2026.2.11

「YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート」展(国立新美術館)開幕レポート。30年の時を経て届く混迷の現代のためのメッセージ

国立新美術館で「テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート」展がスタート。約60名の作家と100点におよぶ作品を通じて、1990年代英国アートの創造的エネルギーと、その社会的インパクトを多角的に検証する展覧会だ。会場の様子をレポートする。

文・撮影=王崇橋(編集部)

展示風景より、コーネリア・パーカー《コールド・ダーク・マター:爆発の分解イメージ》(1991)
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 東京・六本木の国立新美術館で、「テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート」展が開幕した。会期は5月11日まで。

 本展は、1980年代後半から2000年代初頭にかけて制作された英国美術に焦点を当て、約60名の作家によるおよそ100点の作品を通して、1990年代英国美術の創造的なエネルギーとその広がりを検証する試みだ。

 共同キュレーターを務めるヘレン・リトル(テート・ブリテン 現代美術部門キュレーター)は、本展について「テートの優れたコレクションを用い、1980年代後半からミレニアムにかけての大きな変化のなかで生まれた英国美術の力強い物語を提示したい」と語る。

 英国ではこれまで、1990年代の美術史は個々の作家の大規模回顧展を通して語られることが多かった。これに対し本展は、少数の作家に絞るのではなく幅広く作品を集め、年代順ではなく主題ごとに作家と作品を編み直した構成が特徴となっている。

 序章では、20世紀英国美術を代表する画家フランシス・ベーコン(1909〜1992)を起点に据える。1944年の《ある磔刑の基部にいる人物像のための三部作》を踏まえ、冷戦終結期に描かれた《1944年のトリプティック(三幅対)の第2ヴァージョン》(1988)は、暴力や不安、恐怖といった感情を通じて、後続世代が直感した社会の混迷を象徴的に示す。

第1章「ブロークン・イングリッシュ:ニュー・ジェネレーションの登場」の展示風景

 1980年代後半、サッチャー政権下で進められた新自由主義政策は、英国社会に格差と不安を広げた。そうした状況のなかで登場したのが、のちに「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト(YBA)」と呼ばれる作家たちである。

 第1章「ブロークン・イングリッシュ:ニュー・ジェネレーションの登場」では、その中心人物のひとりダミアン・ハーストが観客を迎える。《後天的な回避不能》(1991)では、煙草の吸殻と灰皿をガラスケースで密閉し、「避けることのできない死」を突きつける。

展示風景より、右はダミアン・ハースト《後天的な回避不能》(1991)。左はギルバート&ジョージ《裸の目》(1994)

 また、1960年代から活動するギルバート&ジョージの《裸の目》(1994)は、エイズ危機のただなかで身体を前面に押し出し、性と政治をめぐる状況に向き合った。さらにルベイナ・ヒミドら、移民やディアスポラの経験を持つ作家たちは、歴史と現在を往復しながら、アイデンティティや帰属を問い直していく。

展示風景より、ヘンリー・ボンドとリアム・ギリックの写真作品

 1990年代初頭のロンドンでは、未完成の建築物や再開発、ジェントリフィケーションが日常の風景となっていた。第2章「おおぐま座:都市のイメージをつなぐ」で紹介されるレイチェル・ホワイトリードの写真シリーズは、取り壊される集合住宅を記録し、経済の論理のもとで消えていくものの存在感を浮かび上がらせる。

第2章「おおぐま座:都市のイメージをつなぐ」の展示風景

 いっぽう、ジリアン・ウェアリングの映像作品《ダンシング・イン・ペッカム》(1994)は、公共空間で踊る作家の姿と周囲の反応を通して、都市に潜む緊張とユーモアを描き出す。サイモン・パターソンの《おおぐま座》(1992)もまた、都市を別の視点で読み替える象徴的な作品として位置づけられている。

第2章「おおぐま座:都市のイメージをつなぐ」の展示風景より、右の映像はマイケル・ランディ《アプロプリエーション2》(1990)

 本展はさらに、音楽・サブカルチャー・ファッション(第3章)、現代医学とエイズ危機(第4章)、家族やジェンダーをめぐる私的空間(第5章)、日用品や身近な素材から生まれる表現(第6章)へと、主題を横断しながら展開する。デレク・ジャーマン、グレイソン・ペリー、サラ・ルーカス、マイケル・クレイグ=マーティン、トレイシー・エミンらの作品は、DIY精神と強い物語性によって、ありふれた日常を様々な角度から照らし出している。

第3章「あの瞬間を共有する:音楽、サブカルチャー、ファッション」の展示風景より、ヴォルフガング・ティルマンスの写真作品
第3章「あの瞬間を共有する:音楽、サブカルチャー、ファッション」の展示風景より、左からジェレミー・デラー《世界の歴史》(1997-2004)、ジュリアン・オピー《ゲイリー、ポップスター》(1998-99)
第5章「家という個人的空間」の展示風景より、左からサラ・ルーカス《煙草のおっぱい(理想化された喫煙者の椅子Ⅱ)》(1999)、レイチェル・ホワイトリード《無題(24のスイッチ)》(1998)

 また、本展を読み解く鍵となるのが、各章のあいだに映像作品を紹介する「スポットライト」セクションだ。

 例えば、ブラック・オーディオ・フィルム・コレクティヴの《ハンズワースの歌》(1986)は、1985年にバーミンガムのハンズワース地区で起きた暴動を契機に制作された映像詩で、ドキュメンタリーと実験映画の手法を重ね合わせ、英国に生きる黒人の経験と社会の緊張を多層的に伝える。

ブラック・オーディオ・フィルム・コレクティヴ《ハンズワースの歌》(1986)の展示風景

 トレイシー・エミンの《なぜ私はダンサーにならなかったのか》(1995)では、海辺の町マーゲイトの風景に苦い記憶の告白が重なり、後半ではディスコ・ソングとともに踊り出す身体が、過去を乗り越える意志として立ち上がる。

トレイシー・エミン《なぜ私はダンサーにならなかったのか》(1995)の展示風景

 スティーヴ・マックイーンの《熊》(1993)は、無音のモノクロ映像を遮光された空間と大スクリーンで提示し、観客を作品世界へと巻き込む装置を伴って、人種、欲望、暴力の境界を揺さぶっている。

 さらに、コーネリア・パーカーの《コールド・ダーク・マター:爆発の分解イメージ》(1991)は、物置小屋を爆破した残骸を暗い空間に吊り下げ、「爆発の瞬間」を凍結させることで、破壊と創造の同居を可視化する。マーク・ウォリンジャーの《王国への入り口》(2000)は、空港の到着ゲートを「国境」として読み替え、帰属や国家という象徴の働きを浮かび上がらせた。

コーネリア・パーカー《コールド・ダーク・マター:爆発の分解イメージ》(1991)の展示風景
マーク・ウォリンジャー《王国への入り口》(2000)の展示風景

 「世界を変えた90s 英国アート」という副題について、テート美術館のコレクション部門ディレクター、グレゴール・ミューアは、1990年代の英国美術の特徴として「現代美術の中心はニューヨークだけではないということを世界に示した」点をまず挙げる。それは同時に、「現代美術が新しい観客を獲得し、未来を切り拓く可能性を持っていることを実証した出来事だった」という。

 1990年代半ばには商業ギャラリーが次々と誕生し、英国美術は国際的な注目を一気に集めていった。その流れがひとつの頂点を迎えたのが、2000年のテート・モダン開館である。開館初年度に約500万人を動員した同館は、その後、世界各地の美術館やキュレーターにとって一種のモデルとなった。

第5章「家という個人的空間」の展示風景より、左からグレイソン・ペリー《私の神々》(1994)、スティーヴン・ピピン《コインランドリー=ロコモーション(スーツ姿で歩く)》(1997)

 ミューアは、YBAという現象自体はやがて収束したとしつつも、「YBAがなければ、テート・モダンの成功はあり得なかった」と語り、それが現代美術を社会へ広く届けるための「踏み石」であり、「地図」や「マニュアル」を提示した存在だったと捉えている。

 ヘレン・リトルもまた、この世代のアーティストたちが果たした役割について、「現代美術を可視化し、アクセス可能なものにし、社会的な議論の中心に据え続けたことこそが、彼らが世界を変えた理由だ」と強調する。かつては反体制的と見なされていた作家たちが、いまやもっとも評価され、称賛される存在となっている。その「循環」そのものが変化を生み出す力であり、「周縁的な立場にあったからこそ、あれほど大きな転換を起こすことができたのだ」と語る。

アーカイブ/雑誌セッション

 またミューアは、本展を「いま」の社会と結びつけて考える視点として、1990年代がSNS以前、スマートフォン以前の時代だった点を挙げる。「この時代の作品には、いわばDIY的な美学が色濃く刻まれている」と彼は指摘し、それを「ポストパンクの精神とも重なるもの」と表現する。「手に入る手段を最大限に活用し、自分たちのやり方で表現を切り開いていった。潤沢な資金やリソースがなくても、良いアイデアがあれば何かを生み出せるという確信が、作品群から立ち上がってくる」という。

 そうした文脈から、ミューアは若い観客やクリエイターに向けて、「1990年代ロンドンに漂っていた、何かを止めるものが何もなかったような、ある種の自由さ」を感じ取ってほしいと語る。今日では地位が確立された作家たちも、当時は20代から30代前半で、「将来の保証も、収入の見通しもないなかで、ひとつのクレイジーなプロジェクトにすべてを賭けることができた」世代だった。重要なのは環境ではなく、アイデアと物語。その感覚を、次の世代が「制約に押しとどめられないための火種」として持ち帰ることを、彼は期待している。

 いっぽうリトルは、YBA世代が残した重要なレガシーとして、「彼らが自ら組織し、自ら発信し、自らをブランディングしていった」点を挙げる。「既存の制度に許可を求めるのではなく、自分たちで場をつくり、可視化し、社会へと接続していった。そのスピード感は、いま私たちがソーシャルメディアを通して世界とつながる感覚と、とても近い」と語る。

 リトルは、この「セルフ・キュレーション」の姿勢が、いまキャリアを築こうとする若い世代にとっても大きな示唆になるとし、「自分のやり方で、自分のスタイルを貫いていいという、とても肯定的なメッセージが、この展覧会全体を貫いている」と述べる。

第4章「現代医学」の展示風景より、左からデレク・ジャーマン《運動失調―エイズは楽しい》(1993)、マーク・フランシス《起源》(1992)

 さらにリトルは、1990年代がしばしば「平和で楽観的な時代」と語られるいっぽうで、「その出発点にあった英国社会は、決して穏やかな場所ではなかった」と指摘する。サッチャー政権の余波による分断、失業、深刻な格差、人種的緊張──そうした問題は、当時のアーティストたちが真正面から向き合っていた現実だった。「彼らが扱っていた問題は、いまも消えてはいない」とリトルは語る。

第6章「なんでもないものから何かが生まれる:身近にあるもの」の展示風景より、右はマイケル・クレイグ=マーティン《知ること》(1996)

 その意味で、本展が扱うテーマ──共同体の亀裂、帰属の問い、身体をめぐる政治性、日常のなかで尊厳が脅かされる感覚──は、いま私たちが直面する不安定な現実とも強く響き合う。過去をノスタルジーとして消費するのではなく、前向きで未来志向だった時代の精神を、同時に「現在形の問い」として引き寄せること。そこに、この時代の作品が持つ持続的な力がある。

 本展は、1990年代英国美術を過去の伝説としてではなく、いまを生きるための思考と実践のヒントとして立ち上がらせる。大胆に行動し、自ら場をつくり、限られた条件のなかで表現を切り開いていく。その姿勢は、時代や世代を越えて、なお私たちに問いを投げかけ続ける。