EXHIBITIONS
友沢こたおの「叫び」_爆ぜる身体
スクールデレック芸術社会学研究所で「友沢こたおの『叫び』_爆ぜる身体」が開催されている。
以下、本展を企画した飯田高誉(スクールデレック芸術社会学研究所所長)による展覧会ステートメントだ。
「友沢こたおは、『生』と『死』の境界領域上で『生の感触』を意識化していく。生の息遣いと死への恐れ、カオスとコスモス、エクスタシーと絶望、そして夢と現実の境界領域は、溶解し言語化できない新たな感覚領域をつくり上げている。その境界領域では、意識そのものが混沌、闇へと陥り、レベルの差異が絶えず激しく混ざりあう地点である。そこでは、有機体を超え、しかも生きた身体の限界において、アントナン・アルトーが発見し名付けたものが存在する。それは『器官なき身体』である。強度のある実在性だけが瞬間的に顕現し、それは、もはやそれ自体で表象要素を規定しない。いわゆる『叫び』そのものであり、その『叫び』の波動が身体全体に漲っていく。まさに有機的な表象『以前の』身体の状態を垣間見ることとなる。
本展覧会における友沢の表象行為の不可能性を暗示する出品作品群とは……『口はない。舌はない。歯はない。喉頭はない。食道はない。腹はない。肛門はない。それはまったくの非有機的な生命である。なぜなら、有機体は生命ではなく、生命を閉じ込めるものだからである。身体は完全に生きているが、それでも非有機的なのだ。同様に、感覚は有機体を通して身体を獲得すると、過剰で痙攣的な様相を呈し、有機的な活動の限界を超えていく。それは神経波、あるいは生の感情を通して、直ちに肉体に伝わる』(*)。
『叫び』という特殊なケースについて考察する必要がある。友沢こたおは、『叫び』を作品のもっとも崇高な対象のひとつと考えている。それは、叫びの表現行為、とくに強烈な音に色彩を与えることなどできない。また、音楽も同じ課題に直面し、つまり『叫び』を何らかの方法で調和することなどできないのだ。友沢が『叫ぶ』とき、それはつねに、あらゆる光景をかき乱し、痛みや感情さえも超越させる。フランシス・ベーコンが『恐怖よりも叫びを描きたい』と言ったのは、まさにこのことを意味している。友沢こたおにとって、もはや刺激的で耳障りな多色彩は必要としなくなった。いまやすべてが明瞭になり、輪郭線や光さえも超える明晰さがもたらされる。
不変の時間の永遠の力と流れゆく時間の変化が交錯する作品群のなかで、友沢こたおは、『叫び』続けている」(展覧会ウェブサイトより)。
*──Gilles Deleuze, Francis Bacon: the logic of sensation, translated from the French by Daniel W. Smith, continuum, 2003, P.45; Chapter 7 Hysteria(ジル・ドゥルーズ『フランシス・ベーコン 感覚の論理学』筆者訳、スクールデレック芸術社会学研究所、2025、45頁)
以下、本展を企画した飯田高誉(スクールデレック芸術社会学研究所所長)による展覧会ステートメントだ。
「友沢こたおは、『生』と『死』の境界領域上で『生の感触』を意識化していく。生の息遣いと死への恐れ、カオスとコスモス、エクスタシーと絶望、そして夢と現実の境界領域は、溶解し言語化できない新たな感覚領域をつくり上げている。その境界領域では、意識そのものが混沌、闇へと陥り、レベルの差異が絶えず激しく混ざりあう地点である。そこでは、有機体を超え、しかも生きた身体の限界において、アントナン・アルトーが発見し名付けたものが存在する。それは『器官なき身体』である。強度のある実在性だけが瞬間的に顕現し、それは、もはやそれ自体で表象要素を規定しない。いわゆる『叫び』そのものであり、その『叫び』の波動が身体全体に漲っていく。まさに有機的な表象『以前の』身体の状態を垣間見ることとなる。
本展覧会における友沢の表象行為の不可能性を暗示する出品作品群とは……『口はない。舌はない。歯はない。喉頭はない。食道はない。腹はない。肛門はない。それはまったくの非有機的な生命である。なぜなら、有機体は生命ではなく、生命を閉じ込めるものだからである。身体は完全に生きているが、それでも非有機的なのだ。同様に、感覚は有機体を通して身体を獲得すると、過剰で痙攣的な様相を呈し、有機的な活動の限界を超えていく。それは神経波、あるいは生の感情を通して、直ちに肉体に伝わる』(*)。
『叫び』という特殊なケースについて考察する必要がある。友沢こたおは、『叫び』を作品のもっとも崇高な対象のひとつと考えている。それは、叫びの表現行為、とくに強烈な音に色彩を与えることなどできない。また、音楽も同じ課題に直面し、つまり『叫び』を何らかの方法で調和することなどできないのだ。友沢が『叫ぶ』とき、それはつねに、あらゆる光景をかき乱し、痛みや感情さえも超越させる。フランシス・ベーコンが『恐怖よりも叫びを描きたい』と言ったのは、まさにこのことを意味している。友沢こたおにとって、もはや刺激的で耳障りな多色彩は必要としなくなった。いまやすべてが明瞭になり、輪郭線や光さえも超える明晰さがもたらされる。
不変の時間の永遠の力と流れゆく時間の変化が交錯する作品群のなかで、友沢こたおは、『叫び』続けている」(展覧会ウェブサイトより)。
*──Gilles Deleuze, Francis Bacon: the logic of sensation, translated from the French by Daniel W. Smith, continuum, 2003, P.45; Chapter 7 Hysteria(ジル・ドゥルーズ『フランシス・ベーコン 感覚の論理学』筆者訳、スクールデレック芸術社会学研究所、2025、45頁)