2025.6.10

「数寄メカニカル」は
いかに誕生したのか?
山口晃が語るクレドールとの協業

画家・山口晃が日本発のドレスウオッチブランド「クレドール」と初めてコラボレーションし、「数寄メカニカル」をデザインコンセプトにした限定モデルを生み出した。山口のこだわりがふんだんに詰まったこの腕時計を、山口の言葉とともに振り返る。

聞き手・文=佐野慎吾 撮影=手塚なつめ

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 日本の美意識と匠の技によって生み出される日本発のドレスウオッチブランドのクレドールが、画家の山口晃とのコラボレーションにより、「数寄メカニカル」をコンセプトに掲げた国内限定15本のスペシャルモデルを発表した。山口はクレドールのヘリテージであるメカニカルモデルをインスピレーションソースに、日本絵画で用いられる「菱文様」や「雲」のモチーフを取り入れた、独創的な意匠を考案。さらにダイヤル左下部分はスケルトン仕様でムーブメントを露出させ、2次元と3次元、伝統的な様式美と未来的な精密機構がオーバーラップするかのような、奥行きのある世界をダイヤルの上に表現した。

 様々な試行錯誤を経て、ようやく完成したスペシャルウォッチを初めて手にした山口に、今回のコラボに込めた想いを訊いた。

山口晃がデザイン監修した限定モデル GCBD997
山口晃がデザイン監修した限定モデル GCBD997

「腕時計やブランドに関する知識はあえて入れない」

──今回のようなコラボレーションでは、ご自身の創作活動とは違ったエネルギーやものの考えかたが必要になるかと思いますが、他者と協業する際に注意していることはありますか?

山口晃(以下:山口) 仕事には純粋な創作活動のほかにも、はたして自分に向いているのかとか、キャリアになるのかとか、臨時収入がほしいとか(笑)、色々な雑念雑事がくっついてきます。でもその全部を取り払ったときに、最後に「遊び」の部分が残ってくるようであれば、創作たりうるし、結果もよくなるものだと考えています。また、仕事には必ず締め切りというものがついてまわりますが、普段であれば3日思い悩むところを1日しか悩めないことで「妥協」の産物になるこもあれば、逆に短時間で追い込まれることで自分の深層に近いところが発動して、思わぬ方向に飛躍できることもあります。自由意志で判断すると大体間違えるんで、最終的には面白いか面白くないか、その単純な基準を大事にするようにしています。他者との協業によって自身の変容が迫られる点では、普段の制作で変容に導かれるのと変わらないとも言えます。

山口晃

──クレドールは日本人の感性と価値観で「美」への飽くなき探求を続け、精緻で気品を纏った腕時計を創造するブランドですが、今回のコラボレーションを通して、クレドールの腕時計にはどのような印象を持ちましたか?

山口 正直、普段から腕時計を着けないこともあって、腕時計に詳しくないのでクレドールに固有のことかわかりませんが、盤面の僅かな凹凸が生み出すエレガントな陰影に始まる、最小限の造作が響きあった過去のモデルの強い造形性。あれに尽きるような気がします。それでも、そびえ立つ先行作品の「あり方」を現在で再演してゆく方便の探求は、自分の専門にとっても人ごとではありませんでした。

限定モデル「GCBD997」を手にする山口

──腕時計の専門的な知識がなくても、デザインを考えるうえで支障はありませんでしたか?

山口 何も知らない状態か、すべてを知り尽くした状態か、両極じゃないと面白いものは生まれないと思いますので、知悉する猶予時間がない今回、腕時計やブランドに関する知識はあえて入れないようにしました。素人がちょっと知識を聞きかじったぐらいの発想がいちばんおもしろくないわけです。これまで腕時計をデザインしたことがない身からすると、当然何ができて、何ができないかということもまったくわからないので、とにかくそこは、物から始める、機構をよく見る所から、なんでも思いついたこと、おもしろいと思ったことを投げかけてみて──もちろんできないことも多くあるのは前提ですが──何かできることがあるとしたら、そこからアイデアを広げていけばいいと考えました。

──その考え方は、普段の創作にも通じるものですか?

山口 そうですね。今回のコラボレーションでも、なにかアイデアが浮かんだら落書きみたいにして残しておきましたが、普段の創作でも私は落書きを大事にしています。その時に詳細を描きすぎず、かつイメージを十分に掬い取っておくことを意識しています。例えば親の顔を思い浮かべたとして、その顔を描こうとして手を進めていくうちに、あれ、こんなんじゃなかったはずだって、元々のイメージが消えてしまうことがあります。落書きの段階ではなるべくぱっと浮かんだ印象の強さのまま残して、またそれを見返すと、最初に抱いたイメージが強く浮かぶようにしています。

山口晃

──そのイメージをもとに、計画的に作品をつくり上げていくのでしょうか?

山口 いや、落書きは流れの方向を示すためのものなので、実際の創作はもう少し即興的に進めることが多いです。最初に決め込むとうまくいかないから下絵もほとんど描かないですし。最初の手がかりはあくまで「丸描いてチョン」ぐらいラフなものにしておくと、それに導かれて思いもしなかったものが生まれることがよくあるんですね。そうやって即興的に生まれたものと、積み重ねていってかたちになるものが、両方同時に進んでいくかたちを理想としています。最初から最後まで思った通りにできてしまうと、なんだか手持ちのものだけで簡単にまとめてしまったようで、罪の意識に苛まれるような感覚になるんです。でもいざ新しいものが現れてくると、こちらも初めて対峙するものですから、見通しが立たなくなる。これはこれで、今度は納期とのご相談になってくるんです(笑)。想定したとおりに進めると納期内に完成するのだけれども、でも絵は違う方に行けって言っているから、板挟み状態ですね。そこで絵の声を無視してそういう転がり方をしないようにしてしまうと、次からはもう転がる力自体がなくなってしまう気がして、なるべくその流れは守るようにしています。

山口晃

「数寄メカニカル」に込めた意味

──コラボレーションのコンセプトは「数寄メカニカル」ということでしたが、そのアイデアはどのようにして生まれましたか?

山口 色々混ざっています。お茶席の待合で、円座の藁とか盆の木材とか、火入れの陶器や灰吹の竹、雁首の金属など雑多なテクスチャーがタバコ盆周りに見事に調和を見せてる感じとか、「数寄」的に素材の取り合わせの妙やゴチャつきを調和させて表現をするというアイデアは、割と最初の頃からありました。例えば囲炉裏の上で燻された煤竹のような簡素な材料が、高価な茶杓になるというところに、数寄ならではの転換があります。むき出しになったムーブメントのメカメカしさを、盤面にあるほかの要素とどう調和させてゆくかで、なにか新しいものが生まれるのではないかと考えました。

山口晃

──山口さんの作品のなかにもたびたびメカニカルなモチーフが登場しますが、メカに興味を惹かれる理由はどんなところにあると思いますか?

山口 ソリッドで輪郭に線が残しやすいところや、静態でも動態イメージさせるところ、何がしかの摂理が図解されているようなところが魅力だと思います。なかでも私が腕時計のメカニカルを見て思い起こすのは、子供の頃に観たハリー・ハウゼンのストップモーション映画『シンドバッド虎の目大冒険』で青銅のミノタウロスが、歯車が詰まった時計仕掛けの心臓を胸部に装着されることで、命が吹き込まれるシーンです。今回のコラボレーションでも、「てんぷ」の律動を生命の息吹に見立て、それが波紋のように広がり万象が発生してゆく様子をイメージしています。

「伝統」に縛られない重要性

──ダイヤルのデザインのなかでもとくに印象的なのが、ゴールドの略字を用いて表現された「菱文様」の意匠です。このモチーフを取り入れた理由を教えてください。

山口 パースのつかない日本絵画では、奥行きを表現する際に菱形の配置や形態が用いられます。平面的にも立体的にも展開してくれるモチーフなので、腕時計のようにフラットで小さい円形の中でも、なにかいいイタズラをしてくれないかなという考えで菱形を散りばめました。目を射る鋭い光と、吸い込まれるような闇をつくる点、盤面の放射状の広がりに対して垂直方向に前後退するベクトルを生じさせられるので、より多次元的な造形に役立ったと思います。これをかたちにするのは非常に難しかったようで、私の思いつきに職人さんたちが戸惑うこともあったようですが、最終的には時間を表す用途で使われていた略字を組み合わせることで、奥行きのあるデザインを実現してもらえました。ここだけでも、合計11種、60本のパーツが使われているそうで、できあがったものを見てみると、光の入り方によって思わぬ表情が現れ、とても見応えのあるものに仕上がっています。

限定モデル「GCBD997」
限定モデル「GCBD997」

──そうやって新しいことにチャレンジする姿勢を見て、共感のようなものは感じられましたか?

山口 伝統というものは、それによって得た視座で自らを十全に使い得た結果の連なりで、やっているうちに自然と出来てしまうものでしょう。当初は誰もが、自分の内的欲求に忠実に、アルス(註:ラテン語で「芸術」や「技術」を指す言葉)に倣いやがて自らのアルスを探求していたはずです。どこに行くかもわからなかったものが、いざ積み重なってくると、慣性が働いてどんどん先行きが決められてくる。未知への羅針盤だったはずが、いつの間にか既知へのくびきになる。それでも進んでゆくためには、形をとるか、あり方を取るか相当腹を括らなければなりません。自分のことはなかなか見えないものですので、他者の姿勢は勉強になりますし、身につまされます。

限定モデル「GCBD997」を手にする山口晃
限定モデル「GCBD997」

 これまでも自身の作品のなかで、精緻なメカを描きこんできた山口晃。今回、クレドールとともに生み出した「クレドール Art Piece Collection 山口晃氏コラボレーション 限定モデル GCBD997」はその究極のかたちとも言えるものだ。山口でしか発想できないアイデアとクレドールの職人技が見事に融合した今回の本モデルは、伝統と革新、そして自由な発想の重要性を体現している。