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2026.7.31

地域レビュー(関東):柴山陽生評「堀文子の出発点〜女子美からはじまる写生帖・下図・本画〜」(女子美術大学美術館)/「金沢健一 延長線上のマリオネット ひととひとがたの間」(川口市立アートギャラリー・アトリア)

ウェブ版「美術手帖」での地域レビューのコーナー。本記事では柴山陽生(横浜国立大学)が関東圏(東京を除く)で開催された展覧会のなかから、「女子美アートミュージアム開館25周年記念特別展 堀文子の出発点〜女子美からはじまる写生帖・下図・本画〜」(女子美術大学美術館)と「金沢健一 延長線上のマリオネット ひととひとがたの間」(川口市立アートギャラリー・アトリア)の2展を取り上げる。

文=柴山陽生

「女子美アートミュージアム開館25周年記念特別展 堀文子の出発点~女子美からはじまる写生帖・下図・本画~」の展示風景 撮影:宮下晃久
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愛猫、下図、《月と猫》──作品の制作過程をめぐって

「女子美アートミュージアム開館25周年記念特別展 堀文子の出発点~女子美からはじまる写生帖・下図・本画~」(女子美アートミュージアム)

 本展は、一般財団法人堀文子記念館から預託された膨大な資料群(約1万2000点)とそれらについての調査にもとづき、女子美術専門学校(現・女子美術大学)出身の日本画家、堀文子(1918〜2019)の作品群を年代順に展示したものである。なによりも興味深いのは、写生帖や下図を本画と併置することにより(*1)、作品の制作過程を可視化している点である(そして、それらには充実したキャプションが添えられている)。

「女子美アートミュージアム開館25周年記念特別展 堀文子の出発点~女子美からはじまる写生帖・下図・本画~」の展示風景より 撮影:宮下晃久

 作品の制作過程を分析する論考を読むと、いかにその作品が完璧かを(再)認識させられることがあるが、本展において、鑑賞者はそのような体験を繰り返すことになるだろう。しかし、ここでは、別の観点から制作過程について考えてみたい。

堀文子《月と猫》(1950頃)紙本彩色 100×72.7㎝ 株式会社米八グループ蔵 写真提供:女子美術大学美術館

 注目すべきは、《月と猫》(1950頃)の本画と2枚の下図である。その作品は、画家の愛猫、「サルバドール・ダリ」をモデルとしている。そこに添えられたキャプションでは、「背中の模様の有無や左前足の角度、全体のポーズ」をめぐって検討が重ねられていることが指摘されている。

堀文子《月と猫 下図》(1950頃)紙にパステル 46×38.5㎝ 写真提供:女子美術大学美術館
堀文子《月と猫 下図》(1950頃)紙にパステル 46×38㎝ 写真提供:女子美術大学美術館

 それらを比較すると、本画の猫はより力強く見える。左前足を持ちあげていたり、両後足を踏み込んでいたりするからだろうか(その構えには、ボディビルダーのポージングを思わせるところがある)。ともかく、その猫を中心として、本画が見事に構築されていることは確かである(*2)。

 しかし、より魅力的に描かれているのは、下図の猫ではないだろうか。その姿勢はずっと自然体であり、そして、口元にはほほえみが浮かんでいる。下図をながめていると、画家の猫に対する愛情や猫の画家に対する愛情を感じ取れるだろう。

 画家が猫を愛していたことは、《月と猫》の側に掛けられた垂れ幕内のテクスト、「堀文子といきものたち──ともに生きる存在」(*3)や、その手前に並べられた猫の素描群からも理解できる。また、キャプションでは、「ダリ」が「いたずら好きで愛嬌のある性格」だったと語られている。だが、そのような印象を抱くとすれば、それは本画に対してではなく、下図に対してだろう。

 下図と本図を比べるとき、本図が完成作である以上、下図はいわば不完全なものとして捉えられがちである。しかし、下図以前のものの存在を前提とすると、本図はそこから二段階(以上)離れたところにあると考えられ、むしろ下図こそを比較的完全なものとしてみなしうる。作品の制作過程を経て、完成作において何かが失われてしまうこともありうるのだ。それは、例えば、画家と猫が互いに寄せる愛情の表れである。

*1──本展の副題の通り、日本画は、写生帖、下図(小下図/大下図)、本画といった段階を経て制作される。
*2──本画の構築性には、対象が少なからず幾何学的形態に還元されている点も関係している。
*3──そこには、画家が飼っていた動物・生き物——猫、カラス、尾長、高麗キジ、コイ、金魚、熱帯魚、フクロウ、雉、狐——についてのテクストと、土門拳の撮影による、「愛猫とアトリエにて」(1949)と題された、画家と「ダリ」のポートレート写真が掲載されている。

歩行と感情表現──マリオネットの身体性

「金沢健一 延長線上のマリオネット ひととひとがたの間」(川口市立アートギャラリー・アトリア)

 「人間的」という語には2つの用法があると思われる。ある非人間が人間的だと認められるならば、それが人間らしい知性を有しているか、あるいは、人間らしい身体性を示しているかのいずれかだろう。例えば、しばしば生成AIや犬が人間的だとされるのは、主にそれらの知性のためである。対して、本展の主題は後者の用法に関わる。

  本展は、彫刻家の金沢健一(1956〜)の個展であり、「ひととひとがたの間」という副題が示唆しているように、観る者に木製のマリオネットを人間的なものとして感じさせることを意図したものだと考えられる。そして、それはマリオネットが身体性を示していると判断されるかどうかの問題だろう。

  会場には、3種類のマリオネット作品が展示されている。はじめに目に映るのは、《延長線上のマリオネット─歩く人》(2025)である。そこでは、モーターによって動かされる5体のマリオネットが、足音を立てつつ(*4)、その場で歩行を思わせる運動を繰り返している。それが人間(あるいは健常者)の歩き方に似ているために、それらのマリオネットにはある種の身体性が感じられる。だが、その動きは反復的・機械的でもある(*5)。

金沢健一《延長線上のマリオネット―歩く人》(2025)木、鉄 、糸、ステンレス・スティール、モーター、マイクロコンピューター 70×70×300cm 写真提供:川口市立アートギャラリー・アトリア

 それに対し、《4態のマリオネット─1~4》(2025)と題された作品、天井から吊り下げられた4体のマリオネットのなかには、より強烈な身体性を感じさせるものがある。そのマリオネットは、本体とそれから切り離された2本の脚という3つの部分を、ほとんど不規則に動かしている。その様子は、まるでかつて一体だった各部分が互いを求めつづけているかのようである。

金沢健一《4態のマリオネット─1~4》(部分、2025)木、鉄 、糸、ステンレス・スティール、モーター、マイクロコンピューター サイズ可変 (マリオネット高さ各50cm) 写真提供:川口市立アートギャラリー・アトリア

 わたしがそのマリオネットに身体性を強く感じるのは、その動きに困惑や喪失感といった感情の表現が認められるからである。それはけっして人間の行為を再現したものではないが、そこには、このうえなく身体的なものがある。身体のなしうることのなかで、感情表現はもっとも強烈なものではないだろうか。それが認められるとき、ひとはマリオネットが身体性を示していると感じるのだ。

 また、本展では、鑑賞者が操作することのできるマリオネット作品、《マリオネット》(2020)が壁際に配置されている。それらのマリオネットの1体が、見知らぬ子供によって動かされて、たどたどしく歩き、ときに転んでしまう様子をながめながら、わたしは、そこにある種の感情表現を見て取らずにはいられなかった。それもまた、反復的・機械的なマリオネットの動き方とは異なるものである。マリオネットの不規則な動きを前にして、ひとはそこに感情表現を認め、その身体性を感じ取るだろう。

*4──音は本展の重要な構成要素であり、ハンドアウトに掲載された「作品のせつめい」によれば、もともと、作家はマリオネットを《音のかけら》から音を出す道具として制作したという。なお、本展にも、鉄版の作品である《音のかけら N》(1999)が出品されている。
*5──もっとも、「作品のせつめい」では、《延長線上のマリオネット─歩く人》について、「歩く行為は人間の生き様そのものでもあるかのように5体のマリオネットは前方を向きながら歩き続ける」とされ、むしろ、その反復性のためにそれらのマリオネットを人間的なものとして捉えるという見方が示唆されている。