2026.4.16

ダイ・イン インタビュー:身体から宇宙へ。日本初個展に見る「生成」の思考

ホワイトストーンギャラリーの銀座新館にて、中国出身のアーティスト、ダイ・インの日本初個展「Lines of Infinity」が4月4日まで開催された。身体、エネルギー、そして宇宙的構造の関係性を主題としてきたダイは、本展で「Goddess」「M-Theory」「Flower of Life」の3シリーズを通じて、生成のプロセスそのものを可視化する試みを提示する。個展のために来日した作家に、制作における身体性や素材、さらには「地母マトリクス」という独自の概念について話を聞いた。

聞き手・構成=編集部

ダイ・イン すべての写真提供=ホワイトストーンギャラリー
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知覚の場としての東京──日本初個展がひらく対話

──「Lines of Infinity」展は日本での初個展となります。今回、東京で展覧会を開催することにはどのような意味がありますか。

ダイ これは私にとって、日本で自身の制作活動の軌跡を提示する初めての機会になります。私にとって東京は、たんなる「国際都市」ではなく、非常に独自の知覚のあり方を持つ場所だと感じています。それは、高い感受性と抑制を併せ持ち、高度に都市化されているいっぽうで、素材性や細部、リズムに対する持続的な意識を内包しています。このような感覚は、私自身の制作に対するアプローチとも深く共鳴しています。

 私はこれまで、身体、エネルギー、そして宇宙的構造の関係性を継続的に探求してきました。東京という都市の文脈のなかでは、作品におけるより微細な層──例えば、色層間の浸透、反復的な手の動きに刻まれたリズム、あるいは画面内部に生じる張力──が、より明瞭に知覚されると考えています。

 その意味において、この展覧会はたんに地理的な文脈への参入ではなく、むしろ知覚のレベルにおける対話であると捉えています。

──本展では新作が多数発表されていますが、今回の展示全体を通してとくに意識したテーマや構成について教えてください。

ダイ 今回は、近年継続的に取り組んできた3つのシリーズ──「Goddess」「M-Theory」「Flower of Life」を発表しています。これらの作品を通して、私は女性の身体、身体的経験、生命エネルギー、そして宇宙的構造のあいだにある関係について一貫して思考してきました。

Goddess 19 2025 Mixmedia on Chinese xuan paper 195.0 × 195.0 cm

 「Goddess」シリーズでは、主に身体を出発点としています。女性の身体に内在する中軸、開口、包摂、拡張といった要素に注目しているのですが、それらは形象としての再現ではなく、身体構造からの内部構造の抽出です。私は女性の身体を、宇宙的な軸線でありエネルギーの導管として捉えています。画面に表れる楕円形、三角形、螺旋、同心構造、そして色層や素材の重なりは、いずれも身体的経験に由来しています。女性の身体は、欲望と意識が同時に立ち上がる力を内包した、内在的な神性の場として存在していると考えています。

M-Theory 76 2025 Mixmedia on Chinese xuan paper 96.0 × 130.0 cm

 「M-Theory」シリーズでは、女性としての身体的経験をより広い宇宙的想像力へと拡張しています。二重螺旋、軌道、ネットワーク構造は、DNAや天体の運行を想起させるいっぽうで、それ以上に重要なのは、それらが「接続の様態」を形成している点です。個体の経験を、より大きな空間構造のなかへと接続していく役割を担っています。

Flower of Life 8 2026 Chinese painting pigments, Japanese pigments, acrylic, and Chinese xuan paper mounted on canvas 20.0 × 28.5 cm

 いっぽうで「Flower of Life」シリーズは、より静かなレベルへと移行します。それは瞑想的な空間であり、生命の起源を想起させる場でもあります。層状に拡散する構造や、微細な点と色彩の重なりによって、画面は呼吸するかのようにゆっくりと展開していきます。ここでは、構造は外向的な力を強調するのではなく、持続的に生成し続ける生命の場として現れます。

 これら3つのシリーズを貫いているのは、身体がどのようにして入り口となり、より大きな宇宙的生成のロジックと接続しうるのか、という問いです。その過程において、螺旋のような構造は繰り返し現れてきます。それは、異なる文明における母性や再生に関する原型的イメージを指し示すと同時に、私の素材や絵画プロセスのなかで具体化され、知覚可能な視覚秩序として立ち現れていきます。

──日本の美術史や文化のなかで、これまで関心を持ってきた作家や思想、あるいは影響を受けたものはありますか。

ダイ 個人的な経験としては、学生時代に草間彌生の存在に触れたことがあります。しかし、私にとって本質的な影響となったのは、その視覚言語ではなく、特定の歴史的状況のなかで、アジア人女性としてひとりでニューヨークへ渡り、自らの制作の軌道を切り拓いたという彼女の選択でした。既存の制度の外側で自らの道を築くその姿勢は、芸術実践がたんなる表現ではなく、「いかに存在するか」というあり方の決定でもあることを、早い段階で意識させてくれました。

 私は特定の様式や美術史的系譜に依拠するのではなく、むしろ複数の知の体系から継続的に影響を受けています。西洋哲学や東洋思想、様々な宗教文化について長期的に思考を重ねると同時に、身体的な経験や実践的な関与も通してそれらに接してきました。また、人類学、進化論、自然科学、人工知能、宇宙論にも関心を持ち続けています。

 これらの内容はイメージとして直接的に翻訳されるのではなく、構造や生成、そして意識の問題に対する私の理解のなかに徐々に浸透していきます。

 したがって、私の制作は特定の文化や美術史の文脈に基づくものではなく、異なる知の体系のあいだを往還し、それらを接続していくプロセスとして展開されています。その意味において、日本文化は決定的な影響源ではなく、私が触れてきた多様な経験の一部に位置づけられます。

「Lines of Infinity」展の展示風景より

──今回の展示空間を構成するうえで、ホワイトストーンギャラリーの空間や東京という都市環境をどのように意識しましたか。

ダイ 私は展示空間を、展示のための器だけではなく、作品の一部として捉えています。

 ホワイトストーンギャラリーの空間は、非常に明確な秩序性を備えており、その秩序が作品内部のロジックをより直接的に可視化させます。そのためインスタレーションにおいては、作品同士のあいだに生まれる「呼吸」や間隔をとくに重視しています。並列的に配置するのではなく、鑑賞者が空間のなかを移動するにつれ、密度から開放へ、強度から静けさへと移行していくようなリズムを体感できる構成を意識しています。

 また私にとって東京という都市は、より背景的な存在として機能しています。その密度や速度、層状性は、私の画面における構造とも共鳴する部分があります。しかし、都市景観そのものに応答することには関心がありません。むしろ、このように速度と密度の高い都市において、鑑賞の感覚が適切な緊張と弛緩を保ちながら展開されるような、拡張性と強度に根ざした性質を併せ持つ知覚的空間を開くことを目指しています。

身体から立ち上がる構造

──あなたの作品には、螺旋構造やエネルギーの循環を思わせる形態が繰り返し現れます。こうしたモチーフは、どのような身体感覚や精神的経験から生まれているのでしょうか。

ダイ 私の作品において、螺旋は繰り返し現れる基礎的な構造であり、とりわけ反時計回りの運動として現れます。私にとってそれは視覚的な装飾要素ではなく、身体的行為に根ざした生成の原型に近いものです。

 長期的なリサーチを通して、この構造は異なる文明において繰り返し現れてきたことを認識しました。例えば、先史時代の母神崇拝における生殖に関わるイメージ、ケルト神話における「彼世」への通路、あるいはタントラ思想におけるエネルギー循環の概念などです。これらはそれぞれ異なる文脈を持ちながらも、個体から母体へと回帰し、再生と循環のプロセスへと入っていくという共通の経験構造を示しています。

「Lines of Infinity」展の展示風景より

 したがって、私は螺旋を用いる際にこれらの文化を引用しているのではなく、それを一種の構造的な通路として捉えています。それは内向的であると同時に外向的でもあり、身体内部の経験とより大きな宇宙的秩序とを接続するものです。その意味で、螺旋は象徴というよりも、むしろ経路に近い存在です。

 この構造はまた、素材のプロセスのなかでさらに強調されます。宣紙(*1)の浸透性、鉱物顔料の沈積、そして多層的な積染によって生まれる拡散関係は、自然に流動的な状態を生成します。

 さらに、日常の身体的実践のなかでも、私は螺旋的な運動を行っています。例えば、自らの軸を中心に回転したり、木や古い塔といった対象の周囲を円環状に歩いたりすることで、意識の上昇のプロセスや宇宙との接続を体感します。インスタレーションやパフォーマンスにおいても、このような螺旋的で儀礼的な行為性を重視しています。身体、行為、物質的構造を組織することで、鑑賞者はたんなる観察者にとどまらず、身体記憶やより深層の集合的無意識へと導かれていきます。

 したがって、これらの螺旋、循環、拡散といった形式は、視覚言語だけではなく、身体、文化的経験、そして宇宙的構造を接続するための方法なのです。

──宣紙や鉱物顔料、アクリルなど多様な素材を組み合わせたミクストメディアの制作は、どのようなプロセスで進められていますか。

ダイ 私の制作は、一度の操作で完結するものではなく、多層的な積み重ねを通して徐々に形成されていきます。

 まず宣紙の上に大まかな滲みをつくり、いわば下地を整えたうえで、その上に継続的に手を加えていきます。宣紙は非常に吸収性が高く、植物性顔料や鉱物顔料は強い滲みと沈積の効果をもたらします。いっぽうで、アクリルや油彩は異なる覆い方や結合のあり方を生み出します。これらの素材はたんに重なり合うのではなく、浸透、抵抗、調整といった関係性のなかで相互に作用しています。

《Goddess 19》(2025、部分)の展示風景より

 多くの場合、重要なのは色を置いた瞬間ではなく、それが乾いた後に生じる変化です。例えば、輪郭がどのように柔らぐのか、色がどのように沈んでいくのか、あるいは紙と顔料のあいだにどのような新たな関係が立ち上がるのか、といった点です。さらに、宣紙は布地へ裏打ちされる必要があり、このことも素材間の関係を一層複雑にします。

 こうした複合的なプロセスは、本質的に予測不可能性を含んでおり、コントロールと偶然性のあいだの緊張関係こそが、作品に生命感を与えていると考えています。

 私にとって絵画とは、「結果を描く」ことではなく、素材が時間のなかで自らの秩序を生成していく過程なのです。

──制作時の身体的な動きやリズムが作品に大きく関わっていると伺いました。卓球選手としての経験も含めて、身体性は現在の制作にどのように影響していますか。

ダイ 私は幼少期から、卓球と書道において非常に体系的な訓練を受け、中国の国家青年チームに所属するまでに至りました。この経験は現在の制作に深く影響していますが、それは努力や精神力の物語だけではなく、ひとつの身体的な方法の形成として捉えています。

 長期的な訓練を通して、私はリズム、速度、重心の移動、反応性、そして触覚的なコントロールに対して高い感受性を獲得しました。とりわけ手の制御力や、反復のなかで精度の高い判断を維持する能力は、現在の絵画制作に直接的に関わっています。例えば、反復的な点描、輪郭の微細な調整、色層間のわずかな差異の制御といったプロセスは、身体の安定性と持続性に強く依存しています。

 そのため、私はあらかじめ固定されたコンセプトを実行するのではなく、多くの場合、訓練された身体と規定されていない思考との相互作用のなかから、概念そのものが徐々に立ち上がってくると感じています。

*1──水墨画や書道作品を書くときに使われる手漉きの書画用紙。

「地母マトリクス」という方法

──あなたは「Geo-Maternal Matrix(地母マトリクス)」という概念を提唱しています。この考え方は、どのような問題意識から生まれたのでしょうか。

ダイ 「地母マトリクス」という概念は、長期的な制作のなかで形成されてきたひとつの方法的枠組みであり、身体、大地、生命生成の関係への継続的な思考から生まれています。私は母性をアイデンティティや感情的役割ではなく、包摂や孕育(*2)、変容といった特性を持つ生成的な構造として捉えています。こうした構造は、女性の身体経験や自然界の循環、さらには多様な文明における再生の想像力に通底する、非線形的な論理を示しています。

 「地母マトリクス」における「地」は物質的基盤であると同時に存在論的スケールを、「母性」は生成の原理を指し、この両者が結びつくことで、身体や素材に根ざしながら文化的・宇宙的次元へと開かれる構造が立ち上がります。私の作品では、それが螺旋や同心的拡張、多層的な積染といった形式として現れ、視覚的秩序であると同時に制作の方法として機能しています。

《M-Theory 76》(2025、部分)の展示風景より

 この意味で「地母マトリクス」は、現代のフェミニズムアートに対する方法論的な応答でもあります。女性芸術をたんなるアイデンティティの表象や権力構造への対抗にとどめるのではなく、生成の論理として再編成し、新たな認識の枠組みを提示する必要があると考えています。私にとって重要なのは、女性の経験が身体やエネルギー、世界の関係を再編成する構造的な知へと転換しうるかどうかです。

 したがって、私の制作は女性像を提示すること自体を目的とするのではなく、「地母マトリクス」という構造を通して、女性の経験が世界を拡張し再編成していく能動的な力となりうることを示す試みです。

──あなたの作品には、女性の身体性や母性的な象徴がしばしば現れます。いっぽうで、それはたんなるフェミニズムの表現にとどまらない広がりを持っているようにも感じられます。ご自身ではその関係をどのように捉えていますか。

ダイ 私は自然に女性の身体から出発します。それはもっとも直接的な経験の基盤だからです。同時に母性は、父権的構造への応答としても機能します。生命が子宮と乳房を通して生成されるという事実に基づき、私は女性の身体がいかに視線を揺さぶり、視覚の権力構造を再編成しうるのかに関心を持っています。

 さらに、身体内部に内在する生成、包摂、循環、変容といった構造を再解釈し、それを方法としてより大きな宇宙的秩序へ接続することを試みています。つまり、女性の身体は主題ではなく、世界認識や社会構造を再編成するための方法であり、認識の入口なのです。

 もしこれがフェミニズムと関係するとすれば、それは立場ではなく構造的転換として理解されるべきものです。身体を対象としてではなく、行為として捉え直し、宇宙的構造と社会的秩序を再構成する起点とすることに関心があります。

──作品には、生命の循環やエネルギー、宇宙的な秩序といったテーマが見られます。こうした精神的哲学的な関心は、どのように作品の造形へと結びついているのでしょうか。

ダイ 私にとって、これらの観念はまず言語として存在し、それがイメージへと翻訳されるものではありません。むしろ制作のプロセスのなかで、構造と素材を通して徐々に知覚可能なものとして立ち現れてきます。

 私はしばしば、中軸、同心的拡張、螺旋、あるいは循環といった基本的な形態から出発します。これらの構造は、それ自体に循環と生成の論理を内包しており、身体内部の経験に対応すると同時に、より大きな生命や宇宙のスケールへと拡張していきます。私の作品において、反時計回りの螺旋は、視覚的な経路であると同時に、回帰と再生の構造を示すものであり、異なるシリーズのなかで繰り返し現れ、変容し続けています。

「Lines of Infinity」展の展示風景より

 こうした構造は、一度の構図決定によって成立するものではなく、素材のプロセスのなかで徐々に生成されていきます。宣紙の浸透性、鉱物顔料の沈積、多層的な積染のあいだに生じる重なりと拮抗は、画面に非線形的な時間性をもたらします。つまり、イメージは固定的に「描かれる」のではなく、蓄積、調整、そして時間の経過のなかでゆっくりと立ち現れてくるのです。

 色彩に関しても、身体、大地、そして古代文化における儀礼的文脈と呼応するような体系を意識的に構築しています。例えば、赭色、深い緑、鉄黒といった色はただの視覚的選択ではなく、それぞれ血脈のイメージ、植物的あるいは母体的な存在、そして身体と大地を結びつける生成の力と対応しています。

 したがって、私の作品におけるいわゆる「哲学性」とは、表現されるべき内容ではなく、構造、素材、時間が相互に作用することで生じる生成の状態そのものです。鑑賞者が触れるのは、概念の説明ではなく、いままさに生成しつつある秩序なのです。

*2──妊娠して子供を産む、はらみ育てること。あるいは、比喩的に新しい何かを生み出す、はぐくむ、芽生えさせること。

「Lines of Infinity」展の展示風景より

生成する主体へ

──今後取り組みたいテーマやプロジェクトがあれば教えてください。

ダイ 今後も私は、「生成構造」という軸に沿って制作を深化させていきます。同時に、その構造がどのように変化し、異なる主体のあり方のなかでどのように転化していくのかに、より強い関心を持っています。

 これまでの制作が、循環、孕育、再生といったシステムの構築に重点を置いていたとすれば、今後は、そのシステムがずれや不安定性、さらには断裂を生じたときに、どのような新しい存在の形態が立ち上がるのかを考えていきたいと思っています。つまり、構造の成立そのものではなく、その変容や進化の可能性へと関心が移行しているのです。

 この過程において、女性の経験についても、より開かれたスケールで再考していきたいと考えています。私にとって女性性は固定されたアイデンティティではなく、ひとつの生成の論理です。今後、この論理が依然として性別に結びついたままであるのか、それとも女性と男性の経験が交差するような新たな構成、あるいは性別区分を超えた「新しい主体性」へと展開していくのか、強い関心を持っています。

 同時に、より根本的な問いについても考え続けています。とりわけ人工知能をはじめとする技術が、人間の認知のあり方や存在の構造を変容させていくなかで、人間の主体性はどこに根拠を持ちうるのかという問題です。もしイメージ、言語、さらには思考までもが再現可能であるとすれば、身体的経験や知覚の様式、そして精神的な生成能力こそが、新たな中心となりうるのではないかと考えています。

 このような条件のもとで、「生成」はもはやたんなる自然過程ではなく、人間のあり方そのものを再定義する契機となる可能性があります。

 したがって、私にとって今後の制作は、形式の延長にとどまるものではなく、変化し続ける世界のなかで、人間が主体的な存在としていかに成立し続けうるのかを問い直す試みでもあるのです。

ダイ・インと《Goddess 19》(2025)