文筆家・栖来ひかりが選ぶ、台湾の原住民族を知る5選。海からみる台湾──原住民族の表現がひらく、もうひとつの地図

映画や文学、音楽、アート、建築、そしてナイトカルチャー。日本とも深い関係をもちながら、独自の歴史と社会を背景に多様な表現を生み出してきた台湾を、いまの視点から読み解く。特集「コンテンツから知る台湾カルチャーの現在地」では、ひとつのジャンルに限定せず、作品や場所、文化的な実践を手がかりに台湾の現在地を紹介するシリーズを展開する。今回は「原住民族」をテーマに文筆家の栖来ひかりによる5選をお届け。

文=栖来ひかり

雜誌「海海臺東」より 攝影:林庭宇
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 台湾を語るとき、わたしたちはつい、日本統治期にまつわる近代史や、中国との緊張関係から「台湾」を見てしまいがちだ。そんな視野をより大きな時間と空間へひらいてくれるのが、台湾の先住民である「原住民族」(*1)とその文化実践である。それは、日本、西洋、漢人中心の歴史とは異なる地図からこの島と世界を見直す入り口でもある。

 台湾原住民族の言語はオーストロネシア語族(南島語族)に属し、その広がりは台湾からフィリピン、インドネシア、太平洋の島々、西はマダガスカル、東はラパ・ヌイ(イースター島)、南はニュージーランドにまで及ぶ。台湾をユーラシア大陸の東端ではなく、海によって結ばれた巨大な島嶼世界の一部として捉える視点である。言語学や考古学では、オーストロネシア諸語が台湾から東南アジア、太平洋へと拡散したとする「台湾起源説」も有力視され、海洋世界のつながりを考える重要な手がかりともなっている。

 2026年7月には、かつて「平埔族[へいほぞく]」(平地に住む原住民族)として分類されていた西拉雅族[シラヤ]が、17番目の原住民族として公式に認定された。誰が原住民族なのか、原住民族とはなにか、当事者自身の自己認識と国家による制度的な承認との関係はいまも問い直されつづけ、その動きと呼応するように新しい表現が生まれている。ここでは文学、音楽、コンテンポラリーダンス、映画、そして土地と海をめぐる実践から、現在の台湾原住民族を知るための5つの入り口を紹介したい。

1.   トマス・ハヤン『タイヤル・バライ 本当の人』(2025)

タイヤル族の「百年の孤独」

 歴史は通常、生き残ったものによって書かれる。ならば、死者が歴史を語ったらどうなるだろう?──タイヤル族の作家トマス・ハヤン(Tumas Hayang/李永松)の長編小説『タイヤル・バライ 本当の人』(下村作次郎・訳)は、そんな問いから始まる。

トマス・ハヤン『タイヤル・バライ 本当の人』(2025)

 舞台は、清朝末期から日本統治期にかけて国家権力の山地進出とタイヤル族の抵抗が繰り返された大嵙崁[ダーコーハン]溪流域。清朝の開山撫番[かいざんぶばん]政策(*2)、日本統治下の枕頭山[ちんとうざん]戦役、戦後の白色テロから現代まで、100年以上に及ぶタイヤル族の歴史をマジック・リアリズムの手法で描く。

 1907年の枕頭山戦役は、台湾総督府が樟脳などの森林資源開発と山地支配のため「隘勇[あいゆう]線」(*3)を奥地へ押し広げるなか、タイヤルが土地と生活圏を守って抵抗した戦いだった。1930年の霧社事件より20年以上前、日本の植民地国家が原住民族の領域へ入り込んでいく最前線で起きた「郷土防衛」の戦いともいえる。

 物語では、狩人、飛行士、白色テロ被害者の子、老いた幽霊という異なる時代の4人の「ワタン」が、死者同士の対話を通じて断片化された記憶をつないでいく。第1部の狩人ワタンが生きる山には、祖先から伝わるGaga──タイヤルの生活規範や倫理──と、「森林法」「野生動物保護法」など現代の法律が併存し、かつて当然だったタイヤルの狩猟が「違法」とされている(*4)。パイワン族ルーツのアーティスト、チャン・ウェンマン(張恩滿/Rawus Tjuliaviya)も《台湾原住民獵槍除罪化》(2014)で、同じ問題を扱っている。

 題名の「Balay/バライ」はタイヤル語で「本当の」「真実の」を意味する。では「本当のタイヤル」とは誰なのか。族語を話す人か、それともGagaを守り続ける人だろうか? 台湾原住民族文学の形成と発展を支えてきたプユマ族の文学者・スン・ダーチュアン(孫大川/Paelabang Danapan)は、これを「現代の原住民の魂の深層に関わる問い」とし、それは生涯をかけて命絶えるその瞬間まで努力され、現在と未来へ開かれたものと説く。さらに孫は、日本語版に寄せて、「私たちが最も求めている読者は、まさしく日本の友人たちです。それは、私たちの記憶には、いつも日本人の影があるからです」と記してもいる。

 タイヤルの暮らす「森」に咲くシマサルスベリ、ムササビ、川魚と共に泳ぐ少女が描かれた日本語版のうつくしい装丁画は、日本のアーティスト・やなぎみわが手がけている。

タイヤル・バライ=著 下村作次郎=訳 田畑書店 2025年刊 3080円

2.パナイ・クスイ「Uninang,平安」とエリ・リャオ

「原住民族の歌」のその先へ

 台湾原住民族の音楽と聞いて、何を連想するだろう? 古謡や多声合唱から近年ではR&Bやラップ、ロックまで多様な原住民族音楽だが、じつは社会運動や土地・ひとの記憶とも深く結びついている。

パナイ・クスイ(巴奈 Panai)「Uninang,平安」MV

 2026年にMVが公開されたパナイ・クスイ(巴奈·庫穗/Panai Kusui)の「Uninang,平安」は、その好例だ。プユマ族の父とアミ族の母をもつパナイは、2017年から原住民族の「伝統領域」をめぐる政策に抗議し、パートナーのイスタンダ・ホソンガン・ナブ(依斯坦達霍松安・那布/Istanda Husungan Nabu )らと台北で2644日に及ぶ座り込みを続けた。

 この曲の背景にあるのは、ナブをはじめブヌン族の家族らが20年以上続ける台東の山深いLaipunuk(内本鹿)への「帰郷」である。日本の植民地下において、ブヌン族は総督府の集団移住政策によって山麓へ移住させられ、1941年には故郷への帰還を試みた人々が弾圧された。それから60年。2001年以降、その子孫たちは旧集落への踏査を始め、祖先の道や地名を確認し、家屋の再建を続けてきた。パナイ自身もこの「内本鹿へ帰る」実践に参加している。

「Uninang」はブヌン語で「ありがとう」。祖先の土地へ向かう仲間の無事を願う歌声には、政治的な抵抗と、身近な人への愛情が分かちがたく重なっている。

 いっぽう、日本と台湾を往復しながら活動するエリ・リャオ(Eri Liao)は、タイヤルの母と日本人の父をもつ。ジャズ、日本民謡、即興音楽などを自在に横断してきた彼女は、2025年、日系ブラジル人ギタリストのマルセロ木村、ギタリストのファルコンと「Aza Roots」(Azaはポルトガル語で「翼」の意)を結成。タイヤル語、日本語、台湾華語、ポルトガル語と、台湾・日本・ブラジルそれぞれの音楽的背景を交差させながら、「クレオール・ミュージック」とも呼べる唯一無二の世界を生み出している。

エリ・リャオ「タラガイ漂亮」

 とりわけ魅力的なのが、「タラガイ漂亮」など、祖母や叔母らタイヤルの親族の姿をスケッチするように歌った曲だ。タイヤル語、台湾華語、日本語などが行き交うエリ・リャオの音楽には、度重なる植民統治を経て多言語化してきた台湾の歴史や、原住民族女性たちが背負ってきた痛みが織り込まれている。それにもかかわらず、その歌声や楽曲はおおらかで、やさしく煌めくような鱗粉をまとう。

 パナイとエリ・リャオの音楽はまったく異なる。しかし、複雑な歴史を内包した深みのある歌声が、心のいちばんやわらかいところを刺す。だから2人の声をライブで聴くと、わたしは泣いてしまうのだ。とりわけ日本では、エリ・リャオのライブに触れる機会も多い。ぜひ一度、会場でその歌声を聴いてほしい。

パナイ・クスイ「Uninang,平安」
YouTube:https://www.youtube.com/@panaikusui

エリ・リャオ
公式ウェブサイト:https://eriliao.jimdofree.com/
YouTube:https://youtube.com/@eriberri

3.ブラレヤン・ダンス・カンパニー

「自分自身の主人」として踊る

「原住民族の踊り」という言葉には、ときに危うさが伴う。外部の人が期待する「原住民族らしさ」が、そのまま見せるべき「伝統」として固定されてきた歴史もあるからだ。

公演『漂亮漂亮(Colors)』(2016〜)より Photo by Lin Chun-yung

 そんなイメージを揺さぶるのが、振付家ブラレヤン・パガラファ(布拉瑞揚・帕格勒法/Bulareyaung Pagarlava )が率いるブラレヤン・ダンス・カンパニー(BDC)である。台東県金峰郷出身のパイワン族にルーツをもつブラレヤンは、12歳で雲門舞集を見て舞踊家を志し、台北藝術大学卒業後は雲門舞集で活動。ニューヨーク留学を経て、マーサ・グラハム・ダンス・カンパニーにも振付作品を提供するなど、国際的なキャリアを築いた。それでも彼のなかには、「自分は誰なのか」という問いがくすぶりつづける。若い頃は漢名を名乗り、西洋のバレエやモダンダンスを身体に叩き込んだブラレヤン、そんな彼が故郷の台東へ戻って2015年に設立したのが、BDCであった。

公演『漂亮漂亮(Colors)』(2016〜)より Photo by Pungiya Kao

 BDCのダンサーたちは山へ入ったり、海辺で歌ったり、祭儀に身を置いたりしながら身体が受け取った感覚を、伝統舞踊の再現ではない現代舞踊へと変換していく。集まる若者たちの民族的背景や身体も様々で、舞台には「強い/弱い」「男らしい/女らしい」「伝統/現代」といった二分法からこぼれ落ちる、クィアな身体表現が立ち現れたりもする。

 それは同時に、「勇士」に象徴される原住民族男性の規範的イメージを揺さぶることにもつながる。同性婚を法制化した台湾でも、原住民コミュニティのなかにはキリスト教信仰などの影響から、ジェンダーやセクシュアリティについて保守的な価値観が残る地域も少なくない。だからこそ、「自分自身の主人」として舞台に立つことは、他者の期待する「原住民族らしさ」から自らを解放することでもあるのだ。

 さらにBDCの拠点は、舞台芸術の中心である台北ではなく台東である。周縁とされてきた場所から新しい表現を世界へ発信しているのも、BDCの魅力だ。

公式ウェブサイト:https://www.bdc.tw/zh-tw
YouTube:https://www.youtube.com/@bdc6686

4.映画『海殤──牡丹と琉球の悲歌』

海難から始まった、台湾・琉球/沖縄・日本の近代

  一艘の船の漂流が、東アジアの地図を変えた。 ション・フー (胡皓翔 )監督のドキュメンタリー『海殤──牡丹與琉球悲歌』(邦題『海殤──牡丹と琉球の悲歌』)(2025)は、「牡丹社事件」と呼ばれてきた出来事を、関わった人々の子孫や研究者など、それぞれの側から見つめ直す作品だ。監督が7年をかけて調査し、アーカイブ資料、研究者や子孫へのインタビュー、再現映像を重ねてつくられた。2025年には「Cinema at Sea──沖縄環太平洋国際映画祭」のオープニング作品として世界初上映された。

映画『海殤──牡丹と琉球の悲歌』より

 1871年、琉球の人々を乗せ、那覇から宮古島へ戻る船が暴風雨に遭い、台湾南部へ漂着した。69人のうち3人が溺死、上陸した66人のうち54人が、言葉も習慣も異なるパイワン族との接触のなかで命を落とした。ところが、この海難と衝突はそこで終わらなかった。1874年、明治政府は琉球人の「保護」を名目として台湾へ出兵し、牡丹社、高士佛社(クスクス社)などのパイワンと戦闘を繰り広げ、武力鎮圧した。この事件はその後の日本による琉球併合、清朝による台湾統治強化とも結びつき、台湾・琉球双方の運命を大きく変えていく。しかし、現在の沖縄の在り方に大きく関わる事柄にもかかわらず、日本本土でも沖縄でも、あまり知られていない事件である。

映画『海殤──牡丹と琉球の悲歌』予告編

 なぜ互いに意思を通わせることができなかったのか? その出来事はなぜ、日本によって台湾への軍事進出を正当化する材料へと変えられたのか?そこにはパイワン、客家、琉球、清国、日本、さらには西洋列強までが絡み合い、それぞれに異なる境界と主権の感覚、そして近代化する国際舞台にデビューしたばかりの日本の野望があった。パイワン族の土地と琉球の島々を隔てていたはずの海は、漂着により人を出会わせ、そして帝国を呼び込む道にもなったのである。

 だからこそ150年以上を経たいま、牡丹郷と宮古島の人々が互いの土地を訪れ、犠牲者を追悼しながら対話を重ねていることには意味がある。この映画が映し出すのは過去の出来事ではなく、過去との対話から見つめる現代史そのものである。

監督:胡皓翔
公開:2025年
製作:山楂果影像製作 HawStudio

5.長濱船団とマクタアイ

海は道だった

 わたしたちはともすれば陸地を中心として世界を眺めがちだが、オーストロネシアの視点から地図を見直すと見え方は大きく変わる。海は人を運び、文化や言葉をつなぐ「道」だった。

長濱船團WVOC|攝影者/朱柏穎

 2022年、台東・長濱で結成された「長濱船団(Wind Voyagers of Changbin)」は、その感覚を身体でもう一度確かめようとする。発起人のチェン・グァンユー(陳冠宇)が思い描いたのは、ハワイで復元された伝統航海カヌー・ホクレアがいつか台湾を訪れたとき、台湾側も南島文化の帆船を海に出して迎えに行くことだったという。グァンユーが1人で船をつくっていた長濱のスタジオを訪れたことがある。双胴船の片側の流線形の船体にやすりをかけながら、かつてオーストロネシアの人々が太平洋に広がっていったその航跡を辿りたいと目を輝かせていた。やがて彼のもとに大勢の仲間が集まり、現在は自分たちで建造した船に乗り、「重返古航路」と題して航海を重ねている。

イリー・カオルー Ilid Kaolo「17歳のあなた Seventeen」Official MV

 チェン・グァンユー自身は客家ルーツをもつが、アミのシンガーソングライター、イリー・カオルー(以莉・高露/Ilid Kaolo)のパートナーであり、音楽プロデューサーでもある。2人は宜蘭・南澳(ぎらん・なんおう)で自然農業に取り組んだのち、2017年に長濱へ移住した。日本統治下で船員となり、戦時中の太平洋で命を落としたグァンユーの大叔父を題材にした「17歳のあなた」という曲も制作している。海は古代の航海を想像する場所だけでなく、家族の記憶や植民地、戦争の歴史が重なる場所でもある。

 長濱から海岸線を北へたどり、左手に、約3万年前までさかのぼる「長濱文化」の代表遺跡・八仙洞の断崖を仰ぐ。秀姑巒溪の河口を渡れば、港口部落(マクタアイ/Makotaay)に着く。マクタアイでは1990年代から、行政上の理由で公有地とされた土地を取り戻す「土地を返せ」運動が約30年にわたって続き、これをモデルに映画となったのが2015年公開の映画『太陽の子』(原題『太陽的孩子/Wawa No Cidal』)である。また、返還された土地には「Makotaay生態芸術村」が生まれ、2026年の第6回Makotaay藝術季「海在想什麼?──海は何を考えている?」では、ランドスケープアートや音楽、「南島」をテーマにした映画祭などを通して、海と土地、生活と芸術を切り離さずに考える試みが行われている。

 マクタアイで生まれたKamaro'an(カマルアン)は、MoMAデザインストアでも扱われ、日本でも人気の根強いバッグや照明器具のブランドである。集落の年配者から受け継いだ植物素材の編みの技法を現代のデザインへと展開し、若い世代がこの土地で働いて住み続けるためのサステナブルな取り組みともなっている。

 また、マクタアイは清朝の東部進出に抵抗した1877〜78年の「Cepo'戦役」の記憶を受け継ぐ土地でもある。近年、その歴史はアミの側から語り直されつつあり、映画『太陽の子』の共同監督レカル・スミも、2025年に短編ドラマ『混濁(Makotaay)』とドキュメンタリー『流離之岸(The Homeless Coast)』を制作した。

「長濱船団(Wind Voyagers of Changbin)」
航海日誌:https://wvoc.ghost.io/
映画『太陽の子』(原題『太陽的孩子/Wawa No Cidal』)
予告:https://www.youtube.com/watch?v=uVmybJR0qEI
Kamaro'an(カマルアン)
公式ウェブサイト:https://www.kamaroan.com
短編ドラマ《混濁》(Makotaay)
予告:https://www.youtube.com/watch?v=gqbf06rGtm4
ドキュメンタリー《流離之岸》(The Homeless Coast)
予告:https://www.youtube.com/watch?v=xZBoaA_2Jv4

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 植民地支配、近代国家の形成、開発、都市化。その過程で断ち切られ、遠ざけられてきた土地や言葉、祖先の記憶との関係を、現在を生きる人々がもう一度結び直していく。

 『美術手帖』2026年10月号の特集「台湾の現代美術」において、キュレーターでMakotaay生態芸術村を運営するナカウ・プトゥン(Nakaw Putun)は、原住民族の表現の次なる段階は、「私は誰なのか?」というルーツの探求にとどまらず、「なる」ことを通した不断の自己再編に向かっていると記した。これは、本篇の最初に紹介した小説『タイヤル・バライ』で孫大川のいう「現代の原住民の魂の深層に関わる問い」ともつながるテーマだろう。

 そして、台湾原住民族の表現が内包するそうした問いは、海を越えて日本のわたしたちへと投げかけられてもいる。

*1──日本語では「原住民」という語が歴史的な差別表現を連想させることもあり、「先住民」「先住民族」という呼称が一般的である。しかし台湾では事情が異なる。長く外部から「蕃人」「高砂族」「山地同胞(山胞)」などと名づけられてきた人々が、自分たち自身をどう呼ぶのかを求めた「原住民正名運動」があり、1994年には中華民国憲法の「山胞」が「原住民」へ、さらに1997年には「原住民族」へと改められた。「原住民」という名称そのものが、長い運動の末に自ら獲得した名前なのである。本稿では、そうした正名の歴史と当事者の自己決定を尊重し、台湾で用いられている「原住民/原住民族」という呼称を使っている。
*2──1874年の牡丹社事件後、清朝が山地開発と原住民族統治の強化を進めた政策。「番」は当時の原住民族に対する呼称。
*3──清朝期の制度を引き継ぎ、総督府が軍事・警察的に強化した警備線。詰所や鉄条網、地雷などを連ね、原住民族を監視・封鎖しながら山地支配と樟脳などの森林資源開発を進めるため、奥地へと押し広げられていった。
*4──この状況は現在、大きく変わりつつある。2021年、台湾の司法院は原住民族の狩猟を憲法が保障する文化的権利と認め、2025年には「野生動物保育法」も改正され、祭儀だけでなく「非営利の自家利用」のための狩猟が明文化された。猟銃制度も安全性を重視する方向へ改められている。