2026.6.9

4年ぶりに公開される《麗子肖像》も。山王美術館で「生誕135年 岸田劉生展」が開催

大阪・京橋の山王美術館で、「生誕135年 山王美術館コレクションでつづる 岸田劉生展」が開催される。会期は9月3日〜2027年1月31日。同館が所蔵する岸田劉生の作品が一堂に公開されるほか、白樺派をはじめとする同時代の文化人との交友を伝える資料も紹介される。

岸田劉生《麗子肖像》(1920)山王美術館蔵
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 大阪・京橋の山王美術館で、「生誕135年 山王美術館コレクションでつづる 岸田劉生展」が開催される。会期は9月3日〜2027年1月31日。同館が所蔵する岸田劉生の作品が一堂に公開されるほか、白樺派をはじめとする同時代の文化人との交友を伝える資料も紹介される。

 日本の近代美術史を代表する画家のひとり、岸田劉生(1891〜1929)。黒田清輝のもとで外光派を学んだ後、後期印象派や北方ルネサンス、そして東洋画へと関心を移しながら、38年という短い生涯の中で多彩な作品を残した。本展は劉生の生誕135年を記念し、山王美術館の所蔵作品のみによって構成される。同館は開館以来、外部からの作品借用を行わない方針をとっており、展示されるすべての作品が同館のコレクションとなっている。

ふたつの麗子像、そして新たな美人画の試み

岸田劉生《麗子肖像》(1920)山王美術館蔵
岸田劉生《麗子桜花図》(1920頃)山王美術館蔵

 本展では、劉生の代名詞とも言える愛娘・麗子を描いた作品群が展示される。油絵と並行して素描や水彩画でも表現を探求した時期の《麗子肖像》(1920)を4年ぶりに公開。また、モデルの褒美に与えられた舶来品の肩掛けを羽織る《麗子桜花図》(1920頃)が本展で初展示となる。長期間にわたって描かれた麗子像は、ひとりのモデルの成長と画家の画風の変遷を同時に追うことができる作例として位置づけられている。

岸田劉生《お手玉》(1924頃)山王美術館蔵

 さらに、関東大震災後に京都へ移住し初期肉筆浮世絵に熱中した劉生が、江戸初期の絵師・岩佐又兵衛の美人画を参考に描いた《お手玉》(1924頃)も初展示される。本作のモデルについても、残された看板下絵との類似点から麗子である可能性が指摘されている。

村娘から「卑近美」の探求へ

岸田劉生《村娘図》(1919)山王美術館蔵

 麗子像と並行して、劉生が独自の視点で見出した美の形も紹介される。神奈川県・鵠沼に在住していた時期に近所の娘をモデルに描いた《村娘図》(1919)では、田舎の娘が持つ素朴な美しさが捉えられている。

岸田劉生《芝居絵(六代目中村伝九郎の朝比奈)》(1922頃)山王美術館蔵
岸田劉生《菊》(1928-1929)山王美術館蔵

 また、1922年頃から劉生は歌舞伎などの題材を通して「卑近美(ひきんび)」という概念を見出していく。《芝居絵(六代目中村伝九郎の朝比奈)》(1922頃)は、西洋美術の端正さとは異なる、東洋美術にある種の卑俗さの中に潜む渋い美を表現した作例だ。晩年の《菊》(1928-1929)では、緋毛氈の上に置かれた菊や柿といった東洋的な画題と油絵具が調和した空間が描かれている。これら3点も本展が初展示となる。

病床の友を見舞った白樺派の仲間たち

岸田劉生《白樺同人寄書画帖》(1922-1924)山王美術館蔵

 劉生の画業だけでなく、同時代の文化人との繋がりを示す資料も展示される。『白樺』の歌人である木下利玄が旧蔵していた《白樺同人寄書帖》(1922-1924年)は、肺結核で病床にあった木下を見舞った友人たちが寄せ書きを行った画帖である。劉生による作品も含まれており、白樺派の仲間たちの交流の様子がうかがえる。あわせて、富本憲吉や梅原龍三郎、中川一政ら、劉生と関わりの深かった作家たちの作品も紹介される。