2026.9.18

リチャード・タトルが語る「ほぼ、空」展。空間、時間、鑑賞者への開かれた可能性

東京オペラシティ アートギャラリーで開催されている「ほぼ、空:青木淳+リチャード・タトル」(0月00日〜9月23日)。アーティストのリチャード・タトルと建築家の青木淳との対話から立ち上がった本展について、企画者でキュレーターの能勢陽子がタトルに話を聞いた。

聞き手=能勢陽子 構成=編集部

リチャード・タトル ©️ Richard Tuttle, courtesy Pace Gallery, Photo by Jonathan Nesteruk
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──今回の展覧会タイトルである「ほぼ、空」についてお聞きします。英語で「Sky」は通常「空」を意味しますが、日本語の漢字の「空」は「空=くう、空虚、空間」という意味も想起させます。このタイトルは、展示作品だけでなく、作品を取り巻く周囲の空間そのものが立ち現れてくる本展に極めてふさわしいものですが、どのようにこのタイトルを思いついたのでしょうか。

リチャード・タトル 英語の「Sky」と日本語の「空」の違いはよく理解しています。日本語の「空」には、見上げる「空」だけでなく「空虚」や「空間」といった概念が含まれていますよね。私はその含意をとても気に入っています。「空」という言葉は、何か特定の対象を指し示すために使うわけではありません。言葉そのものが私たちに何かを語りかけ、複合的な思考を促すように問いかけてきます。双方向の響き合いをもっているから、強く魅了されたのです。

「ほぼ、空:青木淳 + リチャード・タトル」の展示風景。通常、ミュージアムショップが位置する部屋は本展の展示室となっている 撮影:ToLoLo studio

──展覧会は茶色の柱頭をもつ白い柱、もみの木にカタツムリが乗ったバスケット、色とりどりの色薄紙をつなげてつくられた帯からなる、3つのエレメントで構成されています。なぜ、この3つのエレメントを軸に展覧会を構築されたのですか。

タトル 私は、アートというものはこの世界の外側や、別の次元へ飛び出していくものではなく、あくまで「私たちが生きているこの世界の内側」で機能し、制作されるものだと信じています。自然からエネルギーを抽出したり、自然から力を奪い取ったりするのはシャーマン(呪術師)の仕事ですが、私はシャーマンとは真逆の立ち位置にいます。自然から力を拝借するのではなく、自然に力を与えることを試みているのです。

 今回の展覧会もまた、自然に力を与えることができていると心から信じていますし、一歩間違えれば自然から力を奪うような展示になってしまう危険もありましたが、決してそうはなりませんでした。心からそう確信しています。

展示の様子、陰影が設計されている 撮影:ToLoLo studio

──昨年12月にお会いした際、青木さんが用意された展覧会の設計図にあなたは3つの石を投げ、それを基準に柱やバスケットを配置することを提案されましたね。偶然性を取り込む試みですが、私はこのときあなたが投げた石の数の「3」という数字が、とても重要であると感じています。ギャラリー内の照明も「光と闇」という2つの要素の対立ではなく、あいだに現れる影こそが重要であると感じます。つまりは「3」という数字が、本展を二項対立から逃れさせ、3つの軸により構成されていると感じさせます。この3つの要素が同時に存在する空間というものについて、もう少し詳しく教えていただけますか。

タトル まずなによりも、この空間を熟知している青木さんのアイデアと深い思考に敬意を表したいです。青木さんは東京オペラシティアートギャラリーの展示室の特性を捉えたうえで、空間を非常にドラマチックに変えるという提案をしてくれました。

  その空間の改変によって流動性が生まれ、3つのエレメントがその流れのなかに存在することが可能になりました。本展のもっとも画期的な点は、従来の多くの展覧会が鑑賞者がアーティストから享受するものが多いのに対し、本展ではアーティストが鑑賞者に奉仕するという逆説的な構造を持っていることです。私たちは、鑑賞者にこの空間を楽しんでもらいたいと考えていますが、それと同時に個々の鑑賞者が異なる考えや多様な体験を持ち、完全に個人でありながらも同時にコミュニティの一員であり続けられるということを示したいのです。

天井から吊り下げられたバスケット 撮影:ToLoLo studio

 鑑賞者とアートのバランスを考えるとき、マイナスとマイナスが倍加する状況に陥ってしまうことがあります。しかし本展では能勢さんの見事なキュレーションのおかげで、そのマイナスの状況をプラス×プラスの状況へと転換することができました。これこそが、世界においても必要とされている変化なのです。

──本展は、美術館がどういった場所であるべきかという私たちの先入観をゆるやかに解きほぐしてくれます。青木さんがギャラリーショップや企画展示室、収蔵品展示室の役割をシャッフルして展覧会に組込んだことだけでなく、近代美術館の誕生とともに生まれたホワイトキューブ特有の均一な照明とはまったく異なるライティングにもそれが表れています。本展では、通常の展覧会のような「鑑賞されるべき対象」が明快ではないのです。これは近代以降の美術館の空間に対する新しい実験とも言えますね。

タトル 私たちの展覧会は「詩」に満ちています。だからこそ、多種多様な解釈に対してひらかれているのです。現代における「詩」とは、めまぐるしく変化する日々の経験や、テクノロジーに囲まれた体験のなかから自らつくり出さなければならないものです。だから本展では、私たちの経験を中心に置き、「経験の原理」に基づいてじっくりと見つめ直すよう、問いかけています。

 そして時間という概念は、美術館の内側にも外側にも等しく存在しています。これを「時間の原理」とするとこの展覧会は「経験の原理」と「時間の原理」の2つがともに働き、いずれもが鑑賞者の豊かな解釈のために開かれているのです。

展示室外にも作品が展開されている 撮影:ToLoLo studio

 アートはつねに過去のアートの歴史のうえに成り立っています。今回の展覧会における私の仕事は、ナムジュン・パイク(1932〜2006)の仕事とも関連があります。彼は「人間一人ひとりがメディア(媒体)である」ということを最初に提唱したアーティストのひとりでした。「人間がメディアである」ということは、人間を冷たいオブジェクトであるかのように扱っている印象を受けるかもしれませんが、私は人間的で温かい概念だと思っています。本展は鑑賞者一人ひとりが媒体としてこの空間に存在する可能性を提示しようとしています。これは人間性に対する力強いステートメントであり、私たちが持つ美しい未来や到達できる場所を示しています。

 本展では過去の美術の歴史を参照しながらも、それによって固定されない柔軟な思考を自由に持ってほしいと考えています。青木さんと能勢さん、そして私のコラボレーションによって、単独では決して達成できなかった魔法のような展覧会が生まれました。

──本展は時間と空間における生命の循環を強く意識させます。例えば木々の葉の上には小さな「金のカタツムリ」が載っています。カタツムリの渦巻模様は、この展覧会の形体自体と関連していますが、多くの鑑賞者が葉のうえのこのカタツムリを見落としているかもしれません。鑑賞者が展覧会で何かを見出す、あるいは逆に見落とすという状態についてどうお考えですか。

タトル この金のカタツムリは、象徴的な存在でもあります。展覧会をつくっているとき、私はこのカタツムリがブッダが悟りを開いたときにその頭部を覆っていた「螺髪(らほつ)」に似ていることに気づきました。詩的に言えば、すべての葉が散っても、金のカタツムリ、つまり「悟り」はそこに残り続けるのです。

木々の葉の上に設置された金のカタツムリ 撮影:ToLoLo studio

 「悟り」は誰に対しても開かれた、ある意味での到達点といえます。アーティストにとってアートを完成させることは、悟りを開くことと近しいものです。そうした意味で、金のカタツムリは展覧会においてもっとも重要な部分と言えるかもしれません。

  私はアーティストではありますが、鑑賞者となんら変わりありません。鑑賞者は自身の目や心を開き、自分自身についての知性や感性を働かせることで、たくさんの詩的な体験を構築していきます。たんに作品をつくり見せるだけでなく、鑑賞者の詩的な体験の手助けができること、それこそが私の最大の願いです。本展はその目的を見事に達成できたと信じています。