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2025.7.4

地域レビュー(東京):山﨑香穂評「細野さんと晴臣くん」展、「すずえり」展

ウェブ版「美術手帖」にて新たに始動した、地域レビューシリーズ。本記事は、山﨑香穂(東京都写真美術館学芸員)が今年4月から6月にかけて東京で開催された展覧会のなかから、「細野さんと晴臣くん」展と「すずえり」展を取り上げる。各展覧会より、アイデンティティの形成と女性としての生き方について考察する。

文=山﨑香穂

「第18回 shiseido art egg すずえり(鈴木 英倫子) 展 Any girl can be glamorous」会場風景 Photo by Ken Kato
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アイデンティティの形成と女性としての生き方

「HOSONO MANDALA」企画展「細野さんと晴臣くん」(立教大学 池袋キャンパス ライフスナイダー館)

「HOSONO MANDALA」企画展「細野さんと晴臣くん」の展示風景
「僕のいまやっているものの多くは、もとは小学校の頃の体験から始まっていることになる」。(細野晴臣『映画を聴きましょう』キネマ旬報社、2017年)

 子供の頃、学生の頃に好きだったものが、その後の人生に多少なりとも影響を与えるということは、誰にでも経験があるのではないだろうか。昔から好きだった映画、音楽、漫画――。それらに触れた経験が個人のアイデンティティをより強固なものにしてくれる。

 本展覧会は、「Dialogue 1 映画と晴臣くん」「Dialogue 2 音楽と晴臣くん」「Dialogue 3 漫画と晴臣くん」「Dialogue 4 晴臣くんと細野さん」の4章から構成される。子供の頃や、母校の立教大学で過ごした学生時代の「晴臣くん」が好きだった映画、音楽、漫画について、ノートいっぱいに描かれた落書きから、当時の「晴臣くん」の経験がよみがえる。ノートの隣には、大人になった「細野さん」の言葉が添えられ、「晴臣くん」と「細野さん」の対話が展開していく。

 展示台としての重厚な机4台に「晴臣くん」が当時好きだったもの=「細野さん」がいまでも好きなものがぎっしりと展示される。当時の映画のVHSや漫画、レコードの横に並べられた「晴臣くん」のノートには、それらの作品から得たアウトップットがノートいっぱいに書き尽くされている。「LIVE NOW」のライトの明かりにつられて机へ近づいていくと、小さな音楽が聞こえてくる。細野の耳のイラストがプリントされたハンドアウトを机に敷き、その上から机の中へ耳を澄ますと、細野の歌声が聞こえてくるというインスタレーションが展示されている。この展示においての机は展示構成のある種の仕切りとしてだけではなく、机がもつメタファー、例えば創造の場や、知識を吸収する場などを想起させる(本展では、高校時代に活動していたフォークバンド、オックス・ドライヴァーズの曲も初公開された)。

展示風景より、机に耳を当てて細野の歌声を聞くインスタレーション作品

 「Dialogue 4 晴臣くんと細野さん」では「自分の生まれる前の音楽も、これから生まれる音楽も。好きという気持ちでつながっている」という細野の言葉からも、細野が楽曲のカバーや、ラジオや書籍等のメディアで発信をするなかで、過去のものを未来へ橋渡ししているということが伝わってくる。

 本展は細野の軌跡と進行形の活動を伝える55周年プロジェクト「HOSONO MANDALA」の第1弾企画として実施された。古いものも新しくて、新しいものも古い。「自分の好きだったもの」を改めて振り返る機会をも得ることができる。昔好きだったものからは、いつでも新しい発見ができるということに改めて気づかされるのだった。

「第18回 shiseido art egg 『すずえり(鈴木 英倫子)展 』Any girl can be glamorous」(資生堂ギャラリー

メルクリウスーヘディ・ラマーの場合 2022- Photo by Ken Kato

 展覧会タイトル「Any girl can be glamorous」は、女優で発明家という異例の経歴をもつ、ヘディ・ラマー(1914〜2000)の言葉からのものである。現代の私たちの日常に欠かせない、Wi-Fi や Bluetooth、GPSといった技術は、作曲家のジョージ・アンタイルと、女優のヘディ・ラマーが1941年に特許を取った、魚雷制御のための暗号通信システムがベースとなっている。ヘディはオーストリア・ウィーン出身の女優で、当時「世界で最も美しい女性」と称された。1933年にチェコ映画『春の調べ』で主演を務め、映画史上初のヌード、性的シーンで一躍注目を浴びる。その後、ドイツ製の兵器商であった夫と結婚するが、窮屈な生活を強いられたヘディはパリへ逃れ、1938年にはアメリカに渡りハリウッドで活躍する。ハリウッドでは『サムソンとデリラ』(1949)などに出演し、大成功を収める傍ら、趣味として発明を探求。アメリカへ帰化していたヘディは、第二次世界大戦中、アメリカ海軍が、無線誘導の魚雷が通信妨害に遭っていることを受け、作曲家ジョージ・アンタイルとともに周波数ホッピング・スペクトラム拡散(ある周波数帯域をいくつかの細かいチャネルに分割し、送信と受信の双方があらかじめ取り決められた切り替えパターンに従って、数ミリ秒〜サブミリ秒ごとに周波数を次々と高速で変えながら通信する方式)を発明する。特許を得て、この技術をアメリカ軍へ提案するが、女優として名を馳せていたこともあってか、アメリカ軍は見向きもしなかったという。ヘディの“Any girl can be glamorous”(誰だって魅力的な女の子になれる)の言葉のあとには、こう続く。“All you have to do is stand still and look stupid.” (バカなフリして立っていればいいのよ)。この技術の重要さにアメリカ軍が気づいたのは戦後1960年代に入ってからだった。

 本展は資生堂が新進アーティストを支援する「shiseido art egg」第18回の2期として開催された。すずえりは、楽器や電球を自作の電子回路や通信機器と接続した装置を制作し、そこに表象される音や光に物語性を見出す作品を手がけるほか、即興演奏家としても活動する作家である。コロナ禍を通して、オンラインを介した即興演奏の機会を得たすずえりが着目したのは、「通信の遅延をどう演奏に取り込むか」「通信 (コミュニケーション)そのものをどう音楽、そして表現に落とし込むか」ということだった。

 本展では様々に「通信」を用いた作品が展示される。作品を鑑賞し、ピースを集めるうちに、私たちはヘディが抱えていた女性としての生きづらさに直面することになる。

 《メルクリウスーヘディ・ラマーの場合》(2022〜)では、スピーカーが内蔵された受信機を、天井から吊り下げられている電球(送信部)にかざすと映画のセリフや当時のテレビ番組、ラジオのニュース、ジョージ・アンタイルの曲などが聞こえてくる。この作品では、グラハム・ベルが発明した可視光通信の仕組みを利用している。「通信」という手段を通じて、現代を生きる私たちに当時の様子を訴えかけてくる。

メルクリウスーヘディ・ラマーの場合 2022〜 Photo: Ken Kato

 《逆説の十戒》(2025)と《ピアノは魚雷にのらない》(2025)は、それぞれトイピアノとアップライトピアノを用いた作品である。先述の「周波数ホッピング・スペクトラム拡散」を発明したのは、ヘディと作曲家のジョージ・アンタイルが即興で転調をしながらピアノを弾いていたときだった。壁に投影されたケント・M・キース「The Paradoxical Commandments」の詩の文字に連動して、トイピアノとアップライトピアノが通信を行う。詩の一文に登場する音階であるC, D, E, F, G, A, B(=ドレミファソラシ)のアルファベットに対応して鳴ると、音名がアップライトピアノに送信され演奏される。ふたつのピアノの通信にはBluetoothが使用されている。Bluetoothもヘディの発明を基盤とした技術のひとつである。

 《彼女の絵を探している》(2025)では、すずえりが以前ニューヨークで目にしたという、ヘディが晩年に書いた絵が制作のきっかけとなっている。「あの絵を見たときの、深い穴を覗き込んだときのような気持ち。それからずっと彼女の顔と絵を探している」という、すずえりの文章からは「世界で最も美しい女性」「Wi-Fiの母」、そしてひとりの女性、様々な顔を持つヘディのマテリアルを集めようとしている様子がうかがえる。

彼女の絵を探している 2025 Photo: Ken Kato

 「通信」という手段を媒介して、へディ・ラマーとすずえりの対話が会場ではくりひろげられる。また、鑑賞する私たちも、作品を通して多少なりとも多くの女性が直面する「年齢」「容姿」「社会的評価」、女性の生き方について考えさせられることになる。

 ヘディ・ラマーは1997年、電子フロンティア財団(Electronic Frontier Foundation)から偉大な発明者として表彰され、没後から15年ほど経た2014年に全米発明家殿堂入りをはたしている。