

展示風景より、歌川芳春画《大日本内国勧業博覧会之図 美術館出品之図》(1887)国立歴史民俗博物館蔵

 江戸末期から明治にかけて、人々が肌で感じていた時代の変化や大きな事件を題材にした錦絵は、美人画や役者絵、名勝を描いたものとはまた異なる魅力がある。規制のなかで人々の心を代弁しようとした高度な風刺精神に、体系的な整理をしながら学ぶことができる展覧会となっている。