2026.5.21

「路上、お邪魔ですか?」(金沢21世紀美術館)開幕レポート。路上を美術館で語ること、だからこそ持ち帰ることができるもの

金沢21世紀美術館で、現代における公共性がもつ課題と可能性を考える特別展「路上、お邪魔ですか?」が開催されている。会期は4月25日~9月6日。会場の様子をレポートする。

文・撮影=安原真広(編集部)

中村裕太《電柱から見た生き物の世界》(2026)と鯨津朝子《Obstacles?》(2026)が共存する、金沢21世紀美術館の中庭「光庭」での展示風景
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 石川県金沢市の金沢21世紀美術館で、「路上」をキーワードに作品や歴史的な出来事や言説を紹介し、現代における公共性がもつ課題と可能性を考える特別展「路上、お邪魔ですか?」が開催されている。会期は4月25日~9月6日。担当は同館キュレーターで建築史家の本橋仁。

 本展は、1986年に赤瀬川原平や藤森照信らによって結成された「路上観察学会」の創設40周年を契機とするものだ。メディアを通して都市と自然が意図せず生み出した状況を共有した同会の活動を紹介するとともに、2020年に渋谷で起きた路上生活者殺害事件などの事例が象徴するような、他者の主観的ルールが衝突する空間としての側面にも注目する。

 企画について、本橋は次のように語っている。「本展の準備中、SNS等で展覧会名である『路上、お邪魔ですか?』と検索すると、展覧会とは無関係の目を覆いたくなるような排斥的で差別的な投稿を目にすることが多く、現代における『路上』のあり方について改めて考える必要があると感じた。本展がそれを考えるきっかけを提供する場になればと思っている」(記者内覧会での発言より)。

遊び場としての路上、抑圧と解放

 展覧会は7つのセクションで構成されている。最初のセクション「遊びとハック」では鈴木康広、ギリヤーク尼ヶ崎、そしてセガのゲームである『ジェットセットラジオ』(2000)を紹介。

鈴木康広《遊具の透視性》(2001)。回すことで映像が現れるが、回している当人は近すぎて映像の全体を把握することができない。他者のための行為の存在で成り立つ作品

 1979年生まれの鈴木の初期作品《遊具の透視性》(2001)は、かつて日本中の公園で見ることができた回転遊具「グローブジャングル」を用いた作品だ。夜間に遊具そのものをスクリーンにして、昼間の公園で遊んでいる子供たちの映像が投影する本作を、暗くした展示室で体験することができる。誰かが遊具を回さないとスクリーンとしては機能しないため、映像を見るためには会場にいる誰かが回す役割を担うという、場のルールの発生が不可欠だ。昼と夜の公園の表情の変化を、どこか懐かしい遊具に映し出すだけでなく、子供の頃から人間が培ってきた公共空間を分担して使用する意識の存在も可視化する。

写真家・植村佳弘によるギリヤーク尼ヶ崎のパフォーマンスをとらえた作品。左から《母に捧げる》(2020)、《円》(2009)、《舞台は路上》(2018)
ギリヤーク尼ヶ崎の映像作品《祈りの踊り》(1998)。手前はギリヤークがパフォーマンス時に立てるめくり

 1930年生まれのギリヤーク尼ヶ崎は、95歳にしてなお現役を続ける大道芸人だ。東京、京都、札幌といった様々な都市の路上で、長年にわたりパフォーマンスを続けてきた。北海道・函館出身のギリヤークは上京して創作舞踏を学ぶも、60年代頃より独自の踊りを取り入れた大道芸人としての道を歩み始める。「鬼の踊り」と称されるその身体パフォーマンスは、国外公演を果たすなど高く評価された。阪神・淡路大震災を契機に、その踊りは「祈りの踊り」へと変化。現在に至るまで被災地で鎮魂のためのパフォーマンスを行なってきた。

 本展ではギリヤークのパフォーマンスを記録した写真や映像を展示している。ギリヤークがチョークで路上に円を描くと、そこを中心に舞台ができあがり、人が集まってくるという。路上を舞台に変化させ、その場を身体と呼応させるそのパフォーマンスは、「大道芸」という伝統的な表現行為がもつ、周囲を巻き込むエネルギーの大きさを意識させるものだ。なお、6月27日には本館の芝生広場で特別公演も実施される予定だ。

『ジェットセットラジオ』(2000)の展示では、実際に来場者がコントローラーでゲームをプレイできる

 路上における表現は、暴力を含めた権力とのせめぎ合いにも晒される。セガが2000年に発売した『ジェットセットラジオ』(2000)は、「ケーサツ」と呼ばれる集団の追跡を逃れながら、街中にスプレーでグラフィティをしていくビデオゲームだ。路上における遊びを、秩序の名のもとに暴力も辞さない存在が弾圧していくその構造は、公共空間における暴力が、大衆からのみならず、権力からも発動されることを端的に示している。

道路が媒介してきたものとは何か

 セクション「道路以後」には、高松市の道路標識、中村裕太、panpanyaが参加し、道路という制度の変化を辿る。

展覧会タイトルと現存日本最古とされる大正時代の道路標識

 展覧会タイトルが記された会場のエントランスには、香川県高松市にあった現存する日本最古の道路標識と言われる標識が展示されている。大正時代に標識の規格が初めて制定された時期のものであり、路上に公的なルールが課せられる近代的意識の誕生を象徴的に物語る。

中村裕太《電柱から見た生き物の世界》(2026)。実際に使用されていた木製の電信柱に看板と植木を備え付け、さらにチョウが寄ってくるパネルも付帯させることで、電柱をめぐる小さな環世界をつくり上げている

 文献調査やフィールドワークをもとに作品を制作してきた1983年生まれの中村は、美術館の中庭「光庭」で作品を展開。《電柱から見た生き物の世界》(2026)は、金沢市内で使用されていた木製の電柱を使用している。美術館の外部と連続性を持つように、電柱からは館外に向かって電線が伸びており、また電柱の下にはチョウが寄ってくる配色を持った小さなパネルが据えつけられた。電柱は街のどこにでもある生活インフラであるが、同時に看板の支持体でもあり、犬や猫のマーキングによる交流の場であり、草木が生えるグリーンスポットでもある。電柱とは、都市における様々なレイヤーを体現する存在であることが、中村の作品を通して気づかされる。なお、中村による金沢市白菊町界隈の路上観察ツアーも、ホテル・OMO5金沢片町とのコラボレーションで実施される。同ホテルのウェブサイトより申し込みことが可能だ。

panpanya《いつもの所で待ち合わせ》(初出:『岩波データサイエンス』Vol.6、17年6月号)。壁面いっぱいに拡大されたコマは、描き込みを細部まで観察できる

 漫画家・panpanyaは6コマのマンガを美術館の壁面に展開。登場人物2人が出会う様子が描かれているが、その背景には変わりゆく街の姿が緻密な描写で描かれている。通常の大きさを遥かに超えたサイズで展示されるコマに描かれた町並みは、マンガの時間表現と呼応して絶妙なノスタルジーが表出している。

路上観察学会とは何だったのか

 「路上の発見」のセクションでは、路上観察学会の活動を資料を通して紹介。1986年、『路上観察学入門』(筑摩書房)の刊行に合わせて発足した路上観察学会は、美術家・赤瀬川原平、建築家・藤森照信、編集者・松田哲夫、イラストレーター・南伸坊などが参加した集団だ。中心的な役割を担った赤瀬川は、72年にすでにこの「路上観察学」の源流となる「超芸術トマソン」という概念を発案している。例えば、昇った先の扉が消失している階段のように、街中にあるふと目を止めてしまう、意味を剥奪されて純粋な美的領域に到達している建築の付随する人工物や自然物などがこの名前で呼ばれる。この名付けによって、この「見立て」の作法が共有可能なものとなり、多くの人に受け継がれてきた。

「路上の発見」のセクションの展示風景。段上には昇ることができ、展示物を都市のように立体的に捉えられるよう工夫されている
路上観察学会のメンバーが撮影した街の気になるもの

 会場では40年にわたる路上観察学会の活動を知るための書籍、雑誌、写真、資料等が展示され、メンバーたちの個人の活動にも触れられている。ここで気がつくのは、その活動のアウトプットとしての紙媒体の豊かさだ。雑誌が文化をつくる先端であり、誰もがそれを読んでいた時代が路上観察学会の活動を支えていた。現代のインターネットの時代の速度と表現方法において、路上観察学会の活動の骨子がいかに継承され得るのか。そういった問いも喚起される。

移動と時間、変化する距離 

 「通過への抵抗」では鯨津朝子と國府理の活動を取り上げ、路上の機能のひとつである「移動」に伴って発生する知覚のあり方を再定義するような作品が紹介される。

鯨津朝子《Obstacles?》(2026)。ビューポイントから見れば、ガラスや建物の前奥を通貫するように線がつながる

 ドイツ・ベルリンを拠点に活動する鯨津は、アナモルフォース(歪像法)によって作品を制作するアーティストだ。展示室の内外に配されたいくつもの線は、無秩序な文様のように見えるが、特定の点から見るとそれらの線がつながるように設計されている。この視点を探すために、鑑賞者は頭を上下に動かしながら展示室を移動することになり、また線がつながった瞬間にガラス窓や構造物が生んでいる距離が縮まっていくような経験を得ることになる。

國府理《自動車冷蔵庫》(1998)。電源が供給され、社内の冷蔵機構が稼働している

 國府(1970〜2014)の《自動車冷蔵庫》(1998)は、作家が実際に乗っていた自動車に冷却装置を取りつけ、冷蔵庫化した作品だ。國府は生鮮食品の腐敗までの時間を引き延ばす冷蔵庫の技術と、目的地まで移動時間を圧縮する自動車の技術を一体化させ、異なる時間を小さな赤い自動車のなかに閉じ込めた。本作品は修復士・田口かおりによるプロジェクトの主導のもと、鉄錆の除去や冷却装置の更新、霜取りの強化などを実施して修復されている。この修復により、亡き國府が30年近く前に提示した思考もまた、時間を超えて展示室に表れることとなった。

権力が恐れる広場の価値

 「道か、広場か。」はChim↑Pom from Smappa!Group、山田脩二、迫川尚子、児玉房子の作品によって、都市において人が集まる場所である「広場」と、移動のための場所である「道」、それぞれに発生している権力について考える。

Chim↑Pom from Smappa!Group《道》(2017-18)の作品模型。アスファルトの道路を美術館内に伸ばしていく計画が俯瞰できる

 Chim↑Pom from Smappa!Groupが2017年に、台北の国立台湾美術館に長さ200メートルに及ぶ「道」をつくり、巨大インスタレーションとして発表した作品《道》(2017-18)。会場では建築模型や映像などで本作を紹介している。美術館前の公道から、美術館内部にまでアスファルトの道を造作した本作は、作品鑑賞のために限られた人のための閉じた場にならざるを得ない美術館に、路上という不特定多数が行き来する機能を持ち込むというダイナミックな発想により生まれた。

山田脩二《新宿駅西口広場》(1969)。特徴的な螺旋状のロータリーを人が埋め尽くしている様子が捉えられている

 新宿駅西口広場が歴史的に「広場」から「通路」へと意味づけを変えられてきたことも、本セクションでは取り上げられている。1966年に建築家・板倉準三によって設計された西口広場は、69年、「新宿フォークゲリラ」と呼ばれたベトナム反戦運動を訴える若者たちにより、反戦ソングを歌い議論を交わす集会の場となった。しかし、警察との衝突が相次ぐようになり、行政はこの広場を「通路」と定義して集会をする人々を排除した。90年代にはこの「通路」に不況の煽りを受けた失業者が集まり、ダンボールハウスが立ち並ぶようになるが、それも不審火により消失した。現在、かつて広場だったこの場所は再開発で姿を消そうとしている。

左が迫川尚子《お面をかぶっておどける新城さん。沖縄出身、右翼の街宣車だろうか。君が代が流れると頭をかかえてうずくまった。(1996年8月)》(1996)

 会場では、山田による新宿フォークゲリラの活動を捉えた写真、追川によるダンボールハウスに住む人々の写真、そして児玉による現代のストリートに集う若者たちを写した作品が展示される。「広場」と「通路」のあいだを漂った新宿西口広場に集った人々の多様な姿が訴えてくるものは多い。

ルールが現出する場所としての路上

 「ルール」のセクションでは、ダニエル・エヴェレットとクシシュトフ・ヴォディチコの作品が紹介されている。写真家のエヴェレットは、日本の都市にあふれている監視カメラや道路標識を撮影し作品にしてきた。望遠レンズにより圧縮され、グラフィックのようにも見えるその被写体は、通常は日常の景色として見過ごしているが、強い記号と政治性を帯びた存在が街中に存在していることを気づかせてくれる。

ダニエル・エヴェレットの作品群。高速道路の標識、横断歩道、電信柱などが構築的構図で捉えられている
クシシュトフ・ヴォディチコ《ポリスカー》(1991)。路上生活者たちの身を守るとともに、互いに通信し連帯する可能性を提示する

 1943年ポーランド生まれのヴォディチコは、社会的なメッセージや歴史的、地域の人々の声などを視覚化する「パブリック・プロジェクション」の創始者として知られている。出典されている《ポリスカー》(1991)は、路上生活者に車のかたちをした装置を与え、そこに通信媒体を備え付けることで、路上生活者同士がつながることで、仮想空間に「都市(ポリス)」を立ち上げる試みだ。都市を形成しうるのは実態のある構造物だけでなく、通信もまたその可能性に満ちていると言える。

公共とは何か、路上から考える

 最後となるセクション「終章、再び路上へ」は、銭湯山車巡行部と村田あやこを紹介しながら、変容する路上そのものを提示することを試みる。

銭湯山車巡行部《銭湯山車》(2021-)。山車を回す際には、ザ・ドリフターズの「いい湯だな(ビバノン・ロック)」が流れる

 銭湯山車巡行部は、東京を中心に取り壊しが続く銭湯の部材を引き取り、カランやロッカー、看板、大黒柱などを使って山車をつくり、路上に持ち出すプロジェクトだ。人々が集まり、社交する場だった銭湯の役割を、再び路上で提示する。

村田あやこ《金沢の路上園芸》(2026)。路上園芸のプランターとしてよく活用されるプラスチック製の漬物容器にオリジナルのロゴマークを印字した

 村田あやこは路上園芸鑑賞家という肩書きを持つ。路上園芸とは軒先や路地のプランターなどで営まれる園芸のことで、街を歩いていると目にすることも多い。不特定多数の人々が行き交う往来に存在する、植物を美的に愛でようとする意識。村田は本展で初めてインスタレーションを手がけ、路上園芸を館内につくりあげた。

「能登町鵜川・にわか祭が編み直す、道と暮らし」の展示にて制作中の武者絵

 また、関連展示として同館デザインギャラリーでは、うかわ研究グループによる「能登町鵜川・にわか祭が編み直す、道と暮らし」が開催されている。能登半島内浦の港町・鵜川の夏祭り「にわか祭」を記録し、武者絵を描いた行灯の制作過程を紹介する。加えてレクチャーホールでは、NHK金沢放送局とのコラボレーションにより、過去のニュース映像から抜粋された金沢のかつての風景を見ることができる。

 7つのセクションを通して見ると、美術館という場所で「路上」を生きたかたちで提示することのおもしろさと同時に難しさも感じることになる。入場料を払って美術館に入り、アーカイヴされた「路上」を見ることに、どこか後ろめたさを感じる人もいるかもしれない。しかし、かつて路上観察学会が「学会」を名乗り、街中にある奇妙で愛すべきものを記録し編集していったように、美術館だからこそ継承していける「路上」もあるはずだ。本展で様々な人々が路上に対して行ってきたアクションを見たあとは、会場で受け取った視点をもって、自分たちの街の路上を見てみてはいかがだろうか。見過ごしていた路上の魅力や楽しみ、あるいは路上が抱える暴力性や権力の存在などが、きっと浮かび上がってくるはずだ。それこそが、美術館で路上を語る意義なのではないだろうか。