2025.11.1

ミケル・バルセロが信楽の土に見出したもの

スペインを代表するアーティストのひとりであるミケル・バルセロ。1982年に国際美術展「ドクメンタ7」でデビューして以来、第一線で活躍を続ける作家が、初めて信楽焼の作品を手がけ、ファーガス・マカフリー東京で披露した。かねてより親交がある美術史家で慶應義塾大学教授の松田健児がその制作について聞いた。

聞き手=松田健児

ミケル・バルセロ 撮影=編集部
前へ
次へ

──2021年に初めて陶芸家・古谷和也さんの工房を訪れ、信楽での制作が始まりました。お友達のご縁がつながって実現したとお聞きしましたが、日本で陶作品を制作したいと思われた理由、きっかけはなんだったのでしょうか。

 ジョアン・ミロが1960年代に陶の作品を制作していたのがきっかけですね。その写真が残っていて、京都の知り合いを通して古谷さんを紹介してもらいました。ミロと仕事をしていたアルティガスという人物が、信楽でも仕事をしていたのです。

 数年前にバルセロナで尼僧・大田垣蓮月(おおたがき・れんげつ、1791〜1875)の作品を見たことも大きいです。その作品は素晴らしく、土そのものに魂が宿っていた。それも信楽の土だったのです。

「ミケル・バルセロ: 信楽焼」展示風景より Photo by Ryuichi Maruo

──あなたはこれまでも陶の作品をつくってきましたが、例えば生まれ故郷であるマジョルカ島であるとか、ほかの土地の土と信楽の土はどう違うのでしょうか。

 それに答えるのは簡単ではないね(笑)。最初は扱うのが難しかったんです。一度つくっても壊れてしまったりね。というのも、信楽の土には非常に豊かな成分が含まれていますから。だからこそ豊かなものが生まれるのですが、いくつものアクシデントを乗り越えてつくることができたのです。

──信楽はヨーロッパの陶器と異なる高い温度で焼かれます。その炎は自然に任せる要素が大きい。そこに何か特別なものがあると思いますか。

 古谷さんの知識があってこそです。マジョルカ島では19世紀の電気窯を使っているため、均質にできあがります。しかし今回は同じ窯で焼いたにもかかわらず、まったく違う色が生まれた。穴窯の見取り図を書いたうえで、出したい艶や色などを話し合い、並べ方を考えたのです。