2024.10.8

杉本博司と千住博が語り尽くす「古美術のすすめ」

東京美術倶楽部主宰の「東美特別展」にあわせ、杉本博司と千住博によるリモート「古美術」対談を実施。ロンドンギャラリー・田島整をあいだに挟み、濃密な対話が展開された。二人が語る、現代において古美術に触れる必要性とは?

文=山内宏泰

ロンドンギャラリーの田島整と杉本博司
前へ
次へ

古いものに触れることは表現者に必須

田島整(以下、田島) 恒例の「東美特別展」が今年も10月に開かれます。全国約500の美術商が加入する東京美術倶楽部主宰の催しで、今回は選ばれた65軒が出展します。同展が始まったのは1964年、最初の東京五輪のときでした。今年で60周年を迎えるので、おそらく日本最古のアートフェアです。

 もちろん作品の販売もしますが、「原点回帰」初めて開催した時の理念を引き継ぎ、日本およびアジアの美術品を海外に発信する機会であることも重視しています。また古美術だけでなく現代美術の作品も並ぶ本展では、今回対談されている千住博さんの作品も出品されます。

田島整
新生堂 千住博 「ウォーターフォール・オン・カラーズ」

千住博(以下、千住) 「東美特別展」は私自身、東京藝術大学の学生だった1970年代終わりごろから拝見しています。当初は、「生きてるあいだに自分の絵がここに並ぶことなんてあるだろうか......」と、ひたすら仰ぎ見る世界でした。80年代終わりから出品させていただけるようなりましたが、最初にお声がけいただいたときは、それはうれしかったですね。

 ただ同時に、出品するようになってすぐ、これほど厳しい舞台もほかにないと気づきました。それはそうでしょう。国宝・重文級の作品を日々見ている名だたる古美術商の方々が、「これは本来売りたくないのだが......」などと言いながら出してくる逸品と、見比べられてしまうのです。

東京で初めてのオリンピックが開催された1964年に始まった「東美特別展」

 そうした厳しい場で、自分の作品がどう見えるのか。類例のない仕事ができているか。伝統に則っているのかどうか。繰り返し確認したものです。その過程で、多くの古美術商の方々に知っていただき、励ましていただきました。東京美術倶楽部と「東美特別展」は、私の人生を牽引してきてくれた舞台です。

千住博 撮影=森康志

杉本博司(以下、杉本) もちろん私も、東美特別展のことはかねてから知っています。1979年から15年ほど、私は古美術商を営んでいました。その世界にいるかぎり「東美特別展」は、ぜひ見ておかなくてはならぬものでした。

 最初に観たのは80年代初頭のこと。当時の私にはとうてい買えない品々が並び、たいへん感銘を受けました。木造二階建て、千鳥破風の建物も印象的でしたが、これはバブル期にビルへと建て替えられてしまった。新橋の一等地ですから放っておけなかったのでしょうが、古美術商団体が貴重な建築を壊すとは何事か! そう抗議しましたが、後の祭りでした。

田島 そのとき建てた東京美術倶楽部ビルディングが、現存のものです。「東美特別展」もそのビル内で開かれます。

杉本が指差すのがいまはなき初代・東京美術倶楽部の建物

杉本 古美術商と作品制作を同時並行で進めているうち、作品が売れるようになってきたので、制作に時間を割くこととし、古美術商はきっぱりやめました。それでも古美術購入はやめられず、気づけばコレクターとなっていました。古いもの、美しいものを手に入れたときのよろこびは、ほかに代え難いものがあります。うれしい気持ちが収まらず、枕元に置いて寝ることだってあります。

 また古美術には、大事な使い道もあります。それら古いものと自分の作品を、床の間などに並べて掛けてみるのです。古いものに対して勝てないまでも、並べても恥ずかしくないものになっているかどうか、チェックします。古美術を自作の評価基準として用いているわけです。

杉本博司

 そのためにも、いいものを集めて手元に留めておく必要があります。かつての大家である前田青邨、安田靫彦、小林古径、橋本関雪といった諸先生方も皆、やはり古いものを所有していたものです。

 前田青邨所有の十一面観音は、ご本人の手を離れたあと白洲正子さんが入手し、いまは私のところにあります。安田靫彦の箱書き付き良寛の軸もうちにあります。橋本関雪邸の庭にあった五輪塔も、ひとつ来ています。それらを私は、先生方から大切に引き継いだつもりでいます。

千住 いいものを手元に置くというのは、いい仕事をするために大事なことです。明治時代あたりまでは、伊藤博文や井上馨ら政治家も、よくコレクションをしていたものですね。

杉本 時代は下りますが、小林秀雄や川端康成ら文人もそうですね。知的な階層の者であれば、骨董のなんたるかくらいは知っておかねばならない社会だった。そういう価値観はいまや崩れつつありますが。

松森美術 川喜田半泥子 茶碗「時雨」

これからのアートは「掛け軸化」していく

千住 古いものを集め、自作と見比べるだけに留まらず、杉本さんは作品内で過去と現在を融合させておられますね。写真を掛け軸に仕立てているのを拝見して、感銘を受けました。

杉本 そうですね、私の場合は古美術を、いろんなかたちで用いています。未来に向かうよりも、過去に足を向けるのが好きな、根っからのアナログ人間ですので。最近は写真が和紙に刷れるようにもなって、どんどん「掛け軸化」へと進んでいます。

 掛け軸という形式は、東洋の美術の大きい特徴のひとつです。日本の流儀では、作品を掛けっぱなしにするのはいけないとされます。季節によって、また客人によって、つど掛け替えていく。ひとりの客人に同じものが掛かっているのを見せるのは、基本的には失礼にあたります。

ロンドンギャラリーの展示風景

千住 日本に渡ってきて、さらに発展したおもしろい文化ですよね。掛け軸は出しっぱなしだと傷むので掛け替えざるを得ないのもたしかですが、いっぽうで「一期一会」をかたちに表したものとも言えます。茶会ではこれが最初で最後だという体験を、毎回お客様にしていただく、自分自身もそのように日々生きるなかに刹那の美を見出す。それを本当の豊かさとみなすのが日本文化の核心です。

杉本 掛け軸方式はこれからますます世界に浸透していくんじゃないでしょうか。使わないときは巻いて箱にしまっておけるので保管・管理もしやすいですし。

 私は設計を依頼されたときには、国内外を問わず床の間風のスペースを必ずつくります。ここに好きなものを取っ替え引っ替え掛けて楽しんでくださいと、ご提案するのです。床の間を世界共通語にしていきたいですね。

千住 私も近年、古いものと自作を合わせる実践をしています。自分の絵に、蒐集している江戸時代の裂地で表具をして、掛け軸に仕立てているのです。今回の特別展でも、その掛け軸を一幅出しています。来年にはこのシリーズをまとめて観ていただく機会を設ける予定です。

制作中の千住博

杉本 江戸時代の裂地は、草木染めなど自然素材そのものの色が多いですね。千住さんは岩絵具をお使いですから、自然由来のもの同士で非常に相性がよいことでしょう。

千住 はい、親和性が高いと感じています。さらに言えば、岩絵具には岩絵具の素材感があり、表具の裂地にも「つるつる」「ざっくり」といった素材の味わいがあります。それらを存分に楽しみたいという気持ちは強いです。

 デジタル技術中心の「新しい文明」に欠けているものの代表格、それが古美術の持つ素材感です。コロナ禍を経てさらにデジタル化が急進展したいま、素材感をはじめとするデジタルで表せないものを請け負いカバーしていくのが、アートの役割になっていくんじゃないでしょうか。

古美術 藪本 尾形乾山「定家詠十二ヶ月和歌花鳥図・二月」

杉本 同感です。デジタルやAIでアートが完結するようでは、もう文明も終わりではないか。先日も行きつけのラーメン屋に行くと、席にタッチパネルが置いてあって、それで注文するようになってました。味気ないことこのうえないですね。

 これからデジタル化が進むことによって、古美術の価値はいや増し、見直されていくと思います。ましてや日本の古美術のレベルは、世界の美術市場のなかに置いても、とてつもない高水準です。ただ、それをちゃんと見てわかり、感じることのできる人が多くないのは問題です。

 例えばギリシア・ローマ時代や、古代中国の壺には市場で高い値がつきます。対してきれいに釉薬がかかった平安時代の須恵器は、質的に負けていないのに値段がずいぶん安い。そのぶん狙い目とも言えますが、日本の古美術は本来もっと評価されていいものですよ。

杉本博司

「時間」「感触」という日本美術の特質

田島 日本とアジアの古美術のおもしろさでいえば、「時間により変化していく」という点も指摘できそうです。たとえば銀を用いて書かれた写経は、時の経過とともに酸化して黒くなっていく。裏に箔を散らした作品は、時が経つと箔の成分が表に染み出てきて、その模様が見るべき「景色」となる。時間が作品を仕上げるということも古美術のおもしろさだと思います。

千住 そうですね、その手法は古美術にかぎらず、現在にもしっかり受け継がれています。私も杉本さんも香川県の直島に作品が置かれていますが、私のほうの《空の庭》と題した襖絵は、銀泥で描いています。時間とともに黒くなっていくのを承知で、あえて用いています。

 「直島に作品を」とお声がけいただいた福武總一郎さんからは、日本から発信する現代アートの可能性を考えてくれとお題をいただいていました。私が思うに、西洋美術が不変の概念を目指してきたとすれば、対する東洋美術には無常という概念が強くあります。常ではないということを一枚の絵で表すにはどうしたらいいか。考え尽くした末、私は銀の背景に森と崖を描くことにしました。銀が変色していくのを通して、日本の美術の本質に無常観があることを示しました。

 設置して数年で銀はどんどん黒くなっていきました。想像以上に早い変化で少々戸惑いました。時の流れはすさまじい。時の流れこそ我々にとって最も大切なものであると、この作品が私に教えてくれました。

2009年完成当時の《空の庭》
撮影=Nacása & Partners Inc.
2024年の《空の庭》

杉本 銀塩写真で作品をつくっている私も、ずっと銀を用いてきたことになりますね。直島には、海辺に雨晒しで設置した作品群があります。私としては銀がどんどん変化していくことを意図していたのですが、定着処理をちゃんとしすぎたのか、いまのところ意外と変化がなくて、少々がっかりしているところです。

 千住さんの《空の庭》が設置されている直島の施設「石橋」を、先日久しぶりに訪れました。黒漆で塗った床のツヤがとれて、たいへんいい感じになってきていますね。

杉本博司
杉本博司ギャラリー 時の回廊の展示風景より、壁に飾られているのは《アイリッシュ海、マン島》(1990)

千住 そのご指摘は大変うれしいです。あそこはまさに、手ざわりならぬ「足の裏ざわり」を重視してつくったので。靴を脱いで屋内へ上がる日本人にとって、足の裏は手のひら同様に高感度のセンサーとして働きます。日本の家屋は足の裏の接触を通して、素材感や温度、湿度など多くの情報を与えてくれるのです。

 杉本さんの建築のお仕事は、いつも素材感や体感を重視していらっしゃると感じます。例えばMOA美術館は、素材の魅力をふんだんに味わえますね。

杉本 MOA美術館の展示室リニューアルは、存分にいい仕事をさせていただきました。展示ケースは屋久杉を用いており、わざと目を立てる「浮造り」という仕上げを施し、素材の持ち味を強調しています。また、展示室の周りに壁を立て、黒漆喰を塗り込めて、ガラスケースへの写り込みを一切なくしました。そこに国宝の野々村仁清《色絵藤花文茶壺》が置かれたさまは、あたかも宇宙空間のなかに壺が浮いているかのようです。

千住 あの環境で対面すると、壺が雄弁に語り出す。まさに宇宙を感じさせます。宇宙とは空間と時間のことで、そのふたつをくっきり浮かび上がらせるのが、美術品の理想的な展示のありようだと思います。

古美術を通して日本を体感せよ

田島 本物に触れ、体感することが、作品を味わうには何より大切というお話だったかと思います。おふたりがとくにお好きな古美術のジャンルや作品はありますか。

杉本 古美術で私がいま一番見たい、また買いたいものといえば、やはり牧谿や馬遠といった南宋の水墨画です。風景などに託して「気韻」のみを表現しようとしていて、見るたびに唸らされます。

千住 南宋絵画には私も思い出があります。大学院に在学中のこと、台北故宮博物院の地下修復室に入れていただいたことがありました。朱色の漆塗りの修復机に南宋絵画が置いてあり、至近距離で覗き見ると、絵画が呼吸しているように感じられました。木の葉の一枚ずつが描き分けられ、しかも葉は緑に、花は赤く薄っすら色が付いていました。ガラスケース越しに遠目に鑑賞していたときにはまったく気づかぬ、こまやかな工夫が凝らされているのを知って、ショックを受けました。最高峰のものはここまでやっているのかと。

 その後、同じく南宋の画家・梁楷の作品を、ある古美術店でじっくり拝見する機会を得ました。そのときも、画中の宇宙的な広がりに感じ入り、言葉を失いました。

 当時の私は西洋絵画に傾倒していましたが、梁楷によって世界の半分しか見ていなかったことに気づかされ、以降自分の作品を東洋美術へシフトさせていきました。

 それにより大きなジレンマも解消されました。西洋美術一辺倒だったころは、それら素晴らしい作品群の「次」を担うことは自分にできないというのが悩みでした。西洋に生まれ育ったわけではない私には、その文化を継げるわけもなく歯がゆかった。東洋美術との出会いによって、自分の創作の方向性が定まり、日本の伝統の「次」をつくるのだという意欲が湧いたのです。

杉本 実物を目の当たりにして初めて、本当の凄みが伝わるということはよくあります。北京の故宮博物院に、馬遠の《十二水図》と呼ばれるものがあります。各地の水辺の光景を描いたものです。私はこれを《海景》を始めたあとに知り、「自分と同じようなことをしている人が、宋の時代にすでにいたのか」と驚きました。たいへん繊細な表現ですから、図版で見るだけではなかなか伝わらないかもしれません。

千住 このところ日本のお寺でも、持っている名品そのものは表に出さず、高度な印刷複製品で代用する例が増えています。様々な事情はあるのでしょうが、複製品はやはり実物とは似て非なるもの。複製を見て「こんなものか」と思われてしまうのは文化的損失です。実物を見る・見せることの大切さを改めて強調しておきたいところです。

甍堂 唐招提寺盧舎那仏光背化仏

杉本 人に模造品を見せて、本物は収蔵庫にしまっておくというのでは、なんのために美術品が存在しているのかわからなくなってしまいます。そんなことがまかり通るようでは、世も末ですよ。

田島 歴史を刻んできた名品の実物と、じっくり対面すべしということですね。「東美特別展」をひとつのきっかけとしていただければと思います。今回は同時開催で「常盤山文庫名品撰 東京美術倶楽部を彩った書画の名宝」と題し、国宝・重要文化財を含む全11点が並ぶ展覧会もあり、一期一会の機会となりそうです。

 最後に杉本さんと千住さんからそれぞれ、「古美術のすすめ」の言葉をいただきたいのですが。

杉本 古美術に触れたことがないとは、日本の真髄に触れていないようなもので、もったいない話です。古美術を通して、日本人がどういう目を持ち長い歴史を生きてきたのかは、やはり知っておいたほうがいいでしょう。

 古美術店へ足を運んでみると、値の高いものばかりじゃなくて民芸的な安いものもありますから、いちど本物に触れに行ってみてください。

千住 古美術を通して日本を体感せよという杉本さんの「すすめ」、その通りだと思います。日本文化には、世界のあらゆる歴史と文化が、流れ込んで溜まっています。日本は西から東へ伝播する流れの終着点だからです。

 多様で国際的な蓄積を一堂に見せてくれるのが日本の古美術であり、日本の古美術を見るというのは人類史を丸ごとたどるに等しいことです。むりにわかろうとしなくてもいいですし、むやみにありがたがる必要もありません。まずは気軽に古いものと対面する機会をつくってみてください。気が合う品ときっと出逢えるはずですから。