2026.4.22

なぜ、ジェフ・クーンズは「キッチュ」を愛し続けるのか?

現代美術を代表するアーティスト、ジェフ・クーンズがエスパス ルイ・ヴィトン大阪での個展開催に合わせて来日した。「凡庸さ」「no judgement」「セルフ・アクセプタンス」──約40年の制作を貫くキーワードとともに、インタビューでのクーンズの言葉を引きながら、その作品と思想に迫る。

取材・文=岩垂なつき(美術評論家/トーキョーアーツアンドスペース学芸員)

エスパス ルイ・ヴィトン大阪で《Bracelet》(1995-98)の前に立つジェフ・クーンズ 撮影=来田猛
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 エスパス ルイ・ヴィトン大阪で開催中のジェフ・クーンズの個展「PAINTINGS AND BANALITY - SELECTED WORKS FROM THE COLLECTION」は、フォンダシオン ルイ・ヴィトンによるキュレーションのもと、ジェフ・クーンズの1980年代の彫刻作品から2000年代の絵画作品までを紹介する展覧会である。本展のためにアメリカから来日したクーンズはメディアのイメージそのままの笑顔で、フレンドリーかつ紳士的な姿勢を崩さない。まるで彼自身がひとつの作品であるかのように──。

「凡庸さ」に美を見る──「BANALITY」シリーズをかたちづくる思想

 本展においてまず特筆すべきは、1988年に発表された「BANALITY」シリーズから3点が展示されていることだろう。1977年に作家活動を開始したクーンズの初期から中期にかけての変化を象徴するこのシリーズは、現在の作家性に接続する重要な位置にある。「banality」とは、日本語では凡庸さや平凡さを示すが、なぜ彼はアーティストという独自性を求められる立場でありながら、「凡庸さ」に着目しているのだろうか。今回のインタビューでクーンズは、英語を母国語としない私たちにも伝わるよう、ゆっくりと、そして明瞭な言葉で答える。

左から、《Little Girl》(1988)、《Woman in Tub》(1988)
© Jeff Koons Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris Photo ©︎ Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton
展示風景より、《WILD BOY AND PUPPY》(1988) © Jeff Koons Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris Photo ©︎ Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

 「もともとはレディ・メイドによる制作をしていたのですが、広告やポストカードなど日常的に私たちの目を引くイメージはアニメ的であったり鮮やかすぎるため、ヒエラルキーの中で価値の低いものとして捉えられていることに気づきました。しかし私はそれらのもつ美しさに惹かれ、人々にあなたが好きなものは完璧である、と伝えようと考えたんです。例えばピンク色や、かわいい猫のイメージが好きならそれでもいいのだと」。

 クーンズの初期の作品といえば、掃除機をモチーフとした「THE NEW」(1979-87)、バスケットボールや広告写真がモチーフとなった「EQUILIBRIUM」(1983-93)などのシリーズが知られ、ここでは既製品を美術の文脈で提示している。既存のイメージを引用している点で「BANALITY」はこれらの実践と関連しつつも、ポップなイメージがいかに人々を惹きつけ、そして人々が惹きつけられているのかに焦点を当てている。

 出展作品のひとつに、《Woman in Tub》(1988)がある。モチーフはポストカードのイメージで、女性の入浴中に何者かが侵入した、という場面を陶器で表現している。浴槽に見えるシュノーケルから想像される「侵入者」の視点と鑑賞者の視点がここで重なり合い、性的な欲望を掻き立てる。だが、目の前にあるのは、ポストカードのような容易に消費されるものではなく、精巧な「芸術作品」である。女性の唇、肢体は素材の転換によってそのキッチュな性質が一層強調され、鑑賞者は自らの欲望に向き合うよう促されると同時に、作品としてその感性が固定される。作家の表現は大衆文化への皮肉ではないか、という疑念を抱かせるほどに直接的だが、その姿勢は一貫している。作品は「セルフ・アクセプタンス」、すなわち人々が自らを受け入れるためのものであると。

 「『BANALITY』では前シリーズの『STATUARY』(1986)で関心をもっていた、社会において人々をどのように惹きつけるか、という問いを引き継ぎつつ、どのように自分自身、そして人々が自らの力を発揮できるかについて扱っています」。

 人の嗜好や感性は、生い立ちや経済的・教育的背景と関連しているため、それらを認めることは、自分自身を受け入れることにつながる。「BANALITY」から明確になったというこのコンセプトは、現在に至るまで引き継がれている。

反射と反省──素材が生む「no judgement」の空間

「ガゴシアン・ギャラリーの個展(*1)で発表している『PORCELAIN』シリーズでも、セルフ・アクセプタンスは核になっています。ここでは陶器のオブジェをステンレス・スチールに変換し、『reflection(反射)』の効果を用いています。鑑賞者が反射するとき、その人が生きる物語や経験すべてが映し出され、作品中で活性化されるのです」。

 クーンズはこれまでの制作でも、反射する素材を数多く用いている。本展の《Little Girl》(1988)は鏡の作品で、幼い少女のフォルムはちりばめられた花の装飾とともに鑑賞者に心地よさを与えるが、いっぽうでそれを享受する人の姿は完璧に仕上げられた鏡面に容赦なく映し出される。「reflection」はまた、哲学の文脈では「反省」とも訳され(*2)、反射する素材は、ポップなイメージを好む私たちの欲望がどのようなものであるかを見つめる機会をつくり出す。

 「付け加えると、輝く素材はその表面に映し出すものについて『no judgement(価値判断をしない)』であり、すべてを受け止めます」。

 「no judgement」はクーンズがしばしば用いる表現であり、本展では絵画作品に関連を見ることができる。「HULK ELVIS」(2004-)シリーズの巨大な絵画2点では、玩具、雑誌や広告の1ページを思わせる商業的なイメージなどが無差別に重ねられている。強烈な色彩と何層もの図像という情報の洪水のなかで、作品を見る人の「判断力」は宙吊りにされる。画面は素直な感性すらも入り込む余地はないほどに混沌としているが、洗練された「絵画」としての構図や色彩の評価軸からは解放されていると言えるだろう。

エスパス ルイ・ヴィトン大阪での展示風景
© Jeff Koons Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris Photo ©︎ Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

*1──「PORCELAIN」シリーズは2025年11月13日〜2026年2月28日、ガゴシアン・ギャラリー(ニューヨーク)で発表された。
*2──石塚正英・柴田隆行監修『哲学・思想翻訳語事典 【増補版】』論創社、2013年、223~224頁。

キッチュも、欲望も、すべてを受け入れる場所へ

 出展作であるキッチュな特質を強調する彫刻作品や鏡、イメージを無差別に取り込んだ絵画には、趣味や欲望へのジャッジをやめ、その人自身を受け止めるべきだという作家の姿勢が体現されている。この意味で本展は、ある種の器であると言えるだろう。そこではどのような人も、ものも受け入れられ、そして撹拌される。このとき、アーティストも、作品も、あらゆる鑑賞者も、同列の位置に置かれるのである。

 現在71歳、美術界のトップを走り続けてきたジェフ・クーンズ。彼にとって、これまでの最高傑作とはなんだろうか。

 「まだ本当につくりたいものはつくっていません。徐々に近づいている気はしていますが、もっとできると感じています。もちろんこれまでの制作については、いずれも限界まで力を注いだことに誇りをもっていますし、それによって人として、アーティストとして成長してきました。私はいま、どれほどの奥深さ、そして意味を人生経験のなかに見出すことができるかに、一層の関心をもっています」。

 展示室の中央には「EQUILIBRIUM」シリーズの水槽に浮かんだバスケットボールの作品がある。水面がちょうどボールの中央に位置するように、物理学者に協力を依頼して実現したものであるが、聞けばこの状態は永遠に続くものではなく、定期的に調整しなければ次第にバランスを失うという。ふと、これはクーンズの肖像なのではないかと思った。様々な実践のなかで、浮きつ、沈みつも自らの理想をひたすら追い求め続けるアーティストの姿は、揺れ動きながら完璧な平衡状態を目指すバスケットボールのように、危ういイノセンスを孕みつつも、強烈なエネルギーを放っている。

エスパス ルイ・ヴィトン大阪での展示風景。左壁は《Landscape (Tree)Ⅱ》(2007)、中央は《Three Ball 50/50 Tank》(1985)、右壁は《Bracelet》(1995-98) © Jeff Koons Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris Photo ©︎ Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton